理不尽と不条理の世を生きるには

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昨夜は会社の大先輩のお通夜に参列。
 
自分の父より少し歳上の方でしたので、仕事で直接ご指導いただいたことはなく、関係会社に転籍されてからのお付き合いの方が長い訳ですが、親分肌の強面とは裏腹に会う度に優しくお声掛けいただいたり、選挙の前には力強い檄励をいただいたりと、お話ししすれば不思議と力をもらえる、私にとってはそんな存在の方でした。
 
ここに大先輩の生前の功績に敬意と感謝の念を表し、謹んでお悔やみ申し上げますとともに心よりご冥福をお祈りいたします。
 
安らかにお眠りください。
 
さて、そうした力や教えをいただいた方は、誰しも1人や2人はいらっしゃるのかと思いますが、私にとっては高校時代の陸上部顧問の先生もそのお一人かと。
 
伝統的に敦賀高校は陸上の強豪校であり、先生はその礎を築かれた指導者でもある訳ですが、投てき出身のこの先生は体も声も大きく、しかも先ほどの大先輩と同じく強面(先生すみません)で、とにかく風体自体が怖い存在でした。
 
私は中長距離種目ということで、同じ部の仲間とともに厳しい練習に3年間励み、心身ともに鍛錬した訳ですが、特に「心」の部分についての指導が厳しく、練習に取り組む姿勢はもとより学校生活において部員の誰か1人でも緩んだ者がいると連帯責任で全員が劣化の如く叱られたり、時には理由も分からず「勝手にせい!」とお帰りになるのを皆で止めに行ったなどということも。
 
後者の状況というのは、実は正しきことは何か、考えさせ気づかせることに意味合いがあったとはいえ、当時の私たちからすれば、先生の虫の居所が悪いとしか思えなかった訳ですが、それでもその時味わった「理不尽」な経験、指導に込められた先生の思いというのは、社会に出て数年してから分かるもの。
 
つまりは、理不尽だらけの社会や人間関係の中でつまづきそうになった時でも、「あの陸上部時代に比べれば」と思えば大抵のことは乗り越えることができた訳であり、ここまでやってこられたのは陸上部時代があったからと言っても過言ではないのであります。
 
そうしていつしか「怖かった先生」はある時期を境に「人生の恩師」へと変わったのですが、今でも怖い存在であることには変わりはなく、お会いすれば直立不動ですが、現役さながらの声でハッパを掛けていただけるのは嬉しくも力が湧くもので、今なお感謝しているところです。
 
私自身はそうして「理不尽な社会」という言葉を使ってきた訳ですが、たまたま1月11日から始まった福井新聞の通年企画「あしたを拓く」のコーナーで作家・五木寛之氏に「コロナの時代」をどう生きていけば良いのかを問うたインタビュー記事がありました。
 
仏教に造詣が深く、近年は文明批評でも健筆を振るう五木氏は、こう述べています。
 
「世界は不条理に満ちている。思うままにならないこの世をどう生きていくか。それを語ったのはブッダだ。不条理の中でより良く生きることを考えるのが仏教の根本。ありのままだ。嘆くことはないと説いている。」
 
「今は下降していく『下山の時代』だということを認識しなければならない。山を登っていく時と比べ、熱量もエネルギーも、体重の掛け方も違う。」
 
「けれども、下山の価値が劣ることは絶対にない。登山に増していいことがある。ゆっくり遠景を眺めたり、高山植物に目をやったり、来し方行く末を思ったり。成熟した人間の喜びを感じることができる。コロナはそれを気づかせてくれたかもしれない。」
 
なるほど納得の切り口でひとつの見方を得たのですが、ここで出てきた言葉は「世界は不条理」。
 
辞書によれば、「不条理」は、“筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「不条理な話」”
 
また、“人生に何の意義も見いだせない人間存在の絶望的状況。カミュの不条理の哲学によって知られる。”ともありました。
 
奇しくもカミュは、ウイルス感染と人間模様を描いた「ペスト」で有名な世界的著者でありますが、五木氏の話しからは、このコロナ禍を生き抜く人生訓のヒントがありました。
 
ちなみに、先ほどの「理不尽」の意味は、“道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。「理不尽な要求」「理不尽な扱い」”
 
よく似ていますが、「不条理は全体の環境」、「理不尽は個の関係」を指しているものと理解。
 
つらつらと述べてきましたが、コロナがあろうとなかろうと、元々人が生きる世界は思うままにならない「不条理」「理不尽」だらけであることを思えば、それに惑わされたり、飲み込まれるのではなく、この二つの言葉の対義語である「正当」、「道義に叶う」と思える生き方をすることが、この世をより良く、自分自身悔いなく生きる術であると言えます。
 
こうして考えると、恩師が教えてくれたことはブッダにも通ずるもの。
 
そう受け止め、一生糧になるであろう「陸上部時代」の思いとともに、今後も自身の信念とポジティブ思考で頑張っていきたいと思います。
 

【3000m障害も人生もハードルは乗り越えるためにある(ホームページのプロフィールに掲載の陸上部時代より)】