風は見えないけれど 風のすがたは なびく 草の上に 見える

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12月に入ったかと思えば、既に今月も中旬。
 
「師走」の文字どおり、月日が経つのが本当に早く感じられます。
 
早いといえば、10月末に父が急逝したことも、私にとっては随分昔のように感じるところ。
 
浄土真宗大谷派のわが家においては、父の没後49日までは、7日ごとにお経をあげていただく「中陰法要」を勤めてまいりましたが、この法要は「故人を偲びながらも、お念仏の教えをお伝えいただく諸仏としていただき、亡き方である諸仏を通して、ご本尊に手を合わせ、仏さまの教えを聞いていく、新たな歩みの始まり」とされています。
 
なお、仏事は誰のためと考えた時、故人の供養のために行う儀式と感じられる方がほとんどかと思います。
 
しかし、初七日以降、二七日・・・六七日(むなのか)まで勤める中で、お経の意味や住職の説法を拝聴するに、私たちにとって大切な人の「死」からは、感謝や後悔、不安といった様々な感情が湧き起こり、自然と手が合わさっているのではないか。
 
そして同時に、自分自身のことも尋ね、自分もいつかは死ぬ。
 
しかし、それがいつかはわからない。
 
そのような命(いのち)を生きているという事実を、他人の「死」を通して自分の「死」と向き合い、「生」を生きるきっかけの場が「仏事」であり、「仏事」を務めるということは、故人のためであり、同時に今を生きる私自身のためでもあるのだと言うことを知った次第です。
 
※他宗派では「故人の魂が迷いの世界をさまよい、四十九日目に成仏する」と考えられていますが、浄土真宗の教義では、故人は亡くなった直後に阿弥陀如来の力によってすぐに浄土へ往生し、仏(成仏)になるとされている(往生即身仏)ため、こうした考えになろうかと存じます。
 
そうした思いのもと、七七日にあたる昨日は、満中陰(四十九日)法要を執り行いました。
 
あいにくの雨模様の中、ご親戚にもお集まりいただき、実家での法要、そしてお寺さんへの納骨までを無事に終え、施主である私からはあらためて、これまでの感謝と、皆様の心の中で、時折故人を思い出していただければとお願いしました。
 
こうして滞りなく、四十九日の法要を執り行うことができ安堵するところですが、実家でお経をあげていただいた直後、降っていた雨が止み、太陽の光が差し込みパッと明るくなったのは、父から皆様への「ありがとう」のメッセージではなかったかと、天国の父の笑顔を思い浮かべた次第。
 
結びに、住職さんが法要の最後に残していただいた、胸に染み入る言葉は以下。
 
風は見えないけれど
風のすがたは なびく
草の上に 見える
 
意味は、
大切なあなたは もうこの世に居ないけれど、
あなたの姿は あなたのこころざしを受けた
家族や友人たちの生き様の上に 見える
 
父のこころざし(志)は、わが名にも胸にもあり。
 
今日からはこの言葉も胸に、気持ち新たにスタートです。
 

【私が小学校3年生の時に一度病気で入院している父。実家の座敷に飾るこの絵は、その入院中に父が作成した刺繍(ししゅう)絵。左肩に「心」の文字、武将顔のダルマは、当時の「転んでも起きる」「負けるものか」の思いが入魂されたものと理解。】

『日本一のマグロ船から学んだ!評価される仕事をするフォロワーシップの極意』

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晴天の昨日は東京へ。
 
朝一番に敦賀を発ち、秋葉原で開催された日本原子力発電労働組合「中級組合員研修」に出席してまいりました。
 
会場に着くと、久々に会った労組本部役員や職場組合員の顔はお元気そうで何より。
 
開会後、午前中は、本部執行委員長による挨拶から始まり、電力総連組織内国会議員である「浜野よしふみ」参議院議員(国民民主党)による基調講演と意見交換。
 
浜野議員におかれましては、エネルギー・原子力政策の現況や国会財政に関しては積極財政の必要性などをお話しいただいたうえ、日本原電の各職場に対し、力強いエールを送っていただきました。
 
ご多用の折、お越しいただいた浜野議員に心より御礼申し上げます。
 
午後は外部講師による研修を受けた後、組織内議員である寺門定範(さだのり)東海村議会議員と私にも活動報告の時間をいただき感謝。
 
私からは、敦賀市政のトピックスや議会での一般質問のご紹介に加え、マイプラント「敦賀2号」に対する思いをお伝えしました。
 
まさに、活動の原点は「地域と職場の声にあり」。
 
一日を通じ、東海・本店・敦賀の各事業所で汗して働く皆さんと、顔と心を合わせる良い機会となりました。
 
そして、良い機会となったもうひとつの理由は、先にありました外部講師の研修。
 
『日本一のマグロ船から学んだ!評価される仕事をするフォロワーシップの極意』をテーマに、人材コンサルタント株式会社 ネクストスタンダード代表取締役社長 齊藤正明氏より、グループワークも交えながらご講義いただきましたが、このお話しが「目からウロコ」のことばかり。
 
頭にはタオルの鉢巻き、青の吊りカッパを着用し、マグロ漁船員さながらのスタイルで登場した齊藤先生のお話しは大変面白くも「なるほど」と思うことの連続で、約2時間、受講する組合員の後方にて聞き入ってしまった次第です。
 

【マグロ漁船員スタイルで講義される齊藤先生】
 
北里大学で水産業を学び、民間企業の研究所に勤務した後、現在は独立してコンサルタント会社を経営する齊藤先生ですが、「人生を変える」きっかけとなったのが、タイトルにある「マグロ漁船」。
 
研究所に勤めていた際、ある日突然、上司からの「マグロ漁船に乗って、マグロのすべてを見てこい!」の命令(断るという選択肢はなかったそう)。
 
「マグロの鮮度保持の開発を一気に進めるため」という業務上の理由だったそうですが、台風シーズン真っただ中にマグロ漁船に乗ることになり、マグロ漁船に対するネガティブな印象と緊張を抱えながら、大分から赤道まで片道10日、約40日間の航海に。
 
齊藤さんが乗ったマグロ漁船は、当時日本に約500隻程度あった中でも毎年トップクラスの売り上げを誇る船で、漁業関係者から「日本一の船」と呼ばれたこともあったそうですが、とにかく労働環境は過酷。
 
漁師の1日は、朝6時から始まり、船を走らせながら、東京から富士山までの距離(約100㎞ほどと聞き驚愕しました)もある長い縄(「はえ縄漁船」と呼ばれる由縁)を正午くらいにかけて海に流す。
 
マグロが掛かるのを待つ間だけ、3時間程の仮眠をとった後、午後3時から縄を巻き上げる作業を行い、作業が終了するのは翌朝3時。
 
そしてまた、朝6時から同じ作業が始まるという、考えただけで地獄のような肉体労働環境な訳ですが、さらに台風に直撃すると波の高さは6mにも及ぶ中での作業とあっては、ただでさえ船酔いする私なら、生きた心地がしなかったことでしょう。
 
しかし、そんな環境の中にあっても、船員(9名と言っていた)は皆んなニコニコ、20メートルほどの船の中で和気あいあいと過ごすそこには、船長のリーダーシップと秘策、船員ひとり一人がイキイキと働ける仕組みがあったことに感銘。
 
例を挙げれば、まずは「お互いを褒め合う文化」があり、「1人ひとりの居場所」があったこと。
 
そして、自分が置かれている現状を計測(数値化)することで、個々の成長を「見える化」(同じ作業でもタイムアタック、スキルマップ作成)すること。
 
また、船長の役割は、船員に「仕事は難しいから楽しく」と思わせる(良い意味での「騙す」)こととあり、これに関しては、ゴルフは約10キロも歩き、既定打数内で打つ難しいものだが、なぜかお金を払ってでも練習し、プレー当日、どんなに朝が早くてもさっさと起きることができるのは、それが楽しみだから。
 
仕事もそうなればしめたものであること。
 
その他にも、「仕事に大義はあった方が良いが、なくても良い」(仕事をゲームっぽくすることは可能)、「難易度調整をすること」に関しては、上司がやってくれれば楽しく、やってくれない場合も自分で調整すれば楽しくできる。
 
なすがまま(成長しないまま)の仕事はつまらないが、調整すれば、人生の質はかならず上がるなど。
 
文字づらですと上手くお伝えできないのがもどかしいところですが、齊藤先生の臨場感ある話ぶりに、共感と感銘を受けた次第です。
 
長期間の航海を終えて陸に戻ってきた齊藤先生は、考えが一転。
 
「また乗りたい、漁師になりたい!」というほどの心境の変化のもと、元の会社を退職し、マグロ漁船の体験で得た「組織のあり方」を伝えるべく、起業し現在に至ったとありました。
 
こうして拝聴した齊藤先生のお話から得たことをまとめると、組織のリーダー(船長)や中核を担う人は、相手に対し想像力を働かせ、どんな気持ちでいるのかを把握すること、長所を見出して組織の中に居場所をつくってあげること、相手に「負けてあげること」を通じて敬意や感謝を伝えること、そして、自分自身は置かれている状況を把握し、冷静に分析すること。
 
タイトルのとおり、学んだのは『評価される仕事をするフォロワーシップの極意』。
 
受講した組合員の皆さんが各職場に戻って実践いただくことを期待するとともに、僭越ながら、既に「仕事は難しいから面白く」をモットーとする私としても、「目からウロコ」と学んだことを今後の人生に生かしてまいります。
 

【研修を終え、昨晩遅く敦賀に到着。夜に浮かぶJR敦賀駅はやはり絵になるカッコ良さでした。】

ワンワンワンの「犬の日」に思う

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昨日も100名を超える、多くの方々に参列をいただき、最後までお見送りいただきましたこと心より御礼申し上げます。
 
お陰様をもちまして、亡き父 山本五十雄の葬儀をすべて滞りなく終えることができました。
 
最後、喪主としての挨拶でも申し上げたのは、79歳9ヶ月の生涯を悔いなく生きた父の定年までを第1ステージ、定年後からこれまでを第2ステージとすれば、昨日向かったあの世は第3のステージ。
 
第2ステージまでと同様、和をもって尊しと成すのスタイルで、友達をたくさんつくって楽しく、天国でも花咲く道を歩んでくれることを願っています。
 
皆様もどうか、「いそやん」のそんな姿を時折思い出していただければ幸いです。
 
これまで本当にお世話になりありがとうございました。
 
さて、今日から私も気持ちを切り替えてまいりますのでよろしくお願いいたします。
 
はや10月も終わり、今日から11月に入りました。
 
早速、本日11月1日は何の日かと言えば、「犬の日」だそう。
 
ペットの代表格である「犬」は、わが家もそうですが、ペットというよりも家族の一員といった感覚で生活を共にしている方が多いと思いますが、犬は歴史的に見てもずっと人間に寄り添ってきました。
 
なお、「犬の日」を制定したのは、当時のペットフード工業会(現在の一般社団法人ペットフード協会)。
 
昭和62(1987)年、「ワンワンワン」という犬の鳴き声が3つ並ぶ日にちなみ、11月1日を犬の日に制定しました。
 
ちなみに、同じ年に「猫の日(2月22日)」も制定。
 
人間と同様、犬を巡る環境は変化しており、昔は番犬として屋外の犬小屋にいるのが普通でしたが、今では屋内飼育が進んだことにより寿命が延びているとのこと。
 
さらに、ペットブームにより動物病院が増え、動物医療も進展。
 
老後の介護の問題はありますが、より長く一緒に過ごすことができるようになったことは嬉しいこと。
 
このブログにもたまに登場している、5歳になったわが家の「きゅう」ちゃん(男の子:ロングコートチワワ)は、元気盛りの「成年」といったところですが、最近ではペットの粋を超えた「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」として、「飼う」というよりも「共に暮らす」存在として、癒やしと安らぎを与えてくれています。
 
まさに家族の一員ですね。
 
というより、わが家はいつの間にやら「きゅうちゃんファースト」の生活で、家族内での格も私より…。
 
それはさて置き、父の逝去と重なりなおのこと、きゅうちゃんを一層大切にしようとの思いが募るところであり、犬と暮らしている人もそうでない方も、今日の犬の日に、今一度犬のことについて考えてみてはいかがでしょうか。
 

【きゅうちゃん、これからも元気で。一緒に楽しく暮らそうね。】

多くの皆様に参列いただき心より感謝申し上げます

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連日、身内のことで恐縮です。
 
昨夜、父のお通夜を執り行いましたところ、500名を超える皆様に参列いただくとともに過分なるご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
 
親族を代表し心より御礼申し上げます。
 
弔問の列は切れることなく、途中、駐車場まで続いたとお聞きし、これほど多くの方に別れを惜しまれる父は本当に幸せ者であり、さぞかし喜んでいるものと感じた次第です。
 
本日午後0時30分からは葬儀を行います。
 
いよいよ最後のお別れとなりますが、家族皆で感謝の気持ちを伝え、見送りたいと思います。
 

モットーは「みんなと一緒にいつも楽しく」

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まずもって、この度の父の逝去に伴い、市議会議員としての公務を欠席あるいは予定の変更調整をいただく状況にあり、議員各位ならびに関係者、議会事務局の皆様にご迷惑をお掛けしていることをお詫び申し上げます。
 
一昨日の夜、父の遺体は実家に戻り、「忌中」の貼り紙がされた玄関を見て、あらためてその現実を受け入れるところ。
 
一夜明けた昨日は、見事な秋晴れのなか、早朝より終日、50名を超える大変多くの皆様に弔問をいただき心より感謝申し上げます。
 
まるで眠っているかの父の姿、突然の死に涙される方、生前の思い出をお話しいただける方など様々でありましたが、対応をするに、父が各方面、多くの方から慕われていたことを感じた次第です。
 
父は、先の大戦終結の翌年、昭和21(1946)年1月25日に敦賀市大比田で生まれ、東浦小中学校を卒業後、地元の東洋紡績敦賀工場に入社。
 
定年まで東洋紡一筋、平成14年には社長より、優良従業員として表彰を受けるなど献身的に従事したほか、労働組合では、最後副支部長まで務め、故山根徳男県議会議員の後援会(正和会)を事務局長として取り仕切るなど、地元労働界では一目置かれる存在でもありました。
 
ちょうど時を同じくして、日本原電の敦賀分会委員長を務めることになった私としてはある種、一目置かれる父の存在を誇らしく思いつつも、まさに「背中から学ぶ」。
 
組合役員としての心構えや選挙戦術など、多くのことを教えていただいた、良き先輩、先生でもあった次第です。
 
また、定年後は、ひばりケ丘町の区長を9年務めたうえ、粟野地区区長連合会長まで担わせていただく中で、粟野コミュニティ運営協議会の立ち上げや粟野交番の移転など、他の区長さんと意思を合わせ活動、実現できたことは、大きな実績であるとともに、良き仲間に囲まれたからこそできたものと、心より感謝申し上げるところです。
 
その後は、東洋紡のOB会である「東洋紡交友会」の会長や「ろうきん友の会」の副会長なども歴任させていただき、晩年はグラウンド・ゴルフに没頭。
 
ここ数年はほぼ毎日と言って良いくらい、母と二人で敦賀市グラウンド・ゴルフ場「リラ・グリーン」や敦賀市総合運動公園をはじめ近隣の競技場に出かけ、多くのプレー仲間と楽しく過ごしました。
 
敦賀市グラウンド・ゴルフ協会では副会長を務め、大会となれば、コースの設定や景品の準備に至るまで、側から見ていても、いかに皆さんに楽しくプレーいただくかを第一に考えて準備していることがひしひしと伝わってきた次第です。
 
こうして父の79歳9ヶ月の生涯を振り返るに、皆との「議論」を大切に新たなことにチャレンジすること、人と人との「和」を重んじ、モットーは、何事においても「みんなと一緒にいつも楽しく」。
 
そんな思いと行動が、老若男女を問わず、親しみを込めて「五十雄さん」「いそやん」と呼ばれ、慕われることにつながったのだと思います。
 
昨日、弔問いただいた皆さんとお話しするに、いわゆる「いそやんロス」の号泣、表情を浮かべる方もおられたことが、そのことを象徴するのだと感じましたが、父の死をそこまで捉えていただけることは長男冥利に尽きるところであります。
 
そんな父を、いよいよ見送ることとなります。
 
最後の最後まで私達に諦めない強い姿を見せてくれた、これまで家族のため、仲間のため、地域のために精一杯頑張ってくれた父にはゆっくり休んでほしいと願っています。
 
本日は午後6時30分より通夜、明日31日(金)午後0時30分からは葬儀を執り行います。
 
場所はいずれも敦賀市古田刈の「ハートホール橋詰」にて、静かに、そして最後は、父も望んでいるであろう「笑顔」で、見送りたいと思います。
 

【家族会議の結果、遺影に採用された写真(前回の敦賀市議選)。私自身、この表情のお陰で頑張れたことを思い出します。】

父永眠す

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昨日の午後6時37分。
 
父 山本五十雄(いそお)が闘病の末、永眠いたしました。
 
享年80歳。
 
間質性肺炎のため入院してから9日。
 
呼吸の苦しさにもがきながらも、この2日間は眠るように息をする状態となり、最期は体力の限界。
 
家族に見守られるなか、穏やかに息を引き取りました。
 
7月からの下咽頭がん治療の間と併せ、「いそやん頑張れ」とあたたかい励ましの言葉を頂戴した皆様。
 
確実に届けたその声は、父の頑張りの素となりました。
 
本当にありがとうございました。
 
筋の通っていないことは大嫌い、人と人の和を大切にし、どうせ生きる人生は楽しく、そして厳しい中にも愛情と優しさあふれる。
 
そんな父の79年9ヶ月の生涯に関わっていただいた、すべての皆様に心からの御礼と感謝を申し上げます。
 
言葉では尽くせませんが、本当にありがとうございました。

「間質性肺炎」との闘い

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美空ひばり、八代亜紀、上岡龍太郎。
 
3人に共通するのは、お亡くなりになった原因が「間質性肺炎」であること。
 
ご承知のとおり、肺は鼻や口から吸った空気の中に含まれる酸素を血液へと取り込み、不要となった二酸化炭素を体の外に出す働きをする臓器であり、吸った空気は、肺の一番奥にある「肺胞」という場所に運ばれ、肺胞を取り囲むように流れる毛細血管との間で酸素・二酸化炭素のやり取り(ガス交換)をしています。
 
千葉大学大学院医学研究院 呼吸器内科学のホームページによれば、「間質性肺炎」は肺の「間質」で起こる「炎症」を指すとし、次のように説明されています。
 
「間質」とはいったいどこなのか、なかなかイメージがわきにくいと思います。広い意味で「間質」とは、肺胞や気道(空気の通り道)以外の肺の組織全体を指します。つまり「間質性肺炎」は特定ひとつの病気を指すものではなく、肺で起きるさまざまな炎症性疾患を幅広く指すものなのです。間質性肺炎はその原因や病気の性質によって何十種類に細かく分類されていますが、多くは間質に炎症をおこすことで、肺胞と毛細血管の間の壁(肺胞壁)が厚く硬くなり、ガス交換ができにくくなってしまいます
 

【肺炎と異なる間質性肺炎(製鉄記念八幡病院資料より引用)】
 
間質性肺炎の特徴的な症状としては、労作時呼吸困難(歩行など日常動作での息苦しさ)と乾性咳嗽(痰を伴わない咳)になります。原因が特定できない「特発性間質性肺炎」の場合、初期には症状はありませんが、症状は長年かけて出現・次第に進行しています。しかしながら、病状の進行の程度は人それぞれであり、進行がほとんどみられない方もいます。
 
※急性増悪
経過中に急激に肺胞壁の線維化が悪化することがあり、急性増悪と呼ばれます。かぜやストレスなどを契機として起きることが報告されていますが、なかには原因なく起きる場合もあります。原因不明の特発性間質性肺炎の中で最も頻度の高い特発性肺線維症の場合では、年間5-10%の方に起こるとされています。
急性増悪によって呼吸機能が一段階低下する可能性があります。速やかな対応(酸素やステロイド薬などの投与)を行わないと命に関わる事態になることがあるので注意が必要です。
 

【千葉大学大学院医学研究院ホームページより引用】
 
〈説明は以上〉
 
いま父が、その「間質性肺炎 急性憎悪」と闘っています。
 
20日の緊急入院から今日で6日。
 
時折襲う苦しさに耐えながら、低下する肺の機能を振り絞るかのように全身で息をする父。
 
生きることを決して諦めない父を、家族も同じ思いで付き添い、全力で支えます。

悠人さまが力強く成年のご決意

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昨日も様々なニュースがありましたが、自身が最も関心高く拝見したのは、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが臨まれた皇室の重要儀式「成年式」。
 
19歳の誕生日を迎えた悠人さまは6日、前日の雨天から一転、晴天のなか、にこやかに皇居へお入りになられ、儀式では天皇、皇后両陛下やご夫妻をまっすぐ見つめ、「成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに経験を積み、これまで賜りました御恩にお報い申し上げたく存じます」との決意を述べられたとのこと。
 
まずは、無事に成年式をお迎えになられた悠人さまに、心よりお祝い申し上げます。
 
なお、「成年式」は、昭和60年11月に秋篠宮さまが臨まれて以来、40年ぶり。
 
成年式の源流となる元服の儀礼は奈良時代にさかのぼり、江戸時代まで続いた後、成年式としては、明治42年制定の皇室成年式令で正式に規定され、皇族が成年になった日に、皇位継承資格者を内外に示すものとして行われるように。
 
同令は昭和22年に廃止されましたが、伝統は、古来行われてきた「元服」の儀礼に由来し、脈々と受け継がれているもの。
 
両陛下がご臨席し、皇居・宮殿で最も格式が高い「松の間」で始まった「朝見(ちょうけん)の儀」では、初めて両陛下と同席する儀式で、力強く宣言される悠仁さまのお姿に、凛とした覚悟を感じた次第です。
 
一方、悠仁さまが成年を迎えられたことにより、皇室では戦後初めて未成年皇族がいなくなりました。
 
皇位の安定継承では、国会で与野党の溝が埋まらず「立法府の総意」のとりまとめは先送りされている状態となっています。
 
宮内庁幹部は「悠仁さまに続く男性皇族が不在なのは危機的だ。国を挙げて関心を持ち、議論してほしい」と話すとおり、世界で唯一、万世一系で続く日本にとって大きな問題であることから、自分自身もしっかりとした考えを持っておきたいと思います。
 
さて、一夜明け、今日は二十四節気の「白露(はくろ)」。
 
白露とは、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめる頃、降りた露は光り、白い粒(朝露)のように見えることを意味します。
 
今朝は寒暖差があまりなかったためか、朝露まで確認できませんでしたが、昨日はまさに「白露」がキラキラと光っていたところ。
 
酷暑と言われる残暑も徐々に和らぎはじめ、だんだんと秋の気配を感じるところですが、こうして移りゆく四季があってこそ日本の自然、文化。
 
今朝は、悠人さまの成年式、暦どおりの季節から、千代に八千代に日本の繁栄が続くことを心より願う次第です。
 

【昨夕の風景。まさに日本の食文化を支え、古来からこうして輝いていたであろう黄金の稲穂にも感謝。】

8月26日は「人権宣言の日」

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日本にとって8月は、古来からお御霊を慈しむお盆に、近現代の歴史である広島・長崎「原爆の日」や「終戦の日」が重なることから、人の命の尊さや儚さ、家族が平和に暮らせることがいかに大切なことかを特段に思う月。
 
加えて、いま世界で起きている、ロシアによるウクライナ侵略やイスラエルとパレスチナの問題などを見るに、いかなる理由があろうとも、武力による現状変更は断じて許されるものではなく、罪なき民間人、特に女性や子どもが犠牲になっている状況に、過ちを繰り返す人間の愚かさ、そして「人道」の二文字が大きく浮かび上がるところです。
 
そうしたなか、本日8月26日に迎えるのは「人権宣言の日」。
 
これは1789年8月26日、フランス革命勃発直後にフランス国民議会が制定した、普遍的な人間の権利を国家が承認した重要文書である「人間および市民の権利の宣言」が正式名称。
 
にわか知識であることをお断りしたうえで、同宣言は、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃、さらに全国に拡がった大恐怖といわれる農民蜂起を受けてフランス国民議会で制定されたもので、前文と17条から成り、これはフランス革命の最初の記念すべき成果であったとされています。
 

【1789年8月26日 フランス人権宣言(「世界史の窓」より引用)】
 
また、宣言の起草にあたったのはラ・ファイエットらで、国民の自由と平等、圧制への抵抗権、国民主権、法の支配、権力分立、私有財産の不可侵などを規定しており、実際、同宣言は、データベース『世界と日本』で次のように翻訳(田中明彦氏訳)されています。
 
(全文)
国民議会という形に組織されたフランス人民の代表者たちは、人の諸権利についての無知、忘却または蔑視が公共の不幸と政府の腐敗の諸原因であるにほかならないことに鑑みて、一つの厳粛な宣言のなかで、自然で、譲り渡すことができず、そして神聖な人の諸権利を表明することを決意した。それは、この宣言が社会のすべての構成員の前につねに提示され、彼らの権利と彼らの義務をたえず彼らに想起させるためである。それは、立法権の行為および行政権の行為が、すべての政治制度の目的と継続的に比較されることによって、よりいっそう尊重されるためである。それは、市民の要求が、これからは単純で争いえない諸原理にもとづくことになるため、つねに憲法の維持とすべての人々の幸福に向けられるようにするためである。
 
このようにして、国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護のもとに、つぎのような人および市民の諸権利を承認しかつ宣言する。
 
第1条 人は、自由かつ諸権利において平等なものとして生まれ、そして生存する。社会的区別は、公共の利益への考慮にもとづいてしか行うことはできない。
 
第2条 すべての政治的結合の目的は、人の自然かつ消滅しえない諸権利の保全にある。これらは、自由、所有権、安全および圧政に対する抵抗である。
 
第3条 あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する。いかなる団体、いかなる個人も、国民から明示的に発するものではない権威を行使することはできない。
 
第4条 自由とは他者を害しないすべてをなしうるということである。したがって、すべての人の自然的諸権利の行使は、同じ諸権利の享有を社会の他の構成員にも確保するということ以外には、限界をもたない。この限界は法によってのみ決定されうる。
 
第5条 法は、社会に有害な行為のみを禁止する権利を持つ。法の禁止しないすべてのことは妨げられず、また、何人も法が命じないことをなすように強制されることはない。
 
第6条 法は一般意思の表明である。すべての市民は自ら直接またはその代表者によってその形成に参加する権利を持つ。法は、保護する場合にも、処罰する場合にも、すべての者にとって同一でなければならない。すべての市民は、法の目からは平等であるから、その能力に従って、かつ、その徳性と才能以外による差別をうけず、すべての公的な位階、地位、職務に等しく就く資格を有する。
 
(以下、省略)
 
1789年の日本はといえば、老中松平定信による「寛政の改革」が開始された年ですが、直接的ではないにせよ、フランス革命は鎖国下にあった幕府も無視できないものとなり、特に幕末の長州藩などは、フランスの軍事技術や近代化の動向に注目し、直接的な交流や技術導入を試みるなど、日本の近代化に影響を与えたとされています。
 
今や当たり前の如く叫ばれる、「すべての人間の自由と権利、法の下の平等」は、市民革命によって勝ち得たものであることを、今一度おさらいするところであり、「人権宣言の日」にあたりご紹介した次第です。
 
なお、昨朝は、いつものとおり、週初めの街頭演説を行いました。
 
部活動に向かう中学生、敦賀高校は学校祭の準備でしょうか、色とりどりのTシャツを着て自転車で通学するなか、先般発行した「やまたけNEWS」に沿ってお話ししましたが、その一番目は、敦賀市議会で制定した「ハラスメント防止条例」のこと。
 
相手の人格を否定し、尊厳を傷つけたりする行為は、絶対に「しない」、「許さない」。
 
人権宣言にある「すべての人間の自由と権利」は、身近にある、普段からの言動を一人ひとりが注意することによって、守ることができます。
 

【街頭では、ハラスメントのない議会、敦賀市役所、敦賀市になればとの思いを込め、お話ししました。】

深紅の優勝旗とスポーツ指導の大原則

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昨日午前中は、両親が手掛けている家庭菜園へ。
 
さすがにこの暑さ続きでは、親だけでは大変だろうと、妹と一緒にお手伝い。
 
といっても、収穫の終わった2畝(うね)分の片付けや草むしりをしただけですが、それでも汗だくになっての作業は気持ちよく、綺麗になった畝を見ると達成感があるもの。
 
わが家もお裾分けの恩恵に預かっている両親が育てる野菜は、手間ひま、そして愛情を込めてできるものと、今さらながら実感した次第です。
 

【綺麗になった畝をバックに、仕事をした証拠写真(笑)】
 
さて、農作業と並行して行われていたのは、夏の全国高校野球決勝戦。
 
観れたのは終盤だけでしたが、行き詰まる熱戦を制したのは沖縄尚学。
 
「野球エリート集団」とも称される日大三(西東京)を3―1で破り、見事、夏の大会初の優勝を果たしました。
 

【深紅の優勝旗を手にした沖縄尚学】
 
県勢の夏の大会優勝は2010年の興南以来15年ぶりとのことで、「沖縄タイムス」によれば、「決勝当日、試合開始前から街は人影も車もまばらとなり、「道路から車がなくなる」といわれるほど、県民の視線はテレビ中継に注がれた。商業施設や公民館には人々が集まり、盛大なエールを送った。勝利の瞬間、各地で歓声が沸き起こり、沖縄は歓喜に揺れた。」とありました。
 
写真でも、閑散とした幹線通りが掲載されており、まさに沖縄県民が一体となって応援されたものであり、選手はもとより、関係者、地元の皆さんにお慶び申し上げる次第です。
 
厳しい練習や試合でのピンチを乗り越えるのは、強い気持ちの個がつながるチームワーク、そして選手たちの自主性にあると、あらためて高校野球、スポーツの素晴らしさを感じた一方、今大会においては、広陵高校(広島)が途中で出場辞退するという前代未聞の出来事もありました。
 
決勝戦が終わった23日夜に、朝日新聞デジタルに掲載された編集委員の記事は『暴力でなく言葉でやりとりを 主体性高める動き』とのタイトル。
 
広陵高校の件を発端に、過去にあった高校野球界での暴力事案を踏まえつつ、次のように述べています。
 
<以下、記事抜粋引用>
 
これらは選手を強くするため、チームを勝たせるための「指導の一環」として、指導者が選手を暴力で威圧し、自分の意のままに動かそうとした構図と似ている。高校生は大人のまねをしてきたのではないか。かつて先輩に殴られた部員が、上級生になって暴力をふるう「負の連鎖」もあるだろう。
 
最近はいろいろな部活動で、選手の主体性を高める動きが進んでいる。学校教育で主体的、対話的な学びが求められ、スポーツの現場でもそうした要素が重視されるようになってきた。チーム方針や練習内容、試合のメンバーなど、運営の多くを選手たちが話し合いで決める。指導者は見守り、問題が起こった時に修正のヒントを与える。勝利を目的の一つとしながらも、プロセスを通じた選手の成長にも多くの価値を置いている。
 
こうした取り組みを取材していると、暴力とは無縁だと感じる。指導者も選手も「言葉」が勝負になるからだ。自分の考えを通したければ、それなりの理由付けと実践が必要になる。仲間たちの考えを理解することが前提になる。
 
<引用終わり>
 
私も少年ソフトボールの指導者として5年間携わりましたが、その際、子どもたちと接する中で最も留意したのはこの部分にありました。
 
指導者の暴力や強い言葉でロボットを操るかのように、選手は指導者の顔色を伺い、失敗を恐れ、萎縮してプレーする。
 
そんな時代は終わりました。
 
高校野球ファンの1人として、広陵高校には、単に監督や部長を交替させることで終わらせることなく、本質的な問題を徹底的に洗い出した上で、次へのスタートを切って欲しいと思うとともに、高校野球に留まらず、日本のスポーツ全体が、暴力とは無縁の中で、自主性をもって自分の技術や精神を磨き、チームワークを高め、仲間やライバルと切磋琢磨する。
 
そのような環境となること、また、今回のような事案や報道が二度とないよう、切に願う次第です。
 
注ぐ、真の「愛情」が根底になくば、選手も、冒頭の野菜も、決して大きく健やかに育ちません。

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