古墳時代の敦賀 〜市民歴史講座(第1講)より〜

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1970年7月29日は、関西電力の美浜発電所1号機が原子炉臨界に到達した日ですが、昨日午前中はちょうど「第54回 関電労組美浜支部定時大会」にお招きいただき出席。
 
美浜町生涯学習センター「なびあす」で開催された大会では、北川博規・福井県議会議員に続きご挨拶の機会を頂戴しましたが、53年前にあった記念すべき日に、皆さんの前でお話しさせていただくことを光栄に思うとともに、現在の原子力発電を取り巻く環境、とりわけ次世代革新炉の動向などについて、自身の考えを含めお伝えしました。
 
同じく1970年3月に運転を開始した日本原電敦賀発電所とともに、わが国の原子力黎明期から発電を続ける美浜発電所。
 
私にとっては「兄弟」であり「同志」でもある発電所ですが、今後はともに次代に進むべく、職場の皆さんとの連携を一層深め活動あたること、またこの大会を機に、さらに団結力を高め、美浜支部が発展されることを祈念申し上げた次第です。
 
大会の後は、気比史学会が主催する「敦賀市民歴史講座」のため、敦賀市立図書館へ。
 
これまでご紹介しているよう、新たな役員体制で迎えた今期、私は事務局長の任を務めることもあり、他の役員の皆さんとともに、ここに至るまでの企画・準備を進めてきたところですが、いよいよ第1講スタートとあって身の引き締まるところ。
 
事前に準備した資料や講座開催時のグッズを会場にてセッティングしたうえで、参加者を待ちましたが、結果、70名の聴講者にお集まりいただきました。
 
まずは、この暑さのなか、こうして足を運んでいただいた皆さんに感謝した次第です。
 

【70名の聴講者にお越しいただき開催した市民歴史講座】
 
14時に開会した講座では、元敦賀市立博物館長の川村俊彦氏を講師にお迎えし、「古墳時代の敦賀 ー『中郷古墳群』史跡指定35周年ー」と題し、冒頭、前期(4世紀)から中期(5世紀)、後期/終末期(6世紀〜7世紀初期)までの敦賀の古墳時代のアウトライン、現在の敦賀市内・敦賀半島における主要な古墳分布をご説明いただきました。
 
その後は、主要な「史跡 中郷古墳群」として、向出山(むかいでやま)古墳群、明神山古墳群、また、立洞(たてぼら)2号古墳群や穴地蔵古墳群などについて、発掘調査にて確認された副葬品などから言えることについて、詳しい解説がありました。
 
昭和55年(1980)〜58年(83)には、トンネル温泉造成事業の開始によって、存続の危機にあった向出山古墳を守るべく、気比史学会による保存運動が展開され、2号墳こそ緊急調査のうえ、埋立消滅したものの、1号墳については、公有地化、墳丘整備がされた歴史を改めてお伺いし、当時の並々ならぬ文化財保護に対する思いと行動力に敬服した次第です。
 

【保存運動の末、守られた向出山1号墳(川村先生の講座資料より引用)】
 
とりわけ、中郷古墳群は、古代における内外交通の要衝であった敦賀の地に、前期から後期までの様々な形式の特色あふれる古墳が築かれ、わが国の古墳時代を解明するうえで貴重な首長摹群であること、また古墳時代の終わりには、敦賀半島(西浦や櫛川まで)を中心に製塩集団の下で古墳が作られていると推察されるなど、勢力分布や当時の情景が浮かぶ時間となりました。
 
詳しくお知りになりたい方は、資料などお渡ししますので、ぜひ私までお声掛けいただきたいと思いますが、私自身、今回も大変興味深く、太古のロマンあふれるお話しを聞くことができ、本当に有意義な時間であったと感じた次第です。
 
なお、講座終了後に行った講師を囲んでの座談会では、参加された方から、「埋蔵文化財は、苦難の時代」、「観光客が来る来ないが、文化財を整備、手入れするしないの基準になっている」などとの声を伺うことができました。
 
全国的に見てもそうなのかと思いますが、特に豊富な文化的資源を有する敦賀にあって、こうしたことにならないよう、文化財行政に対しても確認、意見していく必要がある旨、強く念頭に置いた次第。
 
一部、音響機器の不具合があったものの、何とか無事に終了した「第1講」。
 
次回、第2講は8月19日(土)14時から、元一乗谷朝倉氏遺跡資料館長の水野和雄氏をお招きし、「越前朝倉宗家をめぐるお家騒動」と題し講義をいただきます。
 
開催場所は同じ市立図書館3階 研修室。
 
タイトルからして、面白いお話しが聞けること間違いありませんので、興味のある方はぜひお気軽に、足を運んでいただければ幸いに存じます。

気比史学会「意気盛ん」 若手加え活動継続

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昨日午前中は広報広聴委員会。
 
前期の後半2年は委員長を務めた委員会ですが、今期は委員として所属。
 
メンバーも8名中、4名が1期目の委員、女性は3名ということで、また違った雰囲気で議論できるのが楽しいところ。
 
誤解なきよう、「楽しい」というのは、和気あいあいという意味ではなく、メンバーが変わったことによって、同じことを行うにもまた新たな、多角的な視点で物事を捉えることができるという意味であり、昨日の委員会はまさにそのことを感じるものとなりました。
 
協議したのは、8月に発行する「議会だより」や今年度も開催する「議会報告会」に関してでしたが、小さなことでも構わないので、回を追うごとに改善を続け、市民の皆様にとって「分かりやすく」、「議会を身近に」感じてもらえるような議会広報・広聴活動となるよう、引き続き、自身も尽力してまいります。
 
さて、メンバーが変わったといえば、45年続く、敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
昭和52(1977)年、敦賀市史の刊行をきっかけに市内の歴史愛好家らが結成した「気比史学会」ですが、設立当初から会を中心的に支え、会長として活動を牽引いただいてきた糀谷好晃会長以外、今年度からは、副会長以下の役員を刷新し、活動をリスタートさせたところ。
 
私自身、一時あった解散の危機(役員の高齢化が理由)を只々「もったいない」と思う一心で、我々世代で引き継がせてもらえないかと進言をした立場ですが、何とかその危機を乗り越え、活動を継承することとなった次第。
 
このことは、以前のブログでも述べたところですが、先般、これに関心をもった中日新聞の記者さんが、当会の三役に対して、あるいは役員会に足を運んでいただき取材、継承までの経過を記事にしていただきました。
 
記事は、昨日の「日刊県民福井」朝刊、しかも地方版ではなく、いわゆる3面の社会記事欄に大きく掲載いただき驚いたところですが、皆様には同新聞社のウェブ版にて記事をご覧いただければと存じます。
※新聞記事の転載は禁じられているため、ご容赦を。
 
 →7月25日 日刊県民福井の記事はこちら
 

【記事に掲載いただいた写真。撮影時に記者さんが「糀谷会長が一番いい表情です!」と言ってましたが、その意味が分かりました(笑)】
 
こうして大きく取り上げていただけるのは大変ありがたいことであり、記者さんにもお礼の電話を差し上げた次第ですが、記事にあった通り、今後さらに、次代への継承も視野に続けていかねばと、思いを強める次第です。
 
「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」
 
これは設立以来の気比史学会の「会是」ですが、私の人生訓、座右の銘とも言えるものであり、常日頃から物事を判断するうえで念頭に置いている言葉。
 
「地域史」を自ら楽しく学ぶという、発足当時にあった歴史愛好家のマインドを再び起こし、さらにはもうひとつの目的である、市民の皆様に敦賀の「地域史」を広く知っていただけるよう、引き続き活動してまいります。
 
なお、今週土曜日(7月29日)の14時からは、今年度「ネクストステージ」と名を打った「市民歴史講座(第39期)」の第1講が、市立図書館3階の研修室にて開催されます。
 
詳しくは、年間プログラムを再掲しますが、もちろんどなたでも参加可能ですので、ぜひ足を運んでいただけますようお願いいたします。
 
※第39期「市民歴史講座」ネクストステージのプログラムは以下↓

「気比史学会」はネクストステージへ

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昨朝はホームグラウンドの名子での辻立ち。
 
天気予報ではその時間、雨マークが出ていましたが、何とか降られることなく終了。
 
最近は車中より笑顔(失笑?)を送ってくれる方が増えたように感じますが、これは胸ポケットの「こくみんうさぎ」効果か。
 
いずれにしても、街頭に立っている存在を認めてもらえたこと自体嬉しいことであり、引き続き「継続は力なり」の思いで頑張る所存です。
 
さて、「継続は力なり」と言えば、設立から46年目に入った敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
役員の高齢化を理由とする解散の危機を乗り越え、新たなメンバーで継承することとしたことは、以前のブログでもご紹介した通りですが、昨晩は、今年度第1講の「敦賀市民歴史講座」に向けた役員会を開催しました。
 
残っていただいた糀谷会長以外、副会長以下は34歳から50代中盤までの役員(7名)となり、会議の雰囲気も一変。
 
私は事務局長として、会議の進行をさせていただきました。
 

【新たに作成した気比史学会の名刺。最上段には、この会に入れ込むキッカケとなった会是を入れました。】
 
協議事項のメインは、7月29日(土)に開催する「敦賀市民歴史講座(第1講)」の進め方や役割分担などでしたが、役員の方からは、ファシリテーター役を輪番制にして、能動的に参加する仕組みづくりをとの意見や、次世代を始め、より多くの方に聞いてもらえるよう「YouTube」配信をしてはなど、積極的且つ前向きなご意見を頂戴しました。
 
こうして会を継承したからには、何かひとつでも新たな試みを取り入れていこうとの姿勢に、私もハッと姿勢を正したところですが、長く続く組織であるためには、ミッションやビジョンを共有し、各人の専門性や特性を発揮できること、そして「変化を恐れない」ことにあるのではと考えるところ。
 
大袈裟に言えば、進化論で有名なダーウィンの「生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもなく、環境の変化に最も敏感に対応できる種である」との言葉にも通ずることかとも感じた次第ですが、大事なのは、これまでの固定観念にとらわれず、新たな発想を取り込み、組織や活動を「活性化」させること。
 
今後の組織運営は、このような考えも念頭に、気比史学会の「ネクストステージ」を築き上げていきたいと思います。
 
なお、昭和52(1977)年当時、自らが「地域史」を学び、得たことを市民に広げていこうとの思いをもって集った有志で作られたのが「気比史学会」。
 
そう思えば、原動力となったのは、貪欲なまでに敦賀の地域史を掘り起こそうとする「好奇心」にあったのだと思います。
 
ダーウィンに続き、偉人の名言にアインシュタインの「重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。」との言葉があります。
 
まさにこの考えが、これまでも、そしてこれからも本会を支える原動力ではないかと思うところ。
 
他の市町が羨むほどの豊富な歴史、文化資源を有する敦賀。
 
まさに、敦賀の「悠久の歴史を掘る」との言葉通り、運営する我々自身が好奇心、探究心をもって次代へと歴史をつないでいきたいと思います。
 
最後に、39期を迎える今年度の敦賀市民歴史講座のプログラムを掲載いたします。
 
もちろん、どなたでも参加できますので、ぜひお越しいただけますようお願いいたします。
 


【第1講は来週末、7月29日(土)14時から。会場にてお待ちしています。】

「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」にて78年前を思う

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グズついた曇天から一転、30℃を超える暑さとなった敦賀ですが、同じ日本海側では、活発な梅雨前線の影響で秋田県では記録的な大雨に見舞われたとのニュース。
 
河川の氾濫が相次ぎ、秋田市では土砂崩れで4人が軽傷を負ったともあり、被害に遭われた方にお見舞い申し上げる次第です。
 
これだけ天気が違うのかと驚くばかりですが、こちらの方は、本日開催する「第26回 敦賀港カッターレース」の準備のため、昨日は朝から川崎・松栄岸壁へ。
 
実行委員会の皆さんが集合した9時より、この日の作業などミーティングを行い、それぞれ分かれて準備にあたりました。
 
レースはいよいよ今日が本番。
 
お時間のある方は、敦賀の「夏の風物詩」のひとつ「カッターレース」の雰囲気をご覧に、お越しいただければ幸いです。
 
さて、私のほうは一旦準備を抜け、車で礼服に着替えた後、プラザ萬象へ。
 
10時30分より、大ホールにて開催された「敦賀市戦没者戦災死没者追悼式」に参列させていただきました。
 
昭和20年7月12日、先の大戦において日本海側で初めて戦禍に遭った敦賀は、この空襲によって、市街地の大半が焦土と化しました。
 
加えて、7月30日、8月8日にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われたことは、12日のブログに記載したところですが、この式典では、ご遺族を始め多くの関係者が参列のもと、この空襲を含め、敦賀市出身の戦没者及び戦災死没者の御霊をお迎えし、厳かな雰囲気のもと挙行されました。
 
敦賀市戦没者戦災死没者は1,989柱。
 
私も献花をさせていただき、心よりご冥福をお祈り申し上げた次第です。
 

【1,989の御霊に心よりご冥福をお祈りいたします。】
 
式典を終え改めて、今の私たちがこうして平和に暮らしていることは当たり前ではないこと、そして戦争の悲惨さを深く胸に刻んだところでありますが、先の大戦から78年目を迎える現在では、戦争を知らない割合が8割を超えたそう。
 
平和を希求することは簡単なことですが、戦争の悲惨さや恐ろしさを忘れてはならないことはもちろんのこと、国を守るため犠牲となった英霊の存在があって、この平和があることは決して忘れてはなりません。
 
こうして式典に参列した者の使命は、これらを風化させぬよう次代に継承していくことにあると思い、本日のブログにも書かせていただきました。
 
皆様におかれましても是非、今一度、78年前にあった出来事を思い返していただけますようお願いいたします。

敦賀空襲から78年

ブログ 敦賀の歴史・文化 敦賀市議会

令和5年第3回(6月)敦賀市議会定例会が閉会。
 
最終日の昨日は、新たに提出された人事案件3件を含む全議案を可決し、22日間の日程を終えました。
 
私のほうは、文教厚生常任委員長として、所管した議案、請願について審査経過・結果を報告したことに加え、会派を代表して請願1件の討論を行ったため、結果、3度登壇の機会をいただきました。
 
委員長報告の際には、議員お二方との質疑の場面もありましたが、委員会での審査内容について、客観的に答弁できたかと思います。
 
また、採決にあたっての討論では、今回これまでにも増して活発な討論があり、これぞ「言論の府」と感じた次第。
 
我が会派も3人が全員討論に立ちましたが、今後もしっかり議論を戦わせ、より良い敦賀に進むよう尽力してまいります。
 
なお、閉会にあたって挨拶に立たれた米澤市長からあったのは、「議会での議論を踏まえ、スピード感を持って各事業を進めていきます。」との言葉。
 
次の9月定例会は、9月8日から10月11日まで34日間の会期で開催される予定ですが、自身も一層、建設的な意見提起をしていかねばと、気持ちを引き締めた次第です。
 

【閉会した本会議場。次に来るのは、敦賀まつりが終わった9月8日。】
 
さて、本日は7月12日。
 
「敦賀市史通史編(下)」には、このように記録されています。
 
敦賀の人びとのあいだには、「こんな小さな港町だから、やられぬだろう」「やられるにしても、北陸地方には金沢や高岡や福井がある。そのつぎだろう」というような気持ちがあった。
 
昭和20年7月12日
 
朝から絹糸のような雨が絶え間なくしとしとと降っていた。西北西の風が時折吹いていた。(中略)午後9時19分、福井県警戒警報が発令されたが、いつも敵機は若狭湾または敦賀湾に機雷を投下して、いずれかに去っていくのが常であった。当日もまた「また来たか」といった気持ちで市民は警備についた。やがて子供や老人が床についてまもない11時12分ごろ、東郷村方面に異様な音響が起こるとともに、パッと明るくなった。
 
これは、先の大戦において、日本海側で初めての空襲を敦賀が受けた日のことを記述したもの。
 
この空襲によって、敦賀は市街地の大半が焦土と化したほか、7月30日、8月8日にも続けて戦火に見舞われ、これら3回の空襲によって、225柱の尊い命が失われました。
 
なお、敦賀空襲を始め、戦争の記憶を風化させないよう、これからの世代に伝えるべく取り組んでおられるのが「敦賀市遺族次世代の会」。
 
平成29年に設立した「次世代の会」は、毎年7月12日に追悼法要を行うほか、先人たちの犠牲に立って今の私たちがあることを語り継ぐべく取り組まれており、その志と活動に心より敬意を表するところ。
 
なお、「次世代の会」の働き掛けもあって、敦賀市においては、本日午前10時に敦賀空襲追悼法要の意味を込め、市内にある屋外スピーカーを使用してサイレンを鳴らすこととしています。
 
戦没者戦災死没者の冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所等において、黙とうを捧げていただけますよう、市ホームページでも呼び掛けていますので、市民の皆様におかれましては、暫しお仕事の手を止め、78年前に敦賀であった史実に思いを馳せていただけますようお願いいたします。
 

【令和5年6月16日に米澤市長に表敬訪問された「敦賀市遺族次世代の会」の皆さん。その活動に敬意を表します。(Facebook「敦賀市長の活動日誌」より引用)】

「第42回 敦賀市総合美術展」が始まる

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青空と気温の高い日が続き、どこか梅雨を忘れてしまいそうなところ、皆様、有意義に週末をお過ごしになられたことと存じます。
 
私の方は、一昨日の原電労組定期大会からその日のうちに敦賀に戻り、昨日は9時30分より行われた「第42回 敦賀市総合美術展(以下、市美展)」の開場式に、文教厚生常任委員長として出席したところ。
 
常任委員長としての公務はこれが初めてでしたが、敦賀市長、議長、県議会議員お三方とともに列席し、ご盛会をお祝いした次第です。
 
この市美展にはほぼ毎年足を運んでいましたが、展を主管する実行委員会には、原電グループの大先輩や町内の方も名を連ねており、昨日も会場でお会いし、話しに花が咲いたところです。
 

【開場式でのテープカットの様子】
 
市美展は、芸術文化活動の高まりを促進する為に、文化交流の一環として、敦賀市、美浜町、若狭町の皆様にも愛され、ご支援いただいている公募型の展覧会であり、今では初夏を飾る文化芸術のイベントとして、多くのご支援をいただいているとのこと。
 
会場のプラザ萬象には、日本画・水墨画、絵画・造形・デザイン・版画、彫刻、工芸、書道、写真と7部門、選りすぐられた200点以上もの作品が展示されており、開場式後は、私もじっくりと堪能させていただきました。
 


【展示室の様子(上:大ホール、下:小ホール)】
 
もちろん素人ですので、評論する立場にはありませんが、部門を問わず、展示されている作品からはどれも、作者が魂を込めて描き、作られたことを感じるとともに、そこからは言葉では表し難い、いや、表す必要のない感動があるもの。
 
また、先の大先輩からは、ご自身の作品(水墨画)をご紹介いただきつつ、工芸では父と懇意にされている方から、さらには4月の選挙で街宣をしている際に熱烈にお声掛けていただいた方と再会し、同じく工芸の漆器についてご案内いただくなど、大変嬉しい時間を過ごしました。
 
とりわけ、その漆塗り漆器の方は、国宝級の方にご指導を仰ぎながら、丹念に作品に向き合っているとのことで、展示されていた漆器の製作にはなんと3年を要したとのお話しを聞き、驚いた次第です。
 

【父のグラウンド仲間が製作された作品(木に朱色の文字が彫られているもの)を前にご本人と記念撮影】

【国宝級の方からご指南をいただいている浅賀さんの作品。何とも言えぬ漆の輝きでした。】
 
こうしてお話しをお伺いしながら、すべての作品を鑑賞し終わった時には11時を過ぎていましたが、それだけ見応えのある作品揃いであり、私にとっては「芸術の梅雨」となった次第です。
 
実行委員会会長のご挨拶には、「文化芸術は、人々の心を癒し、勇気を与えたりする効果は大きいものがあると言われています。作品や作者とのふれあいを通じて、皆様の活力に生かされることを望んでいます。作品と共に楽しい時間を過ごしていただければ幸いと存じます。」とありました。
 
まさに仰られた通りのことを感じた展覧会は、6月25日(日)まで開催されています。
 
平日は9時から17時00分までの時間となりますが、皆様もぜひ、プラザ萬象まで足を運んでいただければ嬉しく思います。
 

【「念ずれバ花ひらく」。書道の題字からも元気をもらいました。】

杉原千畝さんがつないでくれた「4年ぶりの再会」

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東京八重洲にあった「杉原千畝 SEMPO Museum」。
 
「命のビザ」で有名な杉原千畝氏の人道と博愛に満ちたヒューマニズムを保存し、伝える場として2019年3月19日に開館したミュージアムですが、その後、八重洲の再開発により2021年9月に閉館したとあります。
 
私は、開館間もない2019年6月21日に出張の際に立ち寄り、人道を最優先し、勇気ある行動をとった千畝氏の生涯を展示やビデオで拝聴し、感銘を受けたところ。
 
その際、私の後にMuseumにいらした女性お二人とお話しすると、千畝氏が「命のビザ」を発給したリトアニア カウナスの「杉原記念館」で、一人旅同士のお二人が偶然出会ったことを切っ掛けにつながりを持たれ、この日も待ち合わせてMuseumを訪れたとのことでした。
 
私も、ユダヤ難民が辿り着いた港、敦賀の地から来たことを伝えるとすぐに意気投合し、今度は「人道の港」敦賀にお越しいただくこととなっていたところ。
 
その後は、コロナ禍やお互いの日程などにより、なかなか実現に至らなかった訳ですが、何と昨日、4年ぶりの再会を果たすことができました。
 
4月の上旬に、敦賀にお越しいただく日を調整し、この日を迎えましたが、お一方は兵庫県、もうお一方は東京都からと、それぞれ異なる方向からお越しいただいたことに感謝。
 
4年ぶりの再会を喜んだ後はすぐに意気投合し、私の車にて敦賀のご案内に出発しました。
 
まずは金ケ崎宮にて、歴史や市内を眺望いただき、緑地を歩きながら主目的の「人道の港敦賀ムゼウム」へ。
 
ムゼウムへは、事前にお二人と来館することをお伝えしてあったため、職員さんがガイドを務めていただき、気付けば約1時間半、大変丁寧に説明いただきました。
 
カウナス、SENPO Museum、そしてここ敦賀ムゼウムでは杉原千畝氏の功績に加え、様々な方の「命のバトン」より多くの命が救われたこと、さらにはユダヤ難民を受け入れる以前には、ポーランド孤児をこの港で受け入れたことを知り、お二人は大変感銘を受けておられました。
 
そして最後には、4年前にSENPO Museumの時と同じように、3人並んで記念撮影。
 
大変充実した時間であるとともに、改めて人道の尊さ、命の大切さを感じる機会となりました。
 

【杉原千畝氏が「命のビザ」を発給した机(イメージ)にて記念撮影】

【(参考)4年前にSENPO Museumで撮影した時の写真】
 
その後は、気比の松原、昼食を経て一路愛発に向かい、柳ヶ瀬トンネル(当時国内最長)や小刀根トンネル(日本人で作った現存する国内最古)など鉄道遺産を体感いただき、氣比神宮、神楽通りにて目的のお菓子購入(秘密のケンミンショーで情報を得ていたそう)、最後は駅前商店街でのお土産購入タイム、駅前広場ottaでは「ちえなみき」散策と、私なりの案内ルートでおもてなしした次第です。
 

【気比の松原にて、海の透明度に驚くお二人】
 
なお、ちえなみきに関しては、お一人がinstagramでフォローされていたとのことで、「ここなら土日ずっといられる」との感想を仰っていただき、率直に嬉しかったところ。
 
お帰りは16時過ぎの電車ということで時間がなく、私のお気に入りの場所「立体駐車場屋上」までは行けませんでしたが、「必ずまた敦賀に来たい」、「今度は新幹線で」などと互いに声を掛け合い、改札口でお別れした次第です。
 
こうして4年ぶりの再会は「あっという間」ながら、心満たされる時間であり、お二人が最初に出会ったのも、私がお二人に出会ったのも「杉原千畝」の存在があったからであり、つながりを作っていただいた千畝さんに心より感謝。
 
なお、私がSenpo Museumに行ったきっかけは、渕上隆信・前市長が行かれたSNSを拝見してのことでしたので、改めてご紹介いただいた渕上前市長にも感謝申し上げます。
 
ここ数日は「出会い」の大切さ、ありがたさをしみじみと感じるとともに、改めて認識するのは、ご案内するにも時間が足りないほど豊富な「宝」(食も絶賛いただきました)が敦賀にはあるということ。
 
古より、街道や港、そして鉄道へと、交通の要衝であることで生まれるのは「つながり」。
 
今回「人道の港」でつながった関係を大事に、また今後も末永く育んでいければと思います。
 

【出会いはカウナスから東京、そして敦賀へ】

敦賀の悠久の歴史をつなぐ「気比史学会」

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「過去に学び 未来に期待し 今を生きる」
 
昭和52(1977)年の設立以来、この言葉を会是とする敦賀の市民歴史団体「気比史学会」。
 
設立から45年を数えるこの「気比史学会」ですが、昨日は市立図書館3階会議室にて「第47回定期総会」を開催し、これまで理事を務めていた私は事務局長を拝命いたしました。
 
史学会との出会いを振り返ると、「歴史を生かしたまちづくり」の考えを持っていた私は、議員になったばかりの令和元年10月に同会の糀谷会長をお伺いし、会の生い立ちや取り組み内容、歴史に対する思いなどについてお話しを聞かせていただいたところから始まります。
 
※当時の様子をブログに留めてありましたので、詳しくは以下リンクよりご覧ください。
 →敦賀「気比史学会」に学ぶ(2019年10月24日ブログ)
 
そこにも記載したよう、45年の歴史を有する「気比史学会」は、「歴史の大衆化」や「楽しみながら地域史を学ぶ」との考えのもと、敦賀の歴史再発掘に向けた調査や研修の内容を学び合う「市民歴史講座」を35年以上継続するほか、出版活動、疋田舟川や向出山古墳などの文化財保護、北陸最古とされる深坂古道の整備復元など幅広い活動を展開してきた市民歴史団体であり、今では全国の市民歴史団体のなかでも稀有な存在となっているところ。
 
一方で、近年では切実な問題として、役員の高齢化や会員数の減少、これに伴う財政面の懸念など、会の存続に関わる課題が生じてきていたことから、2年前の総会では、「令和4年度末(2023年3月31日)をもって会の幕を閉じる」との方向性が確認されたところでしたが、一言で言えば「もったいない」、歴史を学ぶ団体が継承なく消滅してしまって良いのかとの思いのもと、「何とか継承の道筋を探らせてもらえないか」と懇願した私。
 
昨年の総会では、改めてそのことを申し上げたことに加え、自分自身も理事として会の運営に携わることで、一助を果たすべく取り組んでまいりました。
 
その後、約1年を掛け、継承に向けた組織体制、財政、活動内容の主に3点についてロードマップを示しつつ、役員会の中で検討を進めてきましたが、一番大きかったのは体制面。
 
同じく若手理事として名を連ねておられた方1名を始め、結果、私を入れて7名(30〜50代)の思いを共有するメンバーが揃ったことから、継承が現実のものとなり、昨日の総会では、これまでの検討経過、そして会を存続させることについて確認を得た次第です。
 
糀谷会長には、我々に過去の取り組みやご経験をご教授いただくなど、会の円滑な継承に寄するため、引き続きの会長職を担っていただく訳ですが、副会長以下は新たな役員体制のもと活動を進めることとなりました。
 
なお、役員改選の後、私から提案しました今年度事業計画(案)の冒頭に記載したのは以下の文章。
 
「これまで『地域史の再発掘と歴史を活かしたまちづくり』のため、45年に亘り取り組んできた市民歴史団体としての理念、活動を継承しつつ、ここ敦賀の豊富で悠久の歴史を楽しみながら次代へ継承するとの思いのもと、新たな発想も取り込みながら、以下の事業を実施することとしたい。」
 
地域史を学ぶことは、単に面白いということのみならず、学べば学ぶほど郷土への誇りや愛着が増すことから、こうした史実を今度は私たちが、そしてさらに次代へとつないでいくことは、敦賀の持続的発展のためにも極めて重要なことと考える次第です。
 
つまりは、気比史学会の会是「過去に学び、未来に期待し、今を生きる」はまさに、こうした意味合いを込めたものであるとともに、現代を生きる私たちに必要なのは、これまた糀谷会長が以前に会の機関紙の中で述べられた「歴史に学び、歴史をつくる志」の心意気。
 
こうした思いを込めながら、今期は第39期目となる市民歴史講座を始め、「ミニ歴史講座」の定期開催、次代を担う若者(小中高生)との連携事業などにも取り組む計画としています。
 
なお、市民歴史講座はどなたでも参加できますし、会の一般会員も広く募集しておりますので、関心のある方はぜひお気軽に参画いただければ嬉しく思います。
 
「歴史や組織をつなぐ」ことは重いことと、肌で感じるところではありますが、設立当初がそうであったよう、肩肘張らず、私自身は新たな役員の皆さんと思いを共有しながら、とにかく「楽しく」地域史を学んでいきたいと思います。
 

【昨日の定期総会の様子。長年に亘り、会を支えていただいた役員の皆様に心からの敬意と感謝を申し上げます。】

歴史あるものと新しきものとの融合こそ敦賀のポテンシャル      

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まるで台風かのような強い雨風でしたが、関係者の皆さんの思いが通じてか、次第に雨足は弱まり、時折、晴れ間が覗くまでの天気となった昨日。
 
“関係者の皆さん”とは、一昨日のこのブログで紹介した「遊行上人のお砂持ち神事」と駅前大通りを歩行者天国にしてのイベント「Tsuruga DEPART 2023」の主催者を始め、関係する方々のことですが、それ以外にも「何とか回復して」と雨が止むのを願っていたのは私だけではないでしょう。
 
こうして、双方の行事が始まる10時前には、霧雨程度となり、私はまず「お砂持ち神事」を見るために神楽通りへ。
 
勝手な想像で、神事に参加されるのは、時宗のお坊さんと氣比神宮の氏子さんくらいかと思っていましたが何のその。
 
キッズパークつるがの交差点から相生商店街の端のほうまで列を成すほど、大勢の方々が参加する規模に加え、大人のみならず、地元の子ども達まで衣装を身にまとい参加する姿をとても愛らしく感じた次第です。
 
厳かな雰囲気のなか、御一行は出発後、まさにこの「お砂持ち」でできた神楽通りを進み、氣比神宮表参道前のお砂場ではそれぞれ、“もっこ”に砂を乗せ、氣比神宮境内にてお砂まきされました。
 
大鳥居をくぐって右手に、お砂まきをする沼を再現した場所があるとは知りませんでしたが、一連の神事をこうして見ることができ、まさに700年の歴史を感じるひと時となりました。
 
また、見学される方も大変多く、地元はもとより、敦賀にとっても大切に継承せねばならない伝統行事であると、しみじみと感じた次第です。
 
なお、以下にいくつか写真を掲載しますので、少しでも神事の様子を感じていただければと。
 

【神楽通りを進む御一行様】

【お砂場にて、砂をもっこへ】

【氣比神宮の大鳥居をくぐり】

【境内内にてお砂まき。こんな場所があるとは知りませんでした。】
 
その後は、行事のはしごで駅前へ。
 
出遅れたと思っていた「NCCR 2023」がちょうど来場するところで、ランボルギーニを始め、続々と来場し、美しい走りを見せるスーパーカーに興奮しつつ、暫し堪能。
 
それにしても歩道橋のある信号から白銀交差点までの両サイドには老若男女、黒山の人だかりでスーパーカー人気の凄さを感じたところです。
 

【駅を背に白銀交差点側を見る】
 
さらに先の交差点までのエリアまでが歩行者天国となっており、多くのキッチンカーが並ぶほか、ステージではキッズダンスやご当地アイドルのミニライブ、アーケード下では西野カインさんのライブペインティング、地元や企業のブースなど、こちらも多くの人で賑わっていました。
 

【ライブで描く西野カインさん】

【一昨日磨いたモニュメントもキッチンカーエリアで存在感あり】
 
なお、主催する敦賀駅前商店街振興組合の理事長さん始め、会場で出会った多くの方とお話ししましたが、皆さん笑顔(理事長は超大変そうでしたが)。
 
やはり玄関口の駅前に賑わいがあることを皆が喜んでいるように感じました。
 
そして、来訪者の皆さんが書き込んでくれたウェルカムボードのデザインはもちろん北陸新幹線。
 
開業を約10ヶ月後に控え、こうして地元の方が自ら機運を高めるべく取り組む姿を心強く感じるととともに、しっかりと後押しして行かねばと思いを強めた次第です。
 

【北陸新幹線が描かれたウェルカムボード。イベント後は市役所に飾られるそう。】
 
最後に、700年の歴史と新幹線開業の息吹という、時間軸の異なる両面を体感した一日を終え思ったのはやはり、敦賀の大いなるポテンシャルは歴史あるものと新しきものとの「融合」にありということ。
 
「過去に学び 未来を創造し 今を生きる」
 
そんな言葉を胸に込めながら、「歴史と文化のまち敦賀」、「鉄道と港のまち敦賀」のコンセプトを追求していくことの先にまた、敦賀のさらなる発展が見えた次第です。

明日は「歴史と文化」「鉄道と港のまち」敦賀を表す“ふたつの行事”が開催されます

ブログ 北陸新幹線 敦賀の歴史・文化

「月清し遊行のもてる砂の上」
 
これは元禄2(1689)年、奥の細道紀行で敦賀を訪れた松尾芭蕉が詠んだ句ですが、思いを馳せた由来である「お砂持ち」は浄土門 時宗 光明寺のホームページでは次の通り紹介されています。
 
正安3年(1301年)に、時宗2代目遊行上人他阿真教が諸国巡錫の砌、敦賀に滞在中、氣比社(氣比神宮)の西門前の参道、その周辺が沼地(この時代には氣比神宮あたりまで入江であった。)となって参拝者が難儀しているのを知り、浜から砂を運んで道を造ろうと上人自らが先頭に立ち、神官、僧侶、多くの信者等とともに改修にあたられたという故事に因み、「遊行上人のお砂持ち神事」として今日まで時宗の大本山遊行寺(藤沢市の清浄光寺)管長が交代した時にこの行事が行われている
 
 →浄土門 時宗 光明寺のホームページはこちら
 
また、敦賀市史(通史編)では、当時のことを「正安3年〜4年。気比社の西門と西方寺の間の参道やその付近の道路は洪水のため沼となり、大きな亀が住みついて参詣の船を悩まし、通行人に難儀を与えるほどになっていたので、信者とともに海岸から土砂を運んで道路の改修を始めた。日ならずして完成したが、これが三丁縄手であり、今の大鳥居前の「神楽通り」であるという。」と記載されています。
 
つまりは、「遊行上人のお砂持ち」によって出来た通りこそ今の「神楽通り」であり、つまりは、700年以上も前にあったエピソードが芭蕉の句とともに引き継がれていることに歴史の重みを感じる次第です。
 
そしてこの「お砂持ち神事」が何と18年ぶりに、時宗・時宗総本山清浄光寺(遊行寺)の主催によって執り行われます。
 
「遊行上人お砂持ち」の日程は以下の通りとなっていますので、ぜひ足を運んでいただき、敦賀の悠久の歴史を感じていただければと思います。
 
<工程>
10:00 西方寺跡出発(現在のキッズパークつるが周辺)
10:30 お砂場到着(氣比神宮表参道前)
10:45 お砂場出発
11:00 氣比神宮到着。お砂まき・御賦算
 


 
また、明日はもうひとつ、北陸新幹線敦賀開業1年前記念として、駅前大通りを歩行者天国にしたイベント「Tsuruga DEPART 2023」が開催されます。
 
主催する敦賀駅前商店街振興組合ホームページの同イベント紹介ページには、こうあります。
 
それは敦賀から旅が始まることを願うイベント​
100年前に東京発欧亜国際連絡列車の終着駅だった敦賀
敦賀から万感の思いをのせて、欧州へと旅立っていった
そして2024年春
北陸新幹線開業 再び東京からの終着駅となる敦賀
つるが、発見!
敦賀から新たな旅への出発点となるよう願いを込めて
 
詳細は、以下の写真或いは同組合ホームページをご覧いただければと思いますが、明日10:00〜16:00に掛けて駅前通りにて開催されますので、こちらもぜひ足を運んでいただければと思います。
※個人的には、「NCCR 2023」で来場するスーパーカーに今から興奮しています。
 
 →敦賀駅前商店街振興組合ホームページはこちら
 


 
こうして同日に開催される二つの行事を並べてみると、方や700年以上前の催しを脈々と継承し、方や新たな時代への思いを込めてと、コンセプトは違えど、「歴史と文化のまち敦賀」、「鉄道と港のまち敦賀」をまさに表すかのものとなっています。
 
時間がやや重複しているのですが、私はまず“18年ぶり”の「お砂持ち」、その後駅前へと足を運びたいと思います。

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