より分かりやすい「議会報告会」に向けて

ブログ 敦賀市議会

「対決より解決」の国民民主党は20日、岸田総理に「物価高・需要不足対策に関する緊急申し入れ」を行いました。
 
その中には「電気料金に係る国⺠負担の引下げに関する緊急申し入れ」として再エネ賦課金の徴収停止も含まれています。
 
また、15兆円超と試算されている需給ギャップの解消のためには需要を喚起する大額の積極財政が必要であり、同日午後の参議院予算委員会でも浜口誠議員が同党の政策を訴えたところ。
 
このような形で、総理が野党の政策提案を直接受けるのはあまり例がないことのようですが、是非聞く力を発揮して、ひとつでも多く政府の政策に反映いただきたいと思います。
 
 →岸田総理に申し入れた「緊急経済対策」詳細はこちら
 
話題を変え、敦賀市議会では昨日、広報広聴委員会を開催。
 
本委員会では、11月11日(金)19時より、プラザ萬象小ホールにて開催する「議会報告会」に向けた準備を継続するところですが、昨日は各委員会が作成したパワーポイント(以下パワポ)資料の確認を行いました。
 

【この日はモニターを用いての確認】
 
議会報告会ではまず、議会から今年度審査した案件のトピックスについて、各常任委員会ごとに報告を行った後、第2部として、参加者との意見交換を行う予定としており、昨日確認したのは前段の資料ということになります。
 
この2年間はコロナ禍につき、番組放映によるオンライン開催をしてきたこともあり、パワポと言えど、テレビのニュース番組をイメージした作りとしてきたところ。
 
今回も様式を統一したうえで各委員会に作成いただきましたが、それぞれ俗に言う「クオリティ」が上がっている内容となっており、手前味噌ではありますが、興味を持って見ていただけるものと自信を持った次第です。
 
とはいえ、各委員の視点でチェックいただきますといくつか改善点もありましたので、委員会に持ち帰り修正、今度は委員会単位でご確認いただいたうえで、全議員で確認する「模擬報告会」にて最終確認をし、本番に臨みたいと思います。
 
なお、この報告会に一人でも多くの方にお越しいただけるよう、各委員会ごとに、今後開催されるイベント会場やスーパー前などにて告知チラシの配布を行うこととしており、委員会終了後はこれに向けた準備も行ないました。
 
3年ぶりに「参集型」にて開催する議会報告会。
 
市議会が、市民の皆さんにとって少しでも分かりやすく、身近に感じてもらえる存在であるよう、全議員で対応にあたっておりますので、ご家族、知人・友人お誘い合わせのうえ是非ご参加いただけますよう、私の立場からも切にお願い申し上げます。

耳を傾けてくれる方がいる限り

ブログ 活動報告

胸の澄く天気とは昨日のことを言うのでしょう。
 
昨朝は定例の辻立ちでしたが、気温11℃、無風、雲ひとつない青空が広がるなか、気持ち良く活動しました。
 
辻立ちを終え、あまりの美しさに一歩降り立てば、白砂の浜とこの景色。
 

【辻立ちポイントから数歩歩けばこの景色。心満たされます。】
 
今シーズン(辻立ちした日の中で)最高といっても良い天気に心洗われるとともに郷土の風景から元気をもらう朝となりました。
 
そうしてスタートを切った昨日、お昼休みは原電の協力会事務所にて活動報告会を予定通り開催、少しでも日の長い時はチャンスとばかりに、定時後は粟野交番前での街頭報告も行いました。
 
街頭報告では、国民民主党の旗を立て、市議会のトピックスとして、11月11日(金)に開催する議会報告会に向けて準備を進めていること、また党の関係では、臨時国会開会日に提出した、子育てに関する「所得制限撤廃法案」や衆議院から参議院へと続いている国会の予算委員会での質問、さらには、国民民主党が発表している緊急経済対策の中から、再エネ賦課金徴収の一時停止による電気代引き下げなどについて、日没まで約30分、お話しさせていただきました。
 
この街頭報告に対しては「パフォーマンスでやってるんでしょ?」との見方もありますが、停車中に車のウィンドウを下げて耳を傾けてくれる方、手を振って応援してくれる方、さらに先日は、この場所を通る高校生の方から「停まって聞いてもいいものなのですか?」との超嬉しい声もいただき、「もちろん!」とお答えしたところ。
 
ですので、私としては決してパフォーマンスではなく、「伝えること」に大きな意義があるとの思いで活動しており、数秒であったとしてもこうして耳を傾けてくれる方がいる限り続けていく所存ですので、その点ご理解いただければ幸いです。
 
地方議会であろうが国政(特に国民民主党は少数政党につき)であろうが、伝えなければ政治への関心が高まるはずがありませんので、ウジウジと考えるよりまず行動。
 
今後も「野に出でよ鍬を持て」の精神で活動してまいりますので、皆さまどうぞ叱咤激励のほど宜しくお願いいたします。
 

【街頭報告を終えて。天気は良くとも暗くなるのは日に日に早く、17時40分で限界でした。】

北陸電力敦賀火力発電所の皆さんに活動報告

ブログ 働く仲間とともに

昨日も衆議院予算委員会で論戦が繰り広げられた国会ですが、国民民主党は同日、議員立法「総合的経済安全保障施策推進法案」(総合経済安全保障法案)を参議院に提出。
 
同法案は2022年の第208回通常国会でも参議院に提出していたもので、国際情勢の複雑化、社会経済構造の変化等に伴い、我が国の安全保障を確保するため、経済分野の施策の推進を図るもの。
 
208回国会で成立した政府案は、経済安全保障に関わる技術情報や特許の扱いなどを限定的に定めるものである一方、国民民主党案は、政府案に付加して、生産設備、エネルギー、食料、医薬品等、国民生活と日本の経済を守るために必要な事項も総合的に定めるものとしています。
 
また、政府案より深くセキュリティクリアランスについても一考しており、より現実的な対応を図る観点から、本法案の成立を求めるところです。
 
※セキュリティクリアランスとは?
先端技術の流出を防ぐため、重要な情報を取り扱う研究者などの信頼性を事前に確認する制度で、経済安全保障の強化に向け経済界などから導入を求める声が出ているもの。
 
自身が所属する政党中心とはなりますが、テレビや新聞に取り上げられなくとも、こうして重要な政策提言が行われていることなど、引き続き状況把握に努めたいと思います。
 
さて、そうした中、私のほうは9月定例会後の「活動報告会」をスタート。
 
皮切りの昨日は、お昼休みに日本原電の建設準備事務所、夜は北陸電力敦賀火力発電所へお伺いしました。
 
敦賀火力での報告会では、発電所に隣接するビル内にあるホールを会場にしていただいたほか、組合執行委員さんに加え、敦賀在住の方にもお声掛けいただいたと聞き、大変ありがたく感じたところ。
 
報告会では冒頭、日頃のご支援に対する感謝を述べた後、いつものパワーポイント形式にて約30分、議会の構成や市政のトピックス、9月定例会、政党の関係までをお伝えさせていただきました。
 


【報告会の様子】
 
その後の意見交換においては、防災や道路・河川の維持改修、交通安全に関することなど、率直且つ活発に声をいただき感謝。
 
要望として承ったこともありましたので、しかとメモに残し、今後確認、対応していきたいと思います。
 
以前から親しくお付き合いさせていただいている敦賀火力の皆さんですが、この日もお休みのところわざわざ聞きに来てくれた方、同じ時期に労組役員をしていた方も顔を出してくれるなど、報告会終了後も暫し談笑することができ、何とも心安らぐ時間となりました。
 
また、発電所に関しては、敦賀火力2号機では15年前から石炭よりも発電に伴う二酸化炭素の排出を抑えられる、木材由来のバイオマス燃料を混ぜて発電を行っていますが、脱炭素化に向けた世界的な潮流があるなかで、さらにバイオマス燃料の比率を高めるべく、活用に向けた工事を安全最優先で着実に進めており、安定供給に加えてこうした技術開発の取り組みにも敬意を表するところ。
 
電力需給が厳しい折、屋台骨の火力発電所を支える皆さんのご苦労は相当なものとお察しいたしますが、引き続き安全第一での取り組みをお願いするとともに、私自身は現場で汗して働く皆さんの代弁者として、市政とをつなぐパイプ役に徹することを胸に置き、夜の正門を後にした次第。

拉致被害者全員を返せ 〜5人の帰国から20年〜

ブログ 政治

平成14年10月15日、地村さんら拉致被害者5人が羽田空港で特別機のタラップを下り、祖国の地を踏み、肉親と再会したシーンは今でも鮮明に記憶に残されていますが、北朝鮮による拉致被害者5人が帰国してから20年となりました。
 
帰国した被害者の一人、福井県小浜市の地村保志さんが会見した内容は既に報じられているところですが、「拉致問題が解決した訳ではなく、節目、記念日ととらえることはできない」との訴えが胸に響いたところ。
 
そうした中、2日経った昨日、早目に帰宅できニュース番組を見ていると、県内の方に拉致問題に関するインタビューをしているシーンが流れており、地村さんの地元小浜市に住む20代の方は「言葉は書いた方があるが深く知らない」、嶺北の30代は「拉致問題自体知らない」、年配の男性は「あれだけドンパチ(ミサイル)打ってくる国が言うこと聞く訳がない」などの言葉を聞き、愕然としました。
 
横田めぐみさんら、今も北朝鮮に残る被害者全員の奪還、帰国に向けて拉致問題は継続中であり、この20年何ら進展がみられぬまま長い歳月が流れる間に、問題自体が風化しつつある現状に危機感を覚えた次第。
 
私自身は自分の意志、できることとしてブルーリボンバッジを欠かさず胸に着用するとともに、以前には「ブルーリボンを守る議員の会」(各級議会議員約800名が入会)に入会もしましたが、これも風化を防ぐ取り組みの一助とするためのもの。
 

【ブルーリボンバッジに込められた意味は「拉致被害者全員を返せ」】
 
地村さんは「家族だけでなく被害者自身が高齢化している」「早くしないと生きたままの奪還は難しくなる。今、解決しなければ何の意味もないし、悲しい歴史になってしまう」とも述べています。
 
また20年前に帰国した拉致被害者の蓮池薫さんも、「今ここを逃せば、半永久的に支援は得られないと北朝鮮に認識させることが大事」と訴えています。
 
日本国民が拉致されたことは単に被害者家族だけの問題ではなく、国家の問題であることは言うまでもありませんが、拉致問題は「全て解決済み」とする北朝鮮を相手に交渉し、こうした切実な願いを実現させることは政府の責務であります。
 
しかしまた、北朝鮮に日本が本気であることを思わせるには、日本国民の総意として訴え、政府を後押しする必要があります。
 
横田めぐみさんの母、早紀江さんは、「いつまでたっても解決しない。言いようのないいらだちを強く感じる。むなしく、地獄の苦しみを味わっている」との言葉を残しています。
 
今一度、皆さんにも母の胸中を思い返していただくとともに、「拉致問題をわがこと」として認識のうえ、ご理解とご協力いただけますようお願いいたします。
 

思い出刻む「第41回敦賀マラソン大会」

ブログ まちづくり

新潟県で開催されている秋季北信越高校野球大会。
 
春の選抜を懸けたこの大会ですが、敦賀気比、福井商業、北陸の福井県勢3校が快勝し、ベスト4へ。
 
ここまで県勢が独占するのも珍しいことかと思いますが、選抜切符がかなり近づいたのは事実。
 
準決勝以降も「野球どころ福井」の名を轟かせて欲しいと思います。
 
さて、秋晴れに恵まれた日曜日でしたが、地元では、3年ぶりとなる「第41回敦賀マラソン大会」が開催されました。
 
市総合運動公園陸上競技場を発着点とする新コースで開かれたこの大会は、コロナ禍を踏まえ「県内在住者限定」の参加ではあったものの1168人がエントリー。
 
私はランナーとしてではなく、敦賀市陸上競技協会の立場で審判役員として参加させていただくため、7時前に競技場に行くと、既にカラフルなウェアに身を包んだ方、体操着の子ども達が集まってきており、親子で談笑する姿を微笑ましく感じたところです。
 
なお、私自身、陸協に名を連ねているものの、今年度も大会審判と所用が重なり、参加できないことが多いことを若干恐縮しつつ、競技場に向かった訳ですが、皆さんからは「久しぶりやな」「頑張っとるな」などとあたたかい声を掛けていただき感謝。
 
また、この大会は、コース各地点の係は、市内各スポーツ団体協力のもと行うとあって、団体に所属されている議員の方、市役所の方、以前一緒に仕事してた方など、様々な方とお会いし暫し会話するなど、こちらも楽しくも懐かしき時間となりました。
 
その後、競技場前に続々と参加者が集う中、バスに分乗し各地点へ出発。
 
私は、10キロ折り返し地点の審判ということで、市立敦賀病院前で下車、準備のうえ、9時スタートのランナーを待つと、敦賀気比の高校生2人を先頭に、その後続々と折り返し。
 
審判は黙って見てれば良いのかもしれませんが、そこは元陸上競技部の性。
 
後半に向かうランナーおひとりお一人に「ファイト!」「頑張って!」と声を掛けた次第です。
 

【ランナーを待つ間のひとコマ。赤い審判帽に歴史を感じました。】
 
こうして役割を終え、バスにて競技場に戻った訳ですが、会場は走り終えた皆さんの笑顔や会話であふれており、気温上昇に加え、コース最後の難関「看護大学前の登り坂」を乗り越え、それぞれのペースで完走されたことを嬉しく思いました。
 
こうして考えれば、41回を数える敦賀マラソン大会は、随分昔は浜グラウンド出発で西浦方面へ、その後運動公園発着に変わり、相生町出発の神楽ゴール、そしてまた運動公園発着へとコースも変遷を辿る訳ですが、それぞれのコースに残された自身の記憶も思い返した次第。
 
さわやかな青空の下、汗を流すのみならず、敦賀の地で、今回は特にコロナ禍を経て再開されたとあって、昨日も皆さんそれぞれの思い出が刻まれたことに、回を重ねるマラソン大会の意義があるのかもしれません。
 
再開された敦賀マラソン大会ですが、来年こそは「県内限定」の枠を解除され、一層盛大に開催されることを祈念いたします。
 
最後に、参加された選手の皆さん、本大会の企画から準備、運営に携わられた多くの関係者の皆さま、大変お疲れ様でした。

今なお生き続ける「萬世永頼」に込めた思い

ブログ 敦賀の歴史・文化

新型コロナウイルスを巡る政府の水際対策の大幅緩和と全国旅行支援が始まってから初の週末。
 
ニュースを見ていると、各地の観光地には多くの人が訪れ、かつてのにぎわいが戻ったかの様子が映し出されるなど、感染者数の減少傾向を見て、早速旅行を決めた人がいる一方で、再流行を懸念する声もあり、まだまだ手放しで喜べる状況ではないと認識するところ。
 
かくいう私は近場でお出掛けということで、昨日はお隣の滋賀県長浜市へ。
 
14日に鉄道開業から150年を迎えたことは、先日ブログでご紹介した通りですが、長浜市の鉄道資料館に展示されている蒸気機関車の汽笛が修理され、12日にはおよそ50年ぶりに鳴らされたとのニュースを見て、ホットな話題に惹かれて目的地に据えたもの。
 
当時国内最長の柳ヶ瀬トンネルを経て敦賀とレールでつながった長浜ですが、南越前町と合わせ、3市町で日本遺産を形成する関係の深いまちであり、改めてそうした歴史に思いを馳せつつ車を走らせたところ。
 
お目当てのD51形蒸気機関車は、昭和45年までおよそ27年間、東海道や東北などを走ったもので、国内に現存する最古の駅舎を活用した鉄道の資料館「長浜鉄道スクエア」に格納、展示されており、見事なまでに磨き上げられていることに思わず感嘆の声を挙げてしまいましたが、座った運転席では、当時の機関士気分になることができました。
 
あいにく、汽笛の鳴る時刻は2時間に一回ということでタイミングが合いませんでしたが、およそ100万円をかけて修理されたという音色は、また次の楽しみに取っておきたいと思います。
 

【美しい姿で保存、活用されるD51蒸気機関車(デゴイチ)】

【運転室に座ると、当時の情景が浮かぶよう】
 
また、長浜鉄道文化館では、柳ヶ瀬から敦賀、山中へと難所を攻略して進む蒸気機関車の姿、各駅の様子を記録映像や鉄道資料にて拝見しましたが、特に、蒸気機関士にとって、長大な柳ヶ瀬トンネルの中を走ることは窒息などの危険があり、まさに命懸けであったこと、排煙装置など様々な対策が施されたことを知りました。
 
文化館を出、外に並ぶ石領や石碑をじっくり見るに、敦賀側にある山中や柳ヶ瀬トンネルに掲げられていたものが、何故ここにあるのか若干悔しい気持ちにもなりましたが、それにしても伊藤博文や黒田清隆ら、歴史に名を残した人物の題字からは、この長浜ー敦賀間開通に懸けた明治政府の並々ならぬ思いを感じた次第。
 
その伊藤博文が柳ヶ瀬トンネル東口(滋賀県側)に残した石領には「萬世永頼」との言葉が記されていました。
 
「万世永く頼む」と詠み、「この鉄道が世のために働いてくれることを、いつまでも頼りにする」という意味とのこと。
 
柳ヶ瀬トンネルは、鉄道トンネルとしての存在ではなくなったものの、今もなお自動車用トンネルとして活用されているばかりか、今庄までのトンネル群は県道として「現役」であり、まさに役割を変えて、伊藤博文の期待を果たしていると感じたところです。
 
こうして体系的且つ思いを込めて鉄道遺産を残し、活用する長浜市には敬意を表するところであり、わが敦賀市もより一層、「鉄道と港のまち」の名にふさわしい保存活用をせねばと感じる、鉄道巡りの一日となりました。
 
もう暫しは、人混みを避け、近場での学びや気づきスポットを楽しむ秋にしたいと思います。
 

【伊藤博文が残した「萬世永頼」の文字。約150年前の言葉にずっしりと重みを感じた次第】

「現金給付」か「現物給付」かの議論は国会でも

ブログ 政治


【市役所立体駐車場屋上から見た「巻雲」】
 
私にとって、秋の楽しみのひとつは「雲」を眺めること。
 
うろこ雲やいわし雲など、雲はできる高さと形で10種類に分けられていると言われますが、昨日はあまり見ない雲が出現。
 
早速調べてみると、雲の仲間の中で一番高いところにできる雲で「巻雲」と言うのだそう。
 
ハケで掃いたように見えることから、別名「すじ雲」とも呼ばれるようですが、まさにキャンバスに描かれたようで美しく感じました。
 
今日も青空が広がるようですので、どんな雲が見られるか、楽しみに過ごしたいと思います。
 
さて、厚生労働省の人口動態統計(速報値)によると、今年上半期(1~6月)の出生数は速報値として初めて40万人を下回り、このまま出生数が回復しない場合、1年を通じた出生数が今年初めて80万人を割り、過去最少を更新する可能性が指摘されているとのこと。
 
敦賀市においても、先の市議会9月定例会で「子育て応援生活事業費」を巡り議論があったところですが、正直、単一の自治体が行う事業でこれをやったから確実に出生数が上昇するといった、魔法のような方法というものはない訳であり、抜本的には格差や賃金上昇、そして何より子どもを産み育てることに対する社会の環境を変えねばならないと思うところ。
 
つまりは社会を変革していくことの必要性を思えば、取り組みの実施主体は「国」だと考える次第です。
 
そうした中、ここ数年の想定を上回るペースでの少子化加速、新型コロナウイルスの流行長期化や将来不安から「産み控え」が起きているとの指摘を踏まえ、自民・公明両党から「目に見える支援が必要」との声が強まっていたところ、政府・与党は、0~2歳児がいる家庭に一定額のクーポンを支給する事業を始める方針を固めたとありました。
 
自治体が育児用品や子育て支援サービスを用意し、各家庭の希望に応じてクーポンと引き換えるとの内容のようで、開会中の臨時国会に提出する2022年度第2次補正予算案に関連費用を計上するほか、2023年度以降も継続的な事業とする方向で調整するようです。
 
まさに、「子育て生活応援事業費」の議論であった「現金給付」か「現物給付(無償化含む)」の話しにもなる訳ですが、今後、国会での議論はどうなるのか。
 
なお、国民民主党は臨時国会開会日に、同党議員立法「こどもに関する公的給付の所得制限の撤廃等に係る施策の推進に関する法律案」(所得制限撤廃法案)を参議院に提出しています。
 
同法案は、2022年の第208回通常国会でも参議院に提出していたもので、子どもが等しく健やかに成長することのできる社会の実現に寄与するため、こどもに関する公的給付の所得による支給の制限の撤廃、こどもに関する公的給付の拡充その他のこどもに関する公的給付の見直しに係る施策について、基本理念、国の責務その他の必要な事項を定めることにより、これを集中的かつ計画的に推進することを目的としています。
 
また、「61万人もの児童が、児童手当特例給付金の所得制限の対象になっている。さらには、高校の無償化、大学の奨学金という制度があっても、所得制限の対象になってしまい、苦しんでいる世帯がある。国民民主党は、日本の将来を支える子どもは等しく支援していくことが必要だと考え、本法案の提出に至った」と法案提出の意義を説明しており、こちらの法案審議にも注目するところ。
 
もちろん、経済面での不安は抜本的に、給料が上がらない、可処分所得が上がらないという日本経済の大きな課題のもとにあるため、「給料が上がる経済」により、こうした「人づくりこそ国づくり」の理念をもった政策を進めていくことが重要と考えます。
 
私自身は、「現金を配って産んでもらう」との考えは最早時代錯誤であり、無償化や所得制限撤廃など、そもそも「子育てにお金の掛からない」環境とすることで生まれる、子育て世帯或いは次代を担う世代にとっての「安心感」が、少子化対策に効果を「生む」ものと考える次第。
 
公平性や提案の根拠や効果、財源の裏付けなどを求めた手前、対案を出すにしても、これらを整理せねばなりませんが、いずれにしても皆がこの問題に関心を持ち、知恵を絞ることが大事であり、そうした意味も含め、根幹となる国の議論も大いに参考に、注視する所存です。

鉄道開業150年と敦賀。レールは未来へ。

ブログ 敦賀の歴史・文化

先週土曜日、「ドローンを活用した新スマート物流SkyHub®︎」のフライト確認で杉箸区まで行った帰り、久しぶりに「小刀根トンネル」に寄りました。
 
この「小刀根トンネル」(56m)は旧北陸本線トンネル群のひとつで、1881(明治14)年に竣工。
 
日本人技術者によるもとのとしては、明治13年竣工の逢坂山トンネル(京都〜大津)に次いで二番目に古く、現存するものとしては「日本最古」の鉄道トンネルですが、トンネル内を歩けば、蒸気機関車の煙で煤けたレンガ、露出している岩盤などを見るに、どこか140年前にタイムスリップしたような感覚になる、まさに「敦賀の鉄道遺産」を誇りに感じてきたところです。
 


【現存する日本最古の鉄道トンネル「小刀根トンネル」。煙で煤けたレンガに140年の歴史を感じました。】
 
突然、鉄道トンネルの話しから入りましたが、1872(明治5)年10月14日、新橋ー横浜(現桜木町)間29kmの両停車場で開業式が行われた「鉄道開業の日」から今日で150年を迎えます。
 
翌10月15日からは旅客列車の運転が開始され、これを境に日本の交通事情、時間の使い方の概念がガラリと変わった訳ですが、蒸気機関車が走る姿は当時の人々にとって驚異的な出来事であり、まさに文明開化の象徴であったことが容易に想像できるところです。
 
さて、日本における鉄道の歴史は、明治維新から間もない1869(明治2)年12月12日に政府の鉄道敷設計画(助言者は「鉄道の父」井上勝)が決定したところから始まりますが、この計画にはこうあります。
 
「幹線ハ東西両京ヲ連結シ、枝線ハ東京ヨリ横浜ニ至リ、又、琵琶湖辺ヨリ“敦賀”ニ達シ、別ニ一線ハ京都ヨリ神戸ニ至ルベシ」
 
ご存じの方も多いかと思いますが、東京ー横浜、京都ー神戸と同格で「敦賀」までの敷設が記載されており、越前国海陸図の存在をはじめ、当時の敦賀が日本の物資輸送における重要な結節点としての役割を担っていたことを、この計画が証明していると言えます。
 
鉄道敷設計画については、その後、東京や京都が開業する中、難所続きの敦賀までは予算の関係で工事着工に至っていませんでしたが、1878年(明治11)年に「海運網と連絡する鉄道敷設重視」に政策転換したことにより、敦賀ー米原間(北陸線)の鉄道敷設工事費が計上され、1881年(明治14)年には小刀根トンネル、1884(明治17)年には柳ヶ瀬トンネル(当時、国内最長のトンネル)が完成し、悲願の敦賀(金ヶ崎)ー長浜間が開業。
 
さらに鉄道延伸により、敦賀以北へと続いたのが、「鉄道と港のまち敦賀」と言われる所以と認識する次第です。
 
なお、日本遺産にも認定されているトンネル群に話しを戻すと、「鉄道の父」井上勝氏は「汽車、レール、橋梁の資材は全て外国製品。外国に支払うばかりでは国内の技術は向上しない。西洋の技術を越えるものを、日本人の手で作らねばならない」との言葉に従い、先の「小刀根トンネル」の存在につながる訳ですが、敦賀人の気質として、攘夷の意識を強化される経験から、何事も「日本人だけの手で」との考えが強く、その実践として現に、明治期における近代遺産第1号「黒崎(阿曽)トンネル」が、日本人の手だけで1876年(明治9年)に手掛けられていることもまた、誇れる郷土のスピリットと財産であると思うところです。
 
ここまでは過去の歴史を振り返ってきましたが、レールは未来へとつながります。
 
JR東日本が作成した記念動画を観ると、このようなキャプションが流れていました。
 
150年前から始まった鉄道の歴史
線路が延びるたび
列車が速度を上げるたびに
日本はひとつになり
鉄道の進化は
この国を動かす原動力となりました
これまでもこれからも
行き先は新しい未来
 
1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線東京〜大阪間開業から58年を経て、1年半後に北陸新幹線の開業を迎える敦賀は、古から交通の要衝として栄えたまち。
 
しかしそれは単に地理的な優位性に依存するのみでなく、歴史遺産に刻まれる、その時々にあった、先人たちのチャレンジ精神や開拓精神があったからと強く認識するところ。
 
つまり、今を生きる私たちがこうした歴史、先人の思いをつなぎ、新たな時代を築いていく気概と気骨を持つことこそ、未来にレールを延ばす、この敦賀がさらに発展するための「原動力」であると、鉄道開業から150年の日に思う次第。
 

【完成すれば全国の整備新幹線駅の中で最も高く、最も容積の大きいものとなる「敦賀駅」。金沢ー敦賀間工事最大の難所をこうして進める関係者、現場の皆さんもまた、歴史に名を刻む開拓者であります。】

連合福井嶺南地域協議会の皆さんに活動報告

ブログ 働く仲間とともに

水曜日の昨日は、定例の辻立ちからスタート。
 
気温は18℃とめっきり涼しくなり、秋の深まりを感じながらの活動となりました。
 
また、連れ立って活動いただいた労組役員からは、「前に一緒に立った時より、手を振ってくれる方増えてません?」との言葉。
 
密かに私も感じていたところですが、この日も手振りや会釈などリアクションをとっていただける方が多く、嬉しく思うところ。
 
西浦での辻立ちは週1回と、決して頻度は多くありませんが、議員になる前から続けてきたことであり、今後も通行される皆さんに、感謝の気持ちと元気を伝えられるよう、笑顔で活動を続けていきたいと思います。
 
さて、昨日のメインイベントは、19時より若狭町レピアホールで開催された、連合福井嶺南地域協議会、F-TOP21敦美地区・若狭地区合同の「議会報告会」。
 
嶺南地域の連合福井推薦議員は、敦賀市選出の北川博規・福井県議会議員、今川博・敦賀市議会議員、小幡憲仁・高浜町議会議員(現高浜町議会議長)、そして私の4名ということで、全員が揃っての報告会となりました。
 
この日の持ち時間は、ひとり15分。
 
従来の報告会は紙資料の口頭ベースでしたが、昨日は新たな試みとして、スクリーン、プロジェクターも準備いただけるということで、私にとっては「普段通り」の報告スタイルでパワーポイントを作成のうえ、報告会に臨んだところです。
 
内容に関しては、嶺南一円の労組役員が集まることを念頭に、敦賀市政のトピックスでは、北陸新幹線敦賀駅工事の状況を中心に、敦賀市議会関係では、9月定例会の一般質問や採択された意見書(原子力政策の明確化、国道8号バイパス建設促進)の内容を中心とし、写真多用のパワーポイントにて、自分なりの思いを伝えました。
 

【少しでも分かりやすくを心掛けていますが、昨日の内容はどうであったか?】
 
コロナ禍で一時は開催を控えていたこの「議会報告会」ですが、連合福井傘下の労組役員の方に直接お話しする機会だけでもありがたいところ、各級議会の状況やそれぞれの課題を知れるということは、私にとって大変有意義であり、得るもの多き場となった次第です。
 
会場を出ると、夜空には美しい満月が浮かんでいました。
 
夜空を見上げながら、このような場を与えていただいたことに感謝するとともに、引き続き、働く仲間の皆さんの声を大切に活動することを誓う、そんな1日となりました。
 

【報告会会場全景。真剣にお聞きいただいた皆さんに感謝。】

また「節電の冬」がやってくる

エネルギー ブログ

暗くなるのが日に日に早くなり、曇り空の昨日は17時半を過ぎると真っ暗。
 
退勤時と重なる時間帯は特に、車の運転も慎重を心掛けるところですが、所用で敦賀駅に行くと、暖色に浮かぶオルパーク、その背後には、まだ現場では工事をしているのでしょうか、蛍光色が灯る新幹線駅とのコラボレーションが何とも美しく、思わず写真に納めた次第。
 
新幹線駅が完成すると、こちら側のライティングがどうなるのかが気になったところですが、「変化」を続ける駅西地区の今後をさらに期待する時間となりました。
 

【オルパーク(右)と北陸新幹線敦賀駅(左奥)】

【おまけで、夜の「otta」も掲載します】
 
さて、こうした夜に浮かぶライトに心落ち着く訳ですが、今日はこれに関連する電気のお話しをひとつ。
 
先日、経済産業省は2023年度にも休止中の火力発電所の一部を予備電源に位置づけ、災害や燃料途絶などによる需給逼迫に備える制度を設けるとの報道がありました。
 
電力会社から候補となる発電所を募り、メンテナンスを続けて短期で稼働できる状態を保つとし、必要なコストを家庭や企業の電気料金からも広く集めて支援するとのことでしたが、こうでもしなければ供給力を確保できないことを露呈するものであり、私は「電力システム改革」の旗印のもと、自由競争環境下とした「ツケ」が回ってきていると認識するところ。
 
つまりは、採算が合わないとの経営判断のもの、休止や廃止をしている訳であり、「候補を募る」のではなく「国がお願い」をして維持してもらうものではないかと、正直呆れた次第(電力会社が手を挙げなかったらどうするのか?それとも無理くり手を挙げさせるのか?)
 
また、電力需給に関しては、夏以上にこの冬が厳しい予想がされていることを踏まえ、同じく経済産業省は11日、今冬の節電促進で家庭や企業に買い物などに使えるポイントなどを付与する「節電プログラム促進事業」の詳細を発表しました。
 
家庭向けは、電力小売り会社が行う節電キャンペーンへの参加登録で2千円相当、前年同月比で3%以上電力使用量を減らせば月千円相当で最大3ヶ月分、計5千円相当を付与。
 
企業向けは参加登録で20万円相当、使用量削減に対しては月2万円相当で3ヶ月分を補助するとのこと。
 
実施には、国から事業に参加する電力小売り各社に補助金を支給、小売り各社が利用者にポイントなどを付与するほか、電気料金からポイント分を差し引く形も想定。
 
期間は今年12月~来年3月までの4ヶ月のうち3ヶ月が対象で、特に電力不足が見込まれ、経産省が電力需給逼迫注意報や警報などを発令する場合には別途、ポイントなどを付与するとの制度とありましたが、こんな小手先の方法でどれだけの効果が見込まれるのか。
 
供給力に限界がある中、最早「節電頼み」しかない表れかと認識するところですが、これではゆたかな国民生活はもとより、節電を意識して生産・営業調整をしないといけない企業などを考えれば、経済成長などあったものではありません。
 
言わずもがな、電力使用量と経済成長は比例の関係にあることからすれば、今の日本は完全なマイナススパイラルに陥っています。
 
電気代高騰の点も含め、ここから脱するにはやはり、既存の原子力発電所をフル稼働させることしかないと考える訳であり、国は事業者任せにせず取り組むべきと考えるところ。
 
奇しくもこのことは、昨冬の電力需給逼迫の際、国民民主党が「政府がやるべきは『節電』ではない、『発電』だ」と指摘しましたが、あれから一年。
 
国は「覚悟を決めて」、今の電力供給体制、システムで浮き彫りになった問題点からも逃げることなく、国家の根幹であるエネルギー問題に真剣に取り組んでいただきたいと思います。

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