令和5年度 松原神社例大祭 〜武士道ここにあり〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

三連休明けの昨日は、街頭活動からスタート。
 
いつもは一人の街頭活動ですが、昨朝は何と、原電労組の仲間が応援に駆けつけてくれるというサプライズ。
 
30分間ではありましたが、のぼり旗を持ち、活動をともにする仲間の存在は心強く、自然とマイクを持つ手にも力が入る朝となりました。
 

【普段は自撮りのところ、写真まで撮っていただき感謝】
 
活動の後は、昨日ご紹介した「令和5年度 松原神社例大祭」に参列のため松原神社へ。
 
武田耕雲斎先生ら水戸烈士諸公の御霊を鎮魂する「松原神社例大祭」は、コロナ禍もあって、4年ぶりに水戸市、常陸太田市、潮来市よりそれぞれ市長、議長を始め多くの関係者の皆様が参列のもと、厳粛な雰囲気のなか執り行われました。
 

【「浪人まつり」の旗が立つ松原神社】
 
途中、地面を弾くほどの強い雨が降ったと思えば、陽が差したりと、目まぐるしく変化する天気でしたが、激動の幕末において、国を憂い、尊王攘夷を掲げ京に向かった水戸天狗党が志半ばで散った姿と、この天気が重なった次第です。
 
例大祭を終え、参列者一同で神社の向かいにある「武田耕雲斎等墓」(幕府が下した斬首刑により敦賀で命を落とした353名の名前が墓石に刻まれている)を参拝。
 
武田耕雲斎は那珂湊(茨城)での戦争の際、「大いなる紅葉二三を縫った白の陣羽織」を着用していましたが、この陣羽織には、水戸藩主 徳川斉昭が急進的な幕政改革を幕府に咎められたことにより、致仕・謹慎を命じられ、これに連座して謹慎となった時に耕雲斎が詠んだ歌「木かくれて常には見えぬ紅葉の散りてこそ知れ赤き心を」の思いが込められています。
 
まさに「散って燃ゆる」は陣羽織のみならず、純粋な「誠」と「義」、武士道を貫いた、耕雲斎先生の生き様自体を表したものであると、改めて心打たれた次第です。
 

【墳墓のそばに建つ武田耕雲斎先生の銅像。命を賭して貫いた武士道ここにあり。】
 
結びになりますが、「幕末の悲劇」と呼ばれる水戸天狗党の歴史を紡ぎ、こうして例大祭を挙行いただきました敦賀水戸烈士遺徳顕正会の皆様に心より感謝申し上げます。