今津駐屯地にて「74式戦車」の最後の雄姿を見届ける

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長崎県対馬市の比田勝市長が昨日、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の文献調査を受け入れないと表明。
 
市議会の議場で「市民の合意形成が不十分だ」と述べ、一次産業や観光業に風評被害をもたらすとの懸念が強く、市民の分断が深まるのを回避したことが理由とありました。
 
産経新聞では、最終処分に詳しい東北大の出光一哉特任教授(原子力工学)の取材記事が掲載され、「地層処分がどのようなものか、住民が理解する機会を失うことになり失望した」と。
 
既に文献調査を進めている北海道寿都町、神恵内村に続き、他の(応募を検討している)自治体にも勇気を与えると期待していただけに残念。文献調査を受け入れることで、住民が安全性についてこれから学ぶ機会になったはずだ。
 
最終処分について国民に十分な情報が届いていない。間違った情報を基にした反対や、風評被害を心配するあまりの反対が多く、正しい情報がなかなか広がらないもどかしさを感じる。最終処分とはどういうものかを理解して欲しい。
 
まったくもって私も同じ気持ちですが、文献調査=最終処分地受入れではなく、あくまでも可能性を調査するものであるとともに、調査の応募に対し、市議会は賛成多数の意思を示していただけに残念でなりません。
 
さて、最終処分の問題はまさに、原子力の分野における国策としての大きな課題ですが、エネルギー政策と並び、国家の根幹にあるのが外交防衛。
 
昨日は、会員として所属する「敦賀防衛懇話会」の一員として、今津駐屯地(滋賀県)で開催された「第10戦車大隊戦車射撃見学会」に参加してまいりました。
 
敦賀から車で約40分ほどの位置にある今津駐屯地は、昭和27年10月に開庁。
 
以来、幾多の新編や改編を重ねて、現在では、第3偵察戦闘大隊、第3後方支援連隊第2整備大隊偵察戦闘直接支援隊、第10戦車大隊、第10後方支援連隊 第2整備大隊戦車直接支援隊、中部方面移動監視隊、中部方面無人偵察機隊、駐屯地業務隊及び諸隊と、大変多くの部隊が駐屯しています。
 
また、中部方面隊の最大規模の演習場で、様々な部隊が年間を通じて射撃や各種訓練を行っているのが今津駐屯地となります。
 
今回は、第10戦車大隊の改編にあたり、部隊の74式戦車が今年度末をもって退役するということで、最後の実弾射撃訓練を拝見しました。
 
広大な演習場(射場)を前に、4両の通称「ナナヨン」戦車が登場し、途中、砲弾不発などの不具合があったものの、胸にズドンと響く波動とともに、的確に標的を捉えるなど、最後の雄姿を見ることができました。
 

【射場に登場した「74式戦車」】
 
現役最古参の国産戦車である74式戦車は、1974年より配備が開始された冷戦期の主力戦車(主砲:105ミリ)。
 
今津駐屯地には、当時配備されていた初の国産戦車「61式戦車」に代わり、平成元年に74式に換装され、現在に至ります。
 
他の師団、大隊も同様、姿を消すということになりますが、来年度以降は陸上自衛隊が運用する戦車は「90式戦車」と「10式戦車」の2種類になる予定とのこと。
 
配備が開始された1974年は、私が生まれて2年後のこと。
 
国産二代目の主力戦車「ナナヨン」の約半世紀に亘る任務に敬意と感謝を申し上げるとともに、自衛隊が保有する装備の新型化や近代化、さらには隊員確保のためにも、防衛費の増額は必要不可欠なものと感じる一日となりました。
 

【駐屯地から射場まではこのトラックの荷台に乗って移動。わずかながら自衛隊員の気持ちを味わいました。】