歴史の転換点としての北陸新幹線敦賀開業 〜第39期 敦賀市民歴史講座(最終講)を開催〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

過去に学び 未来に期待し 今日に生きる
 
これは、敦賀の市民歴史団体 気比史学会の結成以来の会是ですが、昨日はこの言葉を表すかの機会となりました。
 
これまで幾度かご案内してまいりました「第39期 敦賀市民歴史講座」の今年度最終講。
 
昨日は14時より、きらめきみなと館にて、「歴史の転換点としての北陸新幹線敦賀開業」(主催:気比史学会、共催:敦賀市、敦賀市教育委員会)をテーマに開催しました。
 
「新幹線開業30日前イベント」(昨日で開業まで28日)として、敦賀市長、市議会議長、市教育委員会事務局長、敦賀商工会議所会頭、敦賀観光協会会長を始め、約170名もの方にお越しいただき感謝。
 
本日のブログでは、新たな新幹線時代に向かうに際し、本講座の内容を一人でも多くの方と共有いたしたく、議事メモを掲載しますのでご覧いただければ幸いです。
 
【第39期 敦賀市民歴史講座ネクストステージ(最終講)】
 
<日 時> 令和6年2月17日(土)14時〜16時
<場 所> きらめきみなと館 小ホール
<テーマ> 歴史の転換点としての北陸新幹線
<講 師> 東洋大学教授 井上 武史氏
<講演の趣旨>
「みなとまち」として千年以上の繁栄を築き、また、鉄道とともに「近代港湾都市」として飛躍してきた敦賀。
改めて、敦賀の歴史を振り返るとともに、新幹線開業のチャンスの転換点とするためにどう活かしていけばよいのか、その方策を考えます。
 

【多くの方にお集まりいただき心より感謝】
 
1.歴史の転換点① 「近代港湾都市」敦賀の盛衰
・明治14(1881)年に北陸本線が仮開業し、「鉄道」と「港」という「まち」の原型が形成された。
・鉄道の開通は、日本海側で最も早かった(2024年は、長浜ー敦賀間全線開業から140年)。
・明治17(1884)年の敦賀ー長浜間全線開業によって、県内では坂井港の取扱高を逆転。拡大が期待される分野において独占的地位を獲得した。
・しかしながら、その後の北陸本線の延伸によって、独占的地位を喪失
・敦賀港における輸出入額が、明治33(1900)年の4,013万円をピークに、明治35(1902)年には1,600万円まで減少した。
 
(小括)
北陸本線延伸後は「独占から競争への環境変化」で衰退
◉「通過」と「乗り換え」は大きな違い
◉貨物輸送と旅客輸送は未分離のまま。
 
2.歴史の転換点② 「国際港湾都市」敦賀の盛衰
・政府への猛運動を経て明治32(1899)年に敦賀港が開港。
・明治35(1902)年には「ウラジオ定期航路」が開設。日本海側では七尾航路の廃止により、独占的地位を獲得
・明治34(1901)年のシベリア鉄道開通により、ウラジオ航路が注目→日本海側唯一の第一種重要港に指定され、敦賀港が繁栄。
・国際会議で世界一周ルートが決定され、敦賀港が組み込まれる。欧亜国際列車の運行が始まり、国際港湾都市「敦賀」へ。
・敦賀〜ウラジオストク間の旅客往来。日本人が2,000〜3,000人/年間に対し、ロシア人1,000〜1,500人/年間。
・ヨーロッパへの最短ルートは敦賀港からウラジオ、シベリア鉄道。
 
(小括)
「鉄道とみなとの国際都市 敦賀」へ
◉市民の力。拡大と独占への洞察力と実現への粘り強さ。
◉貨物輸送と旅客輸送は未分離のまま。
 
3.戦後の経済成長と敦賀の新たなステージ
・敦賀の新たな発展への道① 敦賀市誕生(昭和12(1937)年)。港だけでは不安定→工業に必要な土地確保
・敦賀の新たな発展への道② 工業化→戦前の東洋紡(昭和8年)、敦賀セメント(昭和10年)から昭和、平成へと開発が進む。
・敦賀の新たな発展への道③ 原子力発電。工業だけは基盤が十分とは言えなかった背景。福井県が「後進県からの脱却」を掲げる。
・鉄道交通の新たな展開① 北陸本線の電化や北陸自動車道開通など。ルート決定に際して敦賀からの熱烈な運動あり(=市民の力)。
鉄道・交通の新たな展開は、工業・原子力発電など新たな産業とともに、戦後の敦賀市発展を支えた。
・鉄道交通の新たな展開② 敦賀港の動向。昭和45(1970)年のフェリー航路(敦賀ー小樽)、平成2(1990)年のコンテナ定期航路就航(敦賀ー釜山)平成3(1991)年の北陸電力敦賀火力発電所運転(石炭輸送)により、海上輸送の分野にも安定化の要素が加わる。
 
4.歴史の転換点③ 「交流港湾都市」敦賀の展開
・1999年の節目① 開港100周年「つるが きらめきみなと博21」→ 期間中、68万6千人が来場
・1999年の節目② 「人道の港 敦賀」の発信。杉原千畝氏の「命のビザ」でナチスの迫害から逃れたユダヤ人を敦賀港で受け入れ。
・1999年は、敦賀港の賑わいの機能を加え、再び「みなと」として再生する契機となった。
・敦賀のさらなる発展へ。交通体系の複合拠点として。
 
5.北陸新幹線敦賀開業を機に敦賀の方向性を考える。「高度交流都市」へ
・敦賀の人口減少が加速しており、減少はこれからも続く(令和32年の人口は、令和2年よりも26.0%減少)。
・一方、令和32年には嶺南地域の半分以上が敦賀市民になる(令和32年で50.4%を占める)。
・嶺南地域の「地方中核都市」としての拠点機能強化が期待される。
・北陸新幹線開業により、人で賑わう「みなとまち」は「駅」を加えて新たなステージ「高度交流都市」を形成する。
・敦賀「高度交流都市」のための3段階。終着駅としての敦賀は、絶対に降りる「独占的地位」であり、第1段階の「無意識の交流」から第2段階の駅周辺立ち寄り「気軽な交流」、さらに第3段階は、敦賀市内・嶺南地域・県全体へ来訪する「身近な交流」を創出する。
 
(目指すところ)
◉敦賀は日本「海」の玄関口から日本「回」の玄関口へ
◉高度交流都市のための「立体的黄金ルート」
◉敦賀は福井「回」の玄関口にもなる
◉「人道の港」から「人道のまち」へ → 重要なのは「市民の力」
 
次の転換点は、リニア新幹線の名古屋開業(2027年?)と北陸新幹線の全線開業(2030年度末頃目標)か?
 
講座のまとめ①
・「鉄道とみなとのまち 敦賀」の盛衰のポイントは、「拡大が期待される分野か」「独占的地位か」であった。
・転換点となったのは、鉄道の開業と延伸、国際港湾としての開港であった。その後、工業化や原子力を加えて安定性も確保した。
・ヒトとモノの輸送が一体から分離へと変わるなかで、みなとや駅周辺の姿も変化してきた。
 
講座のまとめ②
・北陸新幹線敦賀開業は、交流人口の拡大が期待されるなかで、多様な鉄道の乗り換え地点としての独占的地位が強化されることを意味する。
・近代港湾都市→国際港湾都市→交流港湾都市→高度交流都市への転換が見込まれる。キーワードは、「3段階の関係づくり」と「立体的黄金ルート」と考える。
・次の転換までの間に、人々と敦賀の関係づくりをどれだけ深められるかがポイントではないか
 
「100年に1度」から「次のステップ」を見据えて
 
これからの敦賀に期待しています!
 
<議事メモは以上>
 
大変お忙しいなか、本講座の講師を快くお引き受けいただいたうえ、多くのご示唆をいただいた井上先生に心から感謝申し上げます。
 
そして、参加いただいた皆様におかれましては、足を運んでいただき誠にありがとうございました。
 
皆様にとりまして、古より交通の要衝として栄えてきた敦賀の歴史に思いを馳せつつ、「鉄道と港のまち」としての誇りをもって新幹線開業を迎え、新たな時代に挑戦する。
 
そのような機会になったのであれば幸いです。
 
なお、気比史学会におきましては、冒頭の会是のもと、地域史を楽しみながら学び、次代へつなぐ思いで活動してまいりますので、今後ともご理解とご協力のほどお願いいたします。