情報とは差異(ちがい)を産み出す差異(ちがい)である

ブログ 社会

世間は政治資金パーティーの裏金問題に続き、ダイハツ工業の品質不正問題と、社会からの「信頼」が揺らぐ事案が相次ぐところですが、本日22日は二十四節気の「冬至」。
 
一年で最も昼の時間が短くなる日のことであり、逆に言うと、この日を境に日照時間が延びていくことから、陰の気が極まって陽の気に向かう折り返し地点とも位置づけられています。
 
前述の事案については徹底解明のうえ、抜本的な改善を求めるのは言うに及ばずですが、年の瀬を迎えているいま、来年こそは日本全体が明るい方向に進むことを願う次第です。
 
さて、話しはガラリと変わり、敦賀駅西地区の知育・啓発施設「ちえなみき」を運営する指定管理者は、丸善雄松堂株式会社・編集工学研究所の共同事業体ですが、以前に登録したメールマガジン(以下、メルマガ)「編集工学研究所 Newsletter」から学んだことをご紹介します。
 
このメルマガは、編集工学研究所を取り巻くさまざまな話題を配信するお便りで、代表・安藤昭子さんのコラム「連編記」では、一文字の漢字から連想される風景を、編集工学研究所と時々刻々の話題を重ねて編んでいくもの。
 
vol.4 となる「連編記」のテーマは「『情』:この複雑な世界を巡るもの」。
 
この「情」の文字をめぐり、まず、私も完全に解釈を間違っていた「情けは人の為ならず」の言葉。
 
誰もが聞いたことがある現代社会に溶け込んでいるフレーズですが、皆さん、その意味は以下の(ア)(イ)どちらと思われるでしょうか?
 
(ア)人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる 
(イ)人に情けを掛けて助けることは、結局はその人のためにならない
 
私は、これまでの人生、ずっと(イ)だと思ってきましたが、本来の意味は(ア)が正解。
 
令和4年度「国語に関する世論調査」(文化庁)によると、(ア)を選んだ人は全体の46.2%、辞書にある意味からすれば間違いである(イ)を選んだ人が47.7%となり、全体の半数を超えたとのこと。
 
つまりは、日本人の半分以上が元の意味と違って理解している訳ですが、言葉の意味や使われ方が世に連れ変化していくのはいつの時代も自然なことではあり、誤用が半数を上回るという現象には、なにか文法的な解釈のズレとはまた別の次元の背景があるような気もいたしますとの編集工学研究所の見方。
 
余談ですが、例えば、先の裏金問題で(イ)と思い込んで、当事者に「情けは人の為ならず」と言った場合、とんでもないことになってしまうことから、この大変な間違いに気付かせてくれただけで感謝した次第ですが、メルマガでは続けてこうありました。
 
「巡り巡って自分のため」という含意の裏には、この世は「因果応報」であるという、長らく日本人の意識の基層をつくっていた仏教的な循環感覚があったことと思います。それが、近代以降に流れ込んできた西洋的合理主義と線形の時間感覚によって徐々に上書きされ、「巡り巡って」という複雑系としての世界像を描きにくくなっていることにも要因があるのかもしれません。一つの言葉の理解の変化といった断片に、気が付かないところで進行している文化的OSの書き換えが現れているようにも思えて、人間の世界認識のうつろいやすさのようなものを考えさせられた(文化庁の)調査記事でした。
 
現代を生きる私たちは、この循環する複雑な世界をどんなふうに受け止めているのでしょうか。情報端末が行き届き、世界中の出来事が瞬時に手元に届く時代にはなりましたが、世界の複雑性を前に、社会構造やそこに生きる人々の意識の分断はますます進んでいるようにも思います。
 
また、「情」に一文字を加えた「情報」に関しては、「情報」の歴史を遡れば、生命の歴史にたどり着くとし、この「情報」という捉えがたいものを「意識」との関係で考えていこうとしていること。
 
さらには、様々な学問分野に大きな影響を残した20世紀後半の人類学者「グレゴリー・ベイトソン」が、「情報(information)」を「any difference that makes a difference./差異(ちがい)を生む差異(ちがい)」と定義したこと。
 
その定義とは、単に差異があるだけでは情報にならず、それを差異と認識する生物主体があって情報が存在する、という見方であり、「世界をいかに知るか」という態度につながるとしています。
 

【編集工学研究所 Newsletter vol.4より引用】
 
「情報」を最小の単位とし、自然界の生物の形から部族のコミュニケーション・モデルまでを、この生きた世界に「共通するパターン」として読み解いていったのがベイトソン。
 
著書「精神と自然 生きた世界の認識論 」のなかで、ベイトソンをもってしても、「しかし1979年の時点では、この巨大なもつれを記述していく方法は確立されていない。どこから始めたらいいかも分かっていない。」と。
 
ベイトソンが生きていたら、さぞかし驚くであろう現代社会の膨大な情報のなかで、埋もれ、惑わされないよう生きるには、自己の意識や規律、判断基準をしっかり持つことに尽きると思う次第です。
 
そうした意味において、前述の「世界の複雑性を前に、社会構造やそこに生きる人々の意識の分断はますます進んでいるようにも思います。」との言葉は、著しく進んだ情報社会が抱える「大きなリスク」であり、そのことに気付かせてくれたメルマガに、改めて感謝する次第です。
 
なお、このように、普段の世間と離れた視点で物事を考えられる場所が「ちえなみき」です。
 
編集工学研究所の世界に触れたい方はぜひ、訪れてみてはいかがかと。