思いを込める「参院選」と思いを馳せる「敦賀空襲」

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どうしても参院選の話題となってしまいますがご容赦を。
 
選挙戦2日目を迎えた昨日。
 
福井選挙区に立候補した国民民主党公認「山中しゅんすけ」候補は、嶺南地域を街宣。
 
私はこの日、先導車の運転手役ということで、早朝ウグイスさん二人を乗せ、一旦小浜市へ。
 
候補者本人と合流した後、福井県の西端、高浜町より街宣をスタートし、順次、敦賀方面に選挙カーを走らせました。
 
なお、高浜町では、国民民主党福井県連の所属議員であり、地元の小幡憲仁 高浜町議会議員にご案内いただいたところ、和田・高浜地区では多くの方と握手を交わすことができました。
 

【支援者と握手を交わす山中しゅんすけ候補】
 
また、昨日のブログでも告知いたしました、国民民主党 古川元久代表代行を応援弁士に招いての敦賀市内街宣においては、アルプラザ敦賀前、ホームセンターヤスサキ前、最後は敦賀駅西口「otta」芝生広場にて、耳を傾けていただいた皆様、誠にありがとうございました。
 

【敦賀駅西口「otta」芝生広場での演説会の様子(右から二人目が古川代表代行)】
 
残り15日間、「山中しゅんすけ」とともに、全力でお訴えしてまいりますのでご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
 
なお、福井放送(FBC)では、福井県選挙区に立候補した「7名」の立候補者ごとに、出陣式で述べた第一声をまとめたページが掲載されていました。
 
候補者あるいは政策を比較する上において、大変分かりやすいと思いますので、ぜひご覧いただきたく存じます。
 
 →FBC「参議院議員選挙 福井選挙区 候補者プロフィール」はこちら
 
さて、本日は選挙活動を置き、10時30分からは公務として、敦賀市主催の「戦没者戦災死没者追悼式」に参列した後、13時30分からは、自身が事務局を務める、気比史学会主催の第41期「敦賀市民歴史講座」第1講の運営にあたります。
 
いずれもどなたでも参列、参加いただけるとともに、場所も、追悼式はプラザ萬象大ホール、市民歴史講座はお隣の小ホールとなっております。
 
とりわけ、敦賀市民歴史講座に関しては、年間テーマのひとつ、日本海側で最初の「敦賀空襲」と太平洋戦争終結80年に因む『戦後80年』シリーズの第1講。
 
タイトルは『敦賀空襲を伝え つなぐ』。
 
時空を超えて、空襲の実相と戦後の歩みを記憶・継承することに努め、内外ともに重要な局面にある今こそ、改めて平和の意義と人間の尊厳を希求する機会にしたいとの思いで開催するものであり、一人でも多くの市民の皆様にご参加いただければ幸いに存じます。
 

【(再掲)『戦後80年』シリーズ全3講のご案内です。】

7月5日は「敦賀空襲」の実相を記憶、継承する日

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「このタイミングで?」と、思わずつぶやいてしまったのは、参院選福井選挙区(改選数1)に向けた動向。
 
政治団体「NHK党」は昨日、7月3日公示の参院選福井選挙区に公認候補を擁立すると発表しました。
 
2日に福井県内で出馬会見する予定とあり、これで福井選挙区の立候補予定者は計7人。
 
いずれも出馬すれば、過去最多の立候補者数だった2022年の前回参院選の6人を上回る見通しとなり、一層の激戦は必至のところ。
 
「さらに野党分裂でもったいない」との声も聞かれますが、大極的に民主主義の観点から言えば、県内有権者の皆さんにとって政策選択の「選択肢」が増えること、ご自身の考えに適した投票の「受け皿」が多くあることは望ましいことであり、国民民主党としては堂々と政策を訴え、戦いに臨む所存です。
 
さて、本日は話題を変え、「敦賀空襲」に関する話題をお知らせいたします。
 
ちょうど敦賀市のホームページに『敦賀市戦没者戦災死没者への黙とうのお願いについて』のタイトルで、7月12日(土)午前10時にサイレンを鳴らすので、黙とうを捧げていただくことをお願いする呼びかけがされていましたが、先の大戦末期、昭和20年7月12日は敦賀市が大空襲に見舞われた日です。
 
12日は、市内にある屋外スピーカー(防災情報伝達システム)を使用してサイレンを鳴らし、戦没者戦災死没者の冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、ご家庭や事業所等において、黙とうを捧げるというものであり、敦賀市民の皆様におかれましてはその趣旨に則り、ご協力いいただければと存じます。
 
また、敦賀市ではこれに先立ち、7月5日(土)10時30分より、プラザ萬象 大ホールにて「戦没者戦災死没者追悼式」を執り行うこととしており、市民どなたでも参列可能の追悼式にお越しいただければと思うところです。
 
さらに、まったく偶然のタイミングでありますが、追悼式の後、13時30分からはお隣の小ホールにて、気比史学会主催の第41期「敦賀市民歴史講座」第1講を開催いたします。
 
昭和60(1985)年に開講以来、体系的な年間テーマのもとに、歴史を学ぶ楽しさを市民と共有しながら、連年開催されてきた「敦賀市民歴史講座」に関しては、今期(第41期)、二つのシリーズテーマ(各3講づつ)による全6講を企画。
 
一つは、日本海側で最初の“敦賀空襲”と、“太平洋戦争”終結80年に因む『戦後80年」シリーズ。
 
いま一つは、近世・近代における敦賀のまち形成の礎を築いたとされる最後の敦賀城主・大谷吉継にまつわる『大谷吉継生誕460年』シリーズとなっています。
 
このうち、「敦賀空襲」に関しては、日本海側で最初の空襲であり、敦賀の歴史上、未曾有の惨禍であったことは言うまでもなく、アジア・太平洋戦争終結から80年。
 
国民の大半が戦争を知らない世代となって久しいところ、過去と現在、未来は地続きであり、検証を怠れば同じ惨禍が繰り返される。
 
時空を超えて、空襲の実相と戦後の歩みを記憶・継承することに努め、内外ともに重要な局面にある今こそ、改めて平和の意義と人間の尊厳を希求する機会にしたいとの思いで開催するものです。
 
追悼式と同様、こちらも広く一般に開かれた市民のための座学ですので、お気軽に多くのご来聴をお待ちしています。
 
なお参考まで、今期「敦賀市民歴史講座」の年間スケジュールと『戦後80年』シリーズ(全3講)の内容をご紹介いたしますので、ご覧いただければ幸いです。
 
※『大谷吉継生誕460年」(全3講)については、別の機会にご紹介いたします。
 

『続・太平記と敦賀』〜知られざる武将⁉︎瓜生保〜

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共同通信のまとめによれば、夏の第27回参議院議員通常選挙に向け、立候補を予定しているのは、選挙区と比例代表で計343人(17日現在)とのこと。
 
ここ福井選挙区では、国民民主党が「山中しゅんすけ」氏、比例代表では電力総連が組織内参議院議員である「浜野よしふみ」氏を、それぞれ公認、推薦決定し準備を進めるところですが、参院選の結果は石破首相の進退や連立の枠組み変更につながる可能性があることから、極めて重要なものとなっています。
 
なお、非改選議席を含めた過半数は“125議席”。
 
このラインを与野党のどちらが占めるかが、日本の将来を左右すると考え、私自身も精一杯取り組んでまいる所存です。
 
さて、そうした中、昨日午前中はプライベートながら、私にとっては大事な「地域史を学ぶ」時間。
 
より広く、敦賀の地域史を知っていただこうと、気比史学会で開催している「ミニ歴史講座」の運営・参加をしてまいりました。
 
場所は、オープンスペースとなる敦賀駅前の知育・啓発施設「ちえなみき」の2階にて、今回の参加は私含めて6名ではありましたが、開催趣旨にあるよう、楽しく学ぶことができました。
 

【ちえなみき2階 セミナー&スタディでの講座の様子】
 
講座のタイトルは『続・太平記と敦賀』〜知られざる武将⁉︎瓜生保〜。
 
前回に引き続き、史学会理事の方が丁寧に『太平記』や文献を調査された上、途中クイズなども交えながら、分かりやすい資料作成とお話をいただいたことにまず感謝申し上げるところです。
 
4月の講座では、太平記の舞台となる「南北朝時代」とは、京都の朝廷(北朝)と大和国吉野の朝廷(南朝)の二つの朝廷が並立した時代であり、期間は、後醍醐天皇が吉野に遷幸した延元元(1336)年~明徳の和約がされた明徳3(1392)年までを言うこととの説明からはじまり、建武3(1336)年10月13日に新田勢が敦賀に到着して以降、激戦が繰り広げられた「金ケ崎合戦」について学んだところ。
 
なお、前回の講座のあらすじは、以下リンクよりご覧ください。
 
→2025年4月20日ブログ『太平記と敦賀〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』はこちら
 
昨日、登場した「瓜生保」は杣山城主(今の南越前町)。
 
足利一門の斯波高経が守護を勤め、ほとんどの地侍が足利方に味方する中、ほぼ唯一南朝方についた人物として、「南朝の雄」と称される武将。
 
そもそも「瓜生氏とは?」からはじまり、新田方の戦略、なぜ瓜生一族が南朝につき活躍したのか、たった十六騎の軍勢が金ヶ崎城で大勝利をおさめたことなど。
 
湯尾峠の戦い (湯尾夜戦)や新善光寺城(越前国府近く)の戦いを経て、満を持して金ヶ崎へ出陣するも、※樫曲(敦賀市)付近で足利方の今川頼貞・高師泰2万余の軍勢に遭遇し、瓜生保をはじめ、討死した者50人余り、戦傷を負ったもの500人余りとなり敗北するまでを、史実に沿ってお話しいただきました。
 
※地元では、この合戦の折りに地元民が瓜生方に加勢し、樫の木を振り回して奮戦し、樫の木が曲がったことが「樫曲」という地名の由来になったと言い伝えられている。
 
また、話は合戦までに留まらず、後日談として、瓜生一族のその後として、瓜生寅(1842~1913)が、この日の参考文献「瓜生判官事跡」を執筆したこと、そして樫曲に瓜生保の墓を建立し顕彰に尽力されたことを知ることができたところです。
 

【最後のスライドにあった、瓜生保のお墓(敦賀市樫曲)】
 
参加者からの、自分の親世代は、敦賀市内の学校で「瓜生保」が紹介され、皆が知る”スーパースター”であったことを知ったほか、お墓の話でも盛り上がったところであり、こうした会話から、地域史やこれにまつわる人物を深掘りすることがまた、「ミニ歴史講座」の楽しさと感じた次第。
 
恥ずかしながら、今回の講座で深く知った武将「瓜生保」。
 
近いうちに、今でも樫曲の地元の方が大切にするお墓に足を運び、参ってきたいと思います。
 

【ちえなみきの照明は新緑のグリーン。「知の拠点」としてスクスクと成長しています。】

『太平記と敦賀 〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』

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上着を脱ぎ捨て、結局、Tシャツ1枚で過ごした昨日。
 
季節を間違えたかと思うほど暑い一日となりましたが、敦賀の最高気温は28.6℃(15時41分)であったとのこと。
 
一方、本日は、春の最後の二十四節気「穀雨」。
 
晩春にあたる時季で、穀雨とは「春雨が降って百穀(ひゃっこく)を潤す」の意。
 
天気予報を見るに、この先の雨マークは少ないものの、この時季に降る雨はさまざまな穀物を育ててくれる「恵みの雨」として感謝したいと思います。
 
さて、昨日午前中は駅前の知育・啓発施設「ちえなみき」へ。
 
気比史学会が主催する「ミニ歴史講座」を10時30分より開催しました。
 
世代を問わず、より多くの市民の皆さんに敦賀の地域史を知っていただこうと、オープンスペースで始めたこの講座。
 
2月、3月は僭越ながら私から『平安時代の敦賀』を紹介いたしましたが、今月からは講師と時代を移し、昨日は当会役員の方から『太平記と敦賀』についてお話しいただきました。
 

【昨日の参加者は、私を入れて7名。前回に続き、京都から敦賀の歴史ファンにお越しいただきました。】
 
サブタイトルは『〜南朝の悲哀・金ヶ崎戦記〜』。
 
資料をもとに内容をご紹介いたしますと、まず「南北朝時代」とは、京都の朝廷(北朝)と大和国吉野の朝廷(南朝)の二つの朝廷が並立した時代であり、期間は、後醍醐天皇が吉野に遷幸した延元元(1336)年~明徳の和約がされた明徳3(1392)年までを言います。
 
なお、当会の糀谷好晃会長の著書「敦賀の歴史探訪」では、この時代を“上は大いなる統治の理想から、下は一反の土地の争奪まで、激しくぶつかり合った時期”と称するほど、激動騒乱の時代であったことが伺えます。
 
「金ケ崎合戦」に至る流れに関しては、複雑な背景があり、まず元弘3(1333)年の鎌倉幕府の滅亡により、後醍醐天皇による「建武の新政」がはじまったものの、建武2(1335)年には、北条時行が率いる北条氏の残党による大規模な反乱「中先代の乱」が勃発。
 
これに足利尊氏が出陣し、北条の残党を20日余りで壊滅したものの、この出兵は天皇の許可を得ていなかったことから、尊氏が朝敵に。
 
尊氏は絶望し(帝に背いたつもりは全くないため)、出家して寺に引きこもるも、世間の足利氏への期待は爆上がり。
 
その後、後醍醐天皇方対足利方の攻防が続き、楠木正成と戦った湊川の戦いに尊氏が勝利。
 
この敗北により、天皇方は窮地に陥り、後醍醐天皇方は比叡山へ逃亡。
 
後醍醐天皇は、新田義貞に対し、越前に向かって北国を平定し、大軍を起こして天下を支えよ、天子の位も皇太子(恒良親王)に譲るから連れて行けとの勅命を下す。
 
※新田が越前に向かってすぐに、帝は都に還幸していることから、新田が和睦の邪魔だったので、体よく越前に追い払ったのではないかとの説あり。
 
一方、新田勢は、建武3(1336)年10月13日に敦賀に到着。
 
その軍勢を、大宮司・気比弥三郎氏治以下300余騎が歓迎し、旗掲松に「気比大明神」の神旗を掲げたと伝わる(現在の旗掲松は二代目)。
 
ここから「金ケ崎合戦」となり、越前守護・斯波高経(足利方)が率いる2~3万騎に包囲されるも、脇屋義助(新田方)の奇策に城方が呼応し、奇襲が成功(新田方が勝利)。
 
これに激怒した尊氏は、諸国の軍勢をかき集め、都合4万余騎の攻城軍を再編成し、金ヶ崎を攻め(といっても長期戦を見据えた兵糧攻め)、陸地に加え、海上封鎖も行ったことから、城内は飢餓状態に陥り限界に。
 
金ヶ崎城は落城し、『太平記』によれば、飢餓状態は屍の肉を喰らうまでであり、最後は弓を引くことも、太刀を握ることも出来ないまで衰弱していたとのリアルな情景が記録されていました。
 
なお、落城の際、いわば「金ケ崎合戦の名場面」として紹介されたのが、次のスライド。
 

 
忠義を尽くす新田義顕と、部下を思う尊良親王の最後が描かれていました。
 
なお、その頃、後醍醐天皇は花山院(比叡山)を脱出して、大和国の吉野に逃れ、吉野を御所とすることを宣言。
 
皇位は金ケ崎にいる恒良親王に譲ったはずが、有耶無耶となり、京都の「光明天皇」と吉野の「後醍醐天皇」の二帝が並立する異常事態になったことも補足しておきます。
 
また、金ケ崎城籠城中の延元年(1336年)11月12日に書かれた「白河文書」によれば、恒良親王が天皇であったことは否定ができないことから、「幻の北陸朝」があったとも。
 

 
そして結びには、金ケ崎合戦からちょうど600年後の1936年につくられた「敦賀大行進曲」にある「〜昔思えば 涙がほろり」の意味は、先の金ケ崎城落城、義顕と尊良親王の姿を思い出してかと、歌詞に込められた意味合いに思いを馳せた次第です。
 

 
講師を務めた役員さんは、すべて『太平記』の原文にある内容をもとにスライドを作成され、途中、原文もご紹介いただいたことにより、大変理解が進むとともに、この時代の、いわゆる「裏事情」まで知ることができた次第です。
 
丹精込めて準備いただいたことに、心から感謝いたします。
 
最後にひとこと。
 
「敦賀の歴史はやっぱり面白い!」
 
次回の「ミニ歴史講座」は、5月18日(日)10時30分から開催しますので、関心のある方はもとより、ちょっと聞いてみようという方も大歓迎ですので、奮って参加いただければ幸いです。

恋の宮「金崎宮」の「花換まつり」はじまる

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福井県では毎日のように新聞に記事掲載されている、北陸新幹線敦賀以西の延伸を巡る件について。
 
今度は石川県の馳浩知事が28日の記者会見で、京都府の自治体が負担する建設費の軽減策を批判。
 
自民党の国会議員が提唱していると説明した上で「石川も負担した。京都だけおまけしろというのは子供の言い訳みたいなもので、絶対に通用しない」とくぎを刺した格好に。
 
また、国土交通省などが25日、京都府内の自治体を対象に、工事による地下水への影響などの不安を除くための説明会を実施した点に対して馳氏は、「今ごろ開催されたこと自体が時機を失している。この作業をいつまで続けるのか」と疑問を呈したとありました。
 
お立場上、石川県議会などから挙がる「米原ルート」の声も念頭においた発言と認識するところですが、「小浜ー京都ルート」の着工に欠かせない、京都の皆さんのご理解に向け、今後も丁寧な説明を続けていただくことをお願いする次第です。
 
さて、こうして新幹線延伸に関しては「桜咲く」と、悲願の着工決定を待ち遠しく思うところですが、こちらはいよいよの「桜の開花」。
 
昨日、近所のグラウンドに桜の様子を見に行くと、つぼみから一部ピンク色が。
 

【近所にある桜の木。野坂山をバックに咲く姿まであと少し。】
 
最近は、夏日の暑さになったかと思えば、寒の戻りで冷え込んだりと、どうしようか迷ってるかの桜を気の毒に思うところでしたが3月も明日で終わり。
 
春の主役の登場を今かと待つところです。
 
なお、桜の名所がいくつもある敦賀ですが、最も有名なのは「金崎宮」。
 
金崎宮は「恋の宮」とも呼ばれ、これを体現する「花換まつり」が28日からはじまっています。
 
「花替まつり」を特集する港都つるが観光協会のホームページを拝見すると、
 
 『恋ごころ小枝に託して永遠の幸せを』
 
 『明治に芽吹き、大正に花開く 今、あなたの恋物語が花開く』
 
と、何ともロマンチックなキャッチフレーズがならぶとともに、次のように説明されていました。
 
花換祭は良縁祈願の祭として明治40年代から始まったと伝わっております。その始まりから数年後の大正初めには今の祭の形が出来上がったと言われております。百有余年の歴史の中で様々な縁を結んできた花換祭は、今年も皆様それぞれの恋物語が花開くことを応援いたします・・・。また現在では「花換まつり」として良縁祈願だけでなく、心眼成就のお祭りとして毎年、金崎宮は桜で染まる4月に開催されるようになりました。
 


【「花換まつり」の案内チラシ】
 
詳しくは、以下の港都つるが観光協会の特集ページをご覧ください。
 
 →「花替まつり」特集ページはこちら
 
今年の「花換まつり」は4月10日まで。
 
桜の開花まであと少しではありますが、今日を含め、週末は各イベントが開催されるほか、夜はライトアップもされますので、ぜひ足を運んでいただければ幸いです。

いまに残る北陸最古の史と詩の径『深坂古道』

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晴天に恵まれ、最高気温も19℃までとなった昨日。
 
気比史学会「ミニ歴史講座」のため、10時前に「ちえなみき」に向かうと既に、正面玄関前には4、5人のお客さんが開店待ち。
 
オープンと同時に入店される(私もその一人ですが)ほどの人気ぶりを嬉しく感じた次第です。
 
早速、受付でお断りし、2階のセミナー&スタディに向かうと、「ちえなみき」さん側にて当日のイベント情報を掲示してくれてあり、きめ細かな対応をありがたく思ったところ。。
 

【セミナー&スタディにセットされたイベント掲示】
 
パソコン接続など準備を済ませ、10時30分からの講座にお集まりいただいたのは、私を含め5名。
 
先月は愛知県の女性に参加いただきましたが、今回は京都から男性にお越しいただき、SNS(X)を通じてのご縁に話が盛り上がったところです。
 
講座のテーマは、先月に続き『平安時代の敦賀』の後編として、今回は、いまに残る北陸最古の史と詩の径(みち)「深坂古道」を中心にお話ししました。
 
メインスピーカーは今回も私ということで、気比史学会の過去資料等をもとに作成したパワーポイントにて順次説明いたしました。
 
概要をスライドと合わせご紹介いたしますと、長徳2(996)年 紫式部が越前国府に任じられた父・藤原為時と現越前市へ向かう際に越えたとされる「深坂古道」の初見は『万葉集』。
 
中臣宅守(なかとみのやかもり)が「み越路の手向けにたちて」、笠金村(かさのかなむら)が「塩津山打ち越え行けば 我が乗れる馬ぞつまづく 家恋ふらしも」と詠んだこと。
 
敦賀と琵琶湖北岸を結ぶ最短経路であった深坂越え(深坂古道)は、北陸五カ国の穀物輸送の重要な官道として『延喜式』にも定められ、この間の公定駄賃を一駄につき米一斗六升(約24Kg)と規定していたこと。
 

【琵琶湖北岸の塩津と敦賀の追分を結ぶ「深坂越え」は最短ルート。西側には海津から愛発山を越えるルートもあり。】
 
また、紫式部が深坂古道を越える際に詠んだ歌と解説は以下のスライドのとおり。
 

 
さすが式部さん。
 
ひとつの歌に3つも掛けたことや、それぞれの意味合いについて、参加者の皆さんが思いを述べ合い、盛り上がったところです。
 
「深坂古道」は近世初期には、新道野越の開発により衰微。
 
ここで気比史学会では、いにしえのみちを「史と詩の径」として後世に伝えていこうと衆議一決し、会員はもとより、市民にも広く呼びかけて「深坂古道ある講」が昭和57(1982)年5月9日を皮切りに始められたこと。
 
その後、平成4(1992)年には、敦賀みなとライオンズクラブによる整備が行われ、「史と詩の径」として再生。
 
同年10月23日の当時の高木孝一・敦賀市長も出席され、盛大に整備完成式が開催されるとともに、気比史学会ではパンプレットを作成し、広く市民に配布したこと、「深坂古道ある講」には毎回、多くの方が参加されたことなどを、当時の新聞記事なども参考にご紹介。
 



【気比史学会作成のパンフレット。京都の方からは、「ぜひ京都駅に置いて欲しい」との要望あり。】
 
最後は、私の思いものせて以下のスライドのようにまとめた次第です。
 

 
その後は、同じ平安時代のトピックとして、古代の北陸道や芋粥、安倍晴明と晴明神社をご紹介し講座を閉じましたが、皆さんと和気あいあいお話しするなかで、新たな知見もあり、地域史を楽しく学ぶとはこういうことと、改めて認識した次第です。
 
なお、「深坂古道ある講」は気比史学会として早々に復活させたいと思いますので、その際はぜひ皆様もご参加いただければ幸いです。
 
後片付けを終え、階段を降りると「ちえなみき」の配色は白からピンクに。
 
いよいよ季節は春ですね。
 

国登録無形文化財登録はゴールではなくスタート 〜「再発見!敦賀のおぼろ昆布」ミニシンポジウム〜

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空気はまだ冷たいものの、比較的天気に恵まれているこの週末。
 
昨日は、以前のブログでもご紹介した、北陸三県で初開催となる「Out of KidZania in つるが2024」(アウトオブキッザニア)が敦賀市総合運動公園などで開催され、その様子がテレビの特集番組やニュースで取り上げられていました。
 
キッザニアは、こども達が 好きな仕事にチャレンジ し、楽しみながら社会の仕組みを学べる「こどもが主役の街」のことで、その言葉のとおり、敦賀にある様々なジャンルの仕事を子ども達(保護者の方も)に楽しく知ってもらおうと企画されたもの。
 
将来、敦賀に定着をという狙いがある訳ですが、本日も開催されるこのイベントで、何をおいても楽しく体験いただければと思うところです。
 
イベントの詳細は、以下のブログ(再掲)よりご覧ください。
 
→2024年2月24日ブログ『「Out of KidZania in つるが2024」参加者募集中!』はこちら
 
また、こちらも以前のブログにて、「悠久の歴史と文化を有する敦賀にとって大変嬉しいニュース」と書きました「敦賀のおぼろ昆布製造技術」が国登録無形民俗文化財に登録されることが決定したことについて。
 
 →2024年1月26日ブログ『祝!「敦賀のおぼろ昆布製造技術」が国登録無形文化財に登録』はこちら
 
本年1月24日(金)に国の文化審議会が開催され、同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、登録無形民俗文化財の登録について、文部科学大臣に答申された(福井県では初めての無形民俗文化財登録)訳ですが、昨日は、「登録決定記念イベント 再発見!敦賀のおぼろ昆布」と題したミニシンポジウムが敦賀市立図書館で開催され、参加してまいりました。
 

 
開催チラシにあった内容は以下。
 
◉基調講演 「食文化の保護継承と無形民俗文化財について」 文化庁 大石 和男 文化財調査官(食文化部門)
◉成果報告 「敦賀のおぼろ昆布製造技術の調査成果と今後の展望」 龍谷大学政策学部 石倉 研 准教授
◉学生発表 「おぼろ昆布産業の現状と展望」 龍谷大学政策学部石倉ゼミ
◉座談会   上記の大石氏、石倉氏、福井県昆布商工業協同組合 森田 貴之 理事長、敦賀市教育委員会事務局文化振興課 奥村香子係長による
 
大石調査官からは、文化財の体系や文化庁からの視点、石倉准教授ならびに龍谷大学の学生さんからは、調査研究を踏まえての現状と展望について、それぞれ興味深い内容を拝聴した次第です。
 

【ミニシンポジウムの様子(市立図書館3階 研修室にて)】
 
加えて、大変貴重な視点やご示唆をいただいたのが「座談会」。
 
石倉准教授がファシリテーターをお務めになり、上記3名をパネラーとして行われましたが、文化庁、昆布業界、文化行政のお立場それぞれから「おぼろ昆布」の価値あるいは今後について、次のようなお話がありましたのでご紹介いたします。
 
<国登録無形文化財に登録を受けて>
(奥村)日本遺産登録あたりから取り組んでいるが、今回の文化財登録はゴールではなくスタート。文化財登録されたことを契機に知っていただくことで、「おぼろ昆布」の良さが深まっていくこともあり。産業に従事されている方のお手伝い、業界や市民の皆さんにとっても良くなるよう取り組んでいきたい。
(大石)文化財予算は少なく、年間1千億程度。文化庁としては、背中を押すくらいの感覚。文化財は、地域のアイデンティティと結びついているため、地域の民さんで後押しして欲しい。新幹線効果によって、他の地域に呼び掛けていこうという視点が大事
(森田)敦賀といえば「おぼろ昆布」と言われるよう取り組んでいきたい。
 
<今後のこと>
(森田)職人として選択されにくい職種という現実はある。お店では、職人の手すきを実際に観光客の方に見てもらうことに加え、体験もしてもらっているが、そういう取組みを通じ、職人に接客いただくことで、作り手のストーリーも含めて「おぼろ昆布」を買ってもらう。付加価値をつける一助になればと。
(奥村)なぜ登録を目指すのか。誰が見ても分かる価値、肩書きを手に入れるということではないか。これからストーリーを広げていくのが行政の役割であり、市役所の組織体制が今後「文化交流部」として市長部局に移る(予定)ことを考えると、仕事上もマッチしてくる。皆さんに楽しんでもらうことで、滞在してもらうための動機づけになればと思う。
(大石)「バッテラ」は、おぼろ昆布を作らないと出来ない。つまりは、おぼろ昆布を残すということは、バッテラも残るということで貴重。ほとんどが機械製造という中で、おぼろ昆布は手作業でしか作れないレアなもの。クラフトとしての価値がある。なお、おぼろ昆布を食べる場所があまり無く、もったいない。おぼろ尽くしの料理など、ぜひお店を開拓していただきたい。
(奥村)行政的に気をつける点としては、おぼろ昆布は、生業(なりわい)にして生活している産業であるということ。そういう意味でも、業界の方と話をさせていただきながら、良い方向に持っていきたい。
(大石)文化庁でも「100年風土サミット」でネットワーク、知恵を広げていきたい。郷土料理はブームでもある。
(奥村)敦賀の港が、物資輸送の重要な中継点であったことを表すのが「昆布」だった。今後は、食べて広めるという視点も大事にしたい。
 
私のメモをもとに記載したため、表現が少し異なっている点があればご容赦いただきたいと存じますが、私にとって大変有意義な、そして今後の展開として「鍵」となるようなワードや視点をいただくことが出来ました。
 
なお、調査から報告書まで作り上げた奥村学芸員の存在自体を心強く感じたのは、私だけではないと思いますが、仰るよう、生業や産業であることを大事にしながら、世界に誇る「食文化ストーリー」を広め、磨き上げることに引き続きご尽力いただけますようお願いする次第です。
 
「みなとまち敦賀」と「おぼろ昆布」。
 
敦賀市民の一人として、その歴史と関係性を改めて認識する機会をいただいたことに感謝申し上げます。
 
(投稿後追記)
私も毎朝、熱々ご飯に「おぼろ昆布」を乗せて食べています(参加されていた方には意味が分かるかと)。
 

【会場後方に展示されていた「おぼろ昆布」のパネル。今後、市内各所でも展示されてはと。】

一日を振り返り、思うは郷土と祖国

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穏やかな晴天に恵まれた昨日は、ブログに書いた予定のとおり、敦賀の歴史、革新的原子炉や国家防衛に関する講座や懇談会に出席。
 
スタートの会場が知育・啓発施設「ちえなみき」ということで、久々に駅前立体駐車場の屋上に停車をするとこの景色。
 
胸の澄く風景のとおり、充実した実りある一日となりました。
 

【青空に映えるJR敦賀駅。やはりここからの眺めは自慢のポイント。】
 
順を追ってトピックス的にご紹介しますと、まず、午前中にちえなみき2階 セミナー&スタディで『ミニ歴史講座』を開催(主催は気比史学会)。
 
人数こそ、私を含めて7名と少数でしたが、何とSNSをご覧になった県外からの参加者もお見えになる中、今回は「平安時代の敦賀(前編)」について、主に「松原客館」はどこにあったのかをテーマに最新の知見(今期の敦賀市民歴史講座であった南出眞助教授の説)をご紹介。
 
拙い私からの説明ではありましたが、参加者間でも活発に質問や意見交換がされるなど、大変楽しくも有意義な機会となりました。
 

【ミニ歴史講座の様子。フランクな雰囲気を心掛けて進行しました。】
 
次回は3/23(日)10時30分から、後編は、紫式部も通った「深坂古道」や「古代の北陸道」等について触れてまいりますので、皆様ぜひお気軽に参加くださいませ。
 
続いて、場所をプラザ萬象に移し、革新的原子炉推進協議会主催のシンポジウム『エネルギーの未来を考える 〜脱炭素化、エネルギー自給等への原子力の貢献〜』に出席。
 
こちらは小ホールがほぼ満席となるほどの熱気のなか、以下のお三方より基調講演。
 
◉基調講演1 エネルギー・原子力政策
・テーマ:エネルギー政策及び原子力政策の動向
・講 師:経済産業省 資源エネルギー庁 電力・ガス事業部 原子力政策課長 吉瀬 周作氏
◉基調講演2 高速炉サイクルの役割
・テーマ:高速炉および高速炉サイクル導入による原子力エネルギーの持続的利用について
・講 師:東京科学大学 理事特別補佐(特任教授/名誉教授)竹下 健二氏
◉基調講演3 GX推進における原子力の役割
・テーマ:原子力政策の動向及びGX推進に対する原子力の役割
・講 師:革新的原子炉推進協議会 副理事長 辻倉 米蔵氏
 

【ほぼ席が埋まった会場全景】
 
講演1では、今後原子力を活用していく上で、①サプライチェーン、②規制の許認可性(ATENAと規制庁との予見性もった対話)、③コスト に関しブレイクスルーが必要であること。
 
原子力の海外展開を考える上で、日本の規制は特殊性があるため、米国基準ベースで売れるところを開拓してもらい、その先に日本の海外展開を考えていくべきか。
 
講演2では、当面は軽水炉のマルチサイクルを進めていくとした上で、今後は高速炉と軽水炉の共存時代を目指すべきであり、軽水炉を動かしている間に最終処分場の軽減を図る策を講じることが重要との言葉が印象に残りました。
 
私は、次の予定のため、ここまでで途中退席しましたが、その後行われた福井南高校、福井大学・京都大学の学生さんを交えた『エネルギーの未来を考える』と題したパネルディスカッションでは、原子力の関係者で集まってしまいがちだが一般の視点も重要、原子燃料サイクルについては「先人からバトンを受け取り自分たちの世代で実現」すること、原子力専攻の人気が上昇していることなど、若い方の視点に会場の皆さんも刺激を受けたとの伝言があった次第です。
 
そして、この日3コマ目は、場所を大ホールに移動し、敦賀防衛懇話会主催の「新春防衛懇談会」へ。
 
懇談会は、第1部として講演会、2部は懇親会で構成。
 
第1部では、130名を超える多くの方がご参加のもと、航空自衛隊第6航空団司令 兼 小松基地司令 空将補の村上博啓氏より、『大空とその先へ 〜To the Sky and Beyond〜』と題し、約1時間のご講演をいただきました。
 
自己紹介では何と、23回もの転勤経験がおありとのことに驚いたところですが、ご講演では、航空自衛隊や小松基地の変遷や役割・任務について、わが国を取り巻く安全保障環境、防衛に関する昨今の状況について、大変分かりやすくお話しいただきました。
 
安全保障環境においては、防衛白書にもあるよう、“戦後最大の試練の時を迎え、新たな危機の時代に突入しつつある”というのが現在の認識であること、小松基地におけるF35(ステルス戦闘機)の配備、従前の防衛機能に加えてサイバー防御やさらには宇宙戦略も見据えた対応が必要となっていることなど、今一度、日本が置かれている危機に対し、認識を高めた次第です。
 
柔らかな語り口の中にも凛とした雰囲気、そして「国を守る」という使命感に満ちた村上空将補に、心より敬意と感謝を申し上げます。
 

【ご講演される村上空将補。皆さん熱心に聞き入っておられました。】
 
こうして歴史、原子力に国防と学んだ一日を振り返るに、思うは郷土と祖国。
 
「自分の国(地域)は自分で守る」との思いのもと、郷土や祖国の発展に向けては、気比史学会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」。
 
今日お伺いしたことを今後の糧に、微力ながら自身も精一杯取り組む所存です。

敦賀の歴史、革新的原子炉に国家防衛と盛り沢山の一日

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昨日のブログに書きました、いわゆる「103万円の壁」引上げに向けた国民民主党と公明党の連携について。
 
公明党の西田実仁、国民民主党の榛葉賀津也両幹事長は14日、国会内で会談し、所得税が発生する「年収103万円の壁」の引上げに向け、自民党を含めた3党協議の膠着(こうちゃく)状態を打開することを確認した。財源を理由に慎重姿勢を示す自民に協力して働きかける。公明と国民民主は先の衆院選後から距離を縮めてきたが、与野党を超えたタッグで自民に政策実現を迫る異例の展開となった。
 
この日、榛葉氏に直接電話で会談を持ち掛けたという西田氏も「自民の森山裕幹事長には私の方から働きかけていく」と請け負った。
 
との報道あり。
 
実は現在、資料を精査している敦賀市の来年度予算(歳入)にも影響することにはなるものの、目指すは「178万円」とした上でのタッグであり、今後の動きに引き続き注視する次第です。
 
さて、来週から始まる令和7年第1回(3月)定例会に向けた準備を整えつつ、昨日午後は公務で福井県自治会館(福井市)へ。
 
敦賀市議会からは、副議長の私と中道恭子文教厚生常任委員長が議員となっている「福井県後期高齢者医療広域連合議会」の令和7年第1回定例会に出席。
 
13時30分からの全員協議会に続き、定例会では、令和6年度補正予算案、令和7年度一般会計・特別会計予算や同連合会に関わる条例の一部改正等について審議のうえ、全議案を可決しました。
 
管理者側は、広域連合会長の西行福井市長をはじめ、副管理者の佐々木鯖江市長、杉本池田町長、議員側は県内全市町議会から議長さんも多く出席されるとあって、閉会後、資料をカバンに入れている間に「あっ」という間に会場はもぬけの空。
 
皆様、お忙しいようで…。
 
おかげさまで、私自身もこうして充実した日々を送れていることに感謝するところですが、本日は公私ともにスケジュールが目白押し。
 
10時30分からは、自身が所属する「気比史学会」の『ミニ歴史講座』をちえなみき2階で開催。
 
13時30分からは、場所をプラザ萬象小ホールに移し、革新的原子炉推進協議会主催のシンポジウム「エネルギーの未来を考える」に参加した後、会議室に移動し、16時からは理事を務める「敦賀防衛懇話会」の定期総会、大ホールでの防衛講演会、新春防衛懇親会と流れるような予定となっています。
 
なお、このうち、防衛講演会ならびに新春防衛懇親会については、市議会議長の代理としても出席。
 
どれも優劣をつけられぬ大事なイベントばかりですが、『ミニ歴史講座』に関しては、自身がメインスピーカー役(決して講師ではなく)となって、「平安時代の敦賀」(松原客館の謎にも迫ります)についてお話しすることとしています。
 

 
こちらについては、どなたでも参加OK。
 
敦賀の地域史を“楽しく”一緒に学んでいきたいと思いますので、お気軽に参加いただけますようお願いいたします。
 
今日は穏やかな晴れ模様とのこと。
 
それでは、皆さま良い週末をお過ごしください。

祝!「敦賀のおぼろ昆布製造技術」が国登録無形民俗文化財に登録へ!    

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昨晩は、小浜市で開催された日本郵政グループ労組(JP労組)福井南部支部の「新春交歓会」にお招きいただき出席。
 
労組関係の「旗開き」や「新春の集い」の中で唯一、家族参加型で開催されているのがJP労組さんの交歓会であり、この日も小さなお子さんの声にアットホームな雰囲気を感じたところです。
 
一方、関係者のごあいさつや各テーブルでの歓談では、苦渋の郵便料金値上げや年賀状3割減の状況、ゆうちょ事業では「民業圧迫になるから」と上限規制がかかっているなど、郵政事業を巡る様々な課題をお伺いしました。
 
また、移動は最寄りの粟野駅からJR小浜線を利用。
 
行きは多くの高校生が乗車されにぎやかだったものの、帰り(終電)の乗客は5名ほど。
 
課題は聞いて、乗らねば分からぬことと実感した次第です。
 
さて、話題を変え、本日発行の「やまたけNEWS」では“文化財センター”のことを紹介するところ、一昨日は悠久の歴史と文化を有する敦賀にとって大変嬉しいニュースがありました。
 
そのニュースとは、「敦賀のおぼろ昆布製造技術」が国登録無形民俗文化財に登録されたこと。
 
1月24日(金)に国の文化審議会が開催され、同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、登録無形民俗文化財の登録について、文部科学大臣に答申。
 
今後、官報告示を経て登録されるとともに、福井県では初めての無形民俗文化財の登録となります。
 
なお、敦賀市HPに掲載されたページにある『登録の趣旨』は次のとおり。
 
<以下、記事引用>
 本件は、古くから日本海の海運の要衝であった敦賀において、交易品の昆布を用いた細工昆布の製造加工の技術として伝承されてきたものである。機械製造による昆布の加工・製造が進む中で、敦賀では、現在も手作業による伝統的な製法が維持されている。専用の刃物を用いて様々な厚みに削り分ける技術や、刃先の調整技術などが良好に継承されており、地域的特色のある昆布の製造技術として注目される。
 
 →敦賀市HP『「敦賀のおぼろ昆布製造技術」が国登録無形民俗文化財に登録されます』はこちらから
 
併せて、ぜひご覧いただきたいのが、同ページに掲載の『敦賀のおぼろ昆布加工技術調査報告』(2024 敦賀市教育委員会)。
 
敦賀市教育委員会 文化振興課の学芸員を中心に、龍谷大学との共同研究によって実施した調査報告書は、「令和4年度和食を支える「敦賀昆布ストーリー」創出・発信事業 敦賀おぼろ昆布加工技術概要報告書」(敦賀市教育委員会、2023 年3月)に令和5年度分の調査成果を踏まえて加筆修正を行ったもの。
 
拝見するに、①調査の概要、②おぼろ昆布の加工技術の概要、③敦賀におけるおぼろ昆布加工の姿、④敦賀以外の地域におけるおぼろ昆布加工の概要、⑤おぼろ昆布加工職人の現状と今後の課題 に章立てされ、文献調査はもとより、丁寧に聞き取りをされたうえで、歴史を掘り起こしたことが伝わってくる内容となっています。
 
おぼろ昆布は、酢に漬けて柔らかくした昆布の表面を、職人が専用の包丁で帯状に削った昆布加工品である。機械生産のできるとろろ昆布とは異なり、機械化は困難で、職人の手によって一枚一枚削られる。敦賀市はおぼろ昆布の一大産地として知られている。(中略)またおぼろ昆布は、薄ければ薄いほどよいとされ、透けるように薄く、口に入れた瞬間に溶けるような食感が特徴である。実際、薄いものは口に入れたときにスーッと溶けるという。おぼろ昆布の厚みは一般的には 0.02mm から 0.05mm くらいだが、薄いものは0.01mm である
 
と、機械では削り出せない技術を紹介していたり、材料となる昆布の輸送に関しては、
 
昆布は北海道がその一大産地であり、北海道および一部三陸沿岸にのみ産出する。地元では採れない昆布の加工が敦賀で盛んになる背景には港町としての敦賀の歴史がある。敦賀は日本列島の日本海側のほぼ中央に位置する。若狭湾の東端にある敦賀湾は南北に深いリアス式の海岸を形成し、その奥に形成された小さな三角州に古代から港が形成されてきた。特に京の都までの地理的距離の近さと、琵琶湖のすぐ北という立地から、日本海側から畿内へ向かう際の玄関口として、また日本海海運と琵琶湖水運の結節点として重要な拠点となってきた
 
日本史上の昆布の初見資料は、『続日本紀』の霊亀元年(715)十月丁丑条で、蝦夷の朝貢あるい は交易によって古くから昆布が機内にもたらされていたことが伺える。(中略)敦賀と昆布については、狂言の古典『昆布売』(室町期成立か)のなかにみられる「若狭小浜の召しの昆布」 といった表現や、同じく室町後期までに成立した『庭訓往来』に「宇賀(現在の函館付近)の昆布」について、「越前ノ敦賀ニ着クト云ヘリ」とあるのが初現期の史料であり、14世紀ごろまでには敦賀湊を介した昆布の流通ルートが完成していたとみられる
 
などとあり、その後、北前船につながっていったことが分かります。
 
この報告書の巻頭には、前教育長の上野弘氏の言葉が記されていますが、そこにあったのは、「そうした中で今回その歴史と職人の技、それらを支える産業構造などを調査し、歴史的文化的価値を明らかにできたことは非常に意義があることと考えております。この調査が、今後この素晴らしい食文化を未来へと伝えていくための取り組みにつながる一助となるよう願います。」。
 
日本のダシ文化が注目されることと合わせ、「みなと町敦賀」を表す「おぼろ昆布」が、技術伝承などの課題を克服し、今後も日本、さらには世界へ発信されることを期待する次第です。
 

【Youtubeで公開されている「敦賀の昆布加工技術紹介動画」。ぜひこちらもご覧ください。】
 
 →敦賀市作成の上記YouTube動画はこちら

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