人道の港敦賀ムゼウム企画展「生と死の間」

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文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳でご逝去との報。
 
「源氏物語」の現代語訳を達成し「平成の源氏ブーム」の火付け役となったことは有名で、その後晩年まで創作意欲は衰えず、愛と人間の業を描いた小説や心に寄り添う法話で著名な寂聴さんは、1988年から計4年間、旧・敦賀女子短期大学の2代目学長を務められた方でもあり、ここ敦賀とも深い縁がある方。
 
以前には、関西電力大飯原子力発電所の運転再開に反対するハンガーストライキや安全保障関連法に反対する国会前のデモに参加するなどの社会的活動に参加されたこともあるものの、作家としての執筆活動の一方、30年以上に亘って各地で法話を続け、多くの人々の悩みや苦しみに耳を傾けてこられるなど、生前のこうしたご貢献に対し敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
 
さて、寂聴さんが生涯を通じて語り続けた「愛」に関して。
 
「愛の反対は憎しみではない 無関心だ」との言葉を残したのは、かのマザー・テレサでありますが、これは「無関心」であること、苦しむ者に関わりを持たずに「傍観者」であることが愛の対極にあるとの意を指します。
 
ここに通ずるのかも知れませんが、昨日は「人道の港敦賀ムゼウム」で開催されている企画展「生と死の間」を鑑賞し、改めてそのことを痛感した次第です。
 

【鑑賞終了後、ムゼウム前にて】
 
この企画展は、European Network Remembrance and Solidarity(記憶と連帯の欧州ネットワーク)との共催、公益財団法人大阪国際平和センター(ピースおおさか)の協力を得て開催されたもので、サブタイトルは「ホロコーストとユダヤ人救済の物語」。
 
第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツによる迫害で多くのユダヤ人が犠牲となりましたが、この迫害の中で、危険を冒してでもユダヤ人に手を差し伸べた人々がいて、そのお陰で生き延びることができたユダヤ人がいたのも歴史上の事実でありますが、この企画展では、12ヶ国のヨーロッパの国々におけるユダヤ人救済の物語を紹介する、まさに見つかれば殺される「生と死の狭間で人々が選んだ道」に焦点を当てたもの。
 
ちょうど鑑賞していた時間帯、企画展ルームには私ひとりだったこともあり、展示パネルひとつ一つをじっくりと拝見することができました。
 
「命のビザ」で有名な杉原千畝氏の功績を讃えるビデオも流れていた訳ですが、パネルにある史実は、自分の命をかえりみずユダヤ人を自宅に招き入れたことなどの証言、反対にそうした方に助けられ命をつなぎ、感謝してもしきれないとのユダヤ人の言葉など、そこには想像を絶する現実がありました。
 
また、ホロコーストからユダヤ人を守った非ユダヤ人の人々を表す称号で正義の異邦人とも呼ばれる「諸国民の中の正義の人」が残した言葉も記されており、
 
助けを必要としている人と、それに力を貸す人の運命はつながっているのです。
 
との、諸国民の中の正義の人の一人、ギゼラ・チェルタンさんが残した言葉が強く心に残りました。
 
現に助けを受け入れた非ユダヤ人が、心を許したユダヤ人をナチスに密告し引き渡したこともあったことからすれば、チェルタンさんが残した通り、そこには理屈でない運命というものがあったのだと共感した次第です。
 
こうして展示を全て見終え、目を背けたり忘れてはいけないホロコーストの事実、そしてユダヤ人救済のため、まさに命懸けで行動された人々がいて、残された言葉があることを胸に留めると同時に、今なお世界各地である人種差別や迫害は、決して繰り返してはいけない許されざることであること、そして傍観者ではなく、自分ごととして捉えるべき問題であることを改めて考えさせられる時間となりました。
 
そして最後に「人道の港敦賀ムゼウム」について。
 
リニューアルオープンから1年が経過し、とかく来館者数が計画に達していないことなどの状況であることは事実でありますが、オープン式典の際に各国大使が述べられたのは「ムゼウムは敦賀の宝」であるということであり、その言葉に照らせば、コロナ禍にあっても校外学習などで市内外の児童生徒が訪れているほか、最近ではポーランド広報文化センターのウルシュラ・オスミツカ所長と敦賀高校「創作部」の生徒さんとの座談会や、その後も「創作部」の皆さんは精力的に館内ガイドをされるなど、次代を担う地元の子たちが学び、感じる場となっていることは大変素晴らしいことと、私は評価するところです。
 
ムゼウムは市直営での運営であり、民間であれば簡単にできることも一筋縄ではいかない面も多々あろうかと思いますが、逆に市直営であったからこそできていることもあるのだと思います。
 
上記のような地元に密着した取組みがまさにそれであり、こうした積み重ねは必ずや大きな意味での成果(歴史や史実から人道の大切さを学び、そこから生まれる個々の成長やシビックプライド)につながるものであると、こちらも私は期待するところであります。
 
これまで色々な方とお話しさせていただくと、悲しいかな「ムゼウムなんて」という方に限って「まだ行ったことがない」という割合が多いのが実態としてあります。
 
冒頭述べた、マザー・テレサの言葉は「愛の反対は無関心」です。
 
まだ行かれたことのない方は是非ムゼウムに足を運んでいただき、そこで心で感じること、それが即ちムゼウムの「価値」だと思いますので、またご感想などお聞かせいただければ幸いに思います。