古墳時代の敦賀 〜市民歴史講座(第1講)より〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

1970年7月29日は、関西電力の美浜発電所1号機が原子炉臨界に到達した日ですが、昨日午前中はちょうど「第54回 関電労組美浜支部定時大会」にお招きいただき出席。
 
美浜町生涯学習センター「なびあす」で開催された大会では、北川博規・福井県議会議員に続きご挨拶の機会を頂戴しましたが、53年前にあった記念すべき日に、皆さんの前でお話しさせていただくことを光栄に思うとともに、現在の原子力発電を取り巻く環境、とりわけ次世代革新炉の動向などについて、自身の考えを含めお伝えしました。
 
同じく1970年3月に運転を開始した日本原電敦賀発電所とともに、わが国の原子力黎明期から発電を続ける美浜発電所。
 
私にとっては「兄弟」であり「同志」でもある発電所ですが、今後はともに次代に進むべく、職場の皆さんとの連携を一層深め活動あたること、またこの大会を機に、さらに団結力を高め、美浜支部が発展されることを祈念申し上げた次第です。
 
大会の後は、気比史学会が主催する「敦賀市民歴史講座」のため、敦賀市立図書館へ。
 
これまでご紹介しているよう、新たな役員体制で迎えた今期、私は事務局長の任を務めることもあり、他の役員の皆さんとともに、ここに至るまでの企画・準備を進めてきたところですが、いよいよ第1講スタートとあって身の引き締まるところ。
 
事前に準備した資料や講座開催時のグッズを会場にてセッティングしたうえで、参加者を待ちましたが、結果、70名の聴講者にお集まりいただきました。
 
まずは、この暑さのなか、こうして足を運んでいただいた皆さんに感謝した次第です。
 

【70名の聴講者にお越しいただき開催した市民歴史講座】
 
14時に開会した講座では、元敦賀市立博物館長の川村俊彦氏を講師にお迎えし、「古墳時代の敦賀 ー『中郷古墳群』史跡指定35周年ー」と題し、冒頭、前期(4世紀)から中期(5世紀)、後期/終末期(6世紀〜7世紀初期)までの敦賀の古墳時代のアウトライン、現在の敦賀市内・敦賀半島における主要な古墳分布をご説明いただきました。
 
その後は、主要な「史跡 中郷古墳群」として、向出山(むかいでやま)古墳群、明神山古墳群、また、立洞(たてぼら)2号古墳群や穴地蔵古墳群などについて、発掘調査にて確認された副葬品などから言えることについて、詳しい解説がありました。
 
昭和55年(1980)〜58年(83)には、トンネル温泉造成事業の開始によって、存続の危機にあった向出山古墳を守るべく、気比史学会による保存運動が展開され、2号墳こそ緊急調査のうえ、埋立消滅したものの、1号墳については、公有地化、墳丘整備がされた歴史を改めてお伺いし、当時の並々ならぬ文化財保護に対する思いと行動力に敬服した次第です。
 

【保存運動の末、守られた向出山1号墳(川村先生の講座資料より引用)】
 
とりわけ、中郷古墳群は、古代における内外交通の要衝であった敦賀の地に、前期から後期までの様々な形式の特色あふれる古墳が築かれ、わが国の古墳時代を解明するうえで貴重な首長摹群であること、また古墳時代の終わりには、敦賀半島(西浦や櫛川まで)を中心に製塩集団の下で古墳が作られていると推察されるなど、勢力分布や当時の情景が浮かぶ時間となりました。
 
詳しくお知りになりたい方は、資料などお渡ししますので、ぜひ私までお声掛けいただきたいと思いますが、私自身、今回も大変興味深く、太古のロマンあふれるお話しを聞くことができ、本当に有意義な時間であったと感じた次第です。
 
なお、講座終了後に行った講師を囲んでの座談会では、参加された方から、「埋蔵文化財は、苦難の時代」、「観光客が来る来ないが、文化財を整備、手入れするしないの基準になっている」などとの声を伺うことができました。
 
全国的に見てもそうなのかと思いますが、特に豊富な文化的資源を有する敦賀にあって、こうしたことにならないよう、文化財行政に対しても確認、意見していく必要がある旨、強く念頭に置いた次第。
 
一部、音響機器の不具合があったものの、何とか無事に終了した「第1講」。
 
次回、第2講は8月19日(土)14時から、元一乗谷朝倉氏遺跡資料館長の水野和雄氏をお招きし、「越前朝倉宗家をめぐるお家騒動」と題し講義をいただきます。
 
開催場所は同じ市立図書館3階 研修室。
 
タイトルからして、面白いお話しが聞けること間違いありませんので、興味のある方はぜひお気軽に、足を運んでいただければ幸いに存じます。