着々と進む北陸新幹線整備工事

ブログ まちづくり

12月は思えない晴天と暖かさのなか、昨日は「北陸新幹線整備状況に係る行政視察」に出席。
 
都市整備部および工事を担当されている(独)鉄道運輸機構の皆さんにご案内いただき、深山トンネル、敦賀駅舎・駅前広場(東側)等の工事状況について丁寧な説明をいただきました。
 
◉中池見湿地エリアを通過する深坂トンネルは、全長768m。
うち、掘削は290m(12月10日現在)まで進んでおり、現在も24時間体制にて進めているとのこと。

 
トンネル工事は初めて見ましたが、深坂トンネルの場合、土壌汚染防止として一般的な防水シートの倍の厚さ(2.0mm)の防水シートを内径全周に設置していることや、1mづつ掘っては表層を固め(崩落防止のため)を繰り返すため、1日の掘削速度は5〜6mであることを知ることが出来ました。

 
◉敦賀駅前広場については、ちょうど昨日、当該エリアの土地取得に関する議案を審議したところであり、木の芽から新駅までのアクセスや駐車場の整備位置など、より具体的なイメージを持つことが出来ました。
また、敦賀駅は整備新幹線として初となる「3層構造の上下乗換施設」となるのですが、1階は特急ホーム、2階に乗換コンコース、3階に新幹線ホームの姿が見えつつありました。

 
それにしても間近に見上げる駅舎部分の高架と立ち並ぶクレーンの姿は迫力あり!
開業に向け力強く、安全に作業を進める工事関係者の姿を拝見することが出来たことも含め、大変貴重な場となりました。
このような場を企画いただきましたことに対し、この場を借りて感謝申し上げます。

 
夜は、連合福井嶺南地域協議会の皆さんとともに、「全国一斉労働相談ダイヤル」に関わる街頭行動に参加。
白銀町交差点にて、しばしマイクを握らせていただきました。
労働に関する悩みや相談のある方は、一人で迷まず、フリーダイヤル「0120-154-052(行こうよ連合に)」まで遠慮なくお電話ください。

 
今日は、所属する市庁舎建設特別委員会、広報広聴委員会と続きますが、引き続き慎重審議にあたってまいります。

完成を待つ岡山松陵線

ブログ まちづくり 敦賀市議会

昨日は所属する産経建設常任委員会に出席。
本委員会に付託された議案について審議しました。
 
審議した議案は以下3件。
 
①敦賀市農産物直売所の指定管理者について
砂流で運営している「夢市場」の指定管理期間が今年度末で満了となることから、次期令和2年度から5年間の指定管理者を確認。
結果、現管理者(マルシェ)を指定管理者とすることで可決。
 
②敦賀市グラウンド・ゴルフ場の利用料金見直しについて
消費増税に伴い「リラ・グリーン」の利用料金を令和2年4月1日より見直す件について可決。
 
③新幹線駅前広場整備事業用地取得について
市が新幹線駅東エリア(国広町)に整備する駐車場、緑地用地について、価格の妥当性確認をしたうえで、JR西日本より購入することについて可決。
 
上記議案については、定例会最終日の本会議において、委員長報告の後、採択が行われることとなります。
 
夕刻は、今週末に供用開始を控える岡山松陵線を確認(勝手にですが…)

 
真っ黒なアスファルトに既に真っ白なラインが引かれ、現場は完成を待つのみといったところ。
この道路の開通により粟野地区・敦賀南ICと松原までが一直線でつながることとなります。
 
完成式典は12月14日(土)10時から。
このアクセス性向上を単に交通環境改善に留めることなく、期待感を持って地域の発展につなげていければと思います。

誇りある我が国「日本」に相応しき憲法に

ブログ 政治

昭和から平成、そして令和へ。
神武天皇から続く万世一系により統治・継承される我が国の体は、今上天皇にて126代を数え、二千年もの間、権威と権力とを分離し、独自の文化を有し、祭祀王を持つ世界で唯一の国「日本」に生まれ育ったことを誇りに思う。
私は、二度の時代の移り変わりを経験することになった訳であるが、古から刻まれた歴史と先人たちの命と思いのもとに今があるとの認識に立てば、国民のひとりとして、次代に歴史を引き継ぐ一員として重い責任を感じざるを得ない。
 
そのような中、ある研修機関において課題図書レポート作成の機会を得た。
4つの指定テキストを眼の前にし、私は、国家の根幹であり道標となる「憲法」についての思考を整理すべく、迷うことなく「新しい日本の憲法像」を選択した。
 
以前に拝読した「国民の憲法」(産経新聞社)。
「歴史、伝統、文化を破壊された屈辱感、という一言に尽きる」との起草委員会委員長である田久保忠衛氏の言葉で始まる序文は衝撃的であった。
また、日本国憲法草案(GHQ案)提示の際には「我々はいま、原子エネルギーの暖を楽しんでいる」と被ばく地の悲惨ささえ嘲笑うかのような態度のうえで、「案を受け入れれば天皇の地位は安泰だ」など強迫的な説明を受けた、当時の吉田茂外相の無念を今の日本人は想像できるだろうかとの問いに、あるのは忸怩たる思いのもと平伏すしかなすすべなく受け入れたこの憲法を「いつか真に我が国のものにする」との思いしか浮かび得ない。
 

 
しかしながら、戦勝国であるGHQマッカーサーが「日本を骨抜き」にするため敗戦国に押し付けた「日本国憲法」という認識や背景など学校教育では到底教えられることもないことから、実際、「非戦」を誓った憲法9条の存在を「世界に誇る平和憲法」だと称賛し、改憲論議に触れることにさえ強烈なアレルギー反応を示す国民が多いことに背筋が凍る思いとともに、国家存亡の危機すら感じるところである。
 

そのような思いのもと読み進めた「新しい日本の憲法像」。
やはり、歴史の転換期から学ぶべく、「大日本帝国憲法(以下、明治憲法)」から読み解くことは、現憲法との違いを明確にするためにも大変有意義であった。
 
「国会開設の勅諭」から8年4ヶ月の長きに亘る調査検討を経て、アジアで初の近代的成文憲法が制定されたのは1889年2月。英国の「ザ・タイムス」が明治天皇を「東洋における最初の立憲国の君主」と称賛したように、明治日本の最も大きな事跡の一つが憲法の制定であったことは明白であり納得するところである。
 
これを表すかの如く、明治憲法の発布に際しては、帝国大学の教職員・学生が、国家の一大盛儀に際し、青山に行幸される明治天皇にお祝いの気持ちを表すために、「万歳」を皇居外苑で三唱したことが、我が国における「万歳三唱」の起源となったことや酒屋の小僧や八百屋の御用聞きまでもが事前にこれを知って、往来で盛んに唱えたとのエピソードは、この憲法に寄せる国民の期待や心情の高まりが目に浮かぶようであった。
 
三権分立こそ制度として十分なものでなかったにせよ、紛れもなき法治国家の体を成し、現憲法下の一次元的法体系とは異なり、憲法と皇室典範の二元法的体系であったことにより、国務と宮務が明確に区分されたことは、日本の伝統と歴史に則った自主独立性ある憲法であったものと理解する。
既に憲法政治を行なってきていた先進諸国からすれば、至らぬ懸念だらけであったかもしれないが、徹頭徹尾、日本人自身の手で作られた紛れもなき、近代日本の幕開けに相応しい憲法であったことを誇りに思うものである。
 
その後、わずか四半世紀足らずの間に、国家体制、産業育成、教育の普及、軍隊の建設など、近代国家として革命的な体制変更を成し遂げたことは、国民がこの憲法制定を時代の転換点と理解し、新たに進むべき「国家」としてのありようや覚悟なるものを抱いたからに他ならないものと考える。
 
これに較べ、冒頭述べた先人たちの「屈辱」の思いのもとに存在する「日本国憲法」。
現憲法は昭和22年の施行から75年を迎え、施行以来、一度も改正されていない世界で「最も古い」憲法となっている。
「世界に誇る平和憲法の改憲は許さない」として、とりわけ九条に関しては「憲法を改正して戦争できる国にしようとしている」などとし、憲法改正自体が「悪」、死守すべきものは「平和と命」と掲げ、必死な勢力もあるが、一体国民はどう見ているのだろうか。
 
憲法像にはこうある。
我が国の憲法第三章は「国民の権利及び義務」について規定しているものの、そのほとんどは権利に関するものである。義務は教育、勤労、納税だけであり、あまりにも権利過剰、義務軽視と言わねばならない。
他国の憲法で規定している国家への忠誠義務、兵役の義務はない。ちなみに、人民の諸権利保証を強調したルソーでさえ、「市民は、主権者が求めれば、彼が国家になし得る限りの奉仕を、直ちにする義務がある」「すべての人は、必要とあれば祖国のために戦わなくてはならない」と強調している。
即ち、自分の国は自分たちで守るとする「個別自衛権」は、憲法に記載があるなし以前の問題で、国家に属するものとして当然のこと。そのうえであるのが「集団的自衛権」であり、ルソーの言葉にあるように「祖国のために戦う気持ち」無くして、国家は成り立つはずもない。
ましてや、米ソ冷戦下の時代にあっては、両大国が緊張の中にあったことにより、東西それぞれに監視の目が行き届く「世界の警察」的役割をしていた恩恵を受けていられたかもしれないが、冷戦が終焉を迎えて以降の内外情勢の大きな変化の中にあって、日本はいつまでも、有事に守ってくれるかの保証もない米国の傘の下に安堵していて良いのだろうか。
 
昨今の自衛隊空自のスクランブル発進回数の増加に示される通り、北から南まで日本列島周辺はロシア・中国軍機に舐めまわされていることを始め、実効支配されつつある尖閣諸島、竹島の問題、不安定な朝鮮半島、中東情勢の緊迫など、緊張感こそ増せど安堵できる状況はひと時たりともないと認識すべきである。
このような我が国を取り巻く安全保障情勢にあって「憲法九条があれば平和は維持できる」などと「お花畑」の主張をしていては、真に現憲法を絶対視したままで時代の荒波を乗り切っていけることが出来るのかを、主権者である国民が憲法のあり方について判断していくことが求められていると考える。
 
九条に代表される改憲論であるが、最も重要なのは、冒頭に述べた万世一系で続く天皇制の問題。
本著によれば、天皇が対外的にも国内的にも元首であることは疑うべきもないとしているにも関わらず、「天皇は元首である」との明文の規定がないことに対し、早急に条文の改正を講ずるべきとしている。
令和の時代に入ってからの皇位継承に関する即位の礼など、厳かな雰囲気の中、各国の要人が集っての一連の儀式を見るに、天皇の存在を国民は尊厳の念をもってあたたかく祝福していると受け止められる。
聖徳太子の時代から一貫して用いられる「天皇」の存在を今一度明確にし、国事行為や皇室関係法令の不備を一つづつ丁寧に見直していくことが大変重要であると考える。
 
本著に記されているよう、国家と宗教、統治機構の問題などに関しては、時代を経て変化する構造的な部分を反映していく必要がある。
 
新たな時代に入り、先の大戦の惨禍と自虐史観から脱却しつつ、過去の歴史とこれからの未来を重ね合わせ、まずは日本人らしさとは何なのかを今一度見つめ直すこと、世界の大国となった「日本」、他文化や宗教を受け入れられる寛容な心を持った「日本」が、これから国際的に何をどう貢献していくのか、世界の中でどのような役割を果たしていくのかの視点のもと、「日本人であることに誇りを持って」憲法改憲に向けた国民議論が巻き起ることこそが、戦後75年を経て真に新たな歩みを踏み出す一歩になるものと考える。
 
当然、制定から初の改憲は政党間、国民の間でも議論が別れ、ぶつかり合うことは必至であり、当然のこと。大日本帝国憲法により近代日本の礎が築かれ、目覚ましい国家の発展を遂げたことを思い出し、この改憲論議が、閉塞する日本社会の将来に光を見出す機会となるよう、私自身もその覚悟と信念のもと、真正面から論戦できるだけの考えを持ち、議論に参画していきたい。

オペラ「人道の桜」の感動と観光の本義

ブログ まちづくり


 
課題に対する答えを模索していると不思議と出会うヒント。
昨日は、福井新聞朝刊「越山若水」の記事より頂戴しました。
 
福井県立大、進士五十八学長のコラムにおける「観光」に関する記事として、観光は、非日常性、異文化体験を求めてのはずが、時間刻みのツアーでは本来を目的を果たせないとして、観光の語源となった古代中国の古典「易経」にある「観国之光(国の光を見る)」を引用。
観光の本義は訪ねたその国、地方の光り輝いている宝を心から深く、観て感じることだと訴えていました。
 
そうした中、午後は福井テレビ開局50周年・敦賀港開港120周年を記念して杉原千畝物語 オペラ「人道の桜」を鑑賞しました。
 
「人として当たり前のことをしたまで」と国の命令に反き6,000人ものユダヤ難民に「命のビザ」を発給した杉原千畝氏。
ビザに救われ、遠くリトアニアからシベリア鉄道、船を乗り継ぎ、辿り着いたのが「敦賀の港」。
 
迫害から逃れ、敦賀市民に温かく迎え入れられたユダヤ難民の皆さんが、この地(日本)を「ヘブン(天国)」と称したことなどの実話を再現した「命と平和」の物語は、琴線に触れる感動を覚え、涙が止まりませんでした。
 
鑑賞を終え、会場の市民文化センターを出ると素晴らしい夕焼け雲。
駐車した金ヶ崎緑地を回り、新ムゼウムの建築現場まで足を運ぶと、オペラに出てきたシーンそのままの当時の状況が浮かんでくるようでした。
 

 
冒頭のヒントにあった「観光」の本義を思えば、敦賀の「光り輝く宝」は、やはり歴史と自然、そして「人道の港」のエピソードに表される「心」ではないかと思う次第。
 
改めて、我がまちを誇りに思いつつ、宝多き「敦賀」を心から探り、観て感じてもらえるよう取り組むことこそが、真の観光につながるものと確信する日となりました。
 

一般質問から多くを学ぶ

ブログ 敦賀市議会

昨日は、一般質問最終日。
3名の議員が登壇され、SDGsの市政への活用やプログラミング教育、防災対策など多角的な視点からの質問が行われました。
 
議員になって今回が3回目の定例会となる訳ですが、質問に立たれる議員の皆さんそれぞれが、自身のご経験や地域、支援者からの声、国の制度設計を見据えたものなど、課題認識のジャンルは違えど丁寧な調査から積み上げた質問、一問一答形式だからこその緊張感と的確且つ真摯に答弁される理事者とのやり取りは、大変中身が濃く本当に勉強になります。
 
議会なんだから、それは当たり前やろ!との声も聞こえてきそうですが、議員各位にも理事者の皆さんにもおべんちゃら(お世辞)を言うわけでは決してなく、自分にない視点や切り口から新たに知り得ることはプラスでしかなく、そういった意味でも大変充実した三日間でした。
 
さて、一般質問を終え、次週は常任委員会、特別委員会と続きますが、各議案やプロジェクトの進捗状況を詳細に確認しつつ、市政運営における大局的な視点も頭に置きながら慎重審議にあたっていきます。
 

全国高校駅伝大会に初出場する敦賀気比高校!
都大路を駆け抜ける気比高健児を応援します!

やまたけ一般質問を終える

ブログ 敦賀市議会

一般質問2日目の昨日は、1日目と同じく7名が登壇。
私もこの日の5番バッターとして、質問通告書に基づき3点の項目について質問しました。
 
以下、それぞれの質問の要点のみご報告いたします。
 
1.「人道の港敦賀ムゼウム」の運営方式について
◉9月定例会での「指定管理者方式見送り」の結果を受けての、現在の市の考えを問うたところ、前定例会での状況や来年秋オープンに向けた準備工程などを総合的に判断し、「開館当初は直営方式」と決定し、準備を進めていくとの考えが示されました。
◉市と議会の双方が認識をともに前に進めていくためには、「直営方式」を選定することに対しても事前説明が必要ではと求めたところ、運営するための組織体制なども含め3月定例会までには説明するとの回答がありました。
◉オープン時期の理由については、施設完成後、極力速やかにオープンすることにより整備効果を最大限発揮すること、開館式典に外国の要人招待を予定しており、来夏の東京オリンピック・パラリンピックの時期を避ける必要性があることなどから「秋」を設定したとの考えであり納得。
◉「オンリーワンの地域資源」に込める市の思いや情熱を敦賀市民に伝え、市民と一体となって進められるかが成功のポイント。自身も含め、「素晴らしい敦賀のエピソードをより多くの方に見て欲しい」とのスタンスをもって発信していくことを要望し、市からは引き続き発信に取り組むとの回答がありました。
 
2.シーズンを通した高齢者の生きがい健康づくりについて
◉「健康都市」の実現に向け、市民の健康づくりに取り組むなか、高齢者層の適度な運動は、認知症・介護予防に加え社交の場、生きがいなどにつながっている。しかしながら、グラウンド・ゴルフなど冬季利用が出来ないことによって、貴重な場が一定期間失われているため、利用環境の改善を要望したところ、他の競技団体も含め、話しをしながら改善していきたいとの回答。
併せて、敦賀市グラウンド・ゴルフ場(リラ・グリーン)に関しては、指定管理者と協議をする旨の回答がありました。

3.認知症みまもり対策について
◉超高齢化社会に伴い、敦賀市においても高齢者人口割合が約3割に近づくなか、介護要因のトップにある「認知症」に対して「認知症ほっとけんまち敦賀」をスローガンに様々な施策にとりまれている。とりわけ「認知症ひとり歩き、行方不明」に関しては「敦賀みまもりネットワーク」など地域全体で早期発見に取り組まれているところであるが、「命の危険」が伴うことから、GPS端末の貸与など、ハード面でのさらなる対策に取り組むことを提言。
市からは、QRコードシールやGPSなど他市町での事例も調査し、検討していきたいとの回答がありました。
 
1.の新ムゼウムに関して、コンセプトの根幹は「平和教育と人道の港敦賀のエピソードを保存」することにあり、観光の要素は側面的にあるもの。
市長が覚悟を決めて選択された「直営方式」は、結果してそのコンセプトに絞り準備、運営管理を行うことにもなり、加えて人的資源の限られる事務方の皆さんの負担軽減、効率化にもつながるものと考えます。
次の説明の機会でしっかりと市の考えをお伺いし、認識共有したうえで、来秋のオープンに向けては「前向きに」取り組んでいきたいと考えます。
 
要点というには長くなりましたが、昨日の速報は以上とさせていただきます。
 

本日5番目、一般質問を行います

ブログ 敦賀市議会


 
12月定例会 一般質問初日の昨日は、7名の議員が登壇。
 
トップバッターの林惠子議員から5番目の中道恭子議員まで全て女性議員という偶然は、先立って開催された議会運営委員会でも話題に挙がったほど。
質問の場においては、それぞれの実体験や寄せられるご意見を受け、子育て・教育環境や家族介護支援、災害弱者対策、中池見湿地に関わる問題などを取り上げられていました。
 
また、この日最後の質問者となった中野史生議員の「救急急患の休祭日における対応」に関する理事者答弁においては、「地域病院は最後の砦として救急は全て受け入れる」との思いのもと対応されてきているものの、当直医はややもすれば30時間以上の連続勤務を月に2〜3回こなさなければならない状況にあるなど、医療現場の実情が分かりました。
 
市立敦賀病院については、従前の赤字を脱して以降、9年連続で黑字経営を続けているほか、積極的な働き掛けによる医師の増員や地域包括ケアのより進んだ取り組みを展開してきており、今後も地域に根ざした病院運営を期待するところです。
 
さて、一般質問2日目の本日、私は5番目に登壇。
通告内容は添付写真に再掲いたしますが、自身の思いと実経験、地域の皆さんからの声を基に建設的で有意義な議論となるよう努めたいと考えます。
 
登壇時間は、おそらく15時前後になろうかと思いますので、議会傍聴、ケーブルテレビ議会CH、ネット中継などでご覧いただければ幸いに思います。
 

議会は今日から一般質問

ブログ 敦賀市議会


 
典型的な北国日和の昨日。
西浦の各漁港では船体保護のため、護岸から離れて係留。
みぞれ混じりの雨が降ったり止んだり、鉛色の空かと思えば急に陽が射したりの天気は、まさに気まぐれ。
運が悪い日はこういうもので、建物や車から出る私を、待ってましたの如く降り出す雨には思わず笑ってしまいました。
 
さて、市議会のほうは今日から一般質問が始まります。
先日ご紹介した通り、トップバッターから5番目まで全女性議員が並ぶという偶然も含め、17名の議員が質問に立ちます。
 
既に通告内容も掲載されていますが、今定例会に提案されている中池見湿地に関わる条例制定、前定例会からも取り上げられている新ムゼウムに関わる件については、複数の議員から質問されるなど関心の高い案件となっています。
また、高齢者や子育てに関わる点についても多く取り上げられています。
 
一般質問の日程は、6日(金)まで3日間。
議場への傍聴あるいはRCNの議会中継などでご覧いただければ幸いに思います。

COP25で日本は何を語るのか

エネルギー ブログ

12月2日、スペインの首都マドリードにて開幕したCOP25

昨日の敦賀は終日の風雨。
天気図を見ると、今日は見事な「西高東低」で冬型の気圧配置。北海道や日本海側では荒れ模様となるため、タイヤや防寒など油断なく備えをしておきたい。

さて、気候に関して言えば、スペインの首都マドリードにて国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)が開催。

昨今、地球規模での気候変動が顕著となる中、地球温暖化防止の新たな国際的取り組みである「パリ協定」の運用開始が年明けに迫る中、実施ルールの詳細を決めていくことが主要な課題となっている。

先進国だけが温室効果ガスの排出削減義務を負った「京都議定書」とは異なり、先進国と途上国が共通ルールの下で排出削減に取り組み、産業革命前から今世紀末までの気温上昇を2度未満、出来れば1.5度に抑えることを目指すのが「パリ協定」。

この「パリ協定」に対し、日本は「2030年度に2013年度比マイナス26%」というCO2の排出削減目標を表明しているものの、原子力発電所の再稼働が遅々として進まず、火力発電で穴埋めせざるを得ない現状では、到底達成など不可能との見方が強く、「消極的」と世界から見られるのも止むを得ないものと考える。

只でさえ「乾いた雑巾から絞る」状態の日本。
再エネ固定価格買取制度の問題などもあり、今後の再エネ普及に暗雲立ち込める中、26%削減が難しいことは明白であり、達成に向けた真の具体策はあるのか甚だ疑問である。

ハッキリ申し上げ、私は、「いま持ち得る資源」を最大限有効活用し、日本が地球規模の対策に貢献するには「原子力発電」しかないと考える。

先般、温暖化対策に消極的とし、国連から演説を拒否された日本。


このような中開催されるCOP25において、日本の代表である小泉環境大臣はスペインで何を語るのか。
意味を持たない「セクシー」発言は初デビュー祝儀として済まされただけであり、温暖化対策で世界を牽引するとの覚悟があるのであれば、確固たる信念を持って具体策を語ってもらいたいものである。

深坂古道で歴史の鼓動を感じる

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日ご紹介した「古代からの交通の要衝 疋田・追分」。
改めて、関所があったと言われる場所もさることながら、天然の良港を持つ港町敦賀から塩津山を越え塩津(滋賀県)に出て、水路で大津に向かった「深坂越え」は大変興味深いものでした。

そんな昨日、古道だけに「その鼓動を感じたい」との思いのもと「深坂古道」に行ってきました。

国道161号線を進み、新疋田駅を過ぎるとすぐ左手に深坂古道の入口、追分区。
歴史の宝庫愛発は、どの区にも解説付きの看板が設置されていて、大変整備されています。

国道161号線を西へ。新疋田駅を過ぎるとすぐに追分区となります。

さらに追分区を進むと深坂区に入り、いよいよ古道入り口となります。

深坂区を越えると、さらに入口標識が。

先へ進むと、古道の案内看板が設置されていて、とても大切にされている印象を受けました。
また、追分区の入口標識も同様、この歴史の開削と保存に関しては、敦賀みなとライオンズクラブさんが大変ご尽力されたことが良く分かりました。

結成15周年を機に敦賀みなとライオンズクラブさんが設置された案内看板

この日は時間があまり取れず、夕刻近くの行動となってしまったため、古道を少し進んだところで折り返したものの、この深坂越えの古道を万葉人を初め、京の都からは国司や律令官人たちがこの道を往来し、かの紫式部も越前守となった父とともに通ったと思えば、何かタイムスリップしたかのような感覚となり、古に思いを馳せる歴史ロマンを感じざるを得ませんでした。

市民歴史講座で学んだばかりで感化され過ぎかも知れませんが、机上と現地を重ね合わせてこそ真の学び。
次は滋賀県に抜けた沓掛まで歩き、さらに歴史の鼓動を感じてきたいと思います。

紫式部も眺めた風景かと思うとタイムスリップした感覚に。

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