亡き仲間のために走り続けるということ

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すっかり“正月の風物詩”として定着した「箱根駅伝」。
 
第102回東京箱根間往復大学駅伝は結果して、青山学院大学(以下、青学大)が圧倒的な強さで史上初となる2度目の総合3連覇を果たしました。
 
1区16位の出遅れから、5区で「※シン・山の神」黒田朝日選手の異次元の走りにより劇的な逆転で往路を制した青学大は、復路では一度も首位を譲らず大会新記録で駆け抜け、直近12年で9度目の総合優勝という驚異的な強さで幕を閉じました。
 
※新・真などの意味があるようなので、ここでは「シン」と表記しました。
 
これで歴代最多勝利監督となった原監督は采配のポイントについて「統計学、確率の問題。分析していく力が監督には求められる」と持論を語った後、「中国電力時代に日々電気料金の計算をしていた。中国電力時代に培った能力がここにも生かされている」と笑い飛ばしたそう。
 
選手のコンディションや特性を見抜き、最適な選手起用をする監督もさることながら、これに応える選手、10区間のどこかで「やってくれる」と思わせるチーム全体の雰囲気が、他チームにとっての脅威、裏を返せば青学大の強さと思う次第です。
 
加えて、今回の青学大には一層、“負けられない理由”があったと。
 
その理由とは、2年時には16人のエントリーに名を連ね、今大会も「本来なら走っていた存在」と言われた皆渡星七(みなわたりせな)さんが昨年2月に悪性リンパ腫で亡くなったこと。
 
前回大会は6区候補としてライバルでもあった佐藤有選手は「11月に(皆渡さんが)体調を崩してから『自分が頑張らないと』と思っていた」と、今回1年越しに思いを結実し快走。
 
チームとしても、今大会は皆渡さんの名前(星七)にちなんだ7つの「★」を記したたすきをつなぎ走り切ったとのエピソードを知り、沿道の声援や監督の檄など外からの鼓舞に加え、「彼に優勝を報告したい」との内面からの鼓舞が、今回の青学大の走りにつながったことに感動を覚えた次第です。
 

【青学大選手の腕に書かれた「★7」(星七)の文字(産経新聞WEBより引用)】
 
なお、皆渡さんの件に関しては、大学卒業後、地元の福井放送でアナウンサーとして活躍している、青学大陸上部前主将の田中悠登さん。
 
敦賀気比高校出身の田中アナは、箱根駅伝に2度出走し、昨年の第101回大会では9区2位でチームの8度目の総合優勝に貢献した選手ですが、彼にとって皆渡さんは「本当に弟のような存在」だったそうで、「彼の分まで生きると約束」して以降、福井県内縦断100kmランを行ったり、今春には、皆渡さんの地元大阪で『ななつぼしマラソン』を開催すると、「星七のように、堂々と生きます」と強い思いをつづっていることを知りました。
 
こうして様々な人が、亡き仲間のために走り続けることは、皆渡さんが、皆の心の中で生き続けるということ。
 
三が日最後の昨日。
 
今は母だけとなった実家に兄弟・孫たちが集まり、亡父を偲んだところだけに、その心境が重なった次第です。

重んじる精神は「義を見てせざるは勇なきなり」

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【敦賀は、うっすら雪が積もりました】
 
元日の地元新聞といえば、県内企業経営者の「新春トップインタビュー」。
 
長きに亘り、地元に根ざした企業として成長し続ける理由がそこにあるようで、今年も興味深く拝見したところです。
 
また、全国の歴史ある企業について調べてみると、帝国データバンクの調査で2026年に「100周年」を迎える企業が2,371社もあるそう。
 
なお、100周年を迎える主な企業は、豊田自動織機や信越化学工業、東レやクラレ、集英社、富士急行など。
 
そしてさらにその上を行く、「150周年」を迎えるのは荒川化学工業(大阪市中央区)と大日本印刷(東京都新宿区)とあり、データバンクでは、両社が創業以来、時代に応じて事業を変革し続けてきたように、変革と挑戦の精神が、長寿企業を支える原動力のひとつとなっていると評価していました。
 
チャールズ・ダーウィンの「※最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもなく、唯一、生き残る者は変化できる者である。」との言葉がありますが、企業活動にまさに通ずるものと思う次第です。
 
※この言葉には諸説(本来の意味と違うなど)ありますが、ここでは一般的に言われていることとして引用いたします。
 
一方、「150年」といえば、今年は「明治の精神」を象徴する一つである札幌農学校が明治9年に開校してから150年の記念の年にあたるとのこと。
 
札幌農学校といえば、初代教頭クラーク博士の「少年よ、大志を抱け!」という言葉が有名ですが、2期生として内村鑑三と新渡戸稲造が学んだことを重視するとし、この2人の数多い著作のうちで、今日の日本と世界の危機に対処することを考えたとき、前者からは『後世への最大遺物』、後者からは『武士道』というほとんど同じ頃に世に出た著作を挙げるとの産経新聞「正論」に出会いました。
 
内村氏の『後世への最大遺物』では、人が後世に遺(のこ)すものとして、金、事業、思想を挙げた上で、これらはいずれも遺すに価値のあるものであるが、しかし、何人にも遺すことのできるものではない、またこれらは本当の最大遺物ではないと言う。
 
しからば、「最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う」(傍点原文)と語るのである。
 
続いて新渡戸氏の『武士道』では、論じられる武士道の徳目において、やはり最初のものは「義」であり、その後に、「勇・敢為堅忍の精神」「仁・惻隠(そくいん)の心」「礼」「誠」「名誉」「忠義」「克己」などが挙げられている。
 
最後の章「武士道の将来」の中に、「最も進んだ思想の日本人にてもその皮に搔痕(そうこん)を付けて見れば、一人の武士が下から現われる」という印象的な表現が出てくるが、原著が刊行された明治32年に言えたこのことは、翻訳が出た昭和13年の日本人についても当てはまったことであり、さらに1世紀以上後の我々今日の日本人も、例えばグローバリズムが進む中において久しく忘れられていた「一人の武士」としての意識が、安全保障環境をはじめとする内外の厳しい情勢によって「搔痕を付け」られて、日本人の多くに義の精神を伴って覚醒してくる年になるに違いないというのが、私(筆者)の希望である。
 
その上で「正論」は、「今年は、義を基軸にして世界や人間について考えた上で果敢に実践する日本人本来の姿を取り戻す動きが必ずや出てくる。それが、『義の国』への道である。」と結んでいました。
 
読み進めてふと、「義」といえばここ敦賀。
 
「義の武将」と称される大谷吉継公、幕末の悲劇「水戸天狗党」を幕府に懇願してまで祀った敦賀人の心はまさに、利害を捨てて条理に従う「義」を重んじたから。
 
さらに、「義」が正しい道や道理にかなったこと、人道に従うこととの意味からすれば、「人道の港」にある敦賀人の心がそうであり、敦賀は「義のまち」と言えるのではと常々思うところです。
 
本日は、大きく二つの視点から思考しましたが、キーワードとなる言葉は「変革と挑戦」と「義」。
 
とりわけ、「義のまち」敦賀に住み、吉継公をこよなく尊敬する私としては、「※義を見てせざるは勇なきなり」の精神を重んじ、行動してまいる所存です。
 
※「人として行うべき正しいこと(義)だと知りながら、それを実行しないのは勇気がない(証拠だ)」という意味の言葉で、「論語」から来た故事成語。

令和8年も「まっすぐ誠実に粘り強く」

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令和8年が幕を明け、新たな年を健やかにお迎えになられましたこと心よりお慶び申し上げます。
 
皆様方にとって輝かしい、幸多き年となりますこと祈念いたします。
 
「かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする」
 
この言葉は『徒然草』の第19段にある、“昨日と変わらぬ景色なのに新鮮な心地がする”と、明け初める元日の空を仰ぎ、抱いた感懐だそうですが、敦賀の空は曇天なれどまさにそうした気持ち。
 
私自身は、「活動の原点は地域と職場の声にあり」の基本姿勢のもと、気持ち新たに、本年も活動に邁進してまいる所存です。
 
引き続き、皆様方には大変お世話になりますが、ご支援ならびにご指導を賜りますようお願い申し上げます。
 
さて、昨年、議会でも取り上げました「戦後80年」の節目を過ぎあらためて、先の大戦において、わが国の領土と国民の生命、財産を守るために戦った英霊、犠牲となったすべての戦没者戦災死没者に哀悼の意を表するとともに、こうした先人たちの命懸けの努力の上に今があることを胸に、次の時代に進まねばと思うところ。
 
高市早苗首相が発表した年頭所感においては、冒頭で「日本と世界は大きな変化を迎えている」と指摘。
 
人口減少や物価高、厳しい安全保障環境などの課題を列挙し「変化を恐れず、必要な改革を断行する」と強調した上で、「日本列島を強く豊かにすることを通じ、希望を生み出すことを国民への新年の誓いとする」と表明しました。
 
一方、党首討論で高市首相と「ともに関所を乗り越えていこう」と述べた国民民主党の玉木雄一郎代表においては、昨年末の会見で、この関所を乗り越えていく最大の通行手形は「民意」だったということを実感したとしつつ、「これからも国民の皆さんとつながる政策、また国民の皆さんの中から出てきた思いや、不安そういったものを体現した政策の実現に全力で取り組んでまいりたい」と。
 
ここで言う「民意」とは決して「ポピュリズム」とは違う訳ですが、高市首相とは国家観を共有しつつ、現実路線の政策で日本を動かしていこうというのが国民民主党であり、さらに党勢を拡大して、政策実現力を高めるべく、私もその一員として引き続き尽力してまいる所存です。
 
そして、市議会議員としての本分は、郷土敦賀のために働くこと。
 
人口減少と厳しい財政という大きな課題が横たわる中において、今年は北陸新幹線開業から3年目を迎えます。
 
中心市街地や主要観光施設においては、にぎわいの持続や新たな店舗がオープンするなど「開業効果」は表れているものと認識するところ、ここからは「新幹線効果」の最大化に向けたまちづくりを進めていかねばなりません。
 
私が考える“真の新幹線効果”とは、部分最適ではなく全体最適、直接的でも間接的でも、敦賀市にお住まいの皆さんが新幹線があるまちのメリットを実感することにあり、その実現に向け、「新幹線学」の第一人者である青森大学 櫛引教授の「新幹線は目的ではなく手段」の理念に沿って、意見提起していく所存です。
 
なお、まちづくりのベースにある考えは、「今ある資源を最大限活かす」ことにあります。
 
古より大陸と開けた港を有し、海陸交通の要衝として栄えてきた敦賀には、悠久で豊富な歴史と文化、豊かな自然と産業、そして何より「人」という資源があります。
 
ついては、これらの資源を最大限活用し、何をおいてもまずは敦賀市民に、自分の住むまちを誇りに思っていただけること、そうしたマインド(シビックプライド)のもと、敦賀の活力と魅力の向上、持続的発展につなげていければと考えます。
 
そして、敦賀の持続的発展に関し、欠くことができないのは「原子力」。
 
国家レベルにおいても、原子力発電が必要不可欠な電源であることはこれまでも述べてきたとおりですが、敦賀発電所2号機の再稼働や敦賀3、4号機増設計画、もんじゅ敷地内における試験研究炉設置など、これらの事業を着実に進めていくことは、日本の国益においても、敦賀にとっても極めて重要であり、安全と関係者や地域の皆様のご理解を第一に、自身の役割を果たしていく所存です。
 
以上、縷々申し上げましたが、次の春が来れば、市議会議員2期目の任期は残り一年。
 
掲げた公約とモットーのもと、「まっすぐ誠実に粘り強く」取り組んでまいりますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 

【信じる道をまっすぐに。きゅうちゃんに癒されつつ頑張ります。(令和7年12月20日 やまたけ撮影)】

「全捨て」前提の書類整理で頭も気持ちもスッキリ

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ずっと後送りにしていて、「今年のうちに必ずやる」と決めていたミッションは「書類の整理」。
 
「そんなことか」と思われるかと存じますが、私の中ではこれを終わらせないとスッキリ年が越せないということで、昨日は意を決して着手。
 
私の場合、書斎ではなく、本と書類、趣味のものを置く小部屋があるのですが、お見せするのも恥ずかしい状態になっていたところ。
 
主には、過去の議会関係のもの、各種機関などから郵送されてくるもの、プライベートで携わっている団体の書類などで、言い訳をしますと、一応“分類して”平積みしていたもの。
 
作業開始の前に、書類整理に関するウェブサイトを覗いてみたところ、たまたまヒットしたページにあったのは、「これは念のため」「あとで読むかも」「何かに使えるかもしれない」、書類が増える理由のほとんどは、“未来への不安”ですとの文字。
 
まさに自分だと思い読み進めると、「でも、その不安のために今の生活スペースが圧迫されていたら、本末転倒」であり、その方のメソッドでは、書類は原則「全捨て」が基本だと。
 
「全捨て」前提の覚悟を持って片付けるという意味で、実際に残すべき書類はごくわずかなので、判断ルールを知っていれば迷和ないと。
 
そのルールとは、次の3つのどれかに当てはまるものだけを残すこと。
 
1.保存が必要な書類
2.今使っている書類
3.しばらく必要な書類
 
「それ以外は、感謝して手放しましょう」と続き、「服や本と違って、書類は“ときめきの感情”も大切ですが、必要かどうかの“実用性”で判断するカテゴリーであり、だからこそ、一度整えてしまえば、もう迷うことはありません」と。
 
私の場合、上記3項目に、「どこか(議会など)に行けば見れる(保存されている)書類」は捨てることを加え、片付けに臨みました。
 
過去を振り返りながら、一枚づつ精査のうえ整理した結果、前述の「これは念のため」「あとで読むかも」「何かに使えるかもしれない」と思い、残したもののうちほとんどは「捨てる書類」となり、感謝の気持ちをもって手放した次第です。
 
単なる書類整理のことを取り上げるのはどうかと思いましたが、平積みしていた紙の山をスッキリ片付けると、頭も気持ちも軽やかに。
 
私と同じ境遇にいらっしゃる方はぜひ、これをヒントに実践いただければ幸いです。
 
さて、大晦日(おおみそか)前日の今日は「小晦日」。
 
「しょうみそか」ではなく、「こつごもり」と呼びます。
 
伝統的な習慣として12月30日は、29日は「苦」を連想させるため避け、大掃除を28日までに済ませた後は、大晦日の準備をしながら、静かに一年を振り返り、散歩などをして過ごす日とされていたそう。
 
そうはいってもと、大掃除に励まれる方も多いかと存じますが、伝統的習慣にならい、今日の「小晦日」を過ごされてはいかがでしょうか。
 

【頭も気持ちも軽くなった後は、散歩中のこの景色でさらにスッキリ】

58歳「キングカズ」がJリーグ復帰

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昨日は、父の月命日。
 
母の「2ヶ月前のこの時間(午後2時)は、お父さんまだ生きてたね」の言葉に、最後まであきらめることなく病気と戦った父の姿を思い返したところ。
 
その後は住職様にお越しいただきお経をあげていただきましたが、妹夫婦も寄ってくれての場に、微笑む遺影の父はどこか喜んでいるように感じました。
 
また、以前のブログにて、
 
風は見えないけれど
風のすがたは なびく
草の上に 見える
 
の言葉を紹介いたしましが、月命日にあらためて、父の生き様や志を胸に置いた次第です。
 
と同時に、生命ある人が、「生きること」もしくは「生かされていること」の意味を思うに、何をおいても日々を「一生懸命」あるいは「一所懸命」、悔いなきように一日一日を積み重ねていくことと思うところ、昨日はまさにそれを実践する方の嬉しいニュースがありました。
 
その方とは、私にとって、男から見て「カッコいい男」のうちのお一人で、日本サッカー界のレジェンド「三浦知良」選手。
 
言わずと知れた、サッカー元日本代表FWで「カズ」の愛称で親しまれる58歳の三浦知良選手が、J3福島に加入することで大筋合意したことが28日、関係者への取材で分かったとありました。
 
プロ40年目の三浦選手が所属する日本フットボールリーグ(以下、JFL)のアトレチコ鈴鹿は、今季15位で地域リーグとの入れ替え戦に敗れ、JFL残留を逃し地域リーグに降格。
 
三浦選手が来季の現役続行を明言すると、アトレチコ鈴鹿が残留を要請するほか、J3の福島ユナイテッド、関西1部リーグの生駒FC奈良が獲得に乗り出すなど、複数のオファーの中から来季の所属先を検討していたところ、結果、福島ユナイテッドへの加入が決定したとの報道でした。
 
来年2月に59歳となる三浦選手がJリーグでプレーするのは、横浜FC時代の2021年以来となるそうですが、まずは60歳を前に「現役選手」であること、そして複数からオファーがあったということ自体がスゴいこと。
 

【練習する「キングカズ」こと三浦知良選手(Yahoo!ニュースより引用)】
 
「レジェンド」「キング」と称されるのは当然と思うとともに、写真の表情や仕草、そして発する言葉すべてがカッコ良く、男が男に惚れることにご理解いただけるのではないかと。
 
一方、賞賛ではなく、プレー自体のキレや運動量の低下を揶揄する声もあるところ、Jリーグでかつてプレーした選手はこう述べていました。
 
「カズさんを見たいと思うサポーターが多いことは、選手としての立派な商品価値です。でも、福島は決して興行面の貢献度だけを期待して、獲得オファーを出したわけではないと思います。サッカーに向き合うプロフェッショナルな姿勢は一緒にプレーした多くの選手たちが影響を受けてきましたし、お手本になるベテランです
 
おそらくこの方自身も「キングカズ」の影響を受けたお一人かと思いますが、私もこの言葉に納得する次第。
 
15歳で高校を中退し、単身ブラジルへ渡ってプロ契約を勝ち取るという経歴を持つ三浦選手。
 
サッカーが大好きで「生涯現役」の志を貫き、自分自身を律してそれを実践していることはまさに「生き様」。
 
なお、三浦選手は横浜FC時代の2017年3月12日、50歳14日でゴールを決めた際に樹立された「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」のギネス世界記録保持者。
 
5年ぶりのJリーグ復帰の来年、この記録を更新する。
 
こんなこともやってくれそうな三浦選手を引き続き応援するとともに、その生き様をお手本にしたいと思います。
 

風は見えないけれど 風のすがたは なびく 草の上に 見える

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12月に入ったかと思えば、既に今月も中旬。
 
「師走」の文字どおり、月日が経つのが本当に早く感じられます。
 
早いといえば、10月末に父が急逝したことも、私にとっては随分昔のように感じるところ。
 
浄土真宗大谷派のわが家においては、父の没後49日までは、7日ごとにお経をあげていただく「中陰法要」を勤めてまいりましたが、この法要は「故人を偲びながらも、お念仏の教えをお伝えいただく諸仏としていただき、亡き方である諸仏を通して、ご本尊に手を合わせ、仏さまの教えを聞いていく、新たな歩みの始まり」とされています。
 
なお、仏事は誰のためと考えた時、故人の供養のために行う儀式と感じられる方がほとんどかと思います。
 
しかし、初七日以降、二七日・・・六七日(むなのか)まで勤める中で、お経の意味や住職の説法を拝聴するに、私たちにとって大切な人の「死」からは、感謝や後悔、不安といった様々な感情が湧き起こり、自然と手が合わさっているのではないか。
 
そして同時に、自分自身のことも尋ね、自分もいつかは死ぬ。
 
しかし、それがいつかはわからない。
 
そのような命(いのち)を生きているという事実を、他人の「死」を通して自分の「死」と向き合い、「生」を生きるきっかけの場が「仏事」であり、「仏事」を務めるということは、故人のためであり、同時に今を生きる私自身のためでもあるのだと言うことを知った次第です。
 
※他宗派では「故人の魂が迷いの世界をさまよい、四十九日目に成仏する」と考えられていますが、浄土真宗の教義では、故人は亡くなった直後に阿弥陀如来の力によってすぐに浄土へ往生し、仏(成仏)になるとされている(往生即身仏)ため、こうした考えになろうかと存じます。
 
そうした思いのもと、七七日にあたる昨日は、満中陰(四十九日)法要を執り行いました。
 
あいにくの雨模様の中、ご親戚にもお集まりいただき、実家での法要、そしてお寺さんへの納骨までを無事に終え、施主である私からはあらためて、これまでの感謝と、皆様の心の中で、時折故人を思い出していただければとお願いしました。
 
こうして滞りなく、四十九日の法要を執り行うことができ安堵するところですが、実家でお経をあげていただいた直後、降っていた雨が止み、太陽の光が差し込みパッと明るくなったのは、父から皆様への「ありがとう」のメッセージではなかったかと、天国の父の笑顔を思い浮かべた次第。
 
結びに、住職さんが法要の最後に残していただいた、胸に染み入る言葉は以下。
 
風は見えないけれど
風のすがたは なびく
草の上に 見える
 
意味は、
大切なあなたは もうこの世に居ないけれど、
あなたの姿は あなたのこころざしを受けた
家族や友人たちの生き様の上に 見える
 
父のこころざし(志)は、わが名にも胸にもあり。
 
今日からはこの言葉も胸に、気持ち新たにスタートです。
 

【私が小学校3年生の時に一度病気で入院している父。実家の座敷に飾るこの絵は、その入院中に父が作成した刺繍(ししゅう)絵。左肩に「心」の文字、武将顔のダルマは、当時の「転んでも起きる」「負けるものか」の思いが入魂されたものと理解。】

『日本一のマグロ船から学んだ!評価される仕事をするフォロワーシップの極意』

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晴天の昨日は東京へ。
 
朝一番に敦賀を発ち、秋葉原で開催された日本原子力発電労働組合「中級組合員研修」に出席してまいりました。
 
会場に着くと、久々に会った労組本部役員や職場組合員の顔はお元気そうで何より。
 
開会後、午前中は、本部執行委員長による挨拶から始まり、電力総連組織内国会議員である「浜野よしふみ」参議院議員(国民民主党)による基調講演と意見交換。
 
浜野議員におかれましては、エネルギー・原子力政策の現況や国会財政に関しては積極財政の必要性などをお話しいただいたうえ、日本原電の各職場に対し、力強いエールを送っていただきました。
 
ご多用の折、お越しいただいた浜野議員に心より御礼申し上げます。
 
午後は外部講師による研修を受けた後、組織内議員である寺門定範(さだのり)東海村議会議員と私にも活動報告の時間をいただき感謝。
 
私からは、敦賀市政のトピックスや議会での一般質問のご紹介に加え、マイプラント「敦賀2号」に対する思いをお伝えしました。
 
まさに、活動の原点は「地域と職場の声にあり」。
 
一日を通じ、東海・本店・敦賀の各事業所で汗して働く皆さんと、顔と心を合わせる良い機会となりました。
 
そして、良い機会となったもうひとつの理由は、先にありました外部講師の研修。
 
『日本一のマグロ船から学んだ!評価される仕事をするフォロワーシップの極意』をテーマに、人材コンサルタント株式会社 ネクストスタンダード代表取締役社長 齊藤正明氏より、グループワークも交えながらご講義いただきましたが、このお話しが「目からウロコ」のことばかり。
 
頭にはタオルの鉢巻き、青の吊りカッパを着用し、マグロ漁船員さながらのスタイルで登場した齊藤先生のお話しは大変面白くも「なるほど」と思うことの連続で、約2時間、受講する組合員の後方にて聞き入ってしまった次第です。
 

【マグロ漁船員スタイルで講義される齊藤先生】
 
北里大学で水産業を学び、民間企業の研究所に勤務した後、現在は独立してコンサルタント会社を経営する齊藤先生ですが、「人生を変える」きっかけとなったのが、タイトルにある「マグロ漁船」。
 
研究所に勤めていた際、ある日突然、上司からの「マグロ漁船に乗って、マグロのすべてを見てこい!」の命令(断るという選択肢はなかったそう)。
 
「マグロの鮮度保持の開発を一気に進めるため」という業務上の理由だったそうですが、台風シーズン真っただ中にマグロ漁船に乗ることになり、マグロ漁船に対するネガティブな印象と緊張を抱えながら、大分から赤道まで片道10日、約40日間の航海に。
 
齊藤さんが乗ったマグロ漁船は、当時日本に約500隻程度あった中でも毎年トップクラスの売り上げを誇る船で、漁業関係者から「日本一の船」と呼ばれたこともあったそうですが、とにかく労働環境は過酷。
 
漁師の1日は、朝6時から始まり、船を走らせながら、東京から富士山までの距離(約100㎞ほどと聞き驚愕しました)もある長い縄(「はえ縄漁船」と呼ばれる由縁)を正午くらいにかけて海に流す。
 
マグロが掛かるのを待つ間だけ、3時間程の仮眠をとった後、午後3時から縄を巻き上げる作業を行い、作業が終了するのは翌朝3時。
 
そしてまた、朝6時から同じ作業が始まるという、考えただけで地獄のような肉体労働環境な訳ですが、さらに台風に直撃すると波の高さは6mにも及ぶ中での作業とあっては、ただでさえ船酔いする私なら、生きた心地がしなかったことでしょう。
 
しかし、そんな環境の中にあっても、船員(9名と言っていた)は皆んなニコニコ、20メートルほどの船の中で和気あいあいと過ごすそこには、船長のリーダーシップと秘策、船員ひとり一人がイキイキと働ける仕組みがあったことに感銘。
 
例を挙げれば、まずは「お互いを褒め合う文化」があり、「1人ひとりの居場所」があったこと。
 
そして、自分が置かれている現状を計測(数値化)することで、個々の成長を「見える化」(同じ作業でもタイムアタック、スキルマップ作成)すること。
 
また、船長の役割は、船員に「仕事は難しいから楽しく」と思わせる(良い意味での「騙す」)こととあり、これに関しては、ゴルフは約10キロも歩き、既定打数内で打つ難しいものだが、なぜかお金を払ってでも練習し、プレー当日、どんなに朝が早くてもさっさと起きることができるのは、それが楽しみだから。
 
仕事もそうなればしめたものであること。
 
その他にも、「仕事に大義はあった方が良いが、なくても良い」(仕事をゲームっぽくすることは可能)、「難易度調整をすること」に関しては、上司がやってくれれば楽しく、やってくれない場合も自分で調整すれば楽しくできる。
 
なすがまま(成長しないまま)の仕事はつまらないが、調整すれば、人生の質はかならず上がるなど。
 
文字づらですと上手くお伝えできないのがもどかしいところですが、齊藤先生の臨場感ある話ぶりに、共感と感銘を受けた次第です。
 
長期間の航海を終えて陸に戻ってきた齊藤先生は、考えが一転。
 
「また乗りたい、漁師になりたい!」というほどの心境の変化のもと、元の会社を退職し、マグロ漁船の体験で得た「組織のあり方」を伝えるべく、起業し現在に至ったとありました。
 
こうして拝聴した齊藤先生のお話から得たことをまとめると、組織のリーダー(船長)や中核を担う人は、相手に対し想像力を働かせ、どんな気持ちでいるのかを把握すること、長所を見出して組織の中に居場所をつくってあげること、相手に「負けてあげること」を通じて敬意や感謝を伝えること、そして、自分自身は置かれている状況を把握し、冷静に分析すること。
 
タイトルのとおり、学んだのは『評価される仕事をするフォロワーシップの極意』。
 
受講した組合員の皆さんが各職場に戻って実践いただくことを期待するとともに、僭越ながら、既に「仕事は難しいから面白く」をモットーとする私としても、「目からウロコ」と学んだことを今後の人生に生かしてまいります。
 

【研修を終え、昨晩遅く敦賀に到着。夜に浮かぶJR敦賀駅はやはり絵になるカッコ良さでした。】

ワンワンワンの「犬の日」に思う

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昨日も100名を超える、多くの方々に参列をいただき、最後までお見送りいただきましたこと心より御礼申し上げます。
 
お陰様をもちまして、亡き父 山本五十雄の葬儀をすべて滞りなく終えることができました。
 
最後、喪主としての挨拶でも申し上げたのは、79歳9ヶ月の生涯を悔いなく生きた父の定年までを第1ステージ、定年後からこれまでを第2ステージとすれば、昨日向かったあの世は第3のステージ。
 
第2ステージまでと同様、和をもって尊しと成すのスタイルで、友達をたくさんつくって楽しく、天国でも花咲く道を歩んでくれることを願っています。
 
皆様もどうか、「いそやん」のそんな姿を時折思い出していただければ幸いです。
 
これまで本当にお世話になりありがとうございました。
 
さて、今日から私も気持ちを切り替えてまいりますのでよろしくお願いいたします。
 
はや10月も終わり、今日から11月に入りました。
 
早速、本日11月1日は何の日かと言えば、「犬の日」だそう。
 
ペットの代表格である「犬」は、わが家もそうですが、ペットというよりも家族の一員といった感覚で生活を共にしている方が多いと思いますが、犬は歴史的に見てもずっと人間に寄り添ってきました。
 
なお、「犬の日」を制定したのは、当時のペットフード工業会(現在の一般社団法人ペットフード協会)。
 
昭和62(1987)年、「ワンワンワン」という犬の鳴き声が3つ並ぶ日にちなみ、11月1日を犬の日に制定しました。
 
ちなみに、同じ年に「猫の日(2月22日)」も制定。
 
人間と同様、犬を巡る環境は変化しており、昔は番犬として屋外の犬小屋にいるのが普通でしたが、今では屋内飼育が進んだことにより寿命が延びているとのこと。
 
さらに、ペットブームにより動物病院が増え、動物医療も進展。
 
老後の介護の問題はありますが、より長く一緒に過ごすことができるようになったことは嬉しいこと。
 
このブログにもたまに登場している、5歳になったわが家の「きゅう」ちゃん(男の子:ロングコートチワワ)は、元気盛りの「成年」といったところですが、最近ではペットの粋を超えた「コンパニオンアニマル(伴侶動物)」として、「飼う」というよりも「共に暮らす」存在として、癒やしと安らぎを与えてくれています。
 
まさに家族の一員ですね。
 
というより、わが家はいつの間にやら「きゅうちゃんファースト」の生活で、家族内での格も私より…。
 
それはさて置き、父の逝去と重なりなおのこと、きゅうちゃんを一層大切にしようとの思いが募るところであり、犬と暮らしている人もそうでない方も、今日の犬の日に、今一度犬のことについて考えてみてはいかがでしょうか。
 

【きゅうちゃん、これからも元気で。一緒に楽しく暮らそうね。】

多くの皆様に参列いただき心より感謝申し上げます

ブログ 人生観

連日、身内のことで恐縮です。
 
昨夜、父のお通夜を執り行いましたところ、500名を超える皆様に参列いただくとともに過分なるご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
 
親族を代表し心より御礼申し上げます。
 
弔問の列は切れることなく、途中、駐車場まで続いたとお聞きし、これほど多くの方に別れを惜しまれる父は本当に幸せ者であり、さぞかし喜んでいるものと感じた次第です。
 
本日午後0時30分からは葬儀を行います。
 
いよいよ最後のお別れとなりますが、家族皆で感謝の気持ちを伝え、見送りたいと思います。
 

モットーは「みんなと一緒にいつも楽しく」

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まずもって、この度の父の逝去に伴い、市議会議員としての公務を欠席あるいは予定の変更調整をいただく状況にあり、議員各位ならびに関係者、議会事務局の皆様にご迷惑をお掛けしていることをお詫び申し上げます。
 
一昨日の夜、父の遺体は実家に戻り、「忌中」の貼り紙がされた玄関を見て、あらためてその現実を受け入れるところ。
 
一夜明けた昨日は、見事な秋晴れのなか、早朝より終日、50名を超える大変多くの皆様に弔問をいただき心より感謝申し上げます。
 
まるで眠っているかの父の姿、突然の死に涙される方、生前の思い出をお話しいただける方など様々でありましたが、対応をするに、父が各方面、多くの方から慕われていたことを感じた次第です。
 
父は、先の大戦終結の翌年、昭和21(1946)年1月25日に敦賀市大比田で生まれ、東浦小中学校を卒業後、地元の東洋紡績敦賀工場に入社。
 
定年まで東洋紡一筋、平成14年には社長より、優良従業員として表彰を受けるなど献身的に従事したほか、労働組合では、最後副支部長まで務め、故山根徳男県議会議員の後援会(正和会)を事務局長として取り仕切るなど、地元労働界では一目置かれる存在でもありました。
 
ちょうど時を同じくして、日本原電の敦賀分会委員長を務めることになった私としてはある種、一目置かれる父の存在を誇らしく思いつつも、まさに「背中から学ぶ」。
 
組合役員としての心構えや選挙戦術など、多くのことを教えていただいた、良き先輩、先生でもあった次第です。
 
また、定年後は、ひばりケ丘町の区長を9年務めたうえ、粟野地区区長連合会長まで担わせていただく中で、粟野コミュニティ運営協議会の立ち上げや粟野交番の移転など、他の区長さんと意思を合わせ活動、実現できたことは、大きな実績であるとともに、良き仲間に囲まれたからこそできたものと、心より感謝申し上げるところです。
 
その後は、東洋紡のOB会である「東洋紡交友会」の会長や「ろうきん友の会」の副会長なども歴任させていただき、晩年はグラウンド・ゴルフに没頭。
 
ここ数年はほぼ毎日と言って良いくらい、母と二人で敦賀市グラウンド・ゴルフ場「リラ・グリーン」や敦賀市総合運動公園をはじめ近隣の競技場に出かけ、多くのプレー仲間と楽しく過ごしました。
 
敦賀市グラウンド・ゴルフ協会では副会長を務め、大会となれば、コースの設定や景品の準備に至るまで、側から見ていても、いかに皆さんに楽しくプレーいただくかを第一に考えて準備していることがひしひしと伝わってきた次第です。
 
こうして父の79歳9ヶ月の生涯を振り返るに、皆との「議論」を大切に新たなことにチャレンジすること、人と人との「和」を重んじ、モットーは、何事においても「みんなと一緒にいつも楽しく」。
 
そんな思いと行動が、老若男女を問わず、親しみを込めて「五十雄さん」「いそやん」と呼ばれ、慕われることにつながったのだと思います。
 
昨日、弔問いただいた皆さんとお話しするに、いわゆる「いそやんロス」の号泣、表情を浮かべる方もおられたことが、そのことを象徴するのだと感じましたが、父の死をそこまで捉えていただけることは長男冥利に尽きるところであります。
 
そんな父を、いよいよ見送ることとなります。
 
最後の最後まで私達に諦めない強い姿を見せてくれた、これまで家族のため、仲間のため、地域のために精一杯頑張ってくれた父にはゆっくり休んでほしいと願っています。
 
本日は午後6時30分より通夜、明日31日(金)午後0時30分からは葬儀を執り行います。
 
場所はいずれも敦賀市古田刈の「ハートホール橋詰」にて、静かに、そして最後は、父も望んでいるであろう「笑顔」で、見送りたいと思います。
 

【家族会議の結果、遺影に採用された写真(前回の敦賀市議選)。私自身、この表情のお陰で頑張れたことを思い出します。】

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