雪は小休止、議会は本日最終日

ブログ 敦賀市議会

自然現象の世界において、頻繁に耳にするようになった「記録的」、「観測史上最高」などの言葉ですが、豪雨や台風に続き、雪のシーズンでも。
 
今季最強の寒気は、日本海側の東日本を中心に大雪を降らせ、その影響により発生した新潟、群馬県境付近の関越自動車道の立ち往生は、約52時間ぶりにようやく解除されたとのこと。
 
嬉しい悲鳴を挙げるはずのスキー場でも倒木による孤立や、降り過ぎて客が来れないなど、やはり「急なドカ雪」は、様々な機能麻痺を生じさせることを痛感する次第です。
 
ここ福井県では、最近で言えば平成30年度に嶺北地方を中心とした大雪により、生活や国道8号のストップなど大きな影響が記憶に新しいところです。
 
また、語り草になるほどの県内の大雪と言えば、昭和38年の「三八豪雪」と56年の「五六豪雪」。
 
少し調べてみると、「三八豪雪」については、福井県史によると「次々に降り積もる雪は、一月三一日ついに福井市で二一三センチメートルに達し、一八九七年(明治三〇)福井気象台創設以来の記録となった。また、翌二月一日には、敦賀市でも一五四センチメートルの最深積雪量を記録した。」とあり、この時は、死者31名、家屋全壊73世帯、一部損壊13,384世帯が発生したという記録も。
 
「五六豪雪」に関しては、日本気象学会によれば、特に嶺南地方で多く降ったとあり、「1月15日には敦賀で積雪196cmに達し、過去の最深積雪の極値154cmを上回る記録となったほか、この期間に北陸地方の大部分のところで積雪のピークに達し今冬の最深積雪を記録した。」とありました。
 
同じく、この時の死者は14名、家屋全壊266世帯、一部損壊1,043世帯。
 
なお、「三八豪雪」は長期にわたって日本海側の各地に雪を降らせたものに対し、「五六豪雪」は短期間にかつ、降雪が福井県に集中したことが挙げられるともあり、同じ大雪でもパターンの異なるものであったことを改めて知りました。
 
私自身が経験したのは「五六豪雪」。
 

【五六豪雪時の本町二丁目商店街の様子(@市政80周年時の市政だより)】
 
この時は確か小学校3年生であったかと思いますが、何せ家の2階から出入りした記憶が鮮明に残っています。
 
父の会社の社宅から新築に引っ越した、その冬の出来事だったことを思うと、恐らく両親は気が気でなかったのではと、今頃心中察するところです。
 
それ以降も数々の「ドカ雪」の経験をしてきましたが、やはり交通機能麻痺にまで陥る雪というのは「急に、たくさん」降る状況の時。
 
こればかりは、お天道様に願うしかないのかも知れませんが、生活を孤立させ、物資の流通がストップしてしまうリスクに備え、自治体や地域では一丸となった万全の除雪体制を、各家庭ではそれぞれで心構えと準備をし、今冬に臨むべしと思うところです。
 
皆さまも十分ご留意くださいませ。
 
さて、雪も小休止の本日は、敦賀市議会12月定例会の最終日となります。
 
全ての議案についての採決にあたり、私のほうは一件、第126号議案「市有財産の無償貸付けの件」(駅西地区整備期間中、市の土地を無償で事業者に貸し付けるとの内容)について賛成の討論を行う予定としています。
 
こちらは急な大雪とは違い、22日間に亘りじっくり時間を掛け審査・審議を積み上げてきたものであることを踏まえ、最後まで議決する責任を持って対応してまいります。

文化と歴史をつなぐ大切さ 〜今年度の市民歴史講座を終えて〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

「愛発の関、松原客館、金ヶ崎城など、日本史を動かした敦賀の史跡は歴史的魅力である」との講師のお言葉から始まった、昨日の市民歴史講座。
 
昨日は、今年度最後の市民歴史講座が市立図書館研修ホールにて開催され、受講してまいりました。
 
この日は、講師に元福井県埋蔵文化財調査センター所長の山口充先生をお招きし、「元亀争乱から450年 〜元亀争乱と越前朝倉攻め〜」をテーマに、南北朝、戦国時代の戦いの舞台「金ヶ崎城」を巡る史実、最後は朝倉義景軍vs織田信長軍の戦い「元亀争乱」により陥落したことなど興味深く聴講。
 
新型コロナ対策により、通常100人定員を半分の50人に減員しての開催となりましたが、早々に定員を満たした会場の皆さんも熱心に聞かれていました。
 

 
この市民歴史講座については、これまでも概略メモ形式にて書き留めてきていることから、今回も以下に少々書き置かせていただきます。
 
【山口先生のお話しから】
◉敦賀の歴史的魅力は、愛発関、松原客館、金ヶ崎城など日本史を動かした敦賀の史跡。
◉愛発の関は、都を守るために北陸道、東海道、東山道から都に入る位置に置かれた古代の三関で、不破の関、鈴鹿の関とともに敦賀の愛発に置かれた(愛発の関は発見されていない)。
◉松原客館は、渤海国から入国した渤海使を滞在させる迎賓館で、敦賀が古代から国際貿易港であった証(松原客館も発見されていない)。
◉金ヶ崎城は、元亀争乱の始まりで全国制覇の舞台となった城。
◉「城」の始まりは「戦」。弥生時代中頃、共同体の大規模集落を見守ることを目的とした。
◉外国からの侵攻にも備えた城。朝鮮式山城、中国式山城、水城など。天智天皇664年「大堤を築きて水を貯へしむ」などの記述が残っている。
◉兵法家は江戸時代に入ると仕事がなくなり、軍学者と呼ばれる職業にて講義などで稼いだ。この時代に分類される城は、平城、平山城(敦賀城はこれにあたる)、山城。
◉金ヶ崎城は、源平の合戦で源義仲に敗れた平通盛が敦賀城に依ったことや南北朝の合戦では、南朝方の恒良親王、尊良親王、新田勢、気比社勢が籠った。また、戦国時代は敦賀郡司の城であり、最後は元亀争乱で陥落。
◉南北朝時代も戦国時代も、金ヶ崎を攻める戦略は手筒山からであった(つまり、手筒を落とせば、金ヶ崎は手に入る)。
◉元亀争乱の際、朝倉景恒が1日で降参、開城してしまったのは、歴史の経験から実は戦っても無理だと知っていたからではないか。
◉金ヶ崎城落城後に築城された敦賀城(現在の西小学校辺り)は、後に破却されたとあるが、実際はされていない。
 
私の理解において、講義のポイントはこのような内容であったかと思います。
 
こうして今年度は「元亀争乱」をテーマに4講シリーズで開催された歴史講座をすべて聴講してきた訳ですが、第1講の朝倉家側から見た元亀争乱に始まり、2講は若狭国、3講は近江国それぞれの視点から、そして最終4講は、元亀争乱の始まりで全国制覇の舞台となった「金ヶ崎城」と、何かフルストーリーが完結した気持ちとなりました。
 
また、冒頭にありました山口先生からの「日本史を動かした敦賀の史跡は歴史的魅力である」とのお言葉を聞き、改めて我がまちを誇らしく思った次第です。
 
閉講のご挨拶をされた気比史学会の糀谷好晃会長の言葉によれば、講師の山口先生とは40年以上のお付き合いとのこと。
 
当時、高度成長期にあって、この敦賀の地も北陸自動車道や国道8号バイパスなどの建設のため「開発と破壊」、即ち開発から埋蔵文化財を保護するための戦いでもあったことも振り返られ、今こうして山口先生始め、文化財保護に関わる専門家や気比史学会など民間団体が力を合わせ、敦賀の財産を守ってきてくれたことに改めて敬意を表するところであります。
 
また、こうした時代も含め、先人たちが守り、つないできた文化財や歴史を守り、これからも世代をつなぎ、文化として発信していくことは、私たち世代の責務、まさにまちの根幹に関わる重要なことであり、そうした意味において、毎年テーマを変え、36年もの間「市民歴史講座」を継続されている気比史学会の皆さんには心より感謝いたします。
 
私も今定例会の一般質問で、まさに「文化財行政」を取り上げ、体系立てて「文化と歴史をつなぐ」ことを提言したところでありますが、今後少しでも役割を果たせるよう、自ら行動し尽力していきたいと思います。

連日目が離せない原子力の話題

ブログ 原子力

昨晩の敦賀は悲しい知らせ…。
 
18日19時10分頃、平和町の住宅から出火し、木造2階建てを全焼。
 
火は約1時間15分後に消えたものの、現場から心肺停止状態の2人が見つかり、敦賀署は連絡が取れなくなっている住人とみて身元の確認を急いでいるとの速報。
 
まずは、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
 
現場は敦賀高から南に約400メートル離れた住宅密集地であったものの、大火にならなかったことが唯一救いであったところ。
 
自分の町内もそうですが、市内では年末警戒パトロールを予定している町内も多いと思いますが、奇しくもこの時期に発生した災害をまさに「対岸の火事」にすることなく、教訓として注意していかねばと思うところです。
 
さて、連日原子力に関する話題で恐縮ですが、昨日も私にとって注目すべき出来事がありました。
 
ひとつは、40年超運転での再稼働を目指す関西電力の美浜発電所3号機について。
 
美浜町議会は18日、全員協議会を開き、同発電所の再稼働に同意することを賛成多数で決定、戸嶋町長に報告したとのこと。
 
40年超の原子力発電所再稼働に地元議会が同意するのは、高浜発電所1、2号機がある高浜町に次いで2例目となります。
 
戸嶋町長は、美浜町議会からの報告後の取材で「住民意思を代表した判断であり、重く受け止める」、判断時期については「今の時点では申し上げられない」と明言を避けられたのは致し方ないところと受け止めますが、今後ひとつの大きな判断をされることを期待するところです。
 
もうひとつは、昨日も書きました使用済み核燃料の中間貯蔵の件。
 
電気事業連合会副会長と経産省のエネルギー・地域政策統括調整官が18日、青森県庁を訪れ、使用済み核燃料を、むつ市の中間貯蔵施設で共同利用するための検討に着手する考えを説明しましたが、三村知事は「全くの新しい話で本日は聞き置く」と述べるに留めたとのこと。
 
この日の午後には、むつ市長とも面会し、同様の説明を行なったものの、現時点ではその方向すら受け入れ難いとの回答がされました。
 
一方、東京では関電の森本社長が会見で、上記の共同利用に「積極的に参画したいと考えている」と発言され、来週にもそのことを福井県知事に伝えるともあります。
 
福井県においては、前知事時代からの「県外搬出の約束」に対する回答期限が年末に迫っており、勿論この回答に資するものであろうことは理解するものの、果たして受け入れ先が強固な反対姿勢を示している状態で、福井県の反応はどうなるのか。
 
基本、関西電力の原子力発電所再稼働とは切り離して考えるべきと考えますが、運転すれば生じる使用済み燃料の問題だけに、一般的に理解されるのも難しいのかと。
 
私如きが心配するに及ばないのかも知れませんが、まさにこの対応は「高度な政治判断」。
 
この点に関しては来週以降も目を凝らし注視していきたいと考えます。
 

【一瞬の夕陽に照らされた対岸はどこか幻想的。沈むのは早く、この後日は暮れていきました。】

動き多き一日 〜原子力発電所の安全、核燃料サイクル、高レベル廃棄物の最終処分〜

ブログ 原子力

新型コロナ対応に大雪と災害に関するニュースで持ち切りのところでありますが、ここ最近を見ていると、洋上風力発電の拡大に向けた戦略や再生可能エネルギー拡大に向けた民間の技術導入、さらには原子力発電に対する位置付けなど、エネルギー政策に関する報道が多く目につくと感じています。
 
これも以前の所信表明演説において、菅総理が「2050年温室効果ガス排出実質ゼロ」を目指すとして以降、議論が活発化しているとすればやはり、トップリーダーが明確な政策目標を掲げるだけで無く、達成に向けた道筋を示していくことが不可欠であり、今はそのプロセスの始まりといったところかと。
 
第6次エネルギー基本計画の見直し論議も開始されておりますが、その中においても冷静で現実的、さらには将来に向け技術の発展を生む明るい政策を示していただくことを切に願うところであります。
 
そのような中、昨日は原子力に関し、大きな出来事が目白押し。
 
ひとつは、先日、大阪地裁で原子力規制委員会の審査に不備があるとして設置許可を取り消すとの判決が下された関西電力大飯発電所3、4号機の耐震設計を巡る問題について、大阪地裁判決を不服として被告の国側は17日、大阪高裁に控訴しました。
 
原子力規制委員会においては16日に、1審判決を受けて「計算結果に数値を上乗せするような方法は、(政府の地震調査委員会が公表している)地震動の予測手法で示された方法ではない」とする考えを公表、大飯3、4号機の耐震設計や審査は「妥当なものだ」と反論したうえでの控訴。
 
これにより、判決が確定するまで、取り消しの効力は発生しないこととなります。
(発電所を停止せねばならない法的拘束力は無い)
 
また同日、原子力規制庁の調整官が福井県庁を訪れ、本件に対する原子力規制委員会の見解を説明したうえで、控訴したことを報告。
 
さらには、運転開始から40年を超えた関電美浜発電所3号機と高浜発電所1、2号機の審査も「判断に問題はない」と述べたとあり、改めて国として安全性はお墨付きであると示したことは大きな意味があると受け止めるところです。
 
次に使用済み核燃料の取り扱いに関しては、電気事業連合会会長が梶山経済産業大臣に、使用済み核燃料を一時保管する中間貯蔵施設(青森県むつ市:リサイクル燃料貯蔵)に関し、原子力発電所を有する電力各社での共同利用の検討に着手すると報告したとのこと。
 
梶山経産大臣は、中間貯蔵施設の共同利用の検討着手について、「核燃料サイクルを推進するうえで大きな意義がある」と述べられましたが、勿論これは受け入れる側のむつ市や青森県との調整、同意があってこそ成り立つものであり、この断面で自身の意見を述べることは控えたいと思います。
 
廃棄物の関係でいけば、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定に向け、第1段階の文献調査が始まった北海道寿都町で、高レベル放射性廃棄物の持ち込み拒否を掲げる条例案が町議会に提出されたものの、反対多数で否決されたともあります。
 
批判や誹謗に屈することなく、国策への貢献、現世代でこの問題を解決するとの町長の毅然たる対応と行動に敬意を表するところですが、こうして反対される住民の民意についても民主主義のルール、すなわち議会の判断によって適切に対応される姿には頭が下がる思いです。
 
ひとつ一つ、冷静且つ丁寧に物事を進め、国民皆が「自分ごと」として考えていくことが、この問題を解決する筋道と考えるところであり、その点は是非ともご協力願いたいと思います。
 
偶然ではありますが、原子力発電所の安全、核燃料サイクル、高レベル廃棄物の最終処分と大きなテーマをひとつづつ取り上げることとなりましたが、昨日はもうひとつローカルな話しにはなりますが、敦賀市の隣々接にあたる越前市議会に提出されていた「停止中原発の再稼働に関する請願」が反対多数で否決。
 
簡単に言いますと、関電が保有する原子力発電所は全て停止せよとの内容であり、これは「安全が確認された原子力発電所については再稼働する」との国や県の考えと異なるとともに、請願の内容も事実誤認ではと思われる部分が多くあったことから注視していたもの。
 
反対、賛成それぞれ討論が行われましたが、客観的に見ても、国家観をもったエネルギー政策の観点からも論ぜられた反対討論の方が説得力があったと受け止めるところです。
 
こうした議会での請願審議においても、冷静且つ現実的な視点を持って議論されれば答えは自ずと見えると考えることから、今後も敦賀市議会のみならず県内の各議会対応にも留意していく所存です。
 
今日は、全て原子力の話題となりましたが、電力が国民生活や産業発展に欠くことのできない血液のようなものだと思えば、この問題は決して皆さんにとって遠い問題ではなく、逆に「直結」する問題とも言えますので、今後もこの点に関心を持ってご覧いただければと思います。
 
(思いが募り、やや上から目線になってしまった点はご容赦願います。)
 

【移動中に立ち寄った「気比の松原」もすっかり雪化粧。これも敦賀の風情ですね。】

予算決算常任委員会にて補正予算採決を終える

ブログ 敦賀市議会

日本が誇る電力供給網。
 
日本海側を始め今シーズン最大の寒波が襲来している日本列島ですが、昨日は中部電力パワーグリッド管内において、気温低下で暖房などの電力需要が増加したため、東京電力パワーグリッド、北陸電力送配電、関西電力送配電、中国電力ネットワークの4社から最大70万キロワットの電力融通を受けたとのこと。
 
中部5県(長野、岐阜、静岡、愛知、三重)で降雪や気温が低下したことに加え、中部電力の送電線設備に不具合が生じ、一部の発電所が停止。
 
電力需要のピークに対する供給余力を示す予備率が、安定供給の目安となる3%を割り込む恐れがあったため他社から受電した訳ですが、こうして不測の事態が生じた際に電力間連携がされることは心強いもの。
 
以前に北海道が同様の事態に陥った際は、北海道と本州を結ぶ北本連携線の容量の関係から十分な電力融通が出来ず、生活や医療機関にまでも影響を及ぼしピンチとなったこともありましたが、夏季・冬季ともに電力重要のピークに対し、各社余力をどこまで持つか。
 
またベースロード電源の大切さを考えた場合、そうした際の安定性・安全性という点においてはやはり、現時点においてその役割を担えるのは不安定な再生可能エネルギーではなく、原子力発電であると思う次第。
 
いずれにしても、コロナで失われた通常生活ではありませんが、電気もあるのが当たり前と思わず、国民の皆さんおひとりお一人が、そのあり方を考えていただければと思うところであります。
 
さて、昨日の敦賀市議会は予算決算常任委員会(全体会)を開催。
 
追加提出された第130号議案ひとり親世帯給付金を含む、今定例会に提出の補正予算案に対し、各分科会長からの審査結果報告に続き、討論、採決と進みました。
 
その結果、すべての議案について「原案の通り認めるべき」となり、最終日の本会議にて予算決算常任委員長からの報告の後、採決を迎えることとなります。
 
多くの事業が含まれる補正予算案であり、案件の重要度に優劣はありませんが、ひとつ取り上げるのは約1億円を基金から繰出し対応する、敦賀市総合運動公園野球場スコアボードの改修事業。
 
福井国体開催後から不調となり、作動したりしなかったりと、市のほうもあの手この手で対応し続けてきたスコアボードですが、反転式(電気でひっくり返すオセロのようなもの)の型式はもはや旧式もいいところであることに加え、製造メーカーも撤退してしまっていて手をあぐねていたところ、夏の福井県高校野球大会開会を前にとうとう制御不能となってしまいました。
 

【夏の福井県高校野球大会を前に制御不能となった“表示できない”スコアボード】
 
単なる得点表示板でなく、野球の世界においてはスコアボードに名前や点数が映ること自体、努力の証であり、誇りであり、何より選手や家族にとっての思い出となるもの。
 
そう思えば、甲子園の目標を失った高校球児の最後の大会が無点灯のスコアボードであったことは、今振り返っても寂しく、悔しい気持ちとなるもの。
 
その時の思いは、当時のブログにも書き留めていますので、以下ご覧ください。
→→→「球都」の名に恥じぬスコアボードであるために(2020年7月24日のやまたけブログより)
 
そうした経過や思いを受け、今回、スポーツ振興課を始め市のほうが、何とかすべき、修理するのであれば来シーズン少しでも使用出来るようにと改修事業を計上されたことに、学童から中学、高校までの球児や親、そして「球都つるが」の野球ファンの皆さんすべてが喜び、期待しているものと考えます。
 
本件については、私も何度か市の方と話させていただいたことも踏まえ、昨日採決されたことに内心喜び、安堵したところですが、最終決定がされた後は、速やかに事業を進めていただき、1日も早く新型スコアボードのもとプレー出来るよう切に願うところです。
 
ついつい野球の話しに力が入ってしまいましたが、いよいよ本定例会も残すところ21日の最終日のみ。
 
これも野球と掛ければ、ゲームセットまで気を抜くことなく、「全集中」で頑張ってまいります。

日本原電の原子力規制検査と市庁舎建設対策特別委員会

ブログ 原子力 敦賀市議会

一昨日、昨日の2日間に亘り、日本原子力発電本店にて行われた原子力規制検査。
 
検査の結果としては、改めて根本原因分析という手法を用いて書き換えに至った原因や背景を分析するため、まずは計画書を提出するとのこと。
 
11月30日の公開会合の資料で示した原因分析は「直接分析」によるものですが、規制側からの問題点の洗い出しと原因が十分に整理されていないとの指摘を踏まえ、日本原電の社内規程にも基づく「根本原因分析」の手法を用い、改めて体制構築のうえ分析を進めていくとしたところです。
 
なお、書き換えが恣意的に行われたのではないかとの見方に対しては、当初、調査会社報告書の「肉眼観察」結果しかなかったものが、その後「顕微鏡観察」結果が出てきたため、審査会合資料を作成する段階で、より精度の高い「顕微鏡観察」の結果に記載を変更したものであり、そのことは従前からの主張と同じでありますが、今回の検査の場においても日本原電から説明されたとのこと。
 
こう聞けば、俗に言う改ざんや悪意を持って書き換えたものでないことはご理解いただけるのではと思うところです。
 
本件については、引き続き事業者において緊張感を持って丁寧且つ誠実に対応されるものと考えます。
 
さて、昨日の敦賀市議会は、私も所属している市庁舎建設対策特別委員会を開催。
 
市庁舎整備に関しては、まず全体の進捗率について報告がされ、建築工事47.6%、電気工事2.6%、機械工事7.7%との状況とのこと。
 
続いて、新庁舎の窓口業務に関しては、「歩かせない、待たせない、書かせない」の窓口運用コンセプトをもとに、担当者の意見も踏まえつつ各課所管業務の課題や現状分析を行い、動線や表示(歩かせない)、番号発券システム(待たせない)、窓口支援システム(書かせない)を構築。
 
ワンフロアーで集約連携サービスとしていくとの説明がありました。
 
次に新庁舎の売店運営事業については、日常的に市民の皆さんにご利用いただけるよう、多目的ホールを活用したマルシェ(地元品産の販売など)や災害時における市への支援体制(食料等の提供)をすること、また市内製造工場製品の技術応用事業に関しては、永大産業が市長室収納や食堂の床、東洋紡については議場内椅子や待合スペースサイン、この他にもジャクエツ、オプテス社などの製品を活用していくとありました。
 
全体工程に関しては、以前にコロナによる建築資材調達遅れの影響を反映し計画変更を行ったところですが、新庁舎については完成が令和3年8月、供用開始が令和4年1月、旧庁舎の解体完了が令和4年7月、外構整備工事を同年12月までに終えた後、令和5年1月にグランドオープンする予定となっています。
 

【現在の新庁舎建設状況。見えづらいのですが、後ろの高層棟の高さは現庁舎の5階と同レベルまで立ち上がっています。】
 
最後に総事業費に関して、現時点における概算額は75億8522万円。
 
実施設計時の約69億7200万円から増額となっているものの、国からの交付税措置を受けるためには限定した工期とならざるを得ず、東京オリンピック需要による資材高騰など想定外の上昇分を加味した結果との位置付けとなっています。
 
最後に、平成29年3月に設置した本特別委員会ですが、他市町においては基本構想までの確認としているところが多いことなどから、本委員会の取り扱いも含め、定例会最終日に委員長より報告される運びとなります。
 
12月定例会も早いもので、本日の予算決算常任委員会を終えると、残すは21日の最終日のみとなります。
 
議員は各議案の決定者であるとの自覚のもと、最後まで責任を持って対応していきます。

北陸新幹線敦賀駅工区の現場を視察

ブログ 北陸新幹線

天気予報はズバリ当たり、昨日の敦賀は夜になって雪。
 
夜半には道路もうっすらと白くなりました。
 
ここ2年、雪のない生活でしたので、今日は特に車の運転などに注意いただきたく存じます。
 
昨日は午前中に福井新聞の速報メールが届き、コロナ情報かと思えば「原子力規制委員会が日本原子力発電本社に立ち入り調査開始」とのタイトル。
 
敦賀発電所2号機の審査資料を書き換えた問題を巡り、事業者に立ち入り調査をするのは規制委員会発足後初めてということで注目されていることは理解しますが、速報にまですることかといささか狙いを勘繰ってしまったところ。
 
日本原電のほうは「丁寧且つ誠実に対応する」との発言に基づき、本日も続く検査に対応するとしておりますので、その結果を冷静に見守っていただきたいと思うところです。
 
さて、今定例会でも5人の議員が一般質問で取り上げました北陸新幹線敦賀開業の工期延期問題ですが、昨日は敦賀市議会にて北陸新幹線整備状況に関する行政視察を行いました。
 
本件に関しては、市の都市整備部より、国の検証委員会による工期短縮、費用縮減についての検討状況などを適宜情報提供いただいており、机上のイメージは出来ているものの、議員の立場で現場視察するのは、ほぼ1年ぶりでありました。
 
視察の方は現場メインということで、坂ノ下から道口へと続く「車両基地」、そして工期遅れの大きな要因ともなっている「敦賀駅工区」へと進みました。
 
まず、12両(長さ300m)7編成の北陸新幹線を納める「車両基地」については、盛土が7割完了。
 
2日に1回検査を行う「仕業検査庫」や「総合事務所」など、これから20棟もの建設工事を行うとのことでしたが、こちらは計画通り工事を進めているとのこと。
 


 
続いて「敦賀駅工区」においては、国内最大級の1000tクレーンを据え、河川(木の芽川)を跨ぎ桁を掛ける工事、駅幅40mに特殊な大型桁を掛ける工事等が技術を要する難工事となっているとのことで、その状況を間近で確認するとことが出来ました。
 


 
敦賀駅舎に関しては、決して弁明のために用いた訳ではありませんが、工事の規模感に関して言えば、富山駅と比較すると敦賀駅の高さ37mは1.5倍。
 
阪神・淡路大震災、東日本大震災を踏まえ、設計上の強度を増した構造に関しては、鉄筋量が富山駅の3.3倍、コンクリート量は2.6倍、45m地下まで打ち込んでいる柱の太さは2.0m(富山駅は1.2m)とのこと。
 
また福井駅と比べると、1面2線の福井駅に対し、敦賀駅は2面4線。
 
高さは、福井駅19m、敦賀駅は37m。
 
1階コンコース、2階新幹線ホームの福井駅に対し、1階在来線、2階乗換コンコース、3階新幹線ホームの敦賀駅は構造的にも複雑であるとの説明がありました。
 
検証委員会においては、現在工期については1年半から1年に短縮、費用に関しては2880億円増から222億の縮減との中間報告がされていますが、この敦賀駅舎工事では、クレーンなど重機や作業人員の増、土木工事と建設工事の工程効率化、工法の見直しなどを行うとのこと。
 




 
なお、この日説明対応をされた鉄道建設・運輸施設整備支援機構の大阪支社長さんからは工期遅れ、地元への報告遅れに対して謝罪の言葉がありました。
 
こうして正味1時間ほどの視察でありましたが、現場を間近に見て、悪天候の中でも作業されている様子や真摯に説明対応される関係者の皆さんの姿を拝見するに、この難を極める工事をとにかく安全第一で進めていただくことを願う次第。
 
聞くところによれば、現在駅舎工事で働く作業員は、土木・建築を含め300人とのこと。
 
国土交通省自らが、建設現場の働き方改革を謳っておりますので、その点にも十分配慮された管理を併せてお願いしたいと思います。
 
何はともあれ、本視察により、机上と現場のイメージが合致しましたので、今後本件に関する動きに対しては、より冷静に現場実態や思いとの乖離なきよう留意し、自身の立場においても対応していきたいと考えます。

町内役員の皆さんに活動報告

ブログ 活動報告

昨晩は、今年最後の町内役員会並びに班長会議。
 
以前に行った班別常会で挙げられた、区に対するご意見についての回答や今後の予定について確認しました。
 
例年、多くの皆さんにご協力いただき実施する「年末警戒パトロール」も今年は区役員と防災部のみにて行うことや年始の新年会も中止とするなど、まだまだ新型コロナへの配慮が続くところ。
 
そう思えば、コロナに始まりコロナのまま閉じる一年ですが、来年こそはこの環境から抜け出し、徐々に制約から開放される年になることを切に願います。
 
また、このコロナで控えていた町内での私の活動報告ですが、役員会と班長会議の合間時間を頂戴し、パワポにて概況報告をさせていただきました。
 
敦賀市が直面するホットな話題としては、やはり北陸新幹線敦賀開業の工期延期ということで、この点に関しては写真や図を用いてご説明。
 
自身の議会活動については、6月定例会から12月定例会までのトピックスをご紹介させていただきました。
 
「活動報告は議員の責務」をモットーとしておりますので、気持ちはより多くの方に伝えたい訳でありますが、ここはやはり区のほうもこうして様々な制約を続けているところですので、今暫くはこうした場を活用した報告スタイルで対応していきたいと考えます。
 
さて、今年もあと2週間半となり、いよいよ雪だるまマークが登場している今週の天気ですが、本日午後は、敦賀市議会にて北陸新幹線整備状況に関する行政視察を行う予定となっています。
 
難工事の状況を表すかのように、本日は大雨、強風、波浪、雷と注意報が出ている状況にありますが、こうした悪天候の中でこそ現場を見せていただく甲斐があるというもの。
 
工期遅れ要因のひとつになっている工区でありますので、しかと自分の目でも確認し、皆さまにも状況をお伝えしていきたく存じます。
 

【写真は、約1年前の2019年12月10日に議員団にて視察させていただいた時のもの。この日とは状況も天気も随分違う視察となりそうです。】

原子力の同志に対し、心からのエールを送る

ブログ 原子力

地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」採択から5年を記念した国連のオンライン会合が開催され、70以上の国や地域の首脳らが事前収録したビデオ演説の形で参加。
 
この会合で菅義偉首相は13日未明、「2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにすることを目指す」と宣言したとのニュース。
 
国連や、気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)は、本来11月に予定されていたものの、新型コロナウイルス感染拡大に伴い1年延期されていて、会合には主催国のジョンソン英首相やマクロン仏大統領らが参加。
 
トランプ政権下で突如の協定を離脱した米国は欠席しましたが、次期大統領に就任する見通しとなったバイデン前副大統領は12日に声明を出し、「政権発足初日に協定復帰する」と強調したとのこと。
 
米国が本協定に復帰するという意味合いは非常に大きいものがあると感じており、具体的にどのような数値目標を掲げるのかに注目したいと思います。
 
そして、何をおいても日本。
 
省エネや高い環境対策を講じている現状から、さらに温室効果ガス排出実質ゼロを目指すというのは、まさに乾いた雑巾を絞るようなもの。
 
以前、敦賀で開催されたエネルギーフォーラムの場では、そのためには「原子力発電は必要不可欠な存在」であり、「究極の現実主義者である菅首相は、必ずやそのことを行動で示す」とありました。
 
再稼働や新増設・リブレースや使用済み核燃料の最終処分、中間貯蔵、様々な課題が遅々として進んでこなかったのは、エネルギー政策は国家の根幹に関わるものとしつつ、国が前面に出て国民に説明することをしてこなかったことが大きな要因であるのは立地自治体の誰しも声を揃えるところ。
 
日本の目標を世界に宣言した今、達成のための道筋、具体論を是非分かりやすく国民に説明いただきたい。
 
そのように思って止みません。
 
さて、そうした中、昨日は関西電力労働組合若狭地区本部支部役員セミナーにて活動報告をさせていただきました。
 
約35名の参加で、コロナ対策も図りながらのセミナーということで、私自身も自組織意外でこうして報告させていただくのも久しぶりのこと。
 
そうした思いから、あれもこれもと欲張ってパワポに詰め込みましたが、何とか時間内にお伝えすることが出来ました。
 


 
ちょうど一昨日、日本原電敦賀発電所1号機(BWR)が1970大阪万博に原子の灯を届けたとお伝えしましたが、敦賀半島を挟んだ関西電力美浜発電所1号機(PWR)も同じ偉業を達成し、半世紀に亘る歴史を刻んだ者同士。
 
こうした関係にある若狭地域の各原子力事業所より集まった皆さんは、まさに我が同志であり、そうした思いも込め心からのエールを送らせていただいた次第。
 
現在、美浜、大飯、高浜発電所それぞれが目の前に壁が立ちはだかっている状況にありますが、この壁を乗り越え、再稼働により再び社会に貢献されることを切に願うとともに、自身の立場において出来得る限りの応援をしていきたいと思います。
 
そしてこの先は、審査中の日本原電の敦賀発電所2号機、計画段階にある敦賀3,4号機を含め、この嶺南地域がカーボンフリー社会を実現するための核(CO2ゼロ電力供給地)となり、新たな時代も変わらぬ「同志」の関係で邁進出来ればと考えます。

「敦賀発電所の歩み」写真展に半世紀の歴史を想う

ブログ 原子力

いよいよ天気予報にも「雪ダルマ」が登場してきました。
 
北陸地方は、来週冬将軍到来とのことですので、タイヤ交換などまだの方は今週末に済ませておきましょう。
 
さて、昨日の敦賀市議会は常任委員会を開催。
 
私は、所属する産経建設常任委員会にて、産業経済部、観光部、都市整備部それぞれ1件、計3件の議案審査を行いました。
 
3件のうち2件は、来年度から5年を期間とする指定管理者の指定に関わるものでしたが、その内のひとつ「赤レンガ倉庫」に関しては、事前準備の中で確認すべき点が多くあったため、拘りを持って質疑させていただきました。
 
本指定管理者については、公募の結果、手を挙げたのが従来の会社1社しかなく、その1社について選定委員会が審査をし、評価点はクリアしている訳ですが、現状約6万3千人の来客数を目標の8万人に増加させていくための取り組み、賑わいづくりや活性化に寄与するのか、指定管理料3,700万円/年の妥当性、行政側の考えなどについて深掘りし確認させていただきました。
 
指定管理制度に関しては、リラ・ポートの苦々しい経験にあるよう、この指定の段階から目を光らせるとともに、市の期待する役割を担えるのか、「任せっきり」にならないよう行政の考えを確認しておくことが肝要との思いのもと、所管する観光部との質疑を繰り返した訳ですが、少し時間を要したものの、結論としては議決する判断材料を得たとして理解した次第。
 
その後の討論では、「賛成」の立場で発言をさせていただきましたが、北陸新幹線開業を控えた今後5年の指定管理を担う訳であり、来館者目標達成に向けては勿論、この赤レンガ倉庫が金ヶ崎エリア賑わい創出の牽引役となることを期待するところです。
 
話しは変わり、一昨日より、敦賀駅交流施設オルパーク2階では「敦賀発電所の歩み」写真展(げんでんふれあいギャラリー)が開催されています。
 
日本原電敦賀発電所は、1号機が1970年3月に営業運転を開始してから今年で50年。
 
これを節目とし、これまで長年に亘りお支えいただいた地域の皆様への感謝の意味を込め、1号機建設前の敦賀半島の風景や1、2号機の建設工事状況などの写真を展示するというもので、今回はその「出張ギャラリー」となります。
 
展示パネルは約30枚と、そう多くはないものの、未墾の地に我が国初の商業用原子力発電所を建設した先人たちの、漲るような情熱とパワー、団結力のようなものが、写真を通して伝わってきました。
 


 
また、人が通れる幅の一本道しかなかった敦賀半島(西浦地区)に道路を敷設し、環境が変わっていく様子や当時の地元の皆さんの生活風景なども垣間見ることが出来、そうしたシーンと現在を照らし合わせ、時代の流れも感じた次第です。
 
もうひとつ、会場にて放映している「敦賀発電所1号機建設記録」DVDは、原子力黎明期にあって、日本原電、GE、国内プラントメーカー、現地作業員が一丸となって新たな技術に挑戦した姿がドキュメンタリー形式で収録されており、思わず私も見入ってしまいました。
 

 
この写真展は、原子力に関心がなくとも、時代を築いた歴史の1ページとして市民の皆さまにもご覧いただければと思うところです。
 
展示期間は12月15日(火)16時まで(もちろん無料です)。
 
この週末、お時間のある方は是非、お気軽にお立ち寄りいただければと思います。
 

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