若者のエネルギーあふれる「敦賀市総合計画審議会」!

ブログ まちづくり

今朝の福井新聞1面は、米大統領選のバイデン氏勝利宣言よりも先に北陸新幹線敦賀開業が1年以上延期、費用も2000億円以上増とのニュース。
 
正確な期日はさて置き、延期による影響は様々な方面に生じると思いますが、先般来の報道を見て私が受けている多くは、「工期優先ではなく安全を優先すべき」との声。
 
敦賀開業3年前倒しとしたのは大変大きな期待を受けての政治判断であったと受け止めていますが、コロナやトンネル付近での地盤クラックなど想定外事象が生じてのことであり、全てを鉄道運輸機構の責任とするのは余りにも酷。
 
これ以上の工期厳守は、労働者の安全を脅かす域に入ることは容易に想像できる事から、冷静にこの後も対応すべきと考えるところです。
 
さて、そうしたニュース、天候も秋晴れは何処へやら、降ったり止んだりのグズついた日が続いておりますが、昨晩はパッと将来を明るく照らす出来事がありました。
 
それは、現在策定が進められている第7次敦賀市総合計画審議会を傍聴してのこと。
 
第6回を数える審議会は、若者のオブザーバー参加を募集しての開催となりましたが、何とこの日は、敦賀看護大学、敦賀高校、敦賀気比高校の学生さんら10名が参加。
 
元々の審議会メンバーである福井大学、敦賀高校など8名の皆さんを加え18名(2名欠席につき、出席は16名)。
 
各種団体選出の大人の審議会委員は13名(欠席3名により10名)ということで、18対10で完全に若者が多数を占めるという、委員長曰く「こんな経験はない」との環境で行われました。
 
この日の審議会は、これまでの議論をさらりと振り返り返った後は、四つのグループに分かれてのグループワーク。
 
メンバーが持ち寄った「計画に求める新たな提案事業」を基に、一つの案に練り上げるというもので、心配していた世代間ギャップは、逆に優しく融合し、どのグループも和気藹々と話されている様子が印象的でした。
 

【各年代層が融和してのグループワークの様子】
 
約90分のグループワークを終え、あるグループが模造紙に書き出された事業案を拝見すると、若者目線と中身の詰まった具体案に驚いた次第。
 

【グループワークで出された提案事業の例】
 
さあ発表という良いところで、私はお通夜に参列するため、後ろ髪を引かれる思いで中座をした訳ですが、これだけの若者達が関心を持って参加をし、積極的に真剣な眼差しで将来を語る姿に明るい光を見た気がしました。
 
会の冒頭にあった、この日参加の皆さんの挨拶では、「自分たちが住む敦賀を良くしたいと思って参加した」、「就職が決まり、これから敦賀に住み働くので、一緒に考えたいと思った」など嬉しい言葉もありました。
 
手前味噌ではありますが、9月定例会での一般質問において、「魅力ある総合計画策定に向けては、一人でも多くの市民の皆さんに参画してもらうことと意識を共有することが必要」と提言させていただいたところですが、まさに昨晩の審議会は、その姿を具現化したものでした。
 
担当部にお聞きすると、今後も関係団体の方との意見交換などを通じて計画策定を進めたいとのことであり、お声掛けあらば是非多くの方に参加いただきたいと思います。
 
こうして感じることは、やはり、まちづくりに必要なのは「当事者意識」ということでしょうか。
 
「敦賀なんて何もない」と言ってしまう方もいらっしゃいますが、自分の故郷にダメ出しするほど不幸なことはありません。
 
私は、これまでも述べてきてます通り、「敦賀にはこんなに沢山の財産がある」ことを知っている訳ですので、前述のようなことを仰る方には、ひとつのエッセンス、気付きをお裾分けし、まちを構成する一員としての「当事者意識」を持ってもらうことが肝要と考えるところです。
 
話しの着地点を見失いそうなので、この辺りで止めますが、何と言っても次代を担う若者の皆さんの姿勢と眼差しに元気と期待感をいただきましたので、私自身も彼等彼女らが「住み続けたい」「戻ってきたい」と思えるまちづくりに向け、ともに頑張っていきたいと思います。
 
(おまけ)

【この日の資料は、議員向けの時と違い、資料もどこか優しく分かりやすいもの(笑)若者に目線を合わせて資料構成された市職員さんの気持ちが伝わってきました。】
 

歴史を知るほど、行き着くは「今あるものを大切に」の心

ブログ まちづくり

TwitterやFacebookなどと違い、ブログは大体が1日1件、日記のように書き留めている方が多く、私もそのような使い方をしてきた訳ですが、この週末は「乱発」をしてしまいました。
 
既にご覧いただいている方にはお分かりの通りですが、この週末は連日、シンポジウムや講演会が開催され、その内容は敦賀市にとって大変重要なヒントと期待が込められたものでありました。
 
こんな為になる内容を参加者だけの記憶に留めておくのは大変勿体無いとの思いから、このブログ欄にて広く発信させていただいた次第であり、その点ご容赦いただきたく存じます。
 
そのシンポジウムでもありましたよう、豊富な歴史と自然、日本有数の交通の要衝であり、原子力エネルギーの先駆的役割を果たしてきた敦賀市のことを知れば知るほど、益々魅力あふれるまちだと確信した次第であり、皆さんともそのことを少しでも共感出来ればと思います。
 
さて、そうした中、開催されてきました敦賀のイベント第3弾の「人道ウィーク」が昨日で幕を閉じました。
 
この土日は、荒天リスク回避のため、音楽イベントこそ屋外から屋内に場所を移しての開催となりましたが、予想に反し、降雨も少なく、フードコーナーには多くの方が来場され、地元産の物販や市内外の飲食ブースにて舌鼓を打つなど賑わいを見せていました。
 
かくいう私も、きらめきみなと館でのシンポジウムの後、フードコーナーに立ち寄り、敦賀真鯛の麹漬け(真鯛ハンバーガーは何と昼過ぎに完売)、イノシシコロッケ(地元の猟師さんが出店)、そして市職員さんお薦めのリトアニアビール(杉原千畝氏の命のビザに因んで販売)などを買い込み帰宅。
 
ご想像の通り、夜は敦賀真鯛とリトアニアビールで一杯。
 
カッコ良く表現すれば、両国のつながり、異国情緒を感じながら味合わせていただきました(真鯛もビールも本当美味しかったです)。
 
さらにこの日の敦賀ネタは終わらず、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台は「敦賀」。
 

【「麒麟がくる」のワンシーン。全国に敦賀・金ヶ崎の名は響いたか。】
 
信長の人生最大のピンチと言われる「金ヶ崎の退き口」のシーンであった訳ですが、以前参加した歴史講座で学んだ、撤退戦自体は朝倉の援軍や浅井長政軍の到着の関係からそれほど激しい攻防ではなかったことやしんがり隊長を務めたのは木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)ではなく、明智光秀らであったことなどと照らし合わせて見ておりましたが、ほぼその辺りは忠実に表現されていたと感じたところです。
 
それにしても、あの大河ドラマの画面に敦賀城や金ヶ崎、手筒、そしてお隣美浜の国吉城の名が映るとやはり嬉しいもの。
 
朝倉vs織田の構図、信長、家康、秀吉の三傑が揃ってこの敦賀の地を踏んだことに改めて思いを馳せるとともに、この撤退戦が無ければ、即ち信長が逃げてなければ日本の歴史が変わっていたのかも知れないと思えば、敦賀には本当に大きな歴史財産があるのだと誇らしい気持ちになった次第であります。
 
歴史を書き出すと筆が止まりませんで、ツラツラ長くなってしまいましたが、日曜の夜までみっちりと郷土のことを学び、歴史に思いを馳せる週末となりました。
 
撤退戦から天下を狙った信長のように、所縁の地であるこの敦賀もコロナからの防戦から転じ、オリジナリティーとブランドあるまちに向け狼煙を上げるといったところでしょうか。
 
野望とまでは行かずとも、市民の皆さんと思いをともに「今あるものを大切に」との思いを持って取り組むのみであります。
 
最後になりますが、10月末の駅西地区社会実験から国8空活、そしてこの人道ウィークと続いたイベントに関し、まさに総動員で対応された敦賀市職員始め商工会議所など関係者の皆さん、コロナ対策にご協力いただきながら参加いただいた多くの皆さんに感謝申し上げます。

【内容紹介】日本遺産認定記念シンポジウム 〜ふたつの日本遺産がつながるまち敦賀〜

ブログ 敦賀の歴史・文化


 
本日も大変貴重な講演を拝聴してまいりました。
 
第1部は、敦賀市教育委員会文化振興課(学芸員)の中野拓郎様より、日本遺産に認定された北前船や鉄道の歴史と大和田荘七が「国際港に相応しい、広い視野を持った敦賀市民が増えることを目指した」とし大和田銀行を設立したことなど、時系列的に新たなエピソードを知ることが出来ました。
 
第2部では、トンネル探究家であり、まちづくりにも長く取り組まれている花田欣也様より、改めて旧北陸線トンネル群の貴重さや素晴らしさ、さらに今後の活用に向けたヒントまで頂戴しました。
 
北前船と鉄道遺産。
 
ふたつの日本遺産が敦賀でつながっているのは、この地が日本有数の「交通の要衝」であったことを証明することに他なりません。
 
「今あるものを生かす」
 
花田様が仰られた「地域ブランド化」に向けた言葉をしかと胸に留めたいと思います。
 
最近の恒例となってきておりますが、この内容は是非皆さんとも共有させていただきたいとの思いから、シンポジウムのリアルタイムメモを以下に掲載しますのでご覧ください。
 
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【日本遺産認定記念シンポジウム 〜ふたつの日本遺産がつながるまち敦賀〜】
 
1.日 時:令和2年11月 8日(日) 10:00〜12;00
2.場 所:きらめきみなと館小ホール
3.基調講演①
(1)テーマ:「北前船」から「海を超えた鉄道」へ
(2)講 師:中野 拓郎 氏(敦賀市教育委員会文化振興課 学芸員)
(3)内 容:
・北前船交易により、敦賀港は北海道・東北からの荷物、都や東海地方から送る荷物でごった返していた。倉庫にある荷物の買い手がついたら、琵琶湖を経由し運送されていた。
・敦賀にある長屋風倉庫は北前船の寄港地には良くあった。今では江戸時代からある倉庫は一棟のみ(鰊蔵)。
・江戸時代の港の特徴は岸壁が無い。荷揚げをする船が順番待ち、続々と敦賀湾に船が押し寄せる風景が残されている。
・明治半ばまでが北前船の全盛期であった。
・明治2年(1869年)の日本最初の鉄道敷設計画の3箇所に敦賀〜琵琶湖間があった(あと2箇所は横浜〜東京、神戸〜大阪)。
・鉄道整備の発展とともに、海路よりも陸路での運送が
・大都市から近く、大陸やシベリア鉄道に行くなら敦賀が一番と大和田荘七が働き掛けた結果、敦賀港が海外と貿易出来、さらに明治45年からの「欧亜国際連絡運輸」が開始された。
・その次に必要なものとして、大和田荘七が建てた大和田銀行は、本来閉鎖的である銀行を公会堂や貴賓室、食堂などを備え、「国際港に相応しい、広い視野を持った敦賀市民が増えることを目指した」との位置づけのもと重要文化財に指定されている。
・昭和15年には、敦賀港にユダヤ難民を受け入れ、あたたかく迎えることが出来たのは、当時の国際情勢などを知っていたからかも知れない。
・それから80年後、人道の港敦賀ムゼウムがリニューアルオープン。この史実をこれからもつないでいくことが私たちの役割。
 
4.基調講演②
(1)テーマ:近代日本の歴史に磨かれた旧北陸線トンネル群の魅力について
(2)講 師:花田 欣也 氏(トンネル探究家)
(3)内 容:
・2017年に「旅するトンネル」を発刊、地域に残る造詣美やヒストリーなどに惹かれ、自著を始め、講演、テレビなどにて発信、趣味からライフワークとなった。
・「花田欣也が迫るトンネルの世界」は現在も放映中。
・旧北陸線トンネル群が大好きで「マツコの知らない世界」では過去3回、「おはよう朝日」ではトンネルツアーにて小刀根トンネルをレポート。
・今日伝えたいのは、「今あるものを生かす」ということ。
・自分がトンネルにはまった切っ掛けは、幼少期から「闇」が好きだったこと、誰もいない長くて暗いトンネルの「闇」が落ち着くこと。目を閉じて「闇」を感じ、思いを馳せることに魅力を感じるから。
・全国に道路で約11,000本、鉄道トンネルは約5,000本ある。
・日本最初のトンネルは、1680年の「箱根用水路」、1,342mもの長さのトンネルを掘った。
・日本のトンネル技術は素晴らしいが、明治から昭和にかけての最大トンネル工事では犠牲者も出した。その都度、技術改良により改善、今でも日本はトンネル掘削の先進国である。
・日本の産業発展に大きな役割を果たした。
・人口減少で歴史あるトンネルの維持が難しい時代となり、修繕費の増、財源と技術者の不足が課題となっている。
・一方、旧道はライフラインともなっており、自治体にとっては難しい選択を迫られている。
・最後のレンガトンネルは、隣県の賤ヶ岳トンネル。
・トンネルは「別世界をつなぐ魔法」の装置。
・苦難の末のトンネル開通の喜び、思いを「意匠」にしてきていることから、位置づけの重要さが伺い知れる。
・明治14年開通の小刀根トンネルは、日本で3番目に作られた現存最古のレンガトンネル。
・柳ヶ瀬トンネルは、長さ1,361mで当時の日本最長。このトンネルにより、大陸への道が拓かれた。
・旧北陸線トンネル群の見どころを3つ。「①明治の生きた鉄道遺産」、「②ここは日本のバック・トウ・ザ・フューチャー」、「③極上の“闇”を味わえる」。
・実はここから始まったものが、現・北陸トンネルの「樫曲斜坑」。
・北陸新幹線開通で、もうひとつの「日本で唯一」が誕生。3世代の鉄道トンネルが現存することになるのは、日本で敦賀だけ。
 
(今後の活用に向けたヒント)
・ツーリズムの観点で言えば、50代以降では以前強い「歴史・文化」。最近ではS I T(special interest tour)と呼ばれる 「街道巡り」や「アニメの聖地巡り」なども人気を集めている。
・インフラツーリズム(ダム、工場夜景、灯台施設など)も人気となった。
・今では何がヒットするか分からない時代になっている。
・“よそ者”の自分から見た敦賀の良さとは、トンネルや鉄道(キハ58系)。ニッチな部分も認知され、あらゆる趣味・趣向が見つめ直されている。
・豊かな歴史や自然、ストーリー、トンネル(産業遺産)、ならではの食など豊富にある。
・官民の役割分担がポイント。プロモーションは自治体、DMOの役割で、関係機関との連携をいかに強め、旧北陸線トンネル群をフックにしたPRの絶好機である。
・民間に求められる観光振興の役割は、地域の良さを自身の言葉で説明出来る「地元のガイドさん」。
・地元の方だからこそ伝えられること、説明で深まる旅の楽しさを感じてもらえれば、口コミで伝わっていく。
・地域の誇れる「宝」を地域の人たちと情報共有する。
・誘客の肝は、「一日で千人」よりも「一日で若干名」のお客さんを大切に、積み重ねていくこと(密にも配慮)。
・そして、地域消費につながる仕掛けを。皆で連携して儲けていくとの視点が大事。
・トンネルでの地域活性化の例。日本一トンネルが多いと言われるまち横須賀、旧神岡鉄道(岐阜県)はレールマウンテンバイク「ガッタンGo」、JR福知山線など。
・共通点は、長年変わらない連携であり、敦賀は負けないポテンシャルがある。
・プロモーション「おいでよ福井」は、全国から注目されている。
・地域のブランド化に必要なことは、「今だけ、ここだけにしか無い、そしてあなただけに紹介するもの」はないか、継続すること、連携すること、二次交通、組み合わせ、安全安心。
・よそ者、バカ者、好き者の声を生かす。
・地域の皆さんがその価値に気づき、有効活用されていくことが重要。
・トンネルには必ず出口はある、コロナにも必ず!
 
以 上

地域への愛情満載「東浦地区ミニ文化展」

ブログ 地域コミュニティ

事前情報で知っている方も多いとは思いますが、今晩のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」のタイトルは「逃げよ信長〜金ヶ崎決戦!」。
 
これまでも度々「敦賀」の名前が出てきていましたが、敦賀を舞台に繰り広げられた、信長の人生最大のピンチと言われる撤退戦「金ヶ崎の退き口」がいよいよ出番を迎えるとあって、その模様がどう描かれ、どう演じられるのか。
 
秀吉は、この撤退戦で活躍したことを切掛けにサクセスストーリが始まったとも言われており、乱世の時代に敦賀の地であった歴史を楽しみに視聴したいと思います。
 
さて、話しは歴史から文化に移りますが、先般東浦公民館に寄った際に開催案内チラシを頂戴した「東浦地区ミニ文化展」。
 

 
ふらり車を走らせ、東浦公民館へ鑑賞に行ってまいりました。
 
温かく迎えてくれた館長さんのお話しによると、このミニ文化展、例年は敬老会と併せて開催しているとのことですが、その敬老会もコロナで中止となり、今年は単独での開催とのこと。
 
そういったことからか、若干出展数が少ないかなとも仰っておられましたが何のその。
 
大小ふたつのホールに所狭しと並ぶ地元の皆さんの力作に見入ってしまいました。
 

 
展示のジャンルは生花、絵画、書道、手芸など様々でありましたが、特徴的だったのは、小学生の絵や読書カードも展示されていたこと。
 
東浦小中学校に赤崎小と、この地区に通う元気な子ども達の姿が目に浮かぶようであったのと、読書カードについては東浦区長会長賞や東浦公民館長賞、子ども会長賞とあり、真剣に選定している写真などから、まさに地域で子ども達を見守り、育むとの雰囲気を感じた次第です。
 
赤崎小学校の生徒は、この先、角鹿小中学校に通学することになりますが、この地域に住むことに変わりはなく、引き続きこうした環境で育って欲しいなと思います。
 
さらに、展示品もさることながらながら、素晴らしいと感じたのは大ホールからのロケーション。
 
恥ずかしながら、大ホールに入ったのは初めてであった訳ですが、浜辺に向かい大きくくり抜かれた窓のデザインはどこか舟窓をイメージするものであるとともに、そこからの五幡の海岸線はこれまた最高の眺め。
 
この日は生憎の天候でしたが、晴天の日は東浦の宝である「夕陽」が見事に見えるだろうと想像が膨らみました。
 

 
小ホールの横にあるテラスも含め、浜辺や海と一体感ある作りは、自然との共生をイメージされたものなのか。
 
ここまで行くと考えすぎかも知れませんが、展示品や建物自体からも郷土愛を感じる良き時間を過ごすことが出来ました。
 
先日のブログでお伝えした通り、この東浦地区は「コミュニティ運営協議会」を設立し、高齢化が進む中にあっても皆で地域を守り、大切にしていこうと取り組んでいる地区。
 
私にとっては、父の出身地でもある第二の故郷であるとの思いも含め、引き続き関わりを大事にしながら取り組んでいきたいと思います。
 
最後になりますが、「東浦地区ミニ文化展」の開催は「本日まで」となっておりますので、地区の方もそうでない方もお立ち寄りいただけると嬉しく思います。

【内容紹介】2020年エネルギーフォーラムin敦賀

エネルギー ブログ

本日は、プラザ萬象で開催されました「2020年エネルギーフォーラムin敦賀」を聴講。
 
コロナによる社会・環境変化、経済対策、そしてエネルギー政策について「現実的且つ冷静な視点」で述べられたものであり、是非皆さんにも知っていただきたいとの思いのもと、早速シェアをさせていただきます。
 
私のリアルタイムメモの全文掲載となりますが、お読み取りいただけますようお願いします。
 

 
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【2020年エネルギーフォーラムin敦賀】
 
1.日 時:令和2年11月7日(土) 14:00〜16;00
2.基調講演
(1)テーマ:経済情勢の行方とエネルギー問題 〜感染症と地球温暖化の関わりを考える〜
(2)講 師:岸 博幸 氏(慶應大学大学院教授)
(3)内 容:
・原子力は福井県嶺南地方の主力産業であり、日本にとっても益々重要となる電源。
・コロナ発生以降、実体経済は全然良くなっておらず厳しい状況が続いている。
・経済に関しては、コロナで落ち込んだ需要を早く取り戻すとの議論ばかりであるが、コロナ前もそれほど経済情勢は良くなかった。
・デフレは20年以上継続、人口減少などにより、経済の潜在成長率は1%を切っていて生産性も低く、何も解消していない。
・コロナは100年に一度の疫病であり、構造変化・社会の価値観の変化がこれから起こる。
・構造変化のひとつは「デジタル化」。これまで進めようとしても進まなかったリモートや在宅勤務、医療分野では初診から遠隔医療が可能となった。
・もうひとつは、人々の環境問題や社会問題への意識が高まると考えている。
・さらに、コロナで自分の生死に関わる健康の心配をした経験が脳の中に残ることから、生活環境への意識も変わる。
・日本でもディスタンス(距離を取る)が当たり前となってくる。
・渋滞学では、手を伸ばして隣の人が伸ばした手が当たらないのが、人間が快適に過ごせる距離とされている。
・この快適さを経験した社会は、あらゆる面で変化をすると考える。
・ヨーロッパは政策に関しては先進国。オランダの首都アムステルダムでは、復興戦略で経済成長を目指さない、地域住民のつながりを強め、環境を考えるレジリエント(柔軟性ある)都市にすると示している。
・日本においては、コロナで落ち込んだものを取り返すのは当然のこととして、色んなことを改革していくとしており、初めに具体論(携帯料金、デジタル庁)から入った菅政権の取り組みは個人的に評価している。
・過去に成功した政権は、具体論から入り政策を進化させたケースが多く、菅総理にはそのポテンシャルがある。河野大臣も改革の筆頭であり、条件は揃っているのではないか。
・短期的課題が多い中、ひとつだけ長期的課題を述べたのが所信表明演説の「2050年の温室効果ガス実質ゼロ」。
・ではこれで、今後のエネルギー政策や環境問題への対応はどう変わってくるか。
・おそらく現状で政府の中に現実的な考えはない。
・政府の成長戦略会議では極めて入口の議論しかされていない。
・答えはシンプルで、石炭はかなりドラスティックに減、天然ガスもある程度は減らさざるを得ない。現時点で再生可能エネルギーでは賄えないので、原子力が基幹電源として見直されるべきであり、菅総理もその重要性ことは頭にあると考えている。
・野心的目標であるからこそ、そう考える。
・原子力の再稼動を増やす、新増設に向けても良い流れにある。
・菅総理は世論の反発があってもやることはやる。
・分かりやすい例はデジタル化、ハンコを無くすことについて選挙の政策に入れようとした際、当時官房長官として菅さんは「反対」(世論・業界の反発を考慮)したが、総理になったら実施判断した。
・そうやって考えるとエネルギー政策も同じなのではないか。所信表明で原子力を入れたということは、2050年温室効果ガスゼロに必要だと思ったからであり、頑固な菅総理は踏ん切る気持ちがあると考えるのが自然。
・シッカリと言及された点については、非常に大きな意味合いを持つと勝手に考えている。
・福島事故以降、原子力は常にアゲインスト。批判ばかりであった世論がこれから変わるのではないかと期待している。ニュートラルに見て評価すべきは経済産業省の取り組み。例えば福島第一の処理水の問題に対して、非常に前向きに真摯に対応しているので、そう遠くはない時期に解決すると考える。
・高レベル放射性廃棄物の最終処分地の関係も然り、これまでにない動きが出てきている。エネ庁が真剣に取り組んでいる証拠。
・女川原子力発電所も再稼動の見通しが立ってきた。
・これらを考えるとプラスに働く要素が多く出始めており、良い方向と受け止めている。
・反対しているのは、立憲民主党や共産党。これが無くなることはないが、総理は決断していくであろう。
・日本経済の再生のためにはエネルギーコストを下げる必要があることや地方創生のためにはエネルギー産業が必要であることからすれば、そうした正論の声をなるべく多くの方から挙げていくことが重要。
・こうした問題は賛成派の方が冷静なので、声を挙げないケースが多い。基地問題と原子力問題は似ている。
・総理の野心的な目標を達成するためには原子力発電は必要不可欠であり、新増設の話しもどこかでしていくはず。こうした声を地道に挙げていかなければならない。
・「全力脱力タイムズ」に開始から5年間レギュラーで出演しているが、何だか分からない番組と言われながらもここに来て視聴率が良くなってきている。少し違うかもしれないが、地道に続けていれば良い方向に向かう。
・デフレの解消、生産性を上げる、コロナの中でそのことを改善していく大変さがあるが、3E+Sのエネルギー政策の当たり前の考え方は役割を果たす。
・原子力は地域経済に必要なことに加え、そのことが日本経済にも貢献していると立地の皆さんは考えて欲しい。
・地方を活性化する本質は、いかに産業を根付かせて雇用を増やしていくかであり、地域振興の観点からも原子力は必要。安定的稼働で、より長期的に役割を果たすことが出来る。長年の歴史は大きなアドバンテージである。
・批判に負ける必要はなく、この嶺南地域が日本を救うとの矜持を持って行動して欲しい。
・繰り返しになるが、野心的な目標を掲げた頑固な菅総理は、どんな手段を使ってでも必ずやり通す。即ち、原子力の重要性が見詰め直されることになる。
・これからの数年の大事な期間を逃して欲しくない。
 
3.質疑応答
質問)予算委員会の答弁では、「新増設やリプレースは現時点では考えていない」との答弁があったが、どう受け止めれば良いか。
回答)「現時点では」であり、将来的に可能性があるということで気にする必要はない。
質問)このままの再稼動ペースでは、2030年の原子力比率は達成出来ない。
回答)仰る通りで、このままでは無理。再稼動を進めることに加え、40年超え運転や新増設なども必要であり、現政権では前向きな議論が進むと期待している。
質問)日本原電敦賀2号の評価の仕方、志賀の活断層の問題についてはどうお考えか。
回答)菅総理は安倍政権以上のリアリストであり、再稼働を優先するのは当然。規制庁の審査に関しては、否定しても仕方ないが、現実的に対応いただくしかない。世論、風向きが変われば、時間は掛かるかもしれないが、良い方向に変わってくると思う。
質問)世界の原子力の潮流と高レベル放射性廃棄物の問題がクリアされれば、新増設やリプレースなどの動きが出てくるのか。
回答)再生可能エネルギーの良いところだけがPRされているが、負の面もある。再エネ比率拡大の潮流はやむを得ないが、原子力は否定、再エネは良とする報道が続く以上、地道に対応していくしかない。
質問)ウランの資源量が100年で枯渇する実態がある一方、高速増殖炉や新型原子力発電の技術についてはどう考えるか。
回答)新型炉はエネ庁が頑張っているのは知っている。各国とも協力のうえ進められるものと受け止めている。資源の量に関しては、石炭も同じように言われてあまり変わっていないので、もう少し慎重に取り扱うべきかと考える。
質問)アメリカ大統領選挙の結果の影響は。
回答)間違いなくバイデンが勝つと思うが、そうするとパリ協定にも復帰するであろう。そうすると環境を意識した施策が進むので、日本はそれに向けて準備していく必要がある。
質問)教育の面で、若い世代は将来へのエネルギー確保に向け、原子力が必要と考える傾向もあると認識している。是非、小中学校からエネルギー教育を行うべきではないか。
回答)教育は変えていかないといけないことが非常に多いと感じている。最近の傾向を見ると、世の中のために何がやりたいと考える人が増えているようであり、社会問題・環境問題がクローズアップされてくることを考えると、それに関連づけた形で、伝わるようにしていかなければと考えている。役所は分かりやすく工夫する余地がある。地域の方も後世に伝える役割を担っていただければと思う。これまでの「問題解決型」の人材育成ではなく、これからは「問題を発見出来る」人材の育成が重要だと考える。
 
以 上

ひつじ雲野党はどこへ行く群れか

ブログ 政治


 
青空を駆けるかのような見事な「ひつじ雲」。
 
昨日の空は、見上げるたびに形を変え流れる雲で飽きることなく、時間待ちで暫し眺めていると「空、綺麗ですね」との声。
 
ハッと隣を見ると、若い男の子の笑顔がありました。
 
近くの介護施設で実習をしているという彼も同じく、この日の空が気になっていたようで意気投合。
 
秋の空が高いことや雲の種類などにわか知識を交えつつ会話すると、彼からは、近くのバス停をいつも利用していることや、ゆくゆくは実習している介護施設で働きたいなどと、見ず知らずの私に話してくれました。
 
5分ほどの会話でしたが、その眼にはしっかりとした目標に向かって励む意気込みが見えるようで、最後は就職に向け励ましの言葉を掛けて別れました。
 
ピュアな青年とは彼のような人を言うのでしょう。
 
私もそんな心を少しお裾分けしてもらったようで、まさにこの日の空のように清々しい気持ちになりました。
 
話しは打って変わって、気持ちのスッキリしない国会。
 
菅総理初の衆・参予算委員会を終え、NHKは4日間28時間にも及びテレビ中継をしたそうですが、それに足る本質議論はされたのでしょうか。
 
国民民主党が玉木代表の質問にて、「学術会議」には触れず、安価で迅速な検査の普及や緊急事態宣言を含めた特別措置法改正など「コロナ5策」やエネルギー政策について提案型を通す一方、立憲民主党や共産党は「桜を見る会」を彷彿させるかのような「学術会議」の問題に殆どの時間を費やしました。
 
このことは報道もされている訳ですが、私自身、インターネット録画中継などにて、ヒステリックに声を荒げ「総理の任命責任」の声が飛んでいたことや何か総理の失言を引き出そうと、党の主力議員が変わる変わる同じような質問をする姿に、正直呆れました。
 
もう一点、呆れたといえば、これまた立憲民主党や共産党議員の皆さんが総理に対して使う「あなた」との言葉。
 
何か上から目線で、一国の総理に対して敬意を払うという気持ちはないのでしょうか。
 
決して子ども達に見せられるものではありません。
 
コロナ対策や経済対策といった喫緊の課題や少子高齢社会、憲法改正など国家的課題を議論すべく国会の開催を求めたはずが、こうして見ていると、この臨時国会は何のために開いたのかと思わざるを得ないばかりか、旧態依然とした政権の揚げ足取りを続ける一部を除く野党の姿勢からは、本当に「政治生命を懸けて」二大政党政治を目指す気があるのか、甚だ疑問に思う次第であります。
 
少なくとも現実的施策を持って建設的議論の姿勢を取る国民民主党は、このグループとは一線を隠した政党であり、少数政党ながら今後も大いなる期待をするところです。
 
冒頭の「ひつじ雲」とは上手く言ったもの。
 
群れが風を頼りに同じ方向に流れる様子は、まさに政党政治にも当てはまるかのようです。
 
同じ群れでも、大衆という風に流されるのでなく、国家としての方向性や行き先を定めて進む大きな群れとなるのはいつの日か。
 
臨時国会からは、その日が来るのは遥か遠い先のように思えてなりません。

嶺南未来構想会議と活動報告会に思う、ふたつの大事なこと

ブログ 活動報告

昨日は、改めてふたつの大事なことを感じた日。
 
ひとつは、計画や政策はその考え方や背景を深く知ってこそ次なるアイデアが生まれるということ。
 
以前よりご紹介しております、嶺南各市町の有志議員にて嶺南全体の将来構想を考えようという「嶺南未来構想会議」。
 
嶺南全体のことを考えるには、6市町の総合計画を知るべしと、10月28日の小浜市・おおい町・高浜町を皮切りに、29日には若狭町、そして昨日はご当地敦賀市の計画をご教授いただきました。
 
敦賀市については企画政策部ふるさと創生課さんより、議員側は、小浜市議会より2名のオブザーバー参加のもと開催しましたが、ふるさと創生課さんの熱き語りに、皆さん食い入るように聞かれていたのが印象的でした。
 
総合計画に関しては、現行の第6次計画が今年度末で終期を迎えることから、現在は第7次の策定に向け審議中でありますが、改めて東日本大震災以降の第6次後期基本計画(敦賀市再興プラン)の策定背景や、「再興」のキーワードを使った意味合い、人口減少対策や経済対策の狙いや達成度など聞き、敦賀市議の私自身も大変勉強になりました。
 
歴史的に交通の要衝である敦賀ですが、地理的弱点として平野が狭く、工業地帯に成り得ず、そこに特定重要港湾とならない理由がある訳ですが、それなら美浜町や若狭町、さらには県境を越え滋賀県高島市などをバックヤードにし、そこにサプライヤーを置き、企業がそこに根を張る仕組みや繋がり、いわゆるサプライチェーンを作っていくことが敦賀市にとっても近隣市町にとってもWIN-WINの関係を構築出来るのではないか。
 
移住・UIターン施策については、どこに住むかは移住する人が決めることであり、各市町はパイの奪い合いをするのでなく、結局のところ自らのまちの良いところを周知・PRする役割に過ぎないのではないか。
 
定住や就労施策に関しては、若者の地元就労率が低いのは、望む職種が製造業系よりも事務所系事業の割合が高い傾向を踏まえ、若者のマインドを把握したうえで施策を講じる必要性があるなど。
 
これ以外の観光施策を含め、敦賀市にとっては第7次へのインプット、嶺南全体の視点では今後連携して取り組めることのヒントを得ました。
 
各市町から集まった議員の皆さんも理解が深まったことと思います。
 
こうして実例も踏まえ、奥深い部分までご説明いただいたことに感謝するとともに、得たヒントや考えをもとに今後に活かしていきます。
 
ふたつ目は、自身の活動を直接伝えることについて。
 
定例会ごとに職場や地域で開催している活動報告会ですが、昨日はお昼休みに発電所で開催。
 
各種コロナ対策を継続する中、昼食に関しては密状態を回避するため、所員をグループ分けし、お昼休みを30分ズラして交代取得しているところ。
 
そうした状況にありながら、20名強の参加をいただき、こちらも感謝です。
 


 
私の方からは、敦賀市が進めるプロジェクトの進捗状況やそれに伴うまちの変化、9月定例会における一般質問や討論の内容をパワポ形式でお伝えさせていただきました。
 
30分という限られた時間であり、質問・ご意見は1件しかお伺いすることが出来ませんでしたが、それでも職場の皆さんの顔や表情を直に感じ話せたことは、私にとってやはり大きな力になるもの。
 
本日以降も各職場にて報告会を開催させていただきますが、皆さんから力をもらう分、私からも元気を与えられるよう、心を込めて伝えていければと思います。
 
こうして、日々感じる出来事があること自体、自分以外の皆さんに感謝すべきこと。
 
感じたことを糧に成長することがそのお返しと思い、今日も頑張ってまいります。

鉄道でつながる「未来と過去」、そして「まち」

ブログ まちづくり

トランプ大統領かバイデン前副大統領か。
 
テレビでは、日本の国政選挙かの如く放送されているアメリカ大統領選挙ですが、集計に時間のかかる激戦3州の郵便投票が結果を左右する異例の大接戦となっています。
 
米メディアによると共和党のトランプ大統領陣営は4日、激戦区のひとつウィスコンシン州の非公式集計で、民主党のバイデン副大統領が約2万票差でトランプ氏を上回ったとする結果が出たことを受け、再集計を要求する方針を決めたと伝えられるなど、開票結果にも「いちゃもん」がつく状態となっています。
 
こうした行為や暴動を想定して店舗を補強する姿を見るに、何が民主主義か疑問を呈すところでありますが、国民を挙げてトップリーダーを選ぶ熱狂ぶりを「政治への関心」と置き換えれば、その点は羨ましいところでもあります。
 
いずれにしても、世界が注目するこの選挙の行方には、引き続き注視していきたいと思います。
 
さて、話しは変わりまして、昨日は「人道の港敦賀ムゼウム」一色のご紹介となりましたが、3日の金ヶ崎エリアでは恒例の「鉄道フェスティバル」も開催され、子どもから大人まで多くの人で賑わいがありました。
 
私も式典の前に、会場をグルリ一周歩きましたが、プラレールや精密に再現されたNゲージのコーナーや北陸新幹線敦賀開業の紹介をする敦賀市のブース、マニアックな鉄道グッズを販売するブースなど、鉄道に纏わる多種多様な催しは、やはり見ていて楽しいもの。
 
さらに乗車体験コーナーとしては、電動(恐らく)の新幹線とミニSL(蒸気機関車)の2種類があった訳ですが、運転士(兼機関士)さんの1人がお知り合いであったことからお声掛けいただき、何とSLに試乗させていただくことに。
 
この日、敦賀と越前町から持ち込まれたMyミニSLは、マニアの方が大切に手入れされていることがひと目で分かるピカピカな姿。
 


 
近くで機関も見せてもらうと、炭を焚べ、「プシュー!」と逃し弁より蒸気が吹き出す様は、まさに蒸気機関車の勇姿そのもの。
 
「出発進行!」の汽笛を合図に、やや重量級の先輩議員と試乗すると、自然と顔がニヤけてきてしまう、何とも言えぬ喜びが…。
 
私は「乗り鉄」でも何でもありませんが、僅かな時間、童心に返って楽しんでしまいました。
 

 
その後、ミニSLコーナーがオープンすると続々と親子連れが訪れる盛況な様子に、こちらは違った喜びが湧いた次第です。
 
ちなみに、N700系?とドクターイエローを擁する新幹線乗車コーナーも大盛況で「新旧対決」は引き分けといったところだったでしょうか(笑)。
 
こうして鉄道に因んだイベントに直に接するに、「人道の港」と同じく、「鉄道と港」の歴史は敦賀の貴重な財産であり、日本遺産の旧北陸線トンネル群とも絡め、保存し、後世につないでいくことの大切さを改めて感じるところです。
 
この金ヶ崎の周辺エリア構想には、実際に敦賀駅で使用していた転車台を用い、SLを走らせるという絵姿が描かれている訳ですが、県・市、そして相手方であるJR貨物との用地交渉や費用の面で、その実現性に黄色信号が灯っている状況にあります。
 
もちろん、構想に挙がっている計画である以上、簡単に諦めることは出来ない訳でありますが、この日のミニSLの「勇姿」とマニアの方の「走らせたい」との思い、そして「乗りたい」と思う親子をつなぐことは「三方向に良し」であることからすれば、このレールをエリア内に常設し、「思いと歴史をつなぐ」というアイデアもあるのかと真面目に考える次第です。
 
新幹線で敦賀に着き、駅前から本町通りに掛けては「銀河鉄道999」があり、その先の金ヶ崎には「鉄道の歴史(鉄道資料館)」と「SL」があった。
 
そうして「過去と未来」、「SLと新幹線」、そして「まち」をテーマ・ストーリーを持って「つなげていくこと」は、必ずや敦賀に訪れた皆さんの記憶に残るとともに、市民の皆さんにも「自慢の場所」となるのではと思うことから、私自身、その意識をさらに強め考えていきたいと思います。
 
「未来へのレール」を敷くのは、今いる私たち以外いないのですから。

お伝えしたいこと② 〜「人道の港敦賀ムゼウム」リニューアルオープン記念シンポジウムより〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨日は、自分の胸に留めておくだけでは勿体ないと思うことが多くあった一日でして、今日は初の二本立てで書かせていただきます。
 
シェアをして、皆さんにお伝えしたいことの二つ目は、午後に開催された「人道の港敦賀ムゼウム」リニューアルオープン記念シンポジウムの内容です。
 
「いのちと人間とは 〜ポストコロナの未来につなぐ、いのちのバトン〜」のテーマを持って行われたシンポジウムからも、胸に残る言葉や人として生きるに必要な勇気を教わった気がします。
 


【講演会(第一部)、パネルディスカッション(第二部)の様子】
 
内容については、私が要約するより、講演者やパネリストの皆さんのお言葉をリアルにお伝えいたしたく、これまたメモの内容を全てご紹介させていただきます。
 
ご興味のある方は是非、このまま読み進めていただければ幸いに存じます。
 
以下、やまたけメモより。
 
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【「人道の港敦賀ムゼウム」リニューアルオープン記念シンポジウム】
いのちと人間とは 〜ポストコロナの未来につなぐ、いのちのバトン〜
 
1.日時:令和2年11月3日(日)13:30〜15;25
2.基調講演
(1)テーマ: 敦賀がつないだ、人といのち
        〜シベリア孤児受け入れとポーランド・日本間の友好関係について
(2)講 師: マリア・ジュラフスカ氏(ポーランド広報文化センター所長)
(3)内 容:
・4、5回敦賀に来ているが、皆さんの前で講演をするのは初めてで緊張している。
・ポーランドは親日国。100年以上の長い歴史の中で友情にあふれた関係にある。
・日本文化、言語は良く知られていて人気がある。ワルシャワでは日本祭りも開催されている。
・日本文化というとポップカルチャーが有名だが、日本の言葉も人気があり、日本語講座も行われている。
・ポーランドは国として存在しなかった歴史もあったが、1918年に独立回復、1919年には日ポ国交樹立、1920年にシベリア孤児が敦賀に到着したという歴史がある。2019年には国交樹立100周年を迎えている。
・シベリアのポーランド人孤児の引き揚げに関しては、1920年2月に第一弾が敦賀に到着、1921年8月までに累計375名の児童と32名の付添者が救われた。
・社会福祉法人福電会では2019年10月23日に、100周年の目録贈呈、レリーフはクラフクの博物館に寄贈された。
・敦賀とユダヤ人。ユダヤ人が何故ポーランドと関係があるか。多くのユダヤ人がポーランド国籍であったからである。
・杉原ともう一人の外交官として、初代駐日ポーランド大使タデウシュ・ロメルの存在がある。
・敦賀とポーランドの友好関係。敦賀がなければシベリア孤児の話しは知られていなかったかもしれない。受け入れてくれる港はここしかなかった。
・2018年からは国際交流フェスティバルを開催(ポーランド文化の紹介も)、2020年は東京オリ・パラのホストタウンとして交流イベントを行う予定であった。
 
3.パネルディスカッション
(1)テーマ:手渡された「命のバトン」
       〜ポストコロナの未来へ、「人道のまち」敦賀からのメッセージ
(2)ファシリテーター:岡田 慶子 氏
(3)パネリスト   :石岡 史子 氏(NPO法人ホロコースト教育資料センター)
            福田 英子 氏(一般社団法人コモン・ニジェール代表)
            井澤 友郭 氏(こども国連環境会議推進協会事務局長)
(4) 内 容:
①講演を聞いての感想
石岡)改めてこの敦賀が、ポーランドやもっと広い交流を生み出す拠点になっていることが分かった。会場に高校生もいらっしゃるが、ポーランドという国のことをもっと勉強していただきたいと思う。
 
福田)敦賀は初めて。凛とした氣比神宮の雰囲気を感じ、素晴らしいまちと感じた。ポーランド孤児の話しを聞き、この地に来て当時の情景が浮かんだ。このエピソードをもっと大事にしていきたい。世界で一番貧しい国と言われるニジェールに7年間住んだが、ニジェールのウランで日本も発電してきた事実がある。この団体のスローガン「知らないけどつながっている」、時も場所も関係なく、思いもかけないところで身近につながっていることと、「これで終わらせない」との思いで取り組んでいる。
 
井澤)SDGsの関係で企業に話しもしているが、未来と今がどうつながっていくかとの観点でお話し出来ればと思っている。100年前と国力が上がっているにも関わらず、日本の難民の受け入れは1920年当時より少ない。マリアさんの講演からは、何を変えるべきで何を残すべきかのヒントをもらえたと受け止めている。
 
②何を変えて何を残してしていくべきか
石岡)助け合い、命は大事だというスローガンは出てくるが、何故かという本質を考えることが大切。例えばドイツで難民を受け入れた時も大歓迎されたが、それはどうしてか。可哀想だからというのではなく、難民たちが持ってるべき権利を剥奪されているから、権利を持っている自分たちが助けるんだという考えで行動していることを認識すると「人権」についても理解されるのかと。
 
井澤)権利は日常的に奪われていると分からない。外との比較などで気付くことが多いことからすれば、どの視点から見るかが大切と思う。学校も学力のみでなく、「人を尊ぶ」こと「立ち止まって疑問に思う」ことを考える授業も行われてきているので、光は見えてきたと感じている。
 
福田)ニジェールでは、中世の奴隷時代の名残で、家族によっては自分の子どもの見分けがつくように、生まれた時に顔に傷をつける風習が残っている。虐待ではない。そうした最貧国にも逃げてくる難民がいる(ボコハラムなど)。想像もつかない生活をしている国の中で、「自分の名前を字で書ける」ようにと各国NPO団体が、難民の子どもも含めて「寺子屋」のような学校を設置している。ニジェールのあるサハラ砂漠は厳しい環境だが、とにかく星が綺麗。悲惨な大変な中にも感動や美しいと思うことがある。難民にお菓子をあげたりした事実は、まさにそういうことであり是非ムゼウムにて残していただきたい。
 
石岡)身重の状態でユダヤ難民として敦賀に辿り着き、日本で出産したドラ・グリンバーグさんの物語を聞くに、隣にいる人に優しい言葉を掛けてあげられるかを大事にしていければと思う。
 
井澤)SDGsによって、「我々の世界を変革する」、「誰ひとり取り残されない世界の実現」のための戦いに変わってきた。海の向こう側の世界の話しではなくて、「取り残されている」ことは日本にも身近なところにある。その人を助けるために何ができるかを考える時代にある。
 
福田)コロナでリモートが進み、これまでの人間臭いことをどうしていくのか。宗教や親子の関係でさえもどうなっていくのか分からない大変な時代になってきているので、自分で考えていかなければならない。哲学的な話しになるが、人間はひとりで生まれ、一人で死んでいくという原則が、もしかすると連帯感なのかもしれない。痛みの分かる人間になって欲しい。
 
③まとめ、会場へのメッセージ
石岡)コロナで人との連携が難しくなってきているが、自分から隣の人に声を掛けてみることを是非勇気を出してやって行って欲しい。アウシュビッツも突如として日常から始まるものであったことから、日頃の心掛けを大切にしていただければと思う。
 
福田)。グローバルとローカルを合わせた19年前に出来た「グローカル」という日本の言葉。グローバルだけでも、ローカルだけでも生きていけない。足はしっかり地につけ、目は遠くを見ることが大事。
 
井澤)SDGsは、ゴールベースの考え方。ルールベースでなく、新幹線開業に向けてもゴールベースの考えにシフト。学びとは掛け算である。気付き×知識×行動=?
 
岡田)人道とは「人間が互いにその人生を改善すること。より多くの満足を与えること」。
 
以 上

お伝えしたいこと① 〜各国駐日大使の皆さんからのご挨拶より〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

一日を振り返って「いい一日だったなあ」と思えることは幸せなことですが、私にとってここ数日はそう思える日が続いています。
 
そう思える大きな理由のひとつは、新型コロナで停滞感が漂い続けていたまちに、賑わいや活気が戻ってきたことだと感じる訳でありますが、昨日は新たな門出を祝うかのような秋晴れの中、「人道の港敦賀ムゼウム」のリニューアルオープンセレモニーに感激しました。
 

 
11時から始まったセレモニーは、杉原千畝氏が領事官として「命のビザ」を発給したリトアニアを始め、孤児を受け入れたポーランド、さらにはオランダやアメリカなど各国駐日大使をご来賓としてお迎えしての開催。
 
各大使の皆さんからの心温まるご挨拶では、改めて「人道」の尊さと、100年前、80年前に敦賀であったエピソードを語り継いでいくことの大切さを教わった気がします。
 
さらに、孤児や難民を受け入れてくれたたことに対する日本への思い、外国から見た敦賀、敦賀ムゼウムに期待する役割などの言葉は、私の心に深く響いた次第です。
 

【セレモニーの最後には、出席者皆で平和のバルーンを飛ばしました】
 
このように、私にとって胸に残るセレモニーとなった訳ですが、この感激を私の胸だけに留めておくのは勿体無いと思い、各国大使のご挨拶を書き留めてまいりました。
 
本日は、そのご挨拶の要旨をご紹介させていただきますので、特に敦賀にお住まいの皆さんにおかれましては、先人が残してくれたエピソードと当時の情景を思い浮かべつつ、お読み取りいただければ幸いです。
 
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「人道の港敦賀ムゼウム」オープニングセレモニー
 
1.日 時:令和2年11月3日(日) 11:00〜12:15
 
2.各国大使ご挨拶(要旨)
(1)駐イスラエル特命全権大使 ヤッフィ・ベンアリ閣下
・渕上市長に対し、ここまでプロジェクトを進めてくれたことに感謝。
・情報提供いただいた北出様、ホロコースト教育に尽力された西岡様にも感謝。
・ユダヤ、イスラエルノ代表としてここに来ているが、今日は亡くなった母親の代わりとしても来ている。
・600万人の人々がナチスの迫害により殺害されたが、ヤドヴァシム記念館には亡くなった方の魂が残っている。
・36人の外交官の中には杉原千畝の名前も残されており、「命のビザ」によって2,300人ものユダヤ人の命が救われた。杉原のお陰と深く感謝している。
・ヤドヴァシム記念館にあるように、一人の命を救うということは、全世界の命を救うということ。
・敦賀ムゼウムは、人道だけでなく、命も象徴している。
・過去のことを覚えていくということだけでなく、これからの人に教育していくことが大事。
・コロナで大変な時であるが、人種や国籍に関わらず、互いに敬意を払っていくことを教育していくべき。
・昨年、ウィーンでユダヤに対するテロがあったが、二度とこういうこと繰り返さないよう行動していきたい。
 
(2)駐日リトアニア共和国特命全権大使 ゲディミナス・バルブオリス閣下
・敦賀には2年前にカウナスの市長と来た。また敦賀に来ることが出来て光栄。
・杉原千畝の命のビザから80年。沢山の人がここに来て、杉原の功績を学ぶことは素晴らしい。
・そうした特別な場所に来ることを嬉しく思うとともに、難民が初めて上陸した土地であり、そのことを切掛けに交流出来るようになったことを嬉しく思う。
・千畝の残したものが残されているということ、敦賀だけでなく他の土地にも残されていくことを希望する。
・千畝の使命は亡くなった今もなお生きている。多くの国との結びつきが千畝の尽力によってなされている。
・私たちの国の出来事がムゼウムに展示されることを嬉しく思う。
・杉原の使命をこれからも私たちでつないでいきましょう。
 
(3)駐日ポーランド共和国特命全権大使 パヴェウ・ミレフスキ閣下
・敦賀はポーランドの人にとって特別な場所。
・長年に亘りムゼウムは重要な役割を果たしてきたが、これからはさらに伝えていく場所になると思う。
・ユダヤの少年を助けた「諸国民の中の正義の人賞」を受賞したアントニーナ・メロさん(正確に聞き取れず)の賞を本日は敦賀市に寄贈する。
・これからの発展をお祈りする。
 
(4)駐大使・神戸米国総領事 リチャード・メイ・ジュニア氏
・千畝の功績にあたって、アメリカでも同様にビザを発給した人物がいたが、政府の正式な政策に反していたことから、2,000人ものユダヤ人は救われたものの、彼らは罰せられ、功績を認められることはなかった。
・事柄の大小に関わらず大切なこと。
・ヒューメニティーの言葉は一番思っていることを表している。同じことが自分に出来るかとの思いもあるが、こうした事実があったことを是非今後も伝えていきたい。
 
(5)駐日オランダ王国全権公使 テオ・ペータス氏
・博物館が好きだが、このムゼウムは単に保存するだけでなく、鏡として教育し、語り継ぎ、例えどんな時でも正しいことをするという物語を継承している。
・このエピソードは協力の物語でもある。知らなかった人と協力したという物語である。
・このエピソードは、一年前に日本に来るまで知らなかった。
・杉原のことは、「偉大な日本人30人」から日本を学ぶことで知った。言葉から学ぶことは大事なことである。
・千畝の章には感動。良心ある行動をした日本人に敬意を表する。
・それと同時に、ヤン・ズヴァルテンディクのことも知った。
・杉原と同じく、2,132人の難民を救った彼は、「他の人でもしたことだ」と息子に語り、特別なことをしたのではないとした21日間のことについては生涯沈黙を守ってきたため、知られることはあまり無かった。
・彼の葬式の日に、彼の行動により生き残ることが出来たとの手紙が届いたが、彼は知ることが出来なかった。
・このムゼウムにはズヴァルテンディクのことも展示されており感謝している。
・過去の声が生かされて感謝。これからも大事にしていきたい。
 
以 上

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