多くの皆様に参列いただき心より感謝申し上げます

ブログ 人生観

連日、身内のことで恐縮です。
 
昨夜、父のお通夜を執り行いましたところ、500名を超える皆様に参列いただくとともに過分なるご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
 
親族を代表し心より御礼申し上げます。
 
弔問の列は切れることなく、途中、駐車場まで続いたとお聞きし、これほど多くの方に別れを惜しまれる父は本当に幸せ者であり、さぞかし喜んでいるものと感じた次第です。
 
本日午後0時30分からは葬儀を行います。
 
いよいよ最後のお別れとなりますが、家族皆で感謝の気持ちを伝え、見送りたいと思います。
 

モットーは「みんなと一緒にいつも楽しく」

ブログ 人生観

まずもって、この度の父の逝去に伴い、市議会議員としての公務を欠席あるいは予定の変更調整をいただく状況にあり、議員各位ならびに関係者、議会事務局の皆様にご迷惑をお掛けしていることをお詫び申し上げます。
 
一昨日の夜、父の遺体は実家に戻り、「忌中」の貼り紙がされた玄関を見て、あらためてその現実を受け入れるところ。
 
一夜明けた昨日は、見事な秋晴れのなか、早朝より終日、50名を超える大変多くの皆様に弔問をいただき心より感謝申し上げます。
 
まるで眠っているかの父の姿、突然の死に涙される方、生前の思い出をお話しいただける方など様々でありましたが、対応をするに、父が各方面、多くの方から慕われていたことを感じた次第です。
 
父は、先の大戦終結の翌年、昭和21(1946)年1月25日に敦賀市大比田で生まれ、東浦小中学校を卒業後、地元の東洋紡績敦賀工場に入社。
 
定年まで東洋紡一筋、平成14年には社長より、優良従業員として表彰を受けるなど献身的に従事したほか、労働組合では、最後副支部長まで務め、故山根徳男県議会議員の後援会(正和会)を事務局長として取り仕切るなど、地元労働界では一目置かれる存在でもありました。
 
ちょうど時を同じくして、日本原電の敦賀分会委員長を務めることになった私としてはある種、一目置かれる父の存在を誇らしく思いつつも、まさに「背中から学ぶ」。
 
組合役員としての心構えや選挙戦術など、多くのことを教えていただいた、良き先輩、先生でもあった次第です。
 
また、定年後は、ひばりケ丘町の区長を9年務めたうえ、粟野地区区長連合会長まで担わせていただく中で、粟野コミュニティ運営協議会の立ち上げや粟野交番の移転など、他の区長さんと意思を合わせ活動、実現できたことは、大きな実績であるとともに、良き仲間に囲まれたからこそできたものと、心より感謝申し上げるところです。
 
その後は、東洋紡のOB会である「東洋紡交友会」の会長や「ろうきん友の会」の副会長なども歴任させていただき、晩年はグラウンド・ゴルフに没頭。
 
ここ数年はほぼ毎日と言って良いくらい、母と二人で敦賀市グラウンド・ゴルフ場「リラ・グリーン」や敦賀市総合運動公園をはじめ近隣の競技場に出かけ、多くのプレー仲間と楽しく過ごしました。
 
敦賀市グラウンド・ゴルフ協会では副会長を務め、大会となれば、コースの設定や景品の準備に至るまで、側から見ていても、いかに皆さんに楽しくプレーいただくかを第一に考えて準備していることがひしひしと伝わってきた次第です。
 
こうして父の79歳9ヶ月の生涯を振り返るに、皆との「議論」を大切に新たなことにチャレンジすること、人と人との「和」を重んじ、モットーは、何事においても「みんなと一緒にいつも楽しく」。
 
そんな思いと行動が、老若男女を問わず、親しみを込めて「五十雄さん」「いそやん」と呼ばれ、慕われることにつながったのだと思います。
 
昨日、弔問いただいた皆さんとお話しするに、いわゆる「いそやんロス」の号泣、表情を浮かべる方もおられたことが、そのことを象徴するのだと感じましたが、父の死をそこまで捉えていただけることは長男冥利に尽きるところであります。
 
そんな父を、いよいよ見送ることとなります。
 
最後の最後まで私達に諦めない強い姿を見せてくれた、これまで家族のため、仲間のため、地域のために精一杯頑張ってくれた父にはゆっくり休んでほしいと願っています。
 
本日は午後6時30分より通夜、明日31日(金)午後0時30分からは葬儀を執り行います。
 
場所はいずれも敦賀市古田刈の「ハートホール橋詰」にて、静かに、そして最後は、父も望んでいるであろう「笑顔」で、見送りたいと思います。
 

【家族会議の結果、遺影に採用された写真(前回の敦賀市議選)。私自身、この表情のお陰で頑張れたことを思い出します。】

父永眠す

ブログ 人生観

昨日の午後6時37分。
 
父 山本五十雄(いそお)が闘病の末、永眠いたしました。
 
享年80歳。
 
間質性肺炎のため入院してから9日。
 
呼吸の苦しさにもがきながらも、この2日間は眠るように息をする状態となり、最期は体力の限界。
 
家族に見守られるなか、穏やかに息を引き取りました。
 
7月からの下咽頭がん治療の間と併せ、「いそやん頑張れ」とあたたかい励ましの言葉を頂戴した皆様。
 
確実に届けたその声は、父の頑張りの素となりました。
 
本当にありがとうございました。
 
筋の通っていないことは大嫌い、人と人の和を大切にし、どうせ生きる人生は楽しく、そして厳しい中にも愛情と優しさあふれる。
 
そんな父の79年9ヶ月の生涯に関わっていただいた、すべての皆様に心からの御礼と感謝を申し上げます。
 
言葉では尽くせませんが、本当にありがとうございました。

リニューアルオープン5周年記念「みる しる わかる ムゼウムDays!」

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日、来日したトランプ米大統領。
 
来日に先立つ26日には、マレーシアの首都クアラルンプールで開かれたタイとカンボジアの和平合意の調印式に参加し、停戦実現を自身の外交的成果としてアピール。
 
トランプ氏はタイとカンボジアを含めて「8つの戦争」を解決したと主張しており、8月には旧ソ連構成国アゼルバイジャンとアルメニアの和平に向けた共同宣言の署名式をホワイトハウスで開催したほか、今月13日にはパレスチナ自治区ガザの和平を巡りエジプトで国際会議を開催し、イスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの停戦実現とガザの復興開始をアピールしています。
 
さらに、トランプ氏は30日までのアジア歴訪の期間中、核・ミサイル開発や日本人拉致問題を抱える北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記との会談に意欲を示しており、今後、北朝鮮問題への取り組みを進める可能性があるとしています。
 
こうして、世界で起こる戦争や紛争の解決に向けた橋渡し役は、米大統領という立場だけではなく、もはやトランプ氏にしかできないのかもと思いつつ、氏自身は「平和の創造者」として、悲願であるノーベル平和賞獲得に向け実績づくりを進めていると思うと、これはこれで複雑な心境になるところ。
 
いずれにしても、世界の恒久平和は人類の願いでもあり、紛争や戦争で尊い命が失われる世の中から一日も早く脱することを希求する次第です。
 
こうした思いも込めつつ、先の9月定例会の一般質問では「戦争の惨禍と人道の心を伝え、つなぐことについて」をテーマに、とりわけ「人道」の点に関しては、「人道の港敦賀ムゼウム」が果たす役割、市民の皆さんとともに育んでいくことの大切さを意見し、今後の取り組みに期待すると発言したところ。
 
その「人道の港敦賀ムゼウム」においては、11月3日のリニューアルオープン5周年を記念して、「みる しる わかる ムゼウムDays!」と題し、様々なイベントが開催されます。
 
開催期間は、11月1日(土)〜3日(月・祝)。
 
内容は、以下2つのページどちらからでもご覧ください。
 
 →「人道の港敦賀ムゼウム」ホームページはこちら
 
 →敦賀市ホームページ「人道の港 敦賀ムゼウム リニューアルオープン5周年イベントを開催します!」はこちら
 
また、ムゼウム作成の開催チラシも添付しますので、併せてご覧ください。
 


 
駐日ポーランド共和国大使館、ポーランド広報文化センター、駐日リトアニア共和国大使館、駐日イスラエル大使館に後援いただいていることを見ても、ムゼウムの存在意義を感じるところですが、5年前の11月3日、澄み渡る青空のもとリニューアルオープンした時のことを思い返し、私も期間中にじっくり足を運びたいと思います。
 

 
なお、チラシの2枚目、右下に掲載の「小倉和夫氏」による講演会は気比史学会主催。
 
こちらは追って、あらためてご案内いたしますが、今期の敦賀市民歴史講座 シリーズI「戦後80年」の最終講として、戦後80年、昭和100年の節目としての講演会を開催いたします。
 
ムゼウムのイベントも、講演会もぜひ多くの皆様にお越しいただければ幸いです。

日米首脳会談の成否を判断する材料は

ブログ 政治

昨日が「原子力の日」であったからという訳ではないようですが、産経新聞の日曜経済講座には「※原子力発電所再稼働へ具体的な行動」をとの記事(以下)。
 
※本ブログでは、引用記事を含め、「原発」はすべて「原子力発電所」に置き換えています。
 
ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫(ぬ)いていく作業である」(岩波文庫「職業としての政治」)と記した。高市首相は24日、就任後初の所信表明演説で、重要課題として経済安全保障やエネルギー安保を挙げ「国産エネルギーは重要だ」と明言した。そうであれば、高市首相には原子力発電所再稼働に向けた具体的な行動を求めたい。政府が原子力発電所の活用に舵(かじ)をきった今、原子力発電所立地の地元住民の説得や、原子力災害に伴う責任を自治体や電力会社だけに負わせるのは無責任ではないか。高市首相は自ら前面に出て国の覚悟を示し、関係者の合意形成に向けた不断の努力とともに、原子力発電推進への道筋をつけてほしい。
 
記事で述べられていることは、至極当然のことと思うと同時に、現実主義かつ原子力政策に関しては核融合炉までを謳う高市首相であれば、必ずや「道筋」をつけてくれるものと大いに期待する次第です。
 
その高市首相。
 
就任後初の外国訪問先となったマレーシアで、東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議に臨み、会議冒頭、「これまでの協力を一層発展させ、ともに強く、豊かになるための取り組みを進めていく。ASEANとともにインド太平洋地域の平和、安定、繁栄を守り抜いていきたい」と述べました。
 

【ASEANの会議で発言する高市首相(産経新聞WEB版より引用)】
 
そして、帰国後に予定されているのは、トランプ大統領との日米首脳会談。
 
外交の専門家によれば、首脳会談には「実質的機能」と「象徴的機能」の2つの側面があり、今回のように初顔合わせのケースでは会うこと自体に象徴的な意味があるのだそう。
 
その上で、トランプ大統領が高市首相を何と呼ぶかが会談の成否を判断する材料の一つとなるとし、ファーストネームで呼び合うこと自体は本質的ではないものの、安倍晋三元首相とトランプ大統領が互いを「シンゾー」「ドナルド」と呼ぶ関係だったことがよく知られているため、高市首相にとってはそんな関係を目指すことが重要とのこと。
 
石破前首相とトランプ氏の関係を見るに、政策の一致性のみならず、大国との外交としては確かに、相性が合うかが大事であると思う次第(トランプ氏が、マックス・ウェーバーの「堅い板をじわじわくり貫く」タイプではないこともあり)。
 
そう思えば、関西人の高市首相であれば、まどろっこしいことを抜きに自ら呼びかけるのではと想像いたしますが、トランプ大統領に「サナエ」と自身を呼ばせることができるのかを一つの見どころに、152回目となる日米首脳会談の歴史の中で初めて臨む、女性首相の手腕に注視する次第です。

原子力・放射線は日常的な技術 〜10月26日は「原子力の日」〜

ブログ 原子力

本日、10月26日は「原子力の日」。
 
この日を「原子力の日」に定めたのは、昭和38(1963)年に日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)が日本で最初の原子力による発電に成功した日であり、また、昭和31(1956)年に日本が国際連合の専門機関の一つである国際原子力機関(IAEA)への参加を決めた記念すべき日でもあるという理由からです。
 
なお、昭和31年という年は、戦後日本で初めて原子力予算が認められ、原子力の平和利用に新たなスタートを切った年となります。
 
当時、米国、ソ連、英国では核爆発実験を続けていましたが、原子力を世界の平和のために利用することを日指す国際的な機関の必要性が叫ばれ、IAEA憲章が国連総会で採択された上で、同年10月26日には、日本を含む70カ国で憲章に署名がなされ、原子力の平和利用の国際協力が大きな広がりを持つことになりました。
 
原子力の平和利用に関してはまず、核分裂や核融合で生じる熱エネルギーの利用(原子力発電等)、そしてもう一つの大きな柱は、放射線の利用となっており、医療用のX線撮影は、診断には欠かせない手段となっていることは言うまでもありません。
 
「令和6年度版 原子力白書」(令和7年6月:原子力委員会)を読むに、原子力委員会の上坂充委員長は、公表にあたってとして次のように述べています。
 
「原子力・放射線の技術は、日々の日常生活で手に取るものにも一般的に使われている日常的な技術です。そして、リスクについて知っていただくことはもちろんのこと、原子力・放射線は適切に扱うことで、私たちの現在の生活や将来に大いに貢献するというベネフィットの側面についても知っていただきたいと考え、今回の白書を作成しました。」
 
放射線利用に対しては、よく「正しく恐れる」と表現しますが、不安を抱くだけでなく正しい知識を持つこと、その特徴を生かし、さらに有効利用することを考えていく必要があると、「原子力の日」にあたって思う次第です。
 
 →「令和6年度版 原子力白書」掲載サイトはこちら
 
また、放射線の恩恵に授かるという意味に関しては、昨日書いた父にも関係が。
 
実のところ、父は約4ヶ月前に「下咽頭(かいんとう)がん」に罹っており、本年7月1日から入院。
 
35回の放射線照射と抗がん剤治療により、がん自体の存在は消滅し、担当医師からは「こんなに順調に回復した人は稀」とまで言われながら、無事に9月初旬には退院。
 
その後自宅療養を続けていたところ、症状が出て、見つかったのが「間質性肺炎」だった訳ですが、この要因のひとつが、がん治療の放射線照射が下咽頭であったがために、肺まで届いた放射線によって免疫力が高まり、潜在していた「間質性肺炎」を活性化させてしまったのではとの推察もされるところ。
 
壮絶ながん治療を乗り越えた後だけに、今回の難病罹患に「なぜ続けて二度も試練を与えるのか」と、人生の非情さを感じずにはいられません。
 
また同時に、放射線の恩恵とリスク(今回の場合は不可抗力ですが)とはこういうことと感じるところでもあり、先の原子力委員長の言葉を今一度噛み締める次第です。
 

【夜間の付き添いも4回目。昨朝は、病室の窓から望む野坂山に元気をもらいました。ガンバレ親父!】

「間質性肺炎」との闘い

ブログ 人生観

美空ひばり、八代亜紀、上岡龍太郎。
 
3人に共通するのは、お亡くなりになった原因が「間質性肺炎」であること。
 
ご承知のとおり、肺は鼻や口から吸った空気の中に含まれる酸素を血液へと取り込み、不要となった二酸化炭素を体の外に出す働きをする臓器であり、吸った空気は、肺の一番奥にある「肺胞」という場所に運ばれ、肺胞を取り囲むように流れる毛細血管との間で酸素・二酸化炭素のやり取り(ガス交換)をしています。
 
千葉大学大学院医学研究院 呼吸器内科学のホームページによれば、「間質性肺炎」は肺の「間質」で起こる「炎症」を指すとし、次のように説明されています。
 
「間質」とはいったいどこなのか、なかなかイメージがわきにくいと思います。広い意味で「間質」とは、肺胞や気道(空気の通り道)以外の肺の組織全体を指します。つまり「間質性肺炎」は特定ひとつの病気を指すものではなく、肺で起きるさまざまな炎症性疾患を幅広く指すものなのです。間質性肺炎はその原因や病気の性質によって何十種類に細かく分類されていますが、多くは間質に炎症をおこすことで、肺胞と毛細血管の間の壁(肺胞壁)が厚く硬くなり、ガス交換ができにくくなってしまいます
 

【肺炎と異なる間質性肺炎(製鉄記念八幡病院資料より引用)】
 
間質性肺炎の特徴的な症状としては、労作時呼吸困難(歩行など日常動作での息苦しさ)と乾性咳嗽(痰を伴わない咳)になります。原因が特定できない「特発性間質性肺炎」の場合、初期には症状はありませんが、症状は長年かけて出現・次第に進行しています。しかしながら、病状の進行の程度は人それぞれであり、進行がほとんどみられない方もいます。
 
※急性増悪
経過中に急激に肺胞壁の線維化が悪化することがあり、急性増悪と呼ばれます。かぜやストレスなどを契機として起きることが報告されていますが、なかには原因なく起きる場合もあります。原因不明の特発性間質性肺炎の中で最も頻度の高い特発性肺線維症の場合では、年間5-10%の方に起こるとされています。
急性増悪によって呼吸機能が一段階低下する可能性があります。速やかな対応(酸素やステロイド薬などの投与)を行わないと命に関わる事態になることがあるので注意が必要です。
 

【千葉大学大学院医学研究院ホームページより引用】
 
〈説明は以上〉
 
いま父が、その「間質性肺炎 急性憎悪」と闘っています。
 
20日の緊急入院から今日で6日。
 
時折襲う苦しさに耐えながら、低下する肺の機能を振り絞るかのように全身で息をする父。
 
生きることを決して諦めない父を、家族も同じ思いで付き添い、全力で支えます。

10月26日(日)開催の「地域共生社会推進セミナー」にご参加を

ブログ 地域コミュニティ

令和7年第2回(6月)定例会において、「敦賀市議会ハラスメント防止条例」を可決、制定して以降、これまで以上に自身の言動、行動に気をつけるところ。
 
そのような中、相手の呼び名に関するハラスメントがニュースに。
 
報道によれば、職場で「○○ちゃん」と名前を呼ばれたのはセクハラだとして、佐川急便の営業所に勤めていた40代女性が年上の元同僚の男性に約550万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、「許容される限度を超えた違法なハラスメント」と認定し、22万円の支払いを命じたとありました。
 
判決などによると、男性から名前をちゃん付けで呼ばれたほか、「かわいい」「体形良いよね」と言われたなど、裁判官は、ちゃん付けは幼い子どもに向けたもので、業務で用いる必要はないとし、男性が親しみを込めていたとしても不快感を与えたと指摘。
 
一連の発言を「羞恥心を与える不適切な行為だった」と判断したことを踏まえ、あらためて、呼び名ひとつとっても、相手がどう感じるかを念頭に置いて接することが肝要と感じた次第です。
 
さて、話は変わり、9月定例会の一般質問では、公民館のコミュニティセンター化を踏まえ、これからの地域づくりをどうしていくかについて意見したところ。
 
人口減少、少子高齢社会における地域づくりに向けては「共生」というキーワードが大変重要な訳ですが、10月26日(日)には、敦賀市主催の「令和7年度 地域共生社会推進セミナー」が開催されます。
 
市ホームページでの紹介によれば、セミナーの趣旨・目的は「本市では、一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会の実現に向け、みだしのセミナーを開催します。講師からつながりや支え合いについて学んでみませんか」。
 
敦賀市自立促進支援センターから地域づくりについての活動報告がされるほか、福井県立大学看護福祉学部社会福祉学科准教授の永井裕子氏によるご講演「地域共生社会の実現を目指して -つながり、支え合う地域を創る-」があります。
 

【敦賀市ホームページの開催案内チラシ】
 
少子高齢社会に関しては、私のような団塊ジュニア世代が高齢年齢になる2040年頃には、65歳以上人口が最大となります。
 
15年後といえば、「近い将来」であり、今からこの時代に対応する地域社会の基盤をつくっていかねばならず、それに向けては、行政や議員だけの課題ではなく、市民の皆様とも一緒に考え、答えを見出していかなければならないと思うところです。
 
こうした考えのもと、本セミナーは絶好の機会であり、本ブログをご覧いただいた方にはぜひ、26日のセミナーに参加いただければ幸いです。

衆議院議員定数削減の「約束」は守られるのか

ブログ 政治

10月も下旬に入り、昨日は辻立ちしていても寒いくらいの気温に。
 
あれだけ暑かった夏が遠い日のように感じますが、今日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。
 
秋が一段と深まり、露が冷気によって霜となって降り始める頃とされます。
 
来週には冬型の気圧配置になるともあり、一気に紅葉が進む予感もしますので、何かと気忙しい中においても、深まる秋を楽しみたいものです。
 

【ちなみに、昨朝の気温は14℃でした】
 
さて、一昨日発足した高市新政権。
 
共同通信社が21、22の両日行った全国緊急電話世論調査によると、新内閣支持率は64.4%で、発足時の比較では石破内閣の50.7%、岸田内閣の55.7%を上回ったとのこと。
 
また、ロケットダッシュの如く、各分野において政策を指示しており、昨日は、自民党、日本維新の会、公明党の3党の実務者が、ガソリン税に上乗せされている暫定税率の廃止について協議(そもそも、昨年12月に自民、公明、国民民主党の3党幹事長が合意文書にサインしていること)。
 
ガソリンへの補助金を段階的に増額し、年内にも上乗せ分と同額にすることを目指す方針で合意したとあります(暫定税率廃止までのつなぎ政策とのこと)。
 
安全保障の分野では、小泉進次郎防衛相が記者会見で、潜水艦の動力として原子力を活用(いわゆる「原子力潜水艦」)する考えがあるかどうかを問われ「あらゆる選択肢を排除しない」との見解を示しました。
 
「どれかに決め打ちせず、抑止力、対処力を向上させる方策を検討したい」とも語っており、これに関しても従前より突っ込んだ発言と受け止めるところです。
 
一方、「本当に出来るのか?」と疑問が湧くのは衆議院議員定数の削減。
 
日本維新の会の藤田文武共同代表は昨夜のインターネットメディア「ReHacQ(リハック)」の番組で、自民党との連立合意に掲げた衆院議員定数の1割削減に関し、今国会で法案提出しなければ連立離脱も辞さないと強調していましたが、自民党内に反対勢力があろうことを思えば、極めてハードルが高く、もしや早晩、離脱もあり得るのかと、動向を注視する次第です。
 
決して評論家みたく言うつもりはありませんが、国民民主党においては、いわゆる「103万の壁」と「ガソリン暫定税率廃止」の2つで約束を反故にされた経験があり、それが今回連立しなかった大きな要因でもあります。
 
この状況をある方がSNSで上手いこと例えていました。
 
無銭飲食を2回した客が三度(みたび)来店し、「大将、ラーメンひとつ」と注文されたら、最低でも〝先払い”は求めるであろう。
 
国民民主党の例と同じく、維新との議員定数の話も、これに似たところがあります。
 
本気でやる気があるのか、それとも連立を組むための「ふり」だったのか。
 
「相手との約束は守る」
 
人間関係と同じく、政党間あるいは政治への信頼はこうしたところに懸かっていると考えます。

北九州市「門司港レトロ地区」の歩みと展望を学ぶ

ブログ 敦賀市議会

自民党の高市早苗総裁は昨日、衆参両院本会議の首相指名選挙で第104代首相に選出され、自民と日本維新の会の連立政権を発足させました。
 
なお、女性首相はわが国の憲政史上初であり、歴史的なこと。
 
早速、高市首相は全閣僚への指示書で「責任ある積極財政」の考え方で戦略的な財政出動を行うと明記したとのことであり、国民民主党の玉木雄一郎代表が「これから大鉈(おおなた)をふるって日本を覆う閉塞感に大きな風穴を開けることを期待しています」と述べたよう、国民民主党の掲げる現役世代の手取りを増やす政策や、強い日本経済を取り戻す成長政略は、高市首相の政策と重なるところも多く、こうした政策の実現に向けて邁進いただきたく思うところです。
 
さて、私の方は、一昨日に続き、敦賀市議会 産経建設常任委員会の行政視察に出席。
 
2日目の昨日は、福岡県北九州市にて「門司港レトロ地区」および「クルーズ船誘致の取組み」について視察してまいりました。
 
かつて、明治から昭和初期にかけ栄華を誇った街「門司」は、近代日本を支えた港町として歴史に名を刻んでおり、明治22年に石炭などを扱う国の特別輸出港に指定され、貿易港としての地位を確立して以降、第一次世界大戦頃には、日本三大港(神戸、横浜、門司)の一つとして数えられ、重要な国際貿易の拠点となったものの、第二次世界大戦の終戦とともに大陸貿易が縮小され石炭の輸出も減り、港として低迷し次第に衰退していきました。
 
しかしその後、門司港は行政と民間の協力のもと、1995年に「門司港レトロ」として生まれ変わり、今では年間200万人以上の人が訪れる観光地として、新たな歴史を歩んでいるとあり、視察では、門司港レトロの事業や経緯、民間と連携した取り組みや今後の計画についてお伺いした次第です。
 

【降り立った「門司港駅」。修復した駅の姿に、「今あるもの」を大切にするまちの姿勢を感じた次第。】
 
以下、説明いただいた概要を記載いたします。
 
◉門司港の再開発に関しては、市役所内でも①港を活用した観光地の整備と②港の埋立・売却の2案があったが、「衰退する門司港の活性化」の基本理念のもと、①案を選択した。
◉なお、この際、国からの補助金を得ることで危機を回避することができた。
◉第1期計画では、1988年〜1994年にかけ、約295億円(公共事業費として)を投じ、歴史的建造物の保存活用、海峡めぐり事業などのハード整備を実施。1995年に「門司港レトロ」の名称でオープンし、観光客107万人を集客した。
◉その際の課題として、滞在時間が短く「通過型」であることや飲食物販施設の不足があったことから、これを改善すべく1997年〜2007年にかけて第2期計画を展開。
◉約268億円(公共事業費:約125億円、民間事業費:約143億円)の官民連携のもと、公共では物産館やレトロ展望台などの整備、民間では、門司港ホテルや商業施設の整備を行い、その結果、2007年の観光客は220万人となった。
◉また、第2期事業からは、北九州市が公共の部分を担い、ハードは門司港開発株式会社(民間)、ソフトは門司港レトロ倶楽部(民間)と相互の連携関係を構築している。
◉なお、門司港レトロ倶楽部(民間)においては、当初参加団体は6であったのに対し、今では37団体が参加し、イベント開催や景観・環境づくりに尽力されている。
◉また、その他民間事業者のイベントも2024年度では「432件」開催されており、今では門司港レトロ地区でのイベント開催が、事業者のみならず、観光客・市民にとっても定着している。
◉今年は門司港レトロのオープンから30周年であり、さらに「まちのエンタメ化」を図るべく、関門エリアへの呼び込み、門司港「らしさ」を磨く企画を実施予定。
◉関門エリアは今年、「Green Distinations TOP100」(世界の持続可能な観光地TOP100)の認定を受けたことを踏まえ、将来に向けた取り組みを展開していくとしている。
 

【視察の様子】
 
また、併せてお伺いした「北九州市のクルーズ船誘致の取組み」については、同市において、クルーズ船誘致を市の重点戦略に置き、クルーズ誘致係の部署により、積極的な誘致活動、クルーズ船受け入れ対応をされていること。
 
クルーズ船の誘致に関しては、とにかく他の寄港地との自治体連携が重要であること(門司港は、日本海・瀬戸内6港連携など、4つのルートで自治体連携)、寄港地を決める決定権者に訪れていただき、寄港するにあたり必要なことを指摘いただくことが大事との考えをお伺いすることができました。
 
加えて、セールスに必要な出張旅費を十分確保できるか(欧州なども視野)もポイントとありました。
 
こうして2つのテーマでお伺いをし、一昨日と同様、敦賀と規模感こそ違えど、「今あるもの」を生かした観光施策やクルーズ船誘致に向けても、多くのご示唆をいただくことができ、大変有意義な視察となりました。
 
座学での視察の後は、門司港レトロ展望台にもご案内をいただいたところですが、ご担当いただきました北九州市 観光ブランド創造局 観光にぎわい部 門司港レトロ課ならびに港湾空港局 総務部 クルーズ・交流課の皆様には、大変に丁寧なご対応を頂戴し、心より感謝申し上げます。
 
以上、これにて行政視察の報告を終わりますが、他の産経建設常任委員会メンバーの皆さんとともに学んだことを持ち帰り、敦賀市政に生かしてまいります。
 

【「門司港レトロ展望台」(31階、103m)からの眺め。日本三大港の雰囲気と誇り、ここにあり。】

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