再稼働を待つ敦賀発電所2号機は生涯「マイプラント」

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昨晩は、神楽一丁目ならびに神楽商店街よりお声掛けいただき、「これからの神楽通りと氣比神宮のビジョンを語り合う会」に出席しました。
 
冒頭、主催者側から会の趣旨などについて説明があった後、声掛けのあった首長および各級議会の現職ならびに候補予定者より、自らの考えをお話しし、以降参加者との意見交換を行いました。
 
頂戴したご意見や質問は、地元の生の声であり、大変勉強になりましたが、この神楽通りは氣比神宮と密接な関係にあることや720年にも及ぶ歴史を持つ通りであることから、参道商店街としての賑わいが生まれるよう、引き続き思考していきたいと思います。
 
さて、話しは変わり、1987年の今日は敦賀発電所2号機(以下、敦賀2号)が営業運転を開始した日です。
 
営業運転開始日を誕生日とすると、今日で36歳を迎えたことになります。
 
この敦賀2号、日本原子力発電(以下、日本原電)のホームページによれば、「1982年3月に着工(第1回工事計画認可)、同年4月に建設工事を開始し、 当初の予定よりも工期を4ヶ月あまり短縮し、1987年2月に営業運転を開始。この発電所は、わが国最初のプレストレスト・コンクリート製格納容器を採用して耐震性の一層の向上を図るとともに、国内外の新技術を積極的に導入し、各種の設備に種々の改良・改善を加え、安全性、信頼性、環境保全の各面に優れた発電所です。」と紹介しています。
 
これまでの発電電力量合計1,923億kWhを誇る敦賀2号ですが、東日本大震災後の2011年5月7日20時00分に原子炉停止して以降、これで12年の歳月が流れようとしています。
 
2015年11月に新規制基準への適合性確認審査を申請して以降、現在は原子力規制委員会による審査が進められており、まずは敷地内破砕帯評価をクリアすることがポイントとされている状況にあります。
 
なお、先般、資源エネルギー庁が、一定の停止期間(東日本大震災以降の法制度の変更など、事業者が予見しがたい事由によるもの)に限り、追加的な延長を認める」(いわゆる「時計を止める」)との方向性を示しており、適用されれば20代にまで若返る、働き盛りのプラントであると言えます。
 
私自身、1990年の入社以来、敦賀2号の保守管理業務に携わり、多くの経験をさせていただきましたが、何といっても先輩や同僚社員、メーカーの三菱重工を始め、多くの協力会社の皆さんとともに汗して定期検査対応したことや、発電に復帰した時の達成感など、数々の思い出が浮かんでくるところです。
 
そんな思い出と携わった方々の魂が詰まった敦賀2号は、今でも私の「マイプラント」であり、経験したことは人生の「宝」となっています。
 
であるが故、「何としてでも再稼働させる」。
 
その思いに尽きる次第です。
 
といっても今は、直接この業務に携わる訳ではありませんので、同僚の健闘を期するしかありませんが、「低廉で安定した電力供給の一翼を担う」ことが本来目的であることを忘るることなく、使命感をもってこのハードルを乗り越えるとの気概を持ち続けたいと思います。
 
奇しくも日本全体が電気料金高騰に喘ぐなか迎えた敦賀2号営業運転開始から36年目の今日。
 
わが国における原子力発電の必要性を改めて考えつつ、一日も早い戦線復帰に向け全力を尽くすことを関係者一同で再確認する。
 
そんな周年日にせねばと思う次第です。
 

【思い出の詰まった敦賀2号。再稼働の日をまだかと待っているに違いない。】