『続・太平記と敦賀』〜知られざる武将⁉︎瓜生保〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

共同通信のまとめによれば、夏の第27回参議院議員通常選挙に向け、立候補を予定しているのは、選挙区と比例代表で計343人(17日現在)とのこと。
 
ここ福井選挙区では、国民民主党が「山中しゅんすけ」氏、比例代表では電力総連が組織内参議院議員である「浜野よしふみ」氏を、それぞれ公認、推薦決定し準備を進めるところですが、参院選の結果は石破首相の進退や連立の枠組み変更につながる可能性があることから、極めて重要なものとなっています。
 
なお、非改選議席を含めた過半数は“125議席”。
 
このラインを与野党のどちらが占めるかが、日本の将来を左右すると考え、私自身も精一杯取り組んでまいる所存です。
 
さて、そうした中、昨日午前中はプライベートながら、私にとっては大事な「地域史を学ぶ」時間。
 
より広く、敦賀の地域史を知っていただこうと、気比史学会で開催している「ミニ歴史講座」の運営・参加をしてまいりました。
 
場所は、オープンスペースとなる敦賀駅前の知育・啓発施設「ちえなみき」の2階にて、今回の参加は私含めて6名ではありましたが、開催趣旨にあるよう、楽しく学ぶことができました。
 

【ちえなみき2階 セミナー&スタディでの講座の様子】
 
講座のタイトルは『続・太平記と敦賀』〜知られざる武将⁉︎瓜生保〜。
 
前回に引き続き、史学会理事の方が丁寧に『太平記』や文献を調査された上、途中クイズなども交えながら、分かりやすい資料作成とお話をいただいたことにまず感謝申し上げるところです。
 
4月の講座では、太平記の舞台となる「南北朝時代」とは、京都の朝廷(北朝)と大和国吉野の朝廷(南朝)の二つの朝廷が並立した時代であり、期間は、後醍醐天皇が吉野に遷幸した延元元(1336)年~明徳の和約がされた明徳3(1392)年までを言うこととの説明からはじまり、建武3(1336)年10月13日に新田勢が敦賀に到着して以降、激戦が繰り広げられた「金ケ崎合戦」について学んだところ。
 
なお、前回の講座のあらすじは、以下リンクよりご覧ください。
 
→2025年4月20日ブログ『太平記と敦賀〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』はこちら
 
昨日、登場した「瓜生保」は杣山城主(今の南越前町)。
 
足利一門の斯波高経が守護を勤め、ほとんどの地侍が足利方に味方する中、ほぼ唯一南朝方についた人物として、「南朝の雄」と称される武将。
 
そもそも「瓜生氏とは?」からはじまり、新田方の戦略、なぜ瓜生一族が南朝につき活躍したのか、たった十六騎の軍勢が金ヶ崎城で大勝利をおさめたことなど。
 
湯尾峠の戦い (湯尾夜戦)や新善光寺城(越前国府近く)の戦いを経て、満を持して金ヶ崎へ出陣するも、※樫曲(敦賀市)付近で足利方の今川頼貞・高師泰2万余の軍勢に遭遇し、瓜生保をはじめ、討死した者50人余り、戦傷を負ったもの500人余りとなり敗北するまでを、史実に沿ってお話しいただきました。
 
※地元では、この合戦の折りに地元民が瓜生方に加勢し、樫の木を振り回して奮戦し、樫の木が曲がったことが「樫曲」という地名の由来になったと言い伝えられている。
 
また、話は合戦までに留まらず、後日談として、瓜生一族のその後として、瓜生寅(1842~1913)が、この日の参考文献「瓜生判官事跡」を執筆したこと、そして樫曲に瓜生保の墓を建立し顕彰に尽力されたことを知ることができたところです。
 

【最後のスライドにあった、瓜生保のお墓(敦賀市樫曲)】
 
参加者からの、自分の親世代は、敦賀市内の学校で「瓜生保」が紹介され、皆が知る”スーパースター”であったことを知ったほか、お墓の話でも盛り上がったところであり、こうした会話から、地域史やこれにまつわる人物を深掘りすることがまた、「ミニ歴史講座」の楽しさと感じた次第。
 
恥ずかしながら、今回の講座で深く知った武将「瓜生保」。
 
近いうちに、今でも樫曲の地元の方が大切にするお墓に足を運び、参ってきたいと思います。
 

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