三菱重工の革新軽水炉「SRZ-1200」を聞く

ブログ 原子力

昨晩は、福井県原子力平和利用協議会(以下、原平協)敦賀支部の令和5年度第1回研修セミナーに参加させていただきました。
 
この日のテーマは、「革新軽水炉 SRZ-1200をメインに次世代軽水炉について」。
 
しかも、実際に設計を担当する三菱重工業(株)の原子力セグメント SRZ推進室の西谷室長にお話しいただけるとあって、大いに興味をもって会場のあいあいプラザに向かった次第。
 
1992年に三菱重工に入社された西谷室長は、原子力畑を歩み、日本原電の敦賀2号にも来られたことがあるほか、美浜、大飯、高浜と主に若狭にある関西電力のプラントの保守管理に携わられてこられたとお聞きし、親近感が湧いたところですが、第1部では、三菱重工が開発を進める革新炉のうち、小型軽水炉、高温ガス炉、高速炉、マイクロ炉、第2部では本題の「SRZ-1200」について、大変丁寧に説明いただきました。
 
革新軽水炉「SRZ-1200」に関しては、これまで24基の加圧水型軽水炉の国内建設および保守に携わってきた三菱重工が、カーボンニュートラル社会の実現に向けて、既設プラントの再稼働と安全安定運転に貢献するとともに、「SRZ-1200」の早期市場投入を目指すものであり、名称のSRZにはそれぞれ以下の意味を込めているとのこと。
 
S:Supreme Safety(超安全)、Sustainability(持続可能性)
R:Resilient(しなやかで強靭な)light water Reactor(軽水炉)
Z:Zero Carbon(CO2排出ゼロ)で社会に貢献する究極型(Z)
数字の“1200”は電気出力120万kW級を表す。
 

【革新軽水炉「SRZ-1200」(三菱重工ホームページより)】
 
 →三菱重工HP 革新軽水炉「SRZ-1200」のページはこちら
 
PWR4電力(北海道、関西、四国、九州)との共同研究による「SRZ-1200」の標準プラントの開発を進めており、2020年度末にプラント概念設計を完了。
 
2021年度より基本設計を開始し、現在は許認可向けのプラント設備使用検討を実施中であり、今後並行してプラント建設に向けた立地等の固有条件を考慮した個別プラントの基本設計、詳細設計を進め、2030年代半ばの実用化を目指すとありました。
 
国がGX実行会議の次世代革新炉ロードマップで、最も早く開発を進める「革新軽水炉」ですが、まさにこの「SRZ-1200」はこれにあたるものと認識した次第です。
 
開発経緯とコンセプトを伺った後は、「SRZ-1200」の設計目標とプランと仕様、主要機器の概要、安全性の向上、運用性・経済性の向上と、それぞれ現時点の設計の考えをお伺いすることができました。
 
なお、最後の運用性の向上の観点では、「再生可能エネルギーの発電電力量に合わせた大規模な出力調整能力を付加」したとありました。
 
つまりは、系統の負荷に追従した運転を可能にするということであり、これまでのベースロード電源(熱出力一定運転)と発送を変えるもの。
 
これは、19日のブログで紹介した「再循環流量により原子炉出力の調整を容易化することで再生可能エネルギーとの共存も図る」とする東芝ESSの革新軽水炉「iBR」の考えと同じであり、これが潮流であるとも認識した次第です。
 
これまでも「原子力か再エネか」ではなく、「原子力も再エネも」利用していくとの考えからすれば、この負荷追従運転の必要性も理解するところですが、これも時代の変化ということでしょうか。
 
こうして約1時間半のセミナーはあっという間に時間が過ぎてしまいましたが、最新の設計、しかもリアルに設計されている責任者からお話しを伺えたのは大変貴重なことであり、講義いただいた西谷室長はもとより、この場をセットいただいた原平協敦賀支部の皆さんに感謝申し上げます。
 
19日のブログと重複しますが、こうして国内のプラントメーカー(GE日立→BWRX-300、東芝→iBR、三菱重工→SRX-1200)が揃い踏みで「次世代革新炉」の開発を進め、日本の原子力技術が世界に誇るものであると証明することにつながればと切に願い、心より応援する次第です。

「気比史学会」はネクストステージへ

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨朝はホームグラウンドの名子での辻立ち。
 
天気予報ではその時間、雨マークが出ていましたが、何とか降られることなく終了。
 
最近は車中より笑顔(失笑?)を送ってくれる方が増えたように感じますが、これは胸ポケットの「こくみんうさぎ」効果か。
 
いずれにしても、街頭に立っている存在を認めてもらえたこと自体嬉しいことであり、引き続き「継続は力なり」の思いで頑張る所存です。
 
さて、「継続は力なり」と言えば、設立から46年目に入った敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
役員の高齢化を理由とする解散の危機を乗り越え、新たなメンバーで継承することとしたことは、以前のブログでもご紹介した通りですが、昨晩は、今年度第1講の「敦賀市民歴史講座」に向けた役員会を開催しました。
 
残っていただいた糀谷会長以外、副会長以下は34歳から50代中盤までの役員(7名)となり、会議の雰囲気も一変。
 
私は事務局長として、会議の進行をさせていただきました。
 

【新たに作成した気比史学会の名刺。最上段には、この会に入れ込むキッカケとなった会是を入れました。】
 
協議事項のメインは、7月29日(土)に開催する「敦賀市民歴史講座(第1講)」の進め方や役割分担などでしたが、役員の方からは、ファシリテーター役を輪番制にして、能動的に参加する仕組みづくりをとの意見や、次世代を始め、より多くの方に聞いてもらえるよう「YouTube」配信をしてはなど、積極的且つ前向きなご意見を頂戴しました。
 
こうして会を継承したからには、何かひとつでも新たな試みを取り入れていこうとの姿勢に、私もハッと姿勢を正したところですが、長く続く組織であるためには、ミッションやビジョンを共有し、各人の専門性や特性を発揮できること、そして「変化を恐れない」ことにあるのではと考えるところ。
 
大袈裟に言えば、進化論で有名なダーウィンの「生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもなく、環境の変化に最も敏感に対応できる種である」との言葉にも通ずることかとも感じた次第ですが、大事なのは、これまでの固定観念にとらわれず、新たな発想を取り込み、組織や活動を「活性化」させること。
 
今後の組織運営は、このような考えも念頭に、気比史学会の「ネクストステージ」を築き上げていきたいと思います。
 
なお、昭和52(1977)年当時、自らが「地域史」を学び、得たことを市民に広げていこうとの思いをもって集った有志で作られたのが「気比史学会」。
 
そう思えば、原動力となったのは、貪欲なまでに敦賀の地域史を掘り起こそうとする「好奇心」にあったのだと思います。
 
ダーウィンに続き、偉人の名言にアインシュタインの「重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。」との言葉があります。
 
まさにこの考えが、これまでも、そしてこれからも本会を支える原動力ではないかと思うところ。
 
他の市町が羨むほどの豊富な歴史、文化資源を有する敦賀。
 
まさに、敦賀の「悠久の歴史を掘る」との言葉通り、運営する我々自身が好奇心、探究心をもって次代へと歴史をつないでいきたいと思います。
 
最後に、39期を迎える今年度の敦賀市民歴史講座のプログラムを掲載いたします。
 
もちろん、どなたでも参加できますので、ぜひお越しいただけますようお願いいたします。
 


【第1講は来週末、7月29日(土)14時から。会場にてお待ちしています。】

東芝ESSが革新軽水炉「iBR」を発表

ブログ 原子力

三連休明け、週始めの朝は街頭活動からスタート。
 
いつも通り、車を停めさせていただく「つるが薬局」さんにご挨拶した後、晴天のもと8時までの約30分間、マイクを握らせていただきました。
 
話しながら見ておりますと、ワチャワチャとじゃれあいながら登校する男子中学生の姿を微笑ましく感じたところですが、思えばもうすぐ「夏休み」。
 
梅雨が明けないまま夏本番を迎える勢いですが、暑さに負けず頑張りたいと思います。
 
さて、先の6月定例会の一般質問では「次世代革新炉」を現実的に進めるための施策のひとつとして、事業者が予見性を高めるため〝政府の直接投資”による事業環境整備の必要性を国に求めるべきと意見し、〝直接”か否かは置き、ファイナンスの面で重要であることは、米澤市長と意見が一致したところ。
 
その際、例として英政府がサイズウェルC号機建設に「直接投資」した約1100億円の話しをしましたが、英政府では「小型モジュール炉(SMR)」の導入に向け、開発技術を競うコンペを実施すると発表。
 
その中で、官民合わせ、関連事業に数十億ポンド(数千億~1兆数千億円)の投資が行われる可能性があることが明らかになりました。
 
もちろん、エネルギー安全保障の強化につなげるのが狙いでありますが、技術革新に向け、国が資金面でも前面に出て後押しする姿勢は、まさに「国策」として進める意思を表すものであり、日本においても是非、こうした形で国の意思を示して欲しいと考える次第です。
 
また、国内における次世代革新炉(とりわけ革新軽水炉)に関しては、三菱重工が「SRZ-1200」の開発を進め、一歩リードするところですが、7月11日には東芝エネルギーシステムズ(東芝ESS)が、報道関係者らと意見交換を行う「東芝技術サロン」を開催する中で、革新軽水炉「iBR」のコンセプトを紹介したとのこと。
 

【革新軽水炉「iBR」のイメージ(東芝ESS提供)】
 
紹介されたコンセプトでは、堅牢な建屋、静的メカニズムを取り入れた安全システムを採用し、さらなる安全性向上と安全設備・建屋の合理化を同時に達成するほか、再循環流量により原子炉出力の調整を容易化することで再生可能エネルギーとの共存も図るとありました。
 
後段の部分はつまり、太陽光など再生可能エネルギーによる発電量に合わせて、原子力発電所側で負荷調整をするとの意味であり、これまでの発想とは異なるもの。
 
「再エネとの共存」の言葉がそのことを表していると解釈した次第ですが、この先、どういった炉に設計していくのか楽しみなところでもあります。
 
なお、敦賀発電所1号機では東芝、日立、敦賀発電所2号機では三菱重工の方とお仕事させていただいた私ですが、こうして国内のプラントメーカーが息を吹き返し、日本の原子力技術が世界に誇るものであることを証明することになればと強く願い、応援する次第です。
 
奇しくもウクライナ侵略により、世界のエネルギー事情が劇的に変わったことによって、欧米各国が原子力発電に再び舵を切ることになった訳ですが、これがなければ恐らく、世界の原子力は中露に席巻されていたことでしょう。
 
中露が原子力の技術も人材も握ってしまっていたと思うと恐ろしくてなりませんが、そう思えばやはり、今こうして欧米、そして日本が原子力を進めることは、世界の安全保障上のバランスを取る意味でも極めて重要です。
 
そうした意味も含め、既に開発を進めるGE日立とともに、東芝、三菱重工が揃い踏みで、「次世代」に向けた技術革新が進むことを切に期待する次第です。

思い出とともに生き続ける観覧車のゴンドラ

ブログ まちづくり

3連休の締め括りは「海の日」ということもあって、敦賀市内や美浜町の海水浴場にも多くの海水浴客が訪れ、梅雨明けを待たずとも「夏本番」を感じるところ。
 
予定が何もない昨日は、妻とランチに越前市方面に車を走らせましたが、浜まで車を乗り入れできる、五幡の海水浴場にも子ども達がはしゃぐ姿があり、こうして敦賀の海を楽しんでくれていることを嬉しく感じた次第です。
 
さて、ドライブがてら越前市に向かいましたが、お目当ては、昨年オープンした「宗近製麺所 おいしい麺の専門店」の2階に、さらに本年5月オープンした「麺食堂」。
 
同僚のご親族が経営されていることもあって選択した訳ですが、事前に聞いていた通りの大人気で、到着した11時40分で「1時間待ち」とのこと。
 
しかしながら、受付の発券機で渡されるレシートでQRコードから残り待ち時間が分かるほか、自分の番が近づいてきたら電話が掛かってくるということで、暫し越前市内を散策して時間を過ごしました。
 
ほぼ時間通り、1時間後に呼び出し電話があり、スムーズに入店した後、美味いお蕎麦を食し、お腹も心も満足しましたが、お店の皆さんの「おもてなし」とともに印象に残ったのが、敷地内に置かれていたゴンドラ。
 

【宗近製麺所おいしい店の専門店入口に置かれたゴンドラ】
 
越前市でゴンドラといえば、ピンと来た方もいらっしゃるかと思いますが、これは令和3年11月末に、43年間に亘り武生中央公園のシンボルとして親しまれてきた観覧車の運転が終了し、令和4年に観覧車の一部であるゴンドラを希望者へ無償譲渡するため一般公募のうえ譲渡されたもの。
 
越前市のホームページを見てみると、1978年に「たけふ菊人形」の大型遊具の目玉として整備された観覧車は高さ約36m~38m、ゴンドラの大きさは直径約1.9m、奥行き約1.2m、重さ約310㎏とのこと。
 
また、抽選を経て希望者へ譲渡されたゴンドラは、各々の想いのもと各地で新しく生まれ変わり、一部紹介されていましたので、以下参考までリンクいたします。
 
 →武生中央公園の観覧車ゴンドラの活用例はこちら(越前市HPより
 
こうして美しく、一番目立つ場所に置いてあることからも、宗近製麺所を経営されている方にとって、さぞかし思い出の詰まった観覧車だったのであろうことがヒシヒシと伝わってきたところですが、まさに「生まれ変わって」越前市民の皆さんの中で生き続けていることを、敦賀市民の私まで嬉しく感じた次第です。
 
この三連休は、「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」では戦争の悲惨さと平和の尊さを次世代に継承することの大切さ、「第26回敦賀港カッターレース」では四半世紀を超える夏の風物詩をこの先もつないでいくこと、そして昨日はゴンドラを歴史遺産として、市民皆で大切にする姿を実感する三日間となりました(歴史遺産といえば、金ケ崎の転車台は今どうなっているか…)。
 
昨日、越前市からの帰りに眺めた美しき敦賀湾然り、郷土にある有形無形の資源、宝を大切にすることこそ「郷土愛」を育み、ひいては郷土の発展につながるものと感じた次第です。
 
マインドの部分で大いにエネルギーチャージした三日間を糧に、今朝はこれから街頭活動。
 
感じたことを言葉に変えて、伝えてまいります。
 
 
(おまけ:以下、投稿後追記)
 
読者からのリクエストにより、「宗近製麺所 おいしい麺の専門店」についてご紹介します。
 

【黒と木目が馴染む店舗外観。のれんの「宗」の文字に風格を感じます。】

【食べたお蕎麦はこちら。蕎麦の量が少なく見えますが、器が大きいからであり、ボリュームたっぷりの野菜かき揚げと合わせ、お腹一杯になりました。ちなみに器は、この食堂のために特別に作った「おろしそば専用」の越前焼とのこと。】
 
接客もお味も雰囲気も大満足のお店。武生インターから5分くらいで行けますのでぜひご賞味ください。
 
詳しくは、以下ホームページにて。
 
 →「宗近そば」HPはこちら

大いに盛り上がった「第26回 敦賀港カッターレース」

ブログ まちづくり

「海開き式」が行われた翌日、昨日の敦賀の最高気温は35.9℃(14時14分)。
 
まさに炎天下のコンディションのなか、「第26回敦賀港カッターレース」が開催されました。
 
これまで何度か紹介しているこの大会は、コロナ禍により、3年前は大会直前の市内感染確認により開催1週間前に中止、一昨年はチーム数が揃わず「体験交流会」に切り替えての開催、昨年は県内チームに限り22チームの参加をいただくなど変遷を経てきたところ。
 
大会を主催する敦賀港カッターレース実行委員会(ちなみに、私が事務局の任を仰せつかっています)では、4月の会議を皮切りに準備を進め、各方面に参加呼び掛けしてきたところですが、何と言っても嬉しかったのは、今年は県外からの4チームを含む「35チーム」の参加をいただいたこと。
 
昨年、「まだコロナがあって」と、特に職域での参加が難しい企業もありましたが、今年はそうしたチームも「復活」出場を果たされ、本当に嬉しく感じた次第です。
 
大会に向けては、7月1日にはカッター下ろし(陸から海上に浮かべること)、7月2・8・9日には練習会を開催したうえで、昨日の大会を迎えました。
 
最も心配していた天気については、冒頭述べたよう、雨の心配どころが、熱中症に配慮せねばならないほどの晴天。
 
朝方は心地よい南風が吹くコンディションのもと、9時からの開会式では、35チームが勢揃いし、主催者代表、米澤光治敦賀市長(市長は選手としても参加)などからご挨拶を頂戴しスタートしました。
 

【青い空に白い雲、そして青い海。これぞ「敦賀港カッターレース」のロケーション。】

【岸壁にズラリと並んだ参加者テント。視線を移し、右手には気比の松原海水浴場があり、この日は「海まわり」が盛況。】
 
上級向けの1部10チーム、初出場チームなどの2部25チームに分けてのレースでは、櫂(オール)が折れるハプニングなども生じるなか、お揃いのTシャツや着ぐるみを着て漕ぐチームなどにより「熱戦」が繰り広げられました。
 
なお、今年も参加した「敦賀市議会チーム」は何と予選を勝ち抜き、決勝に進出。
 
4チームで競う決勝でも何とか踏ん張り、3位入賞を果たしました。
 
新人の皆さん中心に、経験者数名も入り構成したチームでしたが、こうして一体感が生まれるカッターはやはり最高で、私も漕いだ充実感と達成感を感じた次第です。
 

【予選2レース目を終えた敦賀市議会チーム】
 
大会のほうは、同じく激戦となった1部決勝までの全レースを終え、その後は閉会式、実行委員会全員にて会場の後片付け、撤収作業を行い、全ての工程を終了することができました。
 
私が実行委員会の事務局に携わらせていただいたのは3年前からに過ぎませんが、こうして四半世紀、26回を数えるまで、海洋少年団OB・OGの方を始め、カッターの楽しさ、魅力に引き込まれて参加された方などで構成された実行委員の方々で大会を継続されていることに敬意を表する限り。
 
また、実行委員会は、敦賀の夏の風物詩「カッターレース」で敦賀を盛り上げていこうとの思いをもった方の集まりでもあり、この時期限定の期間でありながらも、私自身その一員であることを嬉しく感じたところです。
 
そして何より、大会は参加者があってこそ成り立つもの。
 
今回のレースに参加をいただいた各チーム、応援に駆け付けていただいた皆さんに感謝するとともに、大会を大いに盛り上げていただいたことに心より御礼申し上げます。
 
「第26回敦賀港カッターレース」
 
皆で作り上げた、本当に良い大会でした。
 
また来年、今年以上の参加をいただけることを祈念するとともに、「カッターの聖地」川崎・松栄岸壁でお会い出来ることを楽しみにしています。
 

【大会を無事に終え、充実感あふれる表情の実行委員会の皆さん。大変暑いなか、準備から運営まで本当にお疲れ様でした。】

「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」にて78年前を思う

ブログ 敦賀の歴史・文化

グズついた曇天から一転、30℃を超える暑さとなった敦賀ですが、同じ日本海側では、活発な梅雨前線の影響で秋田県では記録的な大雨に見舞われたとのニュース。
 
河川の氾濫が相次ぎ、秋田市では土砂崩れで4人が軽傷を負ったともあり、被害に遭われた方にお見舞い申し上げる次第です。
 
これだけ天気が違うのかと驚くばかりですが、こちらの方は、本日開催する「第26回 敦賀港カッターレース」の準備のため、昨日は朝から川崎・松栄岸壁へ。
 
実行委員会の皆さんが集合した9時より、この日の作業などミーティングを行い、それぞれ分かれて準備にあたりました。
 
レースはいよいよ今日が本番。
 
お時間のある方は、敦賀の「夏の風物詩」のひとつ「カッターレース」の雰囲気をご覧に、お越しいただければ幸いです。
 
さて、私のほうは一旦準備を抜け、車で礼服に着替えた後、プラザ萬象へ。
 
10時30分より、大ホールにて開催された「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」に参列させていただきました。
 
昭和20年7月12日、先の大戦において日本海側で初めて戦禍に遭った敦賀は、この空襲によって、市街地の大半が焦土と化しました。
 
加えて、7月30日、8月8日にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われたことは、12日のブログに記載したところですが、この式典では、ご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、この空襲を含め、敦賀市出身の戦没者及び戦災死没者の御霊をお迎えし、厳かな雰囲気のもと挙行されました。
 
敦賀市戦没者戦災死没者は1,989柱。
 
私も献花をさせていただき、心よりご冥福をお祈り申し上げた次第です。
 

【1,989の御霊に心よりご冥福をお祈りいたします。】
 
式典を終え改めて、今の私たちがこうして平和に暮らしていることは当たり前ではないこと、そして戦争の悲惨さを深く胸に刻んだところでありますが、先の大戦から78年目を迎える現在では、戦争を知らない割合が8割を超えたそう。
 
平和を希求することは簡単なことですが、戦争の悲惨さや恐ろしさを忘れてはならないことはもちろんのこと、国を守るため犠牲となった英霊の存在があって、この平和があることは決して忘れてはなりません。
 
こうして式典に参列した者の使命は、これらを風化させぬよう次代に継承していくことにあると思い、本日のブログにも書かせていただきました。
 
皆様におかれましても是非、今一度、78年前にあった出来事を思い返していただけますようお願いいたします。

文句や疑義があるのならば科学的に論理的に反論を

ブログ 原子力

中国が日本に対し、「核汚染水の海洋放出は人類の命と健康に関わる」と主張し、「独断専行してはならない」と牽制する東京電力福島第一原子力発電所「処理水」の海洋放出。
 
国内では、西村経済産業相が昨日、全国漁業協同組合連合会(全魚連)の会長らと面談し、「国際的な安全基準に合致している」と理解を求めたものの、全漁連側は「反対」の立場を崩さず、歩み寄りはみられなかったとのこと。
 
また、政治においては、立憲民主党の阿部知子衆議院議員らが処理水の放出計画中止を求める共同声明を発表したことに対し、国民民主党の榛葉賀津也幹事長は記者会見で、「(放出されるのは)汚染水ではなくて科学的に安全が証明された処理水だ。科学は嘘をつかない。文句や疑義があるのならば科学的に論理的に反論をしてほしい」と述べ、苦言を呈しました。
 
さらに、「こういう問題を政治利用して世論を煽ったり、ミスリードをするような言動を繰り返すのは極めて残念、遺憾だ」とも語ったとのこと。
 

【会見する国民民主党 榛葉賀津也幹事長】
 
榛葉幹事長には「良くぞ言ってくれた。その通り!」と深く相槌を打った次第ですが、難しい問題だからこそ、政治家が前面に出て、態度を明らかにすることが重要なことと認識するところです。
 
なお、そもそもの「ALPS処理水」は、建屋内に溜まった放射性物質を含む水を浄化処理した水で、増え続ける処理水の処分方法について、6年以上にわたる専門家らによる議論を経て、2021年4月に海洋放出する方針を決定したもの。
 
除去するのが困難な「トリチウム」は宇宙から降り注ぐ宇宙線によって生成され、自然界にも広く存在するほか、雨や飲料水にも含まれており、体内に入っても、蓄積されることはなく、水と一緒に排出され、人体への影響はほとんどないと考えられています。
 
また、国内外の原子力施設からも各国の規制基準を満たした上で、海洋や河川、大気中に放出されています
 
さらに、放出するトリチウムについては、ALPS処理水を大量の海水で希釈することにより、濃度を国の規制基準値(60,000ベクレル/リットル)の40分の1、世界保健機関(WHO)が定める「飲料水基準」(10,000ベクレル/リットル)の約7分の1、1500ベクレル/リットル未満にまで薄めることとしています。
 
被災者であり、当事者である全漁連の皆さんが「反対」している部分が、こうした科学的な面でない「不安」から来るものであるとするならば、これを取り除くのは極めて難しい訳ですが、出来ることは、繰り返し丁寧に、あらゆる角度から説明を重ねることに尽きると考えるところ。
 
そこから生まれる、互いの「信頼関係」がまさに、「不安」に対する解決策であるとも考える次第です。
 

【放出を待つ、福島第一原子力発電所敷地内のタンク群(東京電力HDより)】

関西電力労働組合「第15回 若狭地区本部定時大会」にてご挨拶   

ブログ 働く仲間とともに 原子力

昨日のブログにて、日本原子力研究開発機構の「もんじゅ」で蓄積された知見が今後に生かされることを期待すると述べましたが、ちょうど視察をさせていただいた12日には、資源エネルギー庁の高速炉開発会議戦略ワーキンググループが開催され、その中で、高速炉実証炉の開発に向け、三菱FBRシステムズ(MFBR)が提案する「ナトリウム冷却タンク型高速炉」を概念設計対象に、将来的にその製造・建設を担う中核企業として三菱重工業を選定したとのこと。
 
今回、概念設計対象として選定された「ナトリウム冷却タンク型高速炉」は、同じナトリウム冷却型でもループ型の高速増殖原型炉「もんじゅ」とは異なる仕様ですが、フランス、中国、インドなど、海外では多く採用されているものであり、今後、資源エネルギー庁では、高速炉開発の司令塔となる組織のあり方について検討していくともありました。
 
2022年末の原子力関係閣僚会議にて、高速炉開発の戦略ロードマップを改訂し、「常陽」、「もんじゅ」を経て、民間企業による研究開発が進展し、国際的にも導入が進んでいることから、ナトリウム冷却型高速炉を「今後開発を進めるに当たって最有望」と評価して以降、2024年以降の概念設計を開始するに当たって最有望となるナトリウム冷却型高速炉について、その炉概念の仕様・中核企業選定のための公募を3月より行っていたものでありますが、こうして具体的な選定がされ、開発が前進することを歓迎するところ。
 
なお、これを受けて日本原子力産業協会の新井史朗理事長が発表したメッセージ、「今後の高速炉開発に伴う関係産業の全体の実力涵養とともに、若者の原子力技術への興味を高め、人材育成にも寄与するものとして大いに期待したい」には、私も全く同感。
 
日本の科学技術と原子力の将来に、夢を持って携わってくれる若者が一人でも増えることにつながればと思う次第です。
 
さて、こうして明るいニュースに触れた昨日は、関西電力労働組合「第15回 若狭地区本部定時大会」にて来賓としてお招きいただき、ご挨拶の機会を頂戴しました。
 
会場入りの前には、以前、私が労組本部役員を務めていた時にお世話になった、関西電労本部執行委員長の方とも久々に再会、お話しすることもでき、大変嬉しかった訳ですが、聞けば、大雨で特急が運休となり、この日は自家用車で大阪から来られたそう。
 
普通であれば、欠席としてもおかしくない状況であったかと思いますが、大会に参加される皆さんに何としてでも思いを伝えたいとの「気概」を大いに感じた次第であり、組織のリーダーのその姿勢に心打たれました。
 
私のほうは、連合福井の矢野会長に続きご挨拶をさせていただきました。
 
先の敦賀市議会議員選挙はもとより、日頃のご支援に対する感謝を述べた後、6月定例会の一般質問で取り上げた「次世代革新炉」を進めるに当たっての考えや国家的課題である「高レベル放射性廃棄物の地層処分」に関わる取り組みの重要性など、原子力に携わる立場として共有いただきたいことをお伝えしました。
 

【多くの代議員さんらを前にご挨拶。真剣に耳を傾けていただいたことに感謝。】
 
最後には、原子力職場に働く皆さんの思いを受け止め、今後も活動に邁進する旨、お約束申し上げるとともに関西電労若狭地区本部の益々のご発展をご祈念申し上げ、挨拶を閉じました。
 
なお、今大会をもって退任される若狭地区本部の藤本委員長におかれましては、委員長が大飯支部の時代からお付き合いさせていただいたこと、また何より、長きに亘り、この厳しい時代にあっても明るく、実直に組織を牽引されてこられたことに対し敬意を表するとともに感謝申し上げます。
 
今後は職場に戻られるとのことですが、藤本さんの新たなステージでのご活躍を心よりご祈念申し上げます。

「ふげん」「もんじゅ」の廃止措置、「新試験研究炉」候補地を視察

ブログ 原子力

福井地方気象台によれば、現在敦賀市には、大雨警報(土砂災害)及び雷、高潮注意報が発表されています。
 
また、天気予報ではちょうどこの後、通勤・通学時間帯に強い雨が降るようですので、車の運転などに十分注意して行動いただければと思います。
 
さて、天候不順が続く今日この頃ですが、昨日は、日本原子力研究開発機構さんよりお声掛けいただき、敦賀市議会議員7名にて、新型転換炉原型炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」の廃止措置、「もんじゅ」敷地内に建設予定の「新試験研究炉」の候補地について視察させていただきました。
 
朝9時に敦賀市役所を出発し、「ふげん」では、概況説明の後、タービン建屋での廃止措置工事の様子やクリアランス物保管倉庫などを拝見。
 
25年に亘る運転を2003年3月に終え、2008年2月に廃止措置計画認可を受けた「ふげん」は、その後廃止措置を進め、現在は原子炉周辺設備の解体撤去を行なっており、併せて、発生する廃材に関しては、国のクリアランス制度に基づきながら、資源循環に向け、再利用に取り組んでいるとのことでした。
 
クリアランス金属再利用に関しては、福井県の嶺南Eコースト計画に基づき、車止めを製作し、同機構敦賀事業本部の駐車場に設置するほか、国のプロジェクトとして、若狭湾サイクルルート上の計10箇所にサイクルスタンド設置(2023年3月16日現在)、敦賀工業高校や福井南高校では照明灯を設置するなど、理解促進に向けて取り組んでおり、特にサイクルスタンドのニーズが増えていると伺いました。
 


【敦賀事業本部の駐車場に設置された、クリアランス金属再利用でできた「車止め」(2023年4月28日 やまたけ撮影)】
 
その後は、高速増殖炉「もんじゅ」へ。
 
概況説明いただいた後、まず始めに、つづら折りの取り付け道路をバスで上り、「新試験研究炉」の建設候補地に。
 
現候補地である山側盛土部(資材置場にしている更地)のボーリング調査地点を教えていただいたほか、追加候補地の2箇所についてもご教授いただきました。
 
「もんじゅ」に関しては、原子炉格納容器の原子炉上部にて、昨年終えた530体の燃料移動・燃料池貯蔵の流れと仕組み、タービン建屋オペレーションフロアでは、今年度から2026年度にかけて、タービン発電機や復水器、給水加熱器などについて解体撤去を予定している旨、説明を受けました。
 
事務所に戻ってからの質疑では、私を含め、全議員から関心高く質問があり、これに丁寧にお答えいただきました。
 
「百聞は一見に如かず」と言いますが、こうして貴重な機会を頂戴しましたこと、幹部の皆さん勢揃いで対応にあたっていただいたことに対しまして、日本原子力研究開発機構の皆様に心より感謝申し上げます。
 
7月18日には、同じく12名の市議が視察に参加されるとのことであり、議会全体で知見を高めることにつながればと思います。
 
最後になりますが、廃止措置やクリアランスに関しては、日本原電の敦賀発電所1号機とも連携のもと着実に進めていただくこと、また「もんじゅ」に関しては、今後、次世代革新炉のひとつとして、蓄積された知見が生かされることで、関係者の方々のマインドが継承されること、さらには新たな「試験研究炉」においては、世界に羽ばたく原子力人材をここ敦賀から輩出できますことを切に期待いたします。

敦賀空襲から78年

ブログ 敦賀の歴史・文化 敦賀市議会

令和5年第3回(6月)敦賀市議会定例会が閉会。
 
最終日の昨日は、新たに提出された人事案件3件を含む全議案を可決し、22日間の日程を終えました。
 
私のほうは、文教厚生常任委員長として、所管した議案、請願について審査経過・結果を報告したことに加え、会派を代表して請願1件の討論を行ったため、結果、3度登壇の機会をいただきました。
 
委員長報告の際には、議員お二方との質疑の場面もありましたが、委員会での審査内容について、客観的に答弁できたかと思います。
 
また、採決にあたっての討論では、今回これまでにも増して活発な討論があり、これぞ「言論の府」と感じた次第。
 
我が会派も3人が全員討論に立ちましたが、今後もしっかり議論を戦わせ、より良い敦賀に進むよう尽力してまいります。
 
なお、閉会にあたって挨拶に立たれた米澤市長からあったのは、「議会での議論を踏まえ、スピード感を持って各事業を進めていきます。」との言葉。
 
次の9月定例会は、9月8日から10月11日まで34日間の会期で開催される予定ですが、自身も一層、建設的な意見提起をしていかねばと、気持ちを引き締めた次第です。
 

【閉会した本会議場。次に来るのは、敦賀まつりが終わった9月8日。】
 
さて、本日は7月12日。
 
「敦賀市史通史編(下)」には、このように記録されています。
 
敦賀の人びとのあいだには、「こんな小さな港町だから、やられぬだろう」「やられるにしても、北陸地方には金沢や高岡や福井がある。そのつぎだろう」というような気持ちがあった。
 
昭和20年7月12日
 
朝から絹糸のような雨が絶え間なくしとしとと降っていた。西北西の風が時折吹いていた。(中略)午後9時19分、福井県警戒警報が発令されたが、いつも敵機は若狭湾または敦賀湾に機雷を投下して、いずれかに去っていくのが常であった。当日もまた「また来たか」といった気持ちで市民は警備についた。やがて子供や老人が床についてまもない11時12分ごろ、東郷村方面に異様な音響が起こるとともに、パッと明るくなった。
 
これは、先の大戦において、日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日のことを記述したもの。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われました。
 
なお、敦賀空襲を始め、戦争の記憶を風化させないよう、これからの世代に伝えるべく取り組んでおられるのが「敦賀市遺族次世代の会」。
 
平成29年に設立した「次世代の会」は、毎年7月12日に追悼法要を行うほか、先人たちの犠牲に立って今の私たちがあることを語り継ぐべく取り組まれており、その志と活動に心より敬意を表するところ。
 
なお、「次世代の会」の働き掛けもあって、敦賀市においては、本日午前10時に敦賀空襲追悼法要の意味を込め、市内にある屋外スピーカーを使用してサイレンを鳴らすこととしています。
 
戦没者戦災死没者の冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所等において、黙とうを捧げていただけますよう、市ホームページでも呼び掛けていますので、市民の皆様におかれましては、暫しお仕事の手を止め、78年前に敦賀であった史実に思いを馳せていただけますようお願いいたします。
 

【令和5年6月16日に米澤市長に表敬訪問された「敦賀市遺族次世代の会」の皆さん。その活動に敬意を表します。(Facebook「敦賀市長の活動日誌」より引用)】

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