「絶対に打ち勝つ」との気持ちに年齢は関係なし

ブログ 新型コロナウイルス

病は気からと言いますが、滋賀県大津市では「絶対に打ち勝つ」との気持ちで、100歳の女性がコロナ感染から回復したとのニュース。
 
大正9年生まれのこの女性は、同居する次女の発熱を機にPCR検査を受け、感染が判明。
 
近江八幡市立総合医療センターに入院し、発熱や一時は酸素吸入をするなど中等症まで容体が悪化したものの、2週間ほどで回復、リハビリを経て退院したとのこと。
 
5月10日には滋賀県庁で主治医とともに会見し、闘病の経緯を語られ、コロナ感染でも「医師を信頼し、絶対に前を向くこと。自分に打ち勝たないといけない」と、各地の療養者にエールを送ったとのこと。
 
この女性は、これまで長期入院を伴う病気にかかったことはなかったことや100歳の今もV字バランスが出来るほど健康に自信があったからこそ、こうして回復出来たという見方もありますが、特筆すべきは、入院中も感染した悔しさや回復に懸ける思いを川柳にしたり、主治医らに積極的に体調の変化を伝えたりするなど懸命に治療に取り組んだことであり、治療にあたった主治医の先生も「前向きな意欲は病気に勝つには大切だ」と述べたとありました。
 
女性は会見で、20年続けているという気功のポーズを披露したほか、「『今を楽しく』が座右の銘。パスポートが102歳まであるので、抗体ができたら世界を飛び回りたい。まずは(東京)五輪を見たい」と意気込んでいたと記事は締め括られていましたが、こうしたニュースに触れると何か原点回帰出来たようでファイトが湧いてくるもの。
 
特に死亡リスクが高いとされるご高齢の方にあっては、健康であることが一番であることは言うまでもありませんが、諦めない前向きな思考を持つこと、生きる目標ややり甲斐があることが大事なことと、この記事を見て改めて感じた次第です。
 
ふと自身の回りを思い浮かべてみると、両親を始め、ご高齢の方と言っても歳を感じさせないくらい元気でアグレッシブな方ばかりなのですが、やはりこのコロナ禍で何かと制限のある生活が続くと心配になるもの。
 
特に趣味の娯楽やスポーツなどが出来ない環境は、高齢者にとっては、「生きがい」や「やり甲斐」を奪うことにつながることから、物理的に感染対策を講じることが出来ることを前提条件として、感染リスクの極めて低い施設や競技などは、極力開放・実施すべきというのが私の考え。
 
このGW中も「市内のグラウンド・ゴルフ場に沢山の高齢者が来ている」との声もいただきましたが、確認すると、グラウンド・ゴルフ協会としては、自らが主催する大会や行事は県独自の緊急事態宣言が解除されるまで全て中止としたうえで、会員には集団でのプレー自粛を呼び掛けているとのことであり、後は個人的に密を避けながらプレーされることは全く構わないと考えるところ。
 
これは、グラウンド・ゴルフに限ったことではなく、屋外など換気や密の回避ができ、マスク着用、道具の使い回しをしないような娯楽・スポーツは、極めて感染リスクが低い訳ですが、こうしたことまで一律に規制してしまっては、先ほどの話しにあるよう、「生きがい」や「やり甲斐」まで奪うこととなり、これによる心身のストレスの方がよっぽど健康に悪いと考えるところ。
 
こうした声は、高齢者、大人、子どもに限らず、様々な方面、分野であるのだと思いますが、感染から1年以上が経過をし、コロナ感染に関する知見も得てきている訳ですので、対応についても科学的思考を持って進化させなければなりません。
 
「私は我慢してるのに、何故あの人たちはいいんだ」
 
気持ちは分からないではありませんが、こうしたことが誹謗中傷につながり、地域社会や人間関係がギクシャクしていく原因になるのではと考えます。
 
議員である私は、そうならないよう努める役割と責任がありますので、敢えてここで申し上げますが、何でもかんでも自粛・禁止し、地域社会全体や住民の気持ちまで暗く沈め、疲弊させるのではなく、政治や行政が、感染リスクに応じて部分部分で適切に対応し社会全体を止めないこと、お互いを許容し合う環境を構築することこそが感染症を乗り越えるために必要不可欠なこと。
 
感情的にご理解いただけない方もいらっしゃるかと思いますが、これは感染症の歴史を踏まえた私の考えであるということで、どうか少しでもご理解いただければ幸いです。
 
最後に、何をおいても必要なのは、冒頭の「絶対に打ち勝つ」との思い。
 
今の「生きる楽しみ」をこれから先も続けていくために、ひとり一人の行動を全体の力に変え、このコロナを皆で乗り越えていきましょう。
 

【またも野坂の田園風景掲載となりますが、こうした何気ない風景を見られることも「いま生きる楽しみ」です】

名勝気比の松原と勝海舟

ブログ 敦賀の歴史・文化

誰だ 誰だ 誰だ〜♬
 
から始まる歌と言えば、私たち世代なら誰しも知る「科学忍者隊ガッチャマン」のテーマソング。
 
車中では結構、敦賀FMハーバーステーション(77.9MHz)を聴いていることが多いのですが、昨日午前中はちょうどアニソン(アニメソング)特集の時間があり、そこで流れてきたのが冒頭のガッチャマン。
 
元祖アニソンとも言える歌ながら新鮮で、歌手は「泳げたいやき君」で有名な子門真人さん、作詞はタツノコプロダクション文芸部、作詞は小林亜星さんという豪華メンバーであることも改めて知った次第。
 
この歌の何が良いかと言えば、サビの「地球はひとつ 地球はひとつ」と繰り返される部分。
 
今に置き換えれば、この新型コロナや環境問題を始め、地球規模で取り組まねばならない課題が多くあり、何か時代を示唆するかのような歌詞に思えたところです。
 
ガッチャマンにはなれませんが、科学忍法はなくとも科学的に解決することは出来るとの思いを持って、苦しい時は、この歌を口ずさみながら頑張りたいと思います。
 
そうした昨日は公的予定なしということで、午後は妻と愛犬きゅうとで松原公園内を散歩してきました。
 
時間は14時頃でしたが、駐車場はほぼ満車、県外ナンバーの割合も高かったように思えましたが、屋外でマスク着用のうえ、ご家族やグループ単位で浜辺を楽しんでおられること自体、極めて感染リスクが低く、目くじらを立てるようなことではないとの考え。
 
釣り糸を垂れる人、波打ち際で遊ぶ人、ボーっと海を眺めている人など、楽しみ方は様々なれど、こうして敦賀の自慢の場所に来て、思い出のひとつになることは嬉しいことであり、コロナが明けた際にも是非、リピーターとしてお越しいただきたいものです。
 
愛犬との散歩のほうは、グルっと松林の中の遊歩道を歩き、最後は「駐輦(ちゅうれん)の碑」まで。
 
日本三大松原で有名な「気比の松原」ですが、実は明治11年(1878年)には明治天皇が、明治24年(1891年)には勝海舟がこの地を訪れていて、勝海舟においては、かつて明治天皇が松原の景色をご覧になったことに思いを馳せ、次のような意味の漢詩を残しており、その証がこの「駐輦の碑」に刻まれています。
 
(以下、碑文に刻まれた漢詩の意味)
ここは、かつて明治天皇が、お乗物を留めて景色をご覧になられたところである。
国民は明治の善政を喜んでいる。
松風の音はあたかも音楽を奏でているようであり、波の音もこれに調子を合わせて、まさに洋々たる日本の前途を祝しているようである。
 

【浜グラウンドの横に建立されている「駐輦の碑」】
 
意外と敦賀市民も知らない、このような歴史やエピソードをもっとPRして、観光動線にも乗せられないかと思うと同時に、こうした歴史を知れば知るほど、より郷土に愛着が増すとの思いで紹介させていただいた次第。
 
先の勝海舟の言葉「洋々たる日本の前途を祝している」とは、日本の玄関口、国際貿易港として栄ええつつあった敦賀のことを頭に浮かべてのことと存じますが、そう言われれば尚のこと、このまちに誇りと帰属意識を強く感じる訳であります。
 
今の予定では、5月29日に東京オリンピック聖火リレーが、この松原を駆けることとなっています。
 

【松原海岸の様子(花城側を見る)】
 
多くの人が集まらないようにしないといけないのが大変残念ではありますが、風光明媚というに留まらず、気比の松原に詰まる歴史やエピソードが浮かび上がるように、全国に発信されることを切に望むところです。
 
敦賀市にお住まいの皆さんにおかれましては、是非また気比の松原へ、そして「駐輦の碑」にお立ち寄りいただき、明治の一傑の思いを感じていただければ、これ幸いに思います。
 

【おまけ:浜風に立髪なびかす愛犬「きゅう」。敦賀湾を望み何を思う(何も思わないか…)。】

オリンピック開催に向けて出来ることは、選手をあたたかく見守ること

オリンピック ブログ

全国各地を「聖火リレー」が巡り、本来であれば徐々にボルテージが上がるはずの東京オリンピック・パラリンピックですが、続くコロナ禍とあって、開催自体に対する疑問の声のボルテージも高まりつつあるところ。
 
一方、国家を挙げた一大イベントの万全の開催に向けて、各方面では粛々と準備が進められており、警備という重要な任務を担う警察もそのひとつ。
 
ちょうど、ある新聞記事にて、警視庁オリンピック・パラリンピック競技大会総合対策本部の上野良夫副本部長の安全実施に向けた種々の対応や自身の決意を語る記事を拝見しましたが、さすが、平成31年3月から元号をまたいで令和2年2月までの約1年、皇居や首相官邸、靖国神社など管内に重要箇所を数多く抱える麹町署の署長を務め、皇位継承に伴う一連の儀式を警備する中において、警備上の難易度が最高レベルとされた「祝賀御列(おんれつ)の儀」の陣頭指揮をされた方とあって、想像を絶する「想像と準備」のもと臨む姿勢には、ただ敬服あるのみという印象を受けた次第です。
 
上野副本部長は、「起こりうる事案を最大限イメージし、具体的な準備につなげること。現在に至るまで、常に心に留めている教えです」と述べ、この大会を、警察を含む治安機関の総力戦と捉えていると語られました。
 
本番を2ヶ月半後に控え、「万全を期すのは当然として、一方で、我々の力だけで乗り切れるものでもない」と、世界中の注目が集まる一大イベントの完遂へ、都民、国民一人一人に理解と力添えを呼び掛け、自身を含む全関係者のゴールは、“何も起こらない大会”だと記事は締め括られていました。
 
賛否両論はある中ではありますが、こうして「開催と成功のために」奮闘されている方々を思えば、軽々にオリンピック開催に対しての意見を述べるべきではないと考えるところであります。
 
さて、万全の準備といえば、当然その際たるは、大会の主人公であるべきアスリートな訳ですが、こうした選手に対して、心許ない言葉をぶつけてくる「輩」はいるようで、実は大変憤りを感じています。
 
それは、これまでもエールを送り続けてきている、競泳の池江璃花子選手に対してのものであるから尚のこと。
 
Twitterを始めとするSNS上では、池江選手に対して「五輪辞退を求める」、「開催反対に声を挙げて欲しい」といった趣旨の投稿や、さらに許せないのは「悲劇のヒロインを装うのは止めろ」とまで書かれたりもしていること。
 
ここまで来ると、とても人の気持ちを持った、同じ人間とは思えません。
 
こう書いていても、沸々と怒りが込み上げてくる訳ですが、当の池江選手は投稿を受けてのコメントを以下のようにTwitte上で述べています。
 
(Twitterは1投稿100文字以下の制限があるため、池江選手は4つに分けて投稿。以下、全文掲載します)
 
いつも応援ありがとうございます。
Instagramのダイレクトメッセージ、Twitterのリプライに「辞退してほしい」「反対に声をあげてほしい」などのコメントが寄せられている事を知りました。もちろん、私たちアスリートはオリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました。ですが、↓
 
今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています。私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。1年延期されたオリンピックは↓
 
私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべき事を全うし、応援していただいてる方達の↓
 
期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。↓
 
長くなってしまいましたが、わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしいなと思います。
 
この池江選手のコメントを見て、涙が浮かびました。
 
病を克服し、ようやく出場権を得た池江選手は、心痛めているに違いないところ、自身のことのみならず、全てのアスリートの気持ちを代弁しているかのような姿、この言葉を聞き、さらに開催可否を軽々に語ることはすべきでないこと、出来ることは「あたたかく見守ること」であることと強く心に留めた次第です。
 
オリンピック開催可否について意見があれば、決定権のあるIOCや開催国である日本政府や東京都に向けて言うべきであり、アスリートに矛先を向けるのは一番やってはいけないこと。
 
もし、身近でそういうことを仰る方がいるのなら、怒りは抑え、そうして諭すことが、アスリートを守ることにつながると思い、私自身も行動したいと思います。
 
最後に、互いに責任逃れをしているように映っては、先に挙げたような心許ない言葉は増長されるばかりと思うところであり、日本政府や東京都に対しては、コロナ禍での開催となることを踏まえ、通り一遍の言葉でなし崩し的に時間を経過させるのではなく、こうした中にあっても「東京オリンピックを開催することの意義」を明確に国民、いや全世界に向けて発信する責務があると考えます。
 
でなければ、「お・も・て・な・し」と湧いた開催決定の瞬間も台無しどころか、全て逆効果に終わる可能性すらあり、そのことが最もアスリートを苦しめることになると考えるところであり、最もやってはならないことと思う次第であります。
 

【昨夕の風景。妙な色合いの空は、私の気持ちとオリンピック開催への複雑な国民感情を表しているように感じました。】

「敦賀きらめき温泉リラ・ポート」の再開に向けて

ブログ 敦賀市議会

4月20日の感染確認を皮切りに学校クラスターとなりました中郷小学校については、5月6日に再度実施したPCR検査の結果、1名の陽性が確認されたものの、保健所の指導のもと5月10日(月)から学校を再開することとなりました。
 
併せて、中郷児童クラブ・第2中郷児童クラブ及び気比中学校についても同じく、5月10日より再開するとのことで、ひとまず安堵。
 
感染された児童、ご家族、さらには教職員の皆さまの、ここに至るまでの大変さを思えば、軽々に物を申すべきでないのかも知れませんが、度重なるPCR検査へのご協力、何かと制限される生活をお過ごしいただいたことで、市内の感染拡大を出来うる限り最小限に抑えることが出来たことに対し、私は逆に感謝を申し上げたいと思うところです。
 
学校再開後、何を置いても優先して考えねばならないのは子どもたちのこと。
 
授業の関係はもとより、心のケアなどを含め、ご家庭・地域全体で見守っていくことが大変重要であると考える次第であります。
 
さて、「再開」の話題で話しを続けますが、昨日家に帰ると1件のファックスがあり確認すると、「敦賀きらめき温泉リラ・ポートあり方検討委員会からの報告及び議員説明会の開催について」とのタイトル。
 
指定管理制度により運営していたリラ・ポートが、経営上の理由や市の対応への不満などから、突如として営業休止をしたのが令和2年2月5日。
 
休業から、早や1年3ヶ月が経過してしまっており、この間、議会としては、リラ・ポートの運営を巡る市の不作為などを調査する「百条委員会」(敦賀市議会では初の設置)にて原因究明に努めつつ、早期再開に向け、複数の議員が一般質問などで市に対して意見をしている状況にあります。
 
これに対し市の方では、令和2年8月にグラウンド・ゴルフ場として、高齢者を中心に健康増進と憩いの場となっている「リラ・グリーン」を直営の形で、部分的に営業するとともに、このような状況に陥ったことを外部有識者により調査する「第三者委員会」、適切な管理運営等を根本的に検討する「あり方検討委員会」を委託調査するなど、抜本的な対策や改善を行なったうえでの再開を目指し、ここまで対応してきているところであります。
 
そうした経過を踏まえここまで来た訳ですが、この度、令和3年1月15日から計5回に亘り開催してきた「あり方検討委員会」(業務委託先は、一般社団法人福井県中小診断士協会)から業務報告書の提出があったこと、報告書の検討結果を踏まえ、5月中旬には市の方針を決定したうえで、5月19日に議員説明会を開催する旨の案内が、先のファックスの内容にあったということになります。
 
本件は、私が議員になって初の定例会(令和元年6月)で、補正予算に計上されたリラ・ポートに関わる事業費(高齢者向け利用チケット配布)を前指定管理者である浜名湖グラウンゴルフパークが「受け取らない」と訴え、提案を取り下げるという異例の事態から問題が明るみになったものであり、正直、この問題に費やした時間とコスト、そして何より市の公的財産としての施設であるが故、市民の皆さんの利用する権利を奪い続けてきているということに、極めて大きい責任を感じて止みません。
 
今なお、多くの市民の皆さんから「1日も早い再開」を望む声を聞く、このリラ・ポート。
 
ここまでお待たせしている以上、行政、議会ともに、肝に銘じることは、2度とこういう問題を起こさないことはもとより、本施設を持続的に運営出来る方法を見出し、互いに覚悟と責任を持って「決める」ということに尽きると考えます。
 
私は、特に重要なのはやはり、適切な指定管理料をいくらに設定するかという点にあろうかと思います。
 
届いたファックスには、報告書の資料がこの後、議員宛送付されるとありましたので、まずはそうした資料の中身を確認しつつ、議員説明会並びに関連予算が提案されるであろう6月定例会にしっかり備えていきたいと考えます。
 

【以前に撮影したリラ・ポート。費やした時間を無駄にしないためにも、この日の空の如く、クリアに見通せる運営方法を見出さなければならない。】

「言われなき風評加害」をする勢力に対しては、毅然と対応を

ブログ 政治

ゴールデンウィーク明けの昨朝は、名子のヨットハーバー前での辻立ちからスタート。
 
7時前から8時過ぎまでの約1時間、昇り旗とともに元気に挨拶をさせていただきましたが、意外や交通量は7時から7時15分あたりが一番多いように感じました。
 
日本原電、関西電力、原子力機構の原子力3事業所に向かう通勤者の方が殆どかと思いますが、早朝より本当にお疲れ様です。
 
それにしても、朝の澄んだ空気の美味しさ、五月晴れに輝く敦賀湾は、見てるだけでパワーがみなぎってきます。
 
連休も明け、気持ちはリスタートといったところですが、引き続きコロナ対策に留意のうえ頑張っていきましょう。
 


【辻立ち場所から撮った2枚ですが、朝日が入ると入らないで表情がこうも変わるものですね。】
 
さて、国内では、東京都など4都府県に発令中のコロナ緊急事態宣言を今月31日まで延長する方針を固めたことや憲法改正論議の手続き論にあたる国民投票法改正案が、衆議院憲法審査会にて可決されたことなど、関心の高いニュースが目白押しの日となりました。
 
そうした中、随分昔、労働組合役員時代に受けた研修で「新聞は5紙以上は読みなさい」、「ひとつの問題も国内と海外でどう扱われているのか押さえておくと良い」との教えがあり、特に「海外から見た日本」に関しては、CNNやBBC、人民網や朝鮮日報、中央日報などをブックマーク登録し、出来る範囲でチェックしているところ、やはり「いい加減にせい」と思うニュースはあるものです。
 
これまでも幾度となく取り上げてきています、福島第一原子力発電所の処理済水「海洋放出」の件について、韓国内ではまだしつこく「ネガティブキャンペーン」を煽っているようです。
 
朝鮮日報、中央日報には、ご丁寧にも3つも記事掲載されていましたので、以下にご紹介します。
(誠に不本意ながら、ここでは「原子力発電所」は「原発」、「処理済水」は「処理済み汚染水」と原文通りの表記とします)
 
◉韓国の広報活動などに取り組む誠信女子大の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は6日、東京電力福島第一原発の処理済み汚染水の海洋放出を巡り「(汚染水は)飲めるんじゃないですか」と発言した日本の麻生太郎副総理・財務相に抗議するポスターを作製し、交流サイト(SNS)で配布すると明らかにした。
ポスターには、水の入ったグラスを手にして正面を見据える麻生氏の写真のそばに「YOU DRINK FIRST(まずあなたが飲んでみて)」との文言を入れた。英語と韓国語、スペイン語、中国語、日本語の5言語で作製するという。
 

 
徐氏は「(麻生氏は)汚染水を飲んでも問題ないと言ったが、それならまず手本を見せてほしい。その勇気がないのにそんな妄言を口にするのは失礼だ」と指摘。その上で「日本政府は一日も早く汚染水の放出決定を撤回し、地球の環境保護に助力してほしい」と促した。
 
◉韓国の金富謙(キム・ブギョム)首相候補は6日に開かれた国会の人事聴聞会で、日本政府が東京電力福島第1原発の処理済み汚染水の海洋放出を決定したことについて、「隣国に被害を与えるだけでなく地球全体を汚染するとんでもない行為」とし、「太平洋沿岸の周辺国との協力を通じ、(日本政府に)圧力を加え続けていく」と述べた。
また「韓国政府は国民の生命と漁業関係者の生計を守るために徹底的に検査を続け、安全性を保障しなければならないと考える」と強調した。 
日本政府を国際海洋法裁判所に提訴する案については、「最終段階まで行けるかという問題とは別に、国際的な注意喚起の努力を続けなければならない」と指摘した。
 
◉韓国の李在明(イ・ジェミョン)京畿道知事は6日、日本政府が東京電力福島第1原発の処理済み汚染水の海洋放出を決定したことに対し、日本政府と福島県知事に抗議の書簡を送った。汚染水の放出は「悲劇を招く一方的な決定」であり、「自国民だけでなく韓国をはじめ周辺国の国民の生命と安全を無視したもの」だと批判した上で、「福島汚染水の海洋放出決定を直ちに撤回することを強く要求する」と表明した。
 
とまあ、良くぞまあ、自国の発電所からは福島第一の約6倍ものトリチウム水を放出しておきながら、ここまで「科学的根拠に基づかない」主張を堂々と、しかも国を代表するような立場の方が出来るものだと、憤りを通り越し、憐れみすら感じるところですが、一方、以前の中央日報には、「韓国、原発汚染水の批判だけを繰り返している時…日本は、米国とIAEAから支持を引き出していた」と題し、こうした記事もありました。
 
◉日本は放流決定以前にすでにIAEAの支持を確保していた。ラファエル・グロッシ事務局長は昨年12月、日本の報道機関とのインタビューで、汚染水放出が「技術的に可能だ」と明らかにしていた。
米国も直ちに支持の立場を出した。国務省のネッド・プライス報道官は公式立場を出して「日本政府がいくつかの選択肢と効果を綿密に検討してきたことを米国はよく知っている。日本は決定を下す過程で透明な態度を取り、国際的に容認される核安全基準に符合する方法を選んだとみられる」と明らかにした。
トニー・ブリンケン国務長官は別途「放出決定に対する努力の透明性に感謝する」とツイートした。
韓国は十分な協議がなかったという点をあげて容認できないといったが、米国は日本の透明性に謝意を表わしたのだ。
 
はてさて、韓国内で前者3つのようなニュースの割合が高ければ、当然、韓国側の主張が正当化を帯び、反日感情は煽られる。
 
逆に最後のようなニュースが多くければ、日本の行為が正当化され、批判の矛先は韓国政府に向く。
 
そうして見れば、現在の韓国国内の状況は、福島第一原子力発電所の処理済水の件を反日政策として政治利用しているのは明らかであり、内政干渉まではせずとも、国際舞台に出るとなれば、科学的論議で徹底的に日本の正当性を訴えるべきと考えるところです。
 
「言われなき風評加害」をする勢力に対しては、国内外を問わず、毅然と対応せねばなりません。
 
このように、国外の報道から気づくこと、学ぶことは大いにある訳ですが、報道の取り上げ方、さじ加減で大きく世論が変わることは、韓国に限った話ではなく日本国内においてもそうであり、溢れんばかりの情報の中から、「真実とは何か」を見定め、自分の考えに軸を持っておくことが極めて重要なこと。
 
引き続き、そうした認識のもと、「世界の中の日本」の視点を忘れず、活動にあたっていきたいと考えます。

夢ばかり語って現実がついてこないようではどうしようもない

ブログ 原子力

「こどもの日」に気を取られていましたが、昨日5月5日は、二十四節気の中の7つ目の節気「立夏」。
 
「夏の気配が立ち上がってきたような時期」という意味があるそうですが、この時期は花盛りでもあり、カーテンのように咲く薄紫の藤やつつじの色鮮やかな姿に、季節の移り変わりを感じるところ。
 
わが家はと言えば、大して手入れもしていないにも関わらず、スクスクと成長した薔薇が、今年も元気にピンクの花を咲かせ、心穏やかにその様子を眺める今日この頃です。
 

 
さて、暦の上でのゴールデンウィークが終わり、鋭気を養って今日からリスタート。
 
続くコロナ禍にあっても様々なことが動き出す訳ですが、国会の方では、本日行われる衆議院憲法審査会に向け、自民党の二階氏、公明党の石井氏の両幹事長が会談し、憲法改正手続きに関する国民投票法改正案について、立憲民主党から提示された修正案を受け入れる方針を確認したとの報道がされています。
 
8国会にわたって継続審議となっていた改正案が、ようやく今国会で成立する見通しとなったことは歓迎しつつも、立憲民主党の提示を受け入れることが、今後の足かせとなり、逆に禍根を残すことにならないか、議論を注視していきたいと思います。
 
また、ゴールデンウィーク明けにも骨子案が策定されると想定されている、次期「エネルギー基本計画」については、4月19日に開催された自民党有志による「脱炭素社会実現と国力維持・向上のための最新型原子力リプレース推進議員連盟」の会合において、「カーボンニュートラル(=2050年CO2排出実質ゼロ)を実現する上で、原子力発電所の新増設やリプレースは不可欠だ」と強調したほか、平成25年に発足した同じく自民党の「電力安定供給推進議連」もエネルギー基本計画に「原子力発電の有効利用」を反映することを目指し、今国会で5回勉強会を重ねたうえで、5月初旬にも政府への提言をまとめる方針とのこと。
 
再掲となりますが、現在のエネルギー基本計画では2030年(令和12年)の原子力発電比率を20~22%としていますが、平成23年の福島第一原子力発電所事故後に再稼働したのは、僅か9基。
 
電力供給量に占める原子力発電の割合は約6%(令和元年度値)に留まっています。
 
菅首相が表明した脱炭素社会の実現には、太陽光など再生可能エネルギーの大幅増だけでは賄えないという見方が大勢となっていることは周知の事実でもあります。
 
脱炭素社会に向けた産業構造の転換が見込まれる中、4月14日の電力安定供給推進議連の会合で、会長の細田博之元幹事長は「夢ばかり語って現実がついてこないようではどうしようもない」と述べ、地に足のついた政策の必要性を訴えたとあります。
 
こうして、与党内からも、原子力立地県を代表して杉本福井県知事からも、さらには全国の原子力立地市町村長で構成する全原協からも、国策であるエネルギー政策に対し、機を捉えた至極真っ当な意見提起がされており、策定にあたってのインプットになっていることは間違いないものと考えます。
 
改憲と同様、「国の覚悟」を持って進めねばならないエネルギー政策に関しては、このようなプロセスも経て骨子が示されるとあって、ここは最大の関心事として確認していく所存です。
 
尊敬する電力組織内国会議員である「小林正夫」参議院議員は常々、「電力は国家の血液である」と仰ってました。
 
血圧が高かったり低かったり、濃度が濃かったり薄かったりと不安定では、人間誰だって体調が悪くなります(国力の低下)。
 
安心して暮らし(生活)、働く(経済)ためには、安定した血圧(安定供給)と安定した濃度(周波数の安定した質の高い電気)が必要不可欠です。
 
食料が豊富でない(少資源国家)環境でも、元気で長生き(持続的な国家の繁栄)するために必要なものは何か。
 
答えは、季節や天候に左右されるような作物(再生可能エネルギー)に過度な期待をするのではなく、確実に採れるもの(原子力や火力)を主食として大事にしつつ、バランス良く食べること(エネルギーミックス)。
 
これに他なりません。
 
くどくどと恐縮ですが、人間の体に置き換えれば、わが国のエネルギー問題は簡単に分かることでもありますので、細田議員が言うように、「夢物語でなく現実的に」お考えいただける方が一人でも増えるよう、引き続き、私自身も理解活動に汗をかいていきたいと思います。

笑顔は人のためにある

ブログ 新型コロナウイルス

ゴールデンウィークの風物詩といえば、忙しく動くトラクターの姿とピンと水が張られた田園風景。
 
水が張られた田を見ると、何か生命力が吹き込まれたようで、小さな苗が秋には稲穂が垂れるまで成長する姿に、生きる力を感じる訳ですが、これと併せ、粟野地区の風物詩といえば何と言っても「逆さ野坂富士」。
 
昨日掲載した写真もそれに近いものがありましたが、昨夕、野坂の麓に自転車で撮影に向かうと、やや曇り空ながら見事な写り込み具合の「逆さ野坂富士」をスマホに納めることが出来ました。
 

【名付けて、「田園に浮かぶ、逆さ野坂富士」】
 
この景色は、稲が成長するまでの期間限定につき、宜しければ皆さんも野坂の麓の風景をお楽しみくださいませ。
 
なお、もうひとつの目的は「畦のお宝」をということで、帰りに「野びり」を収穫。
 

 
この様子をSNSでも紹介すると、次々とコメントがあり、私がこれまでの間ずっと「野びり」と呼ぶと思っていたのは、正しくは「野蒜(のびる)」と言い、古くは「古事記」や「万葉集」にも謳われる「自然の幸」であることまで教えていただきました。
 
地方のなまりでこう呼ぶようになったのかも知れませんが、それでも本来の名前を知っていることは大事なこと。
 
教えていただいた皆さん、ありがとうございました。
 
「野蒜」は今晩、美味しくいただきます(笑)
 
さて、早いもので、暦でいうゴールデンウィークは今日の「こどもの日」で終わり。
 
敦賀の天気はあいにくの雨模様のようですが、「自粛のゴールデンウィーク」の最終日を家でゆっくり過ごすのも良きものと、ポジティブ思考でいきたいものです。
 
家時間といえば、私ごとで恐縮ですが、ちょうど今月で1歳になる、我が家の愛犬「きゅう」とのコミュニケーション時間。
 
私のことは「ご主人様」でなく、「遊び相手のお友達」とでも思っているようですが、引っ張り合い道具の「ロープ」を目の前まで持ってきては、「これで遊んでよ〜」と言わんばかりにポトリと落としたり、「お腹減ったよ〜」とばかりに服の袖を引っ張ったりと、犬は犬なりにしっかり話し掛けて来てくれる姿が何とも愛おしい訳であります。
 
私も目を見て、優しい言葉で話し掛けるように努めていますが、最近では話したことがまるで分かっているかのような行動をしてくれるようになり、こうして人と同じように、コミュニケーションが取れるというのは、何とも心満たされるものです(完全な親バカ?ですみません)。
 
そんな折、ある新聞の子育て相談欄に、端午の節句の日にちなんで「マスクでも笑顔が伝わる方法」との見出しの記事を読みますと、次のようなことが書いてありました。
 
子どもは大人の笑顔が大好きで、大好きな人の笑顔を見ると嬉しくなり、安心感のようなものを感じます。
しかし、今のコロナ禍のご時世、仕方ないこととはいえ、笑顔で話し掛けても、その表情が見えないというのは本当に残念なこと。
そこで、マスクをしていても笑顔が伝わるいい方法があります。
言葉掛けです。

「できたね」、「うわあ、かっこいいね」など褒め言葉や、「がんばろうね」、「できるかな」などのちょっとした優しい言葉をたくさんかけるのです。
経験上、そういった言葉を言う時のその人の顔は笑顔であることを知っている子どもは、その言葉を聞くだけでその人の笑顔が浮かんできます。
マスクをしていても、その顔はもう笑顔にしか見えなくなるのです。
「笑顔は人のためにある」と言われます。
笑顔になれば、自分よりも相手が嬉しくなるのです。
家族の笑顔が、コロナ禍をうまく乗り切るポイントかもしれません。

 
引用が長くなりましたが、読み終わって、「本当そうだなあ」と感じた次第。
 
これは、子育て相談の記事でしたが、マスク生活でのコミュニケーションの取り方に悩むのは大人とて同じこと。
 
「目は口ほどに物を言う」とも言いますが、ここは「優しい言葉」を積極的に掛けることで、コロナ禍であってもあたたかい家族、社会を維持していきたいものです。
 
コロナの感染で、どこかギスギスした雰囲気が漂うところですが、気持ちと行動ひとつで明るく出来ます。
 
本日のブログをお読みいただいた方は是非、身近な方へは特に、「笑顔と言葉」を大切に、マスク生活を乗り越えていきましょう。
 
もちろん私も先頭切って、「やまたけスマイル」で行動していきます。

愛も政治も、より良くするために必要なのは「関心」を持つこと

ブログ 政治

昨日は、憲法記念日にちなんだ自身の思いを述べさせていただきました。
 
大手新聞社の記事や改憲、護憲それぞれの団体などが集会をされているニュースなども拝見しましたが、護憲側の「平和」や「戦争」と絡めて異を唱える場面が流れる場面が多かったように感じました。
 
政党間でも大きく意見の別れる、この改憲問題や安全保障、原子力に関してはこれまでもそうなので、今さら憤りも何もありませんが、偏見報道とまでは言わずとも、ここでもやはりフェアな報道とは言い難いと改めて感じた次第です。
 
ですので、フェアに戻す意味でも、本日は少しだけ改憲側が行ったフォーラムのことを紹介させていただきたく存じます。
 
3日にオンライン形式で行われた、憲法改正を訴える公開憲法フォーラム「この憲法で国家の危機を乗り越えられるのか!-感染症・大地震・尖閣-」(民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会共催)では、与野党幹部や有識者らが出席し、講演などが行われました。
 
主な発言を抜粋させていただきますと次の通り。
 
【自民党・下村博文政調会長】
 
南海トラフ巨大地震のような大災害がこれから30年以内に70~80%の確率で発生する。
そのときに感染症などがもし重なっていたとしたらこの国はどうなるのか。
そのときの対応として世界では常識の緊急事態条項を入れなければならない。
 
【日本維新の会・足立康史氏】
 
憲法改正の中身の議論を進めるためにも、国民投票法改正案についてはただちに採決し、速やかに可決・成立を図るべきだ。
立憲民主党が改正案に対する修正案を提示してきた。
付則に3年の期限を切り、CM規制や資金規正に関する検討規定を設けるというもので、常識的な範囲だが、立民や共産党に常識は通用しない。
3年間は手続きに関する議論を優先し、憲法改正を拒むカードにさえしかねないと危惧している。
 
【国民民主党・山尾志桜里氏】
 
(国の交戦権を否定した)憲法9条にしっかり自衛権を位置付け、それを戦力であることをきちんと認めた上で、国民の意志で枠づけをしていくことをこれからも皆さんの知恵を借りながら訴えたい。
国家が危機を乗り越えるために必要不可欠な力を、憲法で無視し続けることでその力を抑制しようというのは、日本の「法の支配」にとっては有害だ。
 
【日本経団連・井上隆常務理事】
 
緊急事態条項を持たない憲法は世界でも稀だ。
「オールハザード型」の危機対応にはなっていないことは気がかりで、複合型の災害や国家の危機を乗り越えられるのか、法治国家としての制度的な備えは十分なのか、今こそ再考する必要がある。
我が国最高法規である憲法も社会の変化や時代に即し、国民的な議論が行われることは当然であり、決して不磨の大典ではない。
国民一人一人が議論をし、次の世代に引き継いでいく作業が必要だ。

 
その他、日本青年会議所・佐藤友哉副会頭、国士舘大学・百地章特任教授も意見を述べられましたが、ここでは割愛させていただきます。
 
注目すべきは、憲法改正を党是とする自民党とともに、野党2党がこうして堂々と改憲の必要性を主張していること。
 
既にご承知置きのこととは存じますが、今後の国会論議においても、「一部の野党は」と表現された際には、「改憲側」が日本維新の会と国民民主党、「護憲側」は立憲民主党と共産党であると認識いただければと思います。
 
国民民主党の山尾議員が9条のことに触れていましたが、中露軍機の領空侵犯に対する自衛隊機の緊急発進「スクランブル」回数は、昨年371回にも及び、毎日のように日本列島を舐め回すように飛行している現状や尖閣諸島の実効支配を目論むような中国の動き、そして何より北朝鮮の存在など、緊迫化する近隣の情勢を見るだけでも、お伽話の世界にいるかのように「話せば分かる」と理想論を述べていては、それこそ国民の生命と財産はおろか、我が国固有の領土すら守ることは出来ません。
 
これまでエネルギー政策の関係でも散々述べてきましたように、国家の根幹に関わる外交防衛、そしてこの改憲に対しては特に「超現実路線」でなくてはならないことは明白であると考えるところです。
 
ちなみに私のこうした考えは、「右寄り」ではなく、日本人として「ど真ん中」を行くものと思っていますのであしからず。
 
この二日間、改憲問題に触れ、思いが募るあまり、少し言葉が過ぎる部分があったかもしれませんが、その点はご容赦いただきたく存じます。
 
最後になりますが、かの有名なマザー・テレサの「愛の反対語は無関心である」との言葉と掛ければ、万世一系で続く、世界に誇るべき国「日本」をこの先も継承し、さらに発展させていくためには、改憲問題をはじめとする「政治」に対しても、決して「無関心」であってはならないと思います。
 
偉そうに申し上げるようで大変恐縮ですが、そうした観点を踏まえ、各級議会、政治がより良い方向に進む原動力になるとの思いのもと、有権者の皆さんには、フェアな視点と「関心を持って」ご覧いただけますよう宜しくお願いいたします。
 

【昨日の野坂山が映える野坂の田園風景。この美しき郷土を守るためにも頑張らねば。】

改憲論議を閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会に

ブログ 政治

降ったり止んだりのぐずついた天候が続きましたが、今日は久々に晴れの予報。
 
どこへ出掛ける訳ではありませんが、外の空気を吸いリフレッシュといきたいものです。
 
ここ最近の感染状況から、どうしても触れざるを得ない新型コロナウイルスですが、県内では昨日14人の新規感染者、うち1名は敦賀市の30代女性であるとの発表。
 
敦賀市においては、一昨日、感染確認のあった気比中学校の生徒並びに教職員の計419人に対しPCR検査を行った結果、全員「陰性」ということで、ひとまず安堵していたところでしたが、感染確認された女性は、以前に確認された中郷小学校由来とのことですので、やはり油断は禁物。
 
決して予断を許さない状況であることだけは肝に銘じておかねばと考えます。
 
但し、福井県は、令和2年3月以降に確認された新型コロナ新規感染353例のうち、調査中の8例を除いては、感染経路が不明なものは4例という少なさ。
 
感染された方のご協力のもと、経路が追えているというのは、ひとつ安心感にもつながるものです。
 
また、全国大で見ると、人口10万人あたりの感染者数では、90.142人の大阪をトップに、23位の千葉県までは、政府分科会指標ステージIII(感染者の急増段階)以上となる15人以上のところ、福井県はといえば、5.339人で全国45位となっています。
 
県独自の緊急事態宣言発令中ではありますが、疑わしきは全てスピーディーに検査するとの考えで、徹底的にPCR検査を行っていただいている効果が、こうした感染拡大抑制効果として表れていると受け止めるところであり、保健所や医療機関、行政関係者の皆さんには、重ね重ね感謝の意を表するところです。
 
日本における新型コロナウイルスの流行は、従来株から感染力の強い英国型変異株に急速に置き換わりつつあり、さらには新たにインド由来の変異株が国内でも見つかっています。
 
英国株の感染伝播の力は、従来株の1.3倍から1.6倍とされ、大阪府では、重症者が増えるスピードが、第3波のときの3倍にもなっていることや40代の死亡例も出ており、若くても重症化すると考えて警戒すべきところに加えてのインド株。
 
インドでは連日、30万人を超える感染者が出ており、爆発的な流行原因の一つになっていて、「酸素不足」で人が陸の上の魚のように死ぬともあるこのインド型の存在には、特に警戒せねばなりません。
 
さて、前置きが長くなりましたが、本題は、本日5月3日に迎える「憲法記念日」。
 
この祝日はご承知の通り、1947年5月3日に日本国憲法が制定されたことを記念し、「国の成長を期する」との趣旨を込め、1948年に公布・施行されたもの。
 
現行憲法に対する私の考えについては、これまでも何度かブログにも考えを述べてきているところですが、制定から70年を経て、未だ一度も改正がされていない憲法というのは世界でも極めて稀なものとなっていることや、そもそも大日本帝国憲法に比較し、日本人としての精神を骨抜きにするが如く、戦勝国に押し付けられたものであったことは屈辱的でもあったことからすれば、単に制定を祝う「祝日」ではなく、実は先人の「屈辱」の思いが込められた日でもあると、私は認識しているところであります。
 
一部野党からは、憲法改正論議を新型コロナ感染のどさくさに合わせて行うなとの声もありますが、何年もの間「安倍政権の下では議論しない」と訳の分からぬ理由でズルズル先延ばしにしてきた張本人こそ一部野党な訳であり、国の命令権と国民の人権との関係の曖昧さが顕著になった新型コロナに関する特措法自体がそうであるよう(今も「私権の制限」無き緊急事態宣言発令の効果を疑問視されている)、憲法と各法との矛盾を正していく必要性があることに加え、中国・ロシア・北朝鮮など、我が国を取り巻く状況や国際社会が混沌とする中であることを踏まえ、国の根幹をなすべき憲法については先送りすることなく論議すべきと考えます。
 
そういった背景も踏まえ、国民の皆さんひとり一人が、憲法と国のあり方について関心を持つ日になればと思います。
 

 
国会の憲法審査会における国民投票法改正審議並びに今後続く改憲論議においては、「与党は度量を、野党は良識を持って議論すべし」というのが肝要であるとのこと。
 
私もそうした認識を持ちつつ国会議論を注視するとともに、一昨年12月9日に記載したブログの末尾部分を再掲させていただき、憲法記念日を迎えるにあたってのスタンスとさせていただきます。
 
(以下、スタンス再掲)
 
新たな時代に入り、先の大戦の惨禍と自虐史観から脱却しつつ、過去の歴史とこれからの未来を重ね合わせ、まずは日本人らしさとは何なのかを今一度見つめ直すこと、世界の大国となった「日本」、他文化や宗教を受け入れられる寛容な心を持った「日本」が、これから国際的に何をどう貢献していくのか、世界の中でどのような役割を果たしていくのかの視点のもと、「日本人であることに誇りを持って」憲法改憲に向けた国民議論が巻き起ることこそが、戦後75年を経て真に新たな歩みを踏み出す一歩になるものと考える。
 
当然、制定から初の改憲は政党間、国民の間でも議論が別れ、ぶつかり合うことは必至であり、当然のこと。
 
大日本帝国憲法により近代日本の礎が築かれ、目覚ましい国家の発展を遂げたことを思い出し、この改憲論議が、閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会となるよう、私自身もその覚悟と信念のもと、真正面から論戦できるだけの考えを持ち、議論に参画していきたい。
 
※より詳細にご覧いただける方は是非、以下の「やまたけブログ」をお読み取りください。
 →→→誇りある我が国「日本」に相応しき憲法に(2019年12月9日掲載)

「ウチの県(都)に遊びに来ないで」は必要な言葉なのか?

ブログ 新型コロナウイルス

風薫る5月のスタート。
 
との言葉とは程遠い、洗濯物が飛んでいくほどの強風、突如と降るにわか雨、はたまた珍しい「竜巻警報」発報と目まぐるしい変化があった昨日の敦賀。
 
また、全国大では、午前中に宮城県北部、中部で震度5強の地震が発生し、首相官邸の危機管理センターに官邸連絡室が設置されたほか、東北新幹線では大宮-新青森間で一時運転を見合わせたとのニュース。
 
地震に関しては、大きな被害なく安堵したところですが、これだけ自然現象が重なると、決して気持ちのいいものではないを通り越し、不気味にすら感じるもの。
 
真っ黒な空を見上げると、自粛のゴールデンウィーク(GW)に、自然界も激しく警鐘を鳴らしているようにも思えますが、自粛は十分理解しているので程々にして欲しいと思うところであります。
 
さて、新型コロナウイルスの緊急事態宣言が東京、大阪、兵庫、京都の4都府県に発令される中、近畿の宣言地域外で京阪神からの人の流入を警戒する動きが広がっています。
 
奈良、滋賀両県はGWに合わせ、例年は観光客でにぎわう奈良公園、琵琶湖岸の県営駐車場をそれぞれ閉鎖し、レジャーが制限される宣言対象地域からの人の動きを抑えるべく、策を講じているとのこと。
 
人流を止める、人と人との接触を避けることが、最も効果的な感染波を抑制することにつながるため、注意喚起を促すのみならずハード面でも封鎖をしようとの措置は分からないではありません。
 
そのような中、テレビを見ていると、今度は、「神奈川県に来ないで」と書かれた道路表示板が映し出されたニュースを目にしました。
 
先般ありました、小池東京都知事の「エッセンシャルワーカー以外は、東京に来ないで」発言に対しても、思わず「何じゃそりゃ」と憤りを感じたところですが、この「神奈川県に来ないで」も同じような気持ちに。
 
神奈川県内は現在、まん延防止重点措置が出されている訳ですが、ホームページでコロナ対策を確認してみると、4月24日付けの黒岩祐治知事メッセージがYouTubeとともに記載されていました。
 

 
知事は県民に対しこう呼び掛け、メッセージを閉じています。
 
例年であれば、県や市町村をはじめ多くの事業者が、県内外の皆さんを、温かくもてなし、楽しんでいただくところですが、コロナ禍において残念ながら、今年は、神奈川を楽しむことはできません。
今年も、GWは我慢のウイークです。
県外にお住いの皆さん、今は神奈川に遊びに来ないでください。
県民の皆さん、今は神奈川の外に遊びに行かないでください。
そして、ご家族とともに静かなGWを過ごしてください。
県民総ぐるみで、この難局を乗り切れるよう、引き続きご協力をお願いします。
 
何を言いたいかというと、県民に声を掛ける場なのに、県外の方にこれを言う必要があるのかということ。
 
各都道府県は、緊急事態宣言やまん延防止重点措置が発出されている地域はもとより、そうでない地域に対しても「県外往来を避けて」と呼び掛けている訳でありますので、そのうえでこういうことを言うのは、「私は言ってます感」のパフォーマンスでしかないような気がします。
 
併せて、「来ないで」の道路表示を見た人は、既に来県してしまっている訳なので、実効性という意味でも効果は低く、何より県のイメージが悪くなる気がしてなりません。
 
昨年のGWでは、ここ敦賀市も松原公園駐車場に「県外の方お断り」の看板を立て、警備員まで配置しお帰りいただいた時の、何とも言えぬ気持ちになったことを思い出しました。
 
当該県にお住まいの方からすると、そんな生やさしいこと言ってる場合じゃないと叱られるかもしれませんが、国内での感染確認から1年以上が経過した訳ですので、こうした呼び掛けも、声高らかにパフォーマンスの如く言うのでなく、対策の実効性が上がるよう、科学的な分析を踏まえつつ、感染リスクの程度に応じて行われるべきと考えるところです。
 
ここ敦賀では、昨日も3人のコロナ新規感染を確認。
 
警戒が続く日々が続くところ、本日は独り言のようなブログとなりましたが、どうぞお許しを。。。

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