初の試み「ミニ歴史講座」を開催

ブログ 敦賀の歴史・文化

北陸新幹線敦賀開業から2週間が経過しましたが、昨日、車で白銀交差点から駅に向かって走るとアーケード街には人の波。
 
新たに設置された駅周辺駐車場(3箇所)の「満空」表示板もすべて赤字の「満」、あるいはオレンジの「混」に切り替わったりと持続的な賑わいを肌で感じたところです。
 
なお、新聞情報によれば、駅西地区の複合施設「otta(オッタ)」の中核を担う知育・啓発施設「ちえなみき」は週末を中心に客足を伸ばし、先週24日(日)の来館者は普段の週末の2倍に当たる約3千人に上ったそう。
 
昨日、駅方面に向かった目的は「ちえなみき」でしたので、実際館内に入るとその人の多さに驚き。
 
記事どおりの賑わいを感じた次第です。
 
さて、私の昨日のメインイベントは、気比史学会の新たな取組み「ミニ歴史講座」。
 

【会場のモニターに映したパワポの画面】
 
前期までは、特定のメンバーにて部屋の中(クローズ)で行ってきた「史楽庭」をリニューアルし、参加者を特定せず、より多くの方と楽しく歴史を学ぼうと、オープンスペースにて開催することに。
 
「知の拠点」である「ちえなみき」は、この場所にもってこいということで、迷うことなく選択しところ。
 
会の事務局であり、この日の説明者でもある私は、2階の「セミナー&スタディ」エリアでモニターなどの準備を済ませ来場者を待つと、役員4名に加え、SNSを見て知ったという4名の方にお越しいただき嬉しい限り。
 
計8名にて、講座をスタートしました。
 

【思いを込めて作成した70枚余りのスライドとともに、初回のメインスピーカーを務めました。】
 
記念すべき初回のテーマは、新幹線開業に因んで「敦賀と鉄道」。
 
まずは、向出山古墳(5世紀の後半頃)の存在が証明するよう、敦賀港の「日本海側の玄関口」としての歴史は「古墳時代から」であることを共有。
 
続いて本題に入り、明治維新の後、近代国家建設をめざす明治政府の中でも、陸蒸気(蒸気機関車)による鉄道建設に並々ならぬ意欲を燃やす、大隈重信、伊藤博文らが明治2(1869)年11月10日に「鉄道敷設計画」を決定。
 
決定した計画には、「幹線ハ東西両京ヲ連結シ、枝線ハ東京ヨリ横浜ニ至リ、又、琵琶湖辺ヨリ敦賀ニ達シ、別ニ一線ハ京都ヨリ神戸ニ至ルベシ」とあり、日本最初の3路線のひとつに「敦賀」の名があることまさに、当時の日本にとって、大陸との玄関口である重要港湾「敦賀港」と一早く結節することが国益に資すると考えられていたこと、そして、そのことが「鉄道と港のまち」の所以であり、敦賀市民として誇りに思う旨、考えを述べた次第です。
 
その後は、明治7(1874)年12月に敦賀〜京都間の測量完了したものの、西南戦争などで国内が混乱。
 
この時、敦賀線の鉄道建設を強く主張したのが、後に日本の「鉄道の父」と呼ばれる鉄道局長 井上 勝氏(1843-1910)であり、明治11(1878)年4月には起業公債による着工命令が出されるも、今度は、政府内部や建設が見送られた地方で敦賀線に反対する声が大きく、政治的・軍事的・経済性面での重要性は認めるものの、採算が採れず、政府の財政負担になることも指摘され計画は停滞。
 
ここで英断を下したのが、太政大臣 三条実美であり、「米原ヨリ敦賀二達スル線路建築ト可相心得事」と指令。
 
これを受け、明治12(1879)年10月9日には、再度の御前会議により敦賀線を早急に着工するよう決定し、ようやく明治13(1880)年4月に敦賀側と長浜側とが同時着工。
 
その後、急ピッチで工事が進められ、明治14(1881)年2月13日には、敦賀線金ケ崎〜洞道口(柳ヶ瀬隧道の手前)間14.4キロの鉄道が完成。
 
翌明治15(1882)年3月10日には、柳ヶ瀬隧道区間を残して「金ケ崎〜長浜間」が部分営業開始。
 
開業の約半年前、明治16(1883)年9月20日の福井新聞には、「以前山岳の如く積揚し荷物も、今は汽笛の一声と共に数十里の運送をなし、其便なる云はん方なし。今や皇国第一等の険坂刀根坂(柳ヶ瀬トンネルのこと)も其土功を落成するに及べは、其運輸の便一層を加へて、人民の利潤も亦た推して知るべし。」と、敦賀への並々ならぬ期待感が報じられていたことも紹介。
 
そして、いよいよ明治16(1883)年11月16日には「柳ヶ瀬隧道」が貫通。
 
明治17(1884)年3月30日に「柳ヶ瀬トンネル」が竣工し、同年4月16日に敦賀線「金ケ崎〜長浜間」が「全線開業」に至ったと。
 
なお、この後、敦賀港の荷物取扱高は倍増し、坂井港を超えた(その後7.5倍にまで)ほか、乗客24万人、貨物輸送3万894トン。
 
新橋ー横浜間の貨物割合15%に対し、敦賀ー長浜間は約43%で、終着駅の金ケ崎駅が港と強い結びつきがあったことが、敦賀の特徴であることを振り返りました。
 
まさに、今からちょうど「140年前」にあった史実は、敦賀にとって「歴史の転換点」であり、時を経て、同じく転換点を迎えた北陸新幹線開業と情景を重ねたところです。
 
話した内容をつらつら綴りましたが(実際はこれにクイズなどを取り込んで、やわらかく話しています)、途中、関心をもってくれたお役さんが2〜3名、立ったまま、あるいは着席して話を聞いてくれましたが、これこそがオープンスペースで開催したことの意義と嬉しく感じた次第です。
 

【右に着席の黒いジャンバーの方は途中参加のお客さん】
 
このミニ歴史講座。
 
今後は定期的に開催する予定としており、次回はこの続き、金ケ崎〜長浜間全線開業以降のお話をしたいと思います。
 
地域史を知ることは郷土への愛着や誇りにつながるとともに、自身が生きる上での考えの軸を形成することにつながるもの。
 
気比史学会の会是「過去に学び 未来に期待し 今日に生きる」を胸に、今後も「楽しく歴史を学ぶ」ことに取り組んでまいりますので、ぜひ皆様にも参加いただければ幸いに存じます。
 
※なお、オファーがあればどこでもお話ししますので、関心のある方はぜひお声掛けください。