経済同友会が意見書「活・原子力」を発表

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以前のブログで「第2のマイプラント」と表現した東京電力(以下、東電)柏崎刈羽原子力発電所。
 
同発電所はテロ対策の不備により、事実上の運転禁止命令を出されている状態ですが、原子力規制委員会は昨日、27日にも命令を解除する方針を決めました。
 
東電の改善状況や今後の取り組みを確認した上で、「テロ対策に一定の改善がみられる」と判断したほか、経済性よりも安全性を優先する同社の基本姿勢に「問題はない」と評価されたことを、私も安堵したところです。
 

【東京電力柏崎刈羽原子力発電所の全景(原子力規制委員会HPより)】
 
命令が解除されれば、同発電所は2年8ヶ月ぶりに再稼働に向けて動き出すこととなります。
 
私がお世話になった柏崎刈羽原子力発電所6/7号機は、電気出力135万6千キロワットを誇る当時最新鋭の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)。
 
今後も多くのハードルはあろうかと思いますが、それを乗り越え、戦線復帰を果たされますこと敦賀の地から応援しています。
 
さて、原子力発電に関しては、先般開催されたCOP28において、日本をはじめとする米英仏加など22か国が、世界の原子力発電設備容量を「3倍に増加させる」という宣言文書に署名したところですが、改めて、環境や経済性、エネルギー安全保障の面から重要な役割を担うことが期待されているところ。
 
そうしたなか、国内では経済同友会が20日、脱炭素社会の実現や将来の電力需要増への対応に向けて、安全性の認められた原子力の長期的な活用を訴える新たな意見書「活・原子力」を発表しました。
 
従来も既存原子力発電所の着実な再稼働や次世代革新炉の開発は訴えていましたが、題名が「反・原発」や「脱・原発」を連想させ、「真意について誤解を招く表現でもあった」ことから、今回は高レベル放射性廃棄物の最終処分や人材育成、規制の問題なども含めて総合的に考える必要があるとして題名の文言に「原子力」を使用したとのこと。
 
私はこれまでも、「原子力発電所」を「原発」と略すこと自体に※違和感があることから、自身が発する際は必ず「原子力」あるいは「原子力発電所」と使っていますが、今回、広い意味での言葉としても「原子力」と表現されたことを評価する次第です。
 
※火力発電所は「火力」、水力発電所も太陽光発電も「水力」に「太陽光」なのに、なぜ原子力発電だけ「原発」なのか?何かの言葉をイメージするよう、意図して略しているのに、今ではそれが蔓延してしまっているのが悔しくて仕方ありません。なので、自分だけでも「正しく」表現し続けます。
 
意見書では、
「Ⅰ.『縮・原発』から『活・原子力』へ」とし、2050年カーボンニュートラル実現やエネルギー安全保障の重要性が高まるなど、当時(2011年)と社会情勢が大きく変化したことから、今回『縮・原発』の表現を見直し、新たな考え方『活・原子力』を示す
 
「Ⅱ.カーボンニュートラル実現や将来のエネルギー需要を考えると、安全性の認められた原子力の活用が不可欠と考える」では、一次エネルギーを可能な限り非化石化するため、次の有力な選択肢が手に入るまで、世界最高水準の安全性を担保したうえで、原子力を活用すべきである。将来必要となり得るエネルギー需要を考えると、既に一定の理解が得られた既存炉の再稼働だけでなく、リプレース・新増設の実装への動きを今から開始することが求められる。
 
既存炉の再稼働については、短期的には審査合格後の国民へのファクトベースの説明、短中期的には立地地域と消費地の相互理解の促進、中期的には原子力規制委員会のあり方の見直しを行うべきである。また中長期的なリプレース・新増設については、安全性の高い革新炉の導入を前提として、既成概念にとらわれずに新たな規制の整備や立地の選定を行うことが望ましい。
 
また、「Ⅲ.多様な意見を聴きながら、エネルギー問題を開かれた形で熟議していく」では、エネルギー問題は国の未来に関わる重要テーマであり、グローバル社会での日本の理想像を目指すという目的の達成のため、長期の将来に向けた社会全体での建設的な熟議が必要である。事故の教訓も踏まえながら、「原子力を語れない空気」を払拭し、あらゆる選択肢をフラットかつ科学的に検討することが望ましい。
 
などとしています。
 
国がGX実行会議の基本方針で示した「原子力の活用」と重複するものの、意見書として考えを明確に示されたことは大変心強いものであり、今後は「活・原子力」が合言葉になればとも思う次第です。
 
なお、今後注視すべきは国の「エネルギー基本計画」見直し。
 
「可能な限り低減」するなかで「最大限活用する」という、極めて分かりにくい表現となっている原子力発電の位置付けをどうするのか。
 
時代は刻一刻と変化し、世界のエネルギー事情が混沌とする中において、次こそ明確に、国の根幹となる「基本計画」で示されることを期待いたします。