もしや自分は保守的存在なのか?

ブログ 敦賀市議会

水曜日の昨朝は、西浦県道での辻立ちからスタート。
 
辻立ちポイントの名子区(ヨットハーバー前)は、8月16日午前10時40分頃、県道から山側へ約50mの地点でツキノワグマの幼獣1頭が目撃されており、市のホームページでも周知されていたところ。
 
それだけに昨日は、周囲に警戒をしつつの活動でしたが、活動をともにしてくれた若手労組役員は写真を見てお分かりのよう元気ハツラツ。
 
お陰様で、明るい笑顔での活動となりました。
 

【元気ハツラツの相方とツーショット】
 
なお、クマ出没に関しては、秋には山ぎわまで食べ物を求めて活動することから、これからのシーズンはさらに警戒、留意が必要と認識する次第です。
 
また、この日はこの後、市議会の広報広聴委員会に出席。
 
11月に開催を予定している「令和6年度 議会報告会」の内容等について協議しました。
 

【10時より開催された広報広聴委員会】
 
「議会報告会」に関しては、これまでの開催実績も踏まえ、市民の皆さんにいかに「参加してみよう」と思っていただけるか、また、参加された方が「有意義であった」と感じていただけるような企画・内容にすることがもちろん大事なポイントであり、自分自身、さまざま意見しましたが、従前やってきたことの考え方や議会全体としての体裁(議員間、委員会間の公平性など)に重きを置くが故、気付けば委員会の中で保守的立場の存在になっていたのではと反省。
 
自身も委員長を務めたことがある当委員会においては、前述の視点で、これまでもマイナーチェンジを重ね、改善してきているとはいえ、参加意欲を掻き立てるに至るまでには、参加者側の視点をもって相当ドラスティックに変化しないといけないものと認識したところです。
 
敦賀市議会基本条例の中で「年1回以上開催」と規定している「議会報告会」。
 
市民の皆さんにとって、より身近で分かりやすい議会と感じていただく絶好の機会であるため、前例にとらわれ過ぎぬよう留意のうえ、委員の一員として役割を果たしていく所存です。
 
さて、話しは変わり、本日は二十四節気の「処暑」を迎えました。
 
「処」には止まるという意味がある通り、暑さがおさまる頃を表わしますが、本日の敦賀は35℃になるよう。
 
残暑はまだ厳しいものの、朝晩散歩に出ると確実に過ごしやすくなっているのも事実。
 
今朝も心地良い風が吹いていましたが、夜は聞こえてくる虫の音も癒しに、季節の移り変わりを楽しみたいものですね。
 
ではでは、本日のブログはこれまでに。

敦賀FMの「歴史コーナー」にゲスト出演

ブログ 敦賀の歴史・文化

「厳重抗議」で済ませる話ではないだろう。過去にも同じような事案がないのかも含め徹底的に経緯を調査し厳正に対処する必要がある。我が国の公共放送としてあるまじき事態。
 
国民民主党の玉木雄一郎代表が、X(旧Twitter)でこうポストしたのは、19日午後、NHKのラジオ国際放送で、沖縄の尖閣諸島を「中国の領土」と述べた問題。
 
この放送(中国語ニュース)の中で、日本語の原稿を翻訳して読んでいた中国籍の外部スタッフが、ニュースを伝えた後に、沖縄県の尖閣諸島について、中国の領土であると述べるなど、原稿にはない不適切な発言を行いました。
 
NHKは、「ニュースとは無関係の発言が放送されたことは不適切であり、深くお詫び申し上げます。再発防止策を徹底します」とコメントするとともに、このスタッフと業務委託契約を結んでいる関連団体を通じて本人に厳重抗議。
 
関連団体は、本人との契約を解除する方針とのことですが、玉木代表はさらに、「我が国の立場と全く相いれない主張を、日本の公共放送であるNHKが行ったことは重大な問題だ。速やかに実態調査を行って国会や国民に報告を求めていきたい」とも述べており、国会の場でNHK側に経緯説明を求める考えを示しています。
 
ラジオ放送は、その場限りで流れていくとは言え看過できない発言であり、NHK側の今後の対応に注視していきたいと思います。
 
さて、同じラジオでも、私のほうは昨日、地元の「敦賀FMハーバーステーション」の番組に出演。
 
といっても、既に事前収録したものがオンエアーされた訳ですが、番組は12:00〜13:55の「ハーバーアフタヌーンクルーズ」(敦賀FM 77.9MHz)で、毎月第3火曜13時過ぎから放送されている歴史コーナー「ゆいの『えー!そうなんやぁ!!』」。
 
気比史学会の事務局長として、自身2度目のゲスト出演となるこのコーナーでは、「平安時代の敦賀」についてご紹介。
 
前回の本年3月では、北陸新幹線敦賀開業を踏まえた「敦賀と鉄道」に加え、NHK大河ドラマ「光る君へ」に合わせ、紫式部(ドラマでは「まひろ」)が父 藤原為時らと通った「深坂古道」についてお話ししましたが、今回は同じNHK大河と掛けて上記のテーマ設定とした次第です。
 
平安時代の概要から入り、主には「敦賀の三大謎」(あったことは間違いないが、場所が特定できていない)のひとつである「松原客館」について、ちょうど7月27日の敦賀市民歴史講座(40期第2講)で追手門学院大学の南出眞助先生からあった講義の内容をもとに、歴史地理学から見た推定候補地や松原駅の話題についてお話ししたところ。
 
なお、詳細の内容についてはご参考まで、以下のリンクよりご覧いただければと存じます。
 
→「松原客館の謎」を紐解く 〜敦賀市民歴史講座(第2講)〜(2024年7月29日ブログ)
 
この番組の企画、パーソナリティーを務める「ゆいさん」は、ご自身も甲冑を纏うほどの歴史好き。
 
場慣れしているゆいさんの、聞き上手と合いの手もあって、リラックスしてお話しすることができたうえ、最後には「敦賀、おもしろいです!ご出演ありがとうございました!」とのお言葉をいただき嬉しい限り。
 
次の出演は来年の2月ということで、既にオファーもいただきましたが、こうした機会をいただけることを光栄に思いつつ、豊富で悠久の歴史をもつ敦賀のことをより多くの市民の方に知っていただけるよう、今後も気比史学会のメンバーの皆さんとともに活動していく所存です。
 
今回は事後報告となりましたが、またこうした企画のご案内をいたしますので、皆様方におかれましてはぜひご参加いただければ幸いに思います。
 

【事前収録後にゆいさんと記念撮影。今回もお声掛けいただき誠にありがとうございました。】

嬉しきエールを力に「継続は力なり」

ブログ 活動報告

3回戦で、早稲田実業との激闘を制した大社高校(島根)。
 
夏の甲子園大会は昨日、準々決勝が行われ、神村学園(鹿児島)と対戦した大社は、五回まで2―2の接戦を繰り広げるも、結果2-8で敗れました。
 
ライブで観ることはできませんでしたが、五回途中から登板した大社の馬庭投手は疲れもあってか、制球が甘くなり神村打線に連打を浴びましたとありました。
 
それでも最後まで気迫の熱投を続けるエース、そして早実戦で見せた驚異の粘りとチームワークは鮮明に記憶に残るものであり、大いに健闘を讃えたいと思います。
 
甲子園大会は本日の休養日を挟み残り2日。
 
準決勝に進んだ青森山田、神村学園、京都国際、関東第一(東東京)はいずれも春夏通じて初優勝が懸かるとのことであり、栄光を懸けた激闘を期待する次第です。
 
さて、ついつい高校野球の話題になってしまいましたが、お盆期間から明けた昨朝は、週初めの街頭活動。
 
いつもの粟野交番前の交差点に立つと、先週あれだけ少なかった交通量が復活。
 
自転車の高校生たちは夏休みも関係ないようで、制服やジャージ姿で元気に通学していきました。
 
週に一度とはいえ、毎週挨拶を交わしていると親近感が生まれるもので、最近では、先に声を掛けてくれる高校生もいて嬉しい限り。
 
なお、街頭では、昨日のブログでも紹介したお盆時期に発生した交通事故事例をもとに、交通安全の呼び掛け(交番前につき定期的に実施)や敦賀市議会として意見書を提出している「エネルギー基本計画」見直しについてなど、議会あるいは自身の活動のトピックスをお話ししました。
 
街頭での約30分の間、通行するお車からはお手振りや会釈などいただき感謝。
 
嬉しきエールを力に、引き続き活動に励む所存です。
 
また、昨日からは職場での活動報告会も開催。
 
「活動の原点は地域と職場の声にあり」の思いのもと、本日以降もしっかりと考えを届けてまいります。
 

【街頭活動を終えて。「継続は力なり」とコツコツ活動を続けていきます。】

「注意一秒、ケガ一生」交通安全にご注意を

ブログ 防犯/防災

長い方では、最大9連休となった今年のお盆休み。
 
最終日の昨日は、お盆を故郷や海外などで過ごした人たちで各交通機関が混雑している様子が報じられており、楽しい夏の思い出とともに無事帰宅されることを願うところ。
 
そうしたなか、福岡市の国道で路線バスと軽乗用車が衝突し、軽乗用車に乗っていた7歳と5歳の姉妹が死亡した事故のニュースがありましたが、家から出て数分の場所で発生したこの事故。
 

【事故現場の状況(FNNプライムオンラインより引用)】
 
バスを運行していた西日本鉄道によると、運転手は「対向車が中央線をはみ出してきたので、急ブレーキをかけて左にハンドルを切った」と話しており、運転する母親が何らか操作を誤った可能性が高いともあり、事故現場の状況を見るに、胸が締め付けられる思いがしたところです。
 
全国では、ご先祖様の御霊をお迎えするお盆期間中にも、自分、もしくは家族が逝ってしまう事故が多発した訳ですが、15日には、栃木県那須塩原市の東北自動車道下り線で、逆走してきたとみられる車両が正常走行中の車両と正面衝突し、4人が死傷した事故がありました。
 
少し信じられませんが、NEXCO東日本によれば、高速道路での逆走事案はおおよそ2日に1回のペースで発生しており、逆走した運転手は高齢者が多く、平成23年から令和4年の間で年齢の確認が取れた逆走事故・事案では、全体の7割が65歳以上だったとの分析結果があります。
 
また、逆走の主な動機では、目的のインターチェンジを通り過ぎてしまい本線をUターンするといった「故意」のケースや、一般道からの進入箇所を間違うなどの「過失」、逆走を終えた時点でも認知症などで本人に自覚がない「認識なし」などがあるそう。
 
北陸自動車道では滅多に聞かない逆走事案ですが、高速道路においてはこうしたリスクがあることを認識しておくことが肝要と考える次第です。
 
翻って福井県。
 
福井県警察ホームページの「交通事故統計」を見ると、令和6年6月末までの交通事故死は「8人」。
 
このうち7人は高齢者で、死者数に占める割合は「88%」となっています。
 
また、人身事故件数は「453人」で前年同期比-2人。
 

【福井県警察HP「交通事故統計」より抜粋】
 
 →福井県警察HP「交通事故統計」ページはこちらから
 
路線別発生状況では、死者数6件、人身件数163件で「市町道」が圧倒的に多く、時間別では「16時〜18時」、事故類型では「横断中」・「追突」の割合が多い結果となっています。
 
交通事故に関しては、よく言われる「注意一秒、ケガ一生」。
 
「ケガ」にはもちろん、「死」や「悔い」も含みます。
 
お盆休み明けの今日からは、様々な意味で活動が活発になろうかと思いますが、上記の統計なども頭に入れて、とりわけ交通安全にご留意いただけますようお願いいたします。
 
こうした呼び掛けている私ももちろん、注意いたします。

お互いの生徒が美しかった「激闘」 〜甲子園史に残る早実vs大社戦〜

ブログ 人生観

お盆も終わり、約1週間帰省していたわが家の長女も昨日、東京へ戻って行きました。
 
最後のお昼には、故郷のパワーチャージとばかりに「ヨーロッパ軒」をしっかりと味わってもらいましたが、敦賀のソウルフードも胸に、何をおいても健康第一でまた頑張って欲しいと思います。
 
こうしてお盆も過ぎると晩夏、季節は秋へと言いたいところですが、私の中で夏の終わりを告げるのは「甲子園の決勝戦」。
 
つまりは、今はまだ夏真っ盛りな訳ですが、それを象徴するかの如く、熱戦続く「第106回全国高校野球選手権大会」で昨日は「壮絶な」試合がありました。
 
その試合は、ベスト8進出を決める3回戦最後に登場した、早稲田実業(西東京)vs大社(島根)。
 
夏の選手権第1回から出場を続ける伝統校同士の対決は、まさに手に汗握る大接戦のうえ、大社が延長11回タイブレークの末、3―2で早稲田実業(以下、早実)にサヨナラ勝ちし、93年ぶりの準々決勝進出を果たしました。
 
両校ともに2回戦をタイブレークで制し勝ち上がってきましたが、この日も中盤まで同点のまま進む緊迫した試合展開。
 
試合が動いたのは1―1の7回表、早実の先頭打者が放った打球をセンターが後逸し、まさかのランニングホームランで勝ち越し。
 
万事休すと思われた9回裏、今度は早実の守備の乱れもあり、大社がスクイズで追いつき、なおも一死二、三塁の場面で球場がどよめく奇策に打って出たのが早実の和泉監督。
 
守備固めでレフトを交代させたと思いきや、代わって入った西村選手は外野に向かわず、ピッチャーと三塁の間を守らせる「内野5人シフト」を敷き(もちろんレフトはガラ空き)、続く大社の打者、藤原選手の打球は狙い通りそこに転がり、一塁へ投げて二死、さらに本塁に突入した三塁走者もアウトにスリーアウト。
 
記録上は「レフトゴロ」でサヨナラ負けを防ぎました。
 
この作戦を「奇策」と書きましたが、試合後、早実の和泉監督はインタビューで、西村選手の起用について「一番守備が安定している。スクイズだけはさせまいと思って。うまく彼のところにいって処理して、ホームタッチアウトもできた。予選からこういうのがあるよと練習はしていたが、練習試合を含めて試合では初めてだった。」と明かしました。
 
これも「想定内」とイメージのうえ、普段から練習していたことに脱帽した次第です。
 
この後、無死一、二塁から攻撃するタイブレークに入り、この場合の「鉄則」とも言える、まずは送りバントで二、三塁とすることを試みるも、両者素晴らしい守りでこれを防ぎ、試合は11回へ。
 
そして、この試合最大のポイントと言っても良い場面が、11回裏、大社の攻撃で代打で登場した安松選手。
 
両チームあれだけ決められなかった送りバントを、今大会初出場の安松選手が、見事に三塁線上に決めてチャンスを広げ、続くエース馬庭選手が決勝打を放ちサヨナラ勝ちとなった訳ですが、今度は大社石飛監督が、同じく試合後のインタビューで「もちろん(安松選手が)初出場なのは分かっていました。ただ、あの場面で選手たちに聞きました。“ここでバント決められる自信があるものは手を挙げろ”と。すると安松が手を挙げて”サード側に決めてきます”と」と話したところで声を詰まらせ、監督は「私は信じるだけでした」と絞り出しました。
 
また、石飛監督はインタビューで「選手、生徒の夢と可能性は無限大」、「試合の途中、ベンチではサヨナラで決めると言っていた」と、強豪早実を相手に凄まじい緊張感の中で、選手の可能性を信じ、勝利に向かって鼓舞し采配を振るった姿、言葉に感激した次第です。
 
この試合では、これ以外にも、7回に後逸で勝ち越しを許したセンター藤原選手に「気にするな」と手を振り、イニング終了後ベンチに戻っても励ます馬庭投手の姿があり、また馬庭投手のサヨナラ打に一番最初に抱きついたのが藤原選手であったなど、まさに地獄から天国へ、こうした人間ドラマに人生観を見た気がしたところです。
 
試合後の球場全体から両チームへの惜しみない拍手、早実の和泉監督が試合後のインタビューで涙して語った、「お互いの生徒が美しかった。負けは覚えられてないけど、今日の敗戦は監督を辞めても覚えていると思う」とうなずいたシーンが、この試合を物語っていましたが、まさに「激闘」。
 
甲子園100年の歴史に残る、100年以上の伝統を誇る両校の名勝負に涙し、心から拍手を送った次第です。
 
明治31(1898)年創立で、約3キロ離れた位置にある出雲大社に最も近い大社高校。
 
この日の実況が「神々の国からやって来た少年たちの快進撃は100年の甲子園でまだ続きます!」と言っていたとおり、次の準々決勝でも監督と選手、選手同士が信頼し合うこのチームの快進撃を期待して止みません。
 

【激闘を終えた甲子園球場。夏も残り3日。】

6年ぶりの「とうろう流しと大花火大会」

ブログ 敦賀の歴史・文化

関東・東北地方に迫る台風7号の影響、今にも降り出しそうな厚い雲に覆われどうなるのかと、敦賀にお住まいの皆さんはさぞかしヤキモキしたであろう昨日。
 
主催する敦賀観光協会の電話ガイダンス及びホームページには「開催するが、急遽の天候不良の場合は中止もある」とあり、開催したい気持ちと安全第一の狭間でこう周知するしかなかったであろうと、関係者の方々の気持ちを汲み取った次第ですが、思いが通じたかの如く、夕方頃には雲間から青空が覗くなど安堵した次第です。
 
ここまで書いて何のことかと言えば、毎年8月16日に開催される敦賀の夏の風物詩「第75回とうろう流しと大花火大会」のこと。
 
新型コロナウイルス禍や天候不順などが重なり、なんと6年ぶりとなったこともあり、敦賀市民はもとより、毎年楽しみに訪れる皆さんの期待もさぞかし大きかったもの。
 
今年の大会に関しては、敦賀観光協会ホームページの記載を借りれば、コンセプトは「名勝『気比の松原』をバックに繰り広げられる一夜。海面には読経に合わせて鮮やかな灯篭が流され、幽玄な空間に。6年ぶりの開催となる今年の『とうろう流しと大花火大会』は、約10,000発の花火を打ち上げます。今大会のテーマは『かがやきの、その先へー敦賀と未来をつなぐ光―』、北陸新幹線敦賀開業を祝うプログラムや※明治15年の長浜~敦賀間の鉄道開通から大正、そして今年の北陸新幹線敦賀開業と敦賀市の鉄道の今と昔を伝えるプログラムで夜空を彩ります。」とのこと。
 
※明治15年は、柳ケ瀬隧道から金ヶ崎間の開業であり、長浜〜敦賀間の鉄道全線開業は「明治17(1884)年」です。
 
このように、敦賀にとって「歴史の転換点」と言える北陸新幹線敦賀開業という記念すべき年に、無事に開催できたことを心より嬉しく思った次第です。
 
大会は予定通り、すっかり暗くなった19時半に米澤光治敦賀市長、敦賀観光協会の池田裕太郎会長の挨拶を合図にスタート。
 
ちょうど家族全員が揃ったわが家は、近所の田んぼ道(高低差があるため十分見える)から観覧しましたが、道沿いは同じ考えの皆さんで賑わい、こうして敦賀市内のそれぞれの場所から、それぞれのシーンで6年ぶりの大花火を楽しんでおられることを、またまた嬉しく感じたところです。
 
なお、今朝の新聞を見ると、昨日訪れた数はなんと22万人だそう。
 
以前が確か18万5千人であったかと記憶していますが、市内外を問わず、やはり皆さん「待ちに待った」ということに加え、これも北陸新幹線の開業効果であれば良いなと思った次第。
 
大花火の模様は、ちょうどフィナーレのシーンを写真を以下に掲載しますが、田んぼ道からも「お見事!」と拍手が湧き起こったことも併せて紹介いたします。
 

【約1万発のフィナーレを飾る大花火】
 
花火に話題が行きがちなこの大会ですが、元々は戦没者慰霊のために始まったお盆の行事。
 
敦賀びー旅日記さんの「note」(ブログのようなもの)を拝見すると、第1回の「とうろう流し」が行われたのは戦後間もない昭和25年。
 
花火が打上げられたのは、とうろう流しが始まった数年後と聞いていますが定かではないとのこと(昭和29年には花火が打上げられている写真あり)。
 

【敦賀びー旅日記さんの「note」にあった、昭和42年の貴重な写真】
 
市民の方へのインタビューでは、「小さい頃なので正直とうろう流しの意味を深くは分かっていなかったけれど、家族に言われてとうろうを流すときはご先祖様の事を想いながら流し、その時の想いというのは大人になった今でも忘れないと言いいます。」
 
「大人になり都会に出た人も、小さい頃気比の松原でとうろう流しをした事はふるさとを想う気持ちとしてずっと残るものだと思う」
 
との言葉があり、「人道の港」を謳う敦賀にとって「とうろう流し」はご先祖様を敬う気持ちを込めて、「また来年会おうね」と打上げられる花火は皆の心に残る、アイデンティティと言えるもの。
 
改めて敦賀の誇りであると思った「とうろう流しと大花火大会」。
 
こうして盛大に開催できたことに対し、関係者の方々に感謝申し上げるとともに、また来年も、多くの皆さんにお越しいただけることを願っています。

忘れてはならない終戦後も続いたソ連軍の北方侵攻

ブログ 政治

非常に強い台風7号は、16日4時には八丈島の東南東にあり、台風を取り巻く雨雲が既に、伊豆諸島や関東の広い範囲に掛かっている状況。
 
関東甲信の広い範囲で風が強まるのは「昼過ぎ以降」とのことですが、予想される最大風速(最大瞬間風速)は何と40メートル(60メートル)と大変強く、16日6時から17日6時までに予想される24時間降水量は多い所で、関東甲信地方300ミリ、東北地方200ミリとのこと。
 
降水量は、線状降水帯が発生すればさらに増えるとあり、被害が最小限に留まることを念ずる次第です。
 
さて、終戦の日の昨日は、各所にて犠牲になった方々に哀悼の意を捧げたところですが、79年前の今日以降も続けられたのが、ソ連軍による我が国の領土である北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)への侵攻。
 
先の大戦の末期、日本がポツダム宣言を受諾し、降伏の意図を表明した後にソ連軍が北方四島に侵攻し、日本人島民を強制的に追い出し、現在にいたるまで法的根拠なく占拠し続けている、いわゆる「北方領土問題」となった史実がここにあり、そこに至る経緯を「独立行政法人 北方領土問題対策協会」の掲載記事で、自身も正しく歴史認識する上で振り返っておきたいと思います。
 
<ソ連軍侵攻から北方四島ソ連編入までの経過>
 
◉昭和20(1945)年4月5日、日ソ両国で批准した「日ソ中立条約」の不延長を通告してきたソ連のモロトフ外相は、同年8月8日クレムリンに佐藤駐ソ大使を呼び、8月9日から日本と戦争状態になることを通告し、宣戦布告。
◉佐藤駐ソ大使は、宣戦布告を直ちに東京に打電しましたが、この公電は日本に到着していませんでした。そのため、日本政府はソ連の宣戦布告をすぐに知ることができず。
◉宣戦布告がまだ日本政府に達していない8月9日未明、ワシレフスキー将軍の率いる160万のソ連極東軍は、ソ連と満州の国境、モンゴル、ウラジオストク、ハバロフスクの3方面から総攻撃を開始。これは、「日ソ中立条約」の有効期限内(1946年4月25日失効)のことでした
◉また、樺太では、バーツロフ大将の指揮する約35,000人が、8月11日に北緯50度の国境を越えて侵入したため、約20,000人の日本軍と戦闘。
◉8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾して無条件降伏。
◉8月16日にグネチコ将軍の指揮するソ連軍がカムチャツカ方面から行動を開始し、8月18日には占守(しゅむしゅ)島に上陸、約25,000人の日本守備隊と交戦。しかし、日本軍は北部方面軍司令部の命令により交戦を中止し、8月23日に日ソ両軍現地停戦協定を締結し、武器をソ連軍に引き渡し
◉その後も、ソ連軍は千島列島各地に駐屯する日本兵を武装解除しながら南下を続け、8月31日までに得撫(うるっぷ)島の占領を完了。
◉また、ソ連軍は、8月28日に択捉島に上陸、9月1日には国後島、色丹島に達し、9月3日には歯舞群島にまで及び、9月5日までにことごとく占領。なお、9月2日には、東京湾上の戦艦「ミズーリ」甲板で、ソ連代表も参加して降伏文書の調印式が行われました。
◉翌昭和21(1946)2月2日、ソ連は「南サハリン州の設置に関するソ連邦最高会議幹部会令」を発し、北方四島を自国領に編入。
 
これが、一連の歴史的経過となります。
 
なお、以下の解説図に示すとおり、北方四島は、安政元年(1855)2月7日、日本とロシアは日魯通好条約を結び、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認しており、それ以降も北方領土が外国の領土となったことは一度もないことを再確認しておきます。
 

【北方領土問題対策協会HPに掲載のパンフレットより抜粋】
 
日本政府においては、北方四島交流等事業について、令和4年9月にロシア政府が四島交流及び自由訪問に係る合意の効力を停止する旨の政府令を発表したことは極めて不当であり、断じて受け入れられないこと、日露関係の今の状況は全てロシア側に責任があり、北方領土問題について、ウクライナ情勢によって日露関係は厳しい状況にありるものの「領土問題を解決して平和条約を締結する」との基本方針を堅持していく考えとしています。
 
日本の敗戦を見越し、まさに「火事場泥棒」のように奪われた我が国の領土。
 
この史実をしかと認識し、国際世論も巻き込んで、何としてでも取り返さねばなりません。
 
なお、安政元年に日魯通好条約を結んだ2月7日は、「北方領土の日」であり、私の誕生日でもあることを申し添えておきます。

早田ひな選手の発言と特攻で逝った英霊の思い

ブログ 人生観

水戸、土浦、習志野、袖ケ浦、市川、世田谷、練馬、山梨、松本、諏訪、浜松、三河、尾張小牧、名古屋、岐阜、富山、石川、奈良、飛鳥、滋賀、京都、大阪、なにわ、堺、神戸…。
 
これは昨朝、名子のヨットハーバーで辻立ちをしていた際に、前を通過した車のナンバー。
 
割合は明らかに福井ナンバーを上回り、この後も続々と敦賀半島を先へ行く車の列は続きましたが、夏の思い出づくりに、敦賀の海を選択いただいたことを嬉しく感じた次第です。
 
と同時に、お盆時期と重なることもあって、こうした「平和」の大切さを感じたところですが、本日は終戦から79年となる8月15日。
 
政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われるほか、各地でも同様の追悼式が行われますが、先の大戦で犠牲となった約310万人のご冥福を心からお祈りいたします。
 
「先の大戦」に関しては、パリ五輪卓球女子シングルスで銅、団体で銀メダルに輝いた早田ひな選手が13日、帰国記者会見で発言したことが話題になっています。
 
会見で「いまやりたいことは」と聞かれた早田選手は、「アンパンマンミュージアムに。ちょっとポーチを作りに行きたいなと思っているのと」と答えた上でさらに、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続け、特攻に関する資料が展示される知覧特攻平和会館を行きたい場所として挙げました。
 
「知覧特攻平和会館」とは、大戦末期の沖縄戦において、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員1036人の遺品や関係資料を展示している場所ですが、早田選手の発言を受けて同会館は、「早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたく感じております。また、若い世代の『特攻』を知らない皆さんにもこれを機会にご来館いただき、特攻の史実を知っていただければ幸いと存じます」。
 
早田選手が来館した場合、どこを見て欲しい、どういう所を知って欲しいかとの問いには、「知覧特攻平和会館では隊員の多くは早田選手と年齢も近しい年代です。それらを見学いただくことで,会見でも話されておられるよう、生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸いと考えます」と答えています。
 
その「知覧特攻平和会館」の詳細に関しては、以下のリンクよりぜひご覧いただきたく存じます。
 
 →「知覧特攻平和会館」ホームページはこちら
 
なお、ホームページには特攻隊員が家族や恋人に宛てた遺言や手紙が掲載(デジタルアーカイブ)されており、そのひとつをご紹介いたします。
 
これは、23歳の穴澤利夫大尉(戦死後の階級)が出撃前に婚約者に宛てた手紙で、女性がこの手紙を受け取ったのは戦死から4日後。
 
<原文抜粋>
 
今は徒(いたずら)に過去に於(お)ける長い交際のあとをたどり度(た)くない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へ(え)て進ませて呉(く)れることと信ずる。然(しか)し、それとは別個に婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。
 
「あなたの幸せを希ふ(ねがう)以外に何物もない」
 
「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)る勿(なか)れ。あなたは過去に生きるのではない」
 
「勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面(しんかつめん)を見出すこと」
 
「あなたは、今後の一時(いっとき)一時(いっとき)の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には、もう存在しない」
 
<引用終わり>
 
彼女の幸せを一途に願い、自分を忘れ、これからを生きよと切に伝える文面に言葉がありません。
 
特攻作戦を美化するつもりはありませんが、一途にこの国と愛する家族や恋人を守るため、若くして散ったその史実を語り継ぐこと、英霊たちの犠牲の上にあって、今の自分や家族の暮らし、今の平和があることを深く胸に刻む次第です。
 

【昭和20年4月12日、知覧高等女学校の生徒達が、出発線に向かう第20振武隊の穴澤利夫少尉(当時)を八重桜の枝を振って見送る場面(同館HPより引用)】
 
今日で終戦から79年を迎えますが、戦争を知らない世代が多くなる中、早田選手の今回の発言が、戦争や特攻についてあらゆる世代が学び、知覧に行かずとも、「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさ」を実感する機会になればと願うとともに、勇気をもってこのような発言をされた早田選手に敬意と感謝を申し上げる所存です。
 
なお、終戦の日を前に昨日、岸田文雄首相が9月の自民党総裁選に出馬しない考えを示しました。
 
私は、このタイミングで表明したことに何かメッセージ性を感じずにはいられませんが、現政権与党のリーダーになる方には、自民党を守るためではなく、日本古来からの歴史を大切に国家観を持ち、先の大戦で犠牲になられた方々や拉致被害者、そのご家族の思いを受け止め、真にこの国を守り抜く覚悟のある方に就いていただきたい。
 
そのことだけを申し上げ、本日のブログを閉じたいと思います。

Uターンラッシュと重なる「台風7号」

ブログ 防犯/防災

昨朝は、粟野交番前にて街宣活動。
 
週初めに続けている活動ですが、今週は三連休につき火曜日にスライドしての実施。
 
お盆休みとあってか交通量はやや少ないものの、通り掛かった同級生を始め、多くの方にお手振りや会釈などをいただきありがたい限りであり、引き続き、政治や市議会への関心を高める意味においても継続する所存です。
 
さて、雲ひとつない青空、朝から日差しが強い一日でしたが、SNSでは、青空に真っ直ぐに伸びた雲の写真とともに投稿される「地震雲」がキーワードになっているそう。
 
8月8日、宮崎県で起きた最大震度6弱を観測する地震を受け、気象庁は初めて、南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を発表し、地震への不安が高まる中、翌日の9日以降「地震雲」に関する投稿が急増しており、さらには、日時と場所を特定し、「地震を予知」するような投稿も多く投稿され、中でも多かったのが今日、「8月14日に地震が起きる」というものだそう。
 
こうした状況を踏まえ、気象庁は10日の会見で「日時と場所と規模を特定して地震を予測することは現在の科学技術ではできないと、国として見解が出され、気象庁もそのように考えている。そういう情報はデマ。デマに惑わされず備えや災害対応をとって欲しい」と、こうした投稿を「デマ情報」だと明確に否定しています。
 
元日の能登半島地震の際もそうでしたが、自然災害に関するデマ情報に惑わされ、無駄に不安を募らせることのなきよう、「正しく恐れる」ことにご留意ください。
 
一方、こちらは「予測ができる」台風。
 
今年は、お盆時期に合わせるかのように台風が立て続けに発生しており、13日午前3時には日本の南で台風7号、午後3時には南鳥島近海で台風8号が発生しています。
 
台風8号は日本の東を北上し、15日には再び熱帯低気圧に変わる見込みとあるものの、特にこれから注意すべきは「台風7号」。
 
台風7号は本州に近づいても勢力を落とすことなく日本の南を北上し、16日頃は、暴風域を伴ったまま強い勢力で関東や東海を直撃する恐れがあり、17日にかけて東北の東海上を北東へ進むと予想されています。
 

【台風7号の予想進路(tenki.jpより引用)】
 
先ほどの「デマ情報」と違い、台風の中心が予報円を通る確率は「70%」。
 
太平洋高気圧の張り出し具合が、進路を東寄りするか西寄りにするかの分かれ目とのことであり、いずれにしても不測の事態にも備え、留意する必要があります。
 
なお、言わずもがな、お盆のUターンラッシュのタイミングと重なり、交通機関に大きな影響が出ることが考えられます。
 
帰京するわが長女もそうですが、最新の情報を確認した上で、場合によっては予定の変更も検討する必要があります。
 
なお、この時期に重なるのが、16日に敦賀で開催される「第75回とうろう流しと大花火大会」(主催者は敦賀観光協会)。
 
新型コロナや悪天候のため、6年ぶりの開催となる「敦賀の夏の風物詩」では、約10,000発の花火を打ち上げる予定としています。
 
これに関しても慎重な判断がされるかと思いますが、例年と異なるのは、荒天の場合に備え「延期」を設けていること。
 
敦賀市ホームページによれば、「荒天延期、小雨決行(荒天の場合は、花火大会のみ8月24日(土曜日)に延期します)」としていますので、こちらの情報にもご留意いただけますようお願いいたします。

野球界の分水嶺となるか「低反発バット」

ブログ

パリ五輪は閉幕しましたが、熱い戦いが繰り広げられているのは「夏の甲子園」。
 
大会第6日の昨日は2回戦4試合が行われ、地元福井からは北陸高校が登場。
 
強豪の関東第一(東東京)に1-7で敗れ、1992年の第74回大会以来32年ぶりの甲子園勝利はならなかったものの、点差を広げられても、逆転を信じて粘りのプレーを貫く選手達の姿を清々しく感じた次第です。
 
さて、昨日、東海大相模(神奈川)の選手が放ったホームランが、何と今大会の第1号。
 
タイブレーク制度、球数制限、申告敬遠、継続試合の採用など、ルールが続々と変わる高校野球ですが、2024年春からは反発力を抑えた新基準の低反発バットに完全移行していることはご存知の通りかと。
 
これまでの飛びすぎる金属バットが見直され、いわゆる「低反発バット」に完全移行した目的には、①投手の怪我防止、②「打高到底」傾向の調整、③投手の負担軽減 とあり、高野連が定めた新基準のバットは現行のバットよりも細く、厚くして低反発で打球速度が抑えられるもので、より木製バットに近いものになっているとのこと。
 
ホームランが出にくいことにより、「一発大逆転」の試合も当然少なくなり、一部から「面白くない」との声も聞かれるところですが、木製バットでは「投手の球に詰まったら終わり」が常識ですが、金属バットは弾きが良い分「詰まっていても力で持っていけばヒットになる」「泳がされても跳ぶ」ことなど、金属バットに頼ることによる「技術習得の鈍化」も叫ばれてきたところ。
 
プロ野球で小手先だけの金属バット打法は通用しないことに加え、アメリカでは既に、金属バットの打球によるアクシデントを受けて金属バットの使用規制が進み、「BBCOR」という新基準が設けられており(反発係数が木製バットと同等)、高校生の国際試合は、木製バットかこの「BBCOR仕様バット」しか使えないことから、世界で戦うためにも、今回の規定変更は野球界にとってプラスになるとの意見に納得。
 
一方、清原和博氏(PL学園)が持つ甲子園大会の通算最多ホームランは「13本」ですが、これを超える選手が現れることはもうなさそうですね。
 
なお、「金属バット」の歴史を振り返れば、高校野球で金属バットの使用が解禁となってのは、1974年だそう。
 
つまりは、この年が「打高投低」時代の始まりと言えますが、初年度は多くの学校で金属バット化に対応できず、木製で出場した選手がほとんどだったようで、この年の夏の甲子園を制した銚子商業の4番、元・巨人の篠塚利夫選手も「手の感覚に合わない」と木製バットでの出場だったとのこと。
 
この1974年は、プロ野球では読売ジャイアンツのV9時代が終焉し、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄選手が引退。
 
その一方で、王貞治選手は戦後初の三冠王を達成し、プロ野球の打の主役が明確に入れ替わる年となるなど、野球界にとってひとつの分水嶺とも言える年でした。
 
それからちょうど半世紀。
 
後に歴史を振り返ればまた、2024年が野球界にとって分水嶺の年であったと思いつつ、今夏の甲子園大会を観戦するのも良いのではないでしょうか。
 
(余談ですが)
 
水島新司先生の「ドカベン」の連載が始まったのは、この翌年の1973年。
 
中学時代は木製バットだった、ドカベンこと山田太郎も金属バットに変え、ホームランを量産。
 
写真は、「大甲子園」で中西球道君(青田高校)の豪速球を見事に捉えるドカベンのシーンですが、金属バットの登場は、高校野球漫画界にとっても分水嶺であったと言えるではないでしょうか。
 

【ちなみに、被弾した男・中西球道君の格言は「球けがれなく 道けわし」。水島漫画の中で、私が最も好きな選手です。】

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