「野心的であるが故」の言葉で全てを片付けていいのか

エネルギー ブログ

「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」。
 
これは有名な、パラリンピックの父と呼ばれる英国の医師、ルードウィッヒ・グットマンの言葉。
 
少し調べてみると、そのグットマン医師が、1948年にロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、戦争で負傷した退役軍人らを対象に開いたアーチェリー大会がパラリンピックの発祥とされ、その後、大会は発展、1960年からは4年に1度、ほとんどが五輪開催国で開かれ、第2回大会が1964年の東京だったとのこと。
 
そのパラリンピック東京大会が、以来57年ぶりに昨日、国立競技場で開幕しました。
 
史上最多58個のメダルを獲得した東京五輪後、日本国内では、新型コロナウイルス感染の「第5波」が急拡大し、報道などでは開催に疑問の声が挙がっていることや原則無観客とするなど、東京五輪に続き異例の大会となります。
 
それでも160を超える国と地域から、史上最多の4403人のパラアスリートが東京に集うとのことであり、先の五輪とはまた一味違う、決して諦めなかったからこの場に立つという、人間が持つ強さや可能性に私たちが気づき、その気づきが社会を変えていく原動力になるものと信じ、日本選手はもちろん、世界各国のアスリートの皆さんが心置きなく力が発揮できることを願い、応援したいと思います。
 
さて、話しは変わり、一昨日の午後は、敦賀市議会の議員説明会が開催され、「国のエネルギー政策」について、経済産業省資源エネルギー庁の原子力立地政策室長より説明を聞きました。
 
約30分のエネ庁からの説明は、現在のエネルギー事情と第6次エネルギー基本計画素案(主に原子力政策)のアウトラインを通り一遍に述べるに留まり、原子力立地地域の議員と分かって説明しているのか、スタートから疑問が湧きましたが、他の議員の皆さんももちろん同じように感じておられ、その後の質問時間では、とりわけ原子力政策に対する国の姿勢、エネルギー基本計画の内容について多くの批判の声が挙がりました。
 
質問に先立ち、冒頭議長より、第6次エネ基策定にあたっては、敦賀市議会から意見書も提出しているが、そのことも認識したうえで、何を説明しに来たのかとの問いに対し、エネ庁側はどうも、意見書の内容すら把握していない様子であったことに、私も呆れ返ってしまった訳ですが、その後複数の議員から挙げられた主な意見は以下の通り。
※私のメモベースにつき、一字一句合致しているものではありません。
 
(主な意見)
エネ基を見る限り、今後、大型軽水炉は不要と思っているように映るがどう考えているのか。
◉前回のエネ基には、敦賀を原子力研究拠点にとの文言があったが、どうなったのか。
◉再エネ、特にFITによる賦課金により国民負担が増大しているが、今後さらに増加すると思うが、どう対応していくのか。
原子力を「活用」していくとの文言と「依存度低減」が混在しており、全くもって矛盾している。
◉信頼回復、信頼回復と言うが、誰の責任で誰がやるべきだと考えているのか。これまで協力してきた立地としては、梯子を外された思いである。
◉立地地域には丁寧な対応とあるが、全くもってそうは思えない。もんじゅの時も、そう言いながら、突如の廃炉を通告されたような形でもあった。国は信頼できない。
杉本知事が関電の40年超プラントに同意した際に、国は、将来に亘る原子力政策を明確にすると約束したはずだが、既に反故にされている。都合の良いことだけ言って進めさせ、約束を守らないのは、まさに後で梯子を外しているのと同じである。
 
これに対し、室長は「野心的なエネルギー基本計画であるが故」との前置きばかりで明確な答えはなく、「ご意見ありがとうございます」に終始した感。
 
最後に議長からは、「立地地域から出された意見書の内容すら、計画に取り込まない国の対応に対し、元々ない国との信頼関係であるが、さらに原子力を分かっている人ほど、もう原子力は不要(協力できないとの意味と解釈)だと思う雰囲気もある。その点、国は重々認識しておくように。」との趣旨の言葉を、強い口調で伝え閉会となりました。
 
とりわけ、意見書でも強く要望した「新増設・リプレース」が一言も記載されていないことに対する国への不信感と受け取った訳ですが、これに関しては全くその通りと、大きく頷いた次第。
 
また、その後開催された、敦賀市原子力発電所懇談会も傍聴しましたが、ここでも市内各団体を代表する複数の委員から国のエネルギー・原子力政策に対する姿勢に懐疑的な意見が多数挙がったほか、座長である渕上市長からは最後に、
 
新増設、リプレースを行うことを示さないと、人材育成や技術が進まない。
裏付けのない「野心的」の言葉によって、このエネルギー政策は、理想と現実でいえば前者になっている。
◉国民のほうを向いているのかが疑問である。
◉原子力に関しては、いつまでに国民理解を得ようとしているのか。震災から10年が経つが(国を)信じていいとは言えない状況。
◉先に進むことのみならず、最終処分など、後始末を考えた時に間に合っていないことが多く、ちぐはぐに映るため、国には頑張っていただきたい。
 
との言葉がありました。
 
議会と同じような認識と受け止め、説得力ある言葉にこちらも頷いた次第。
 
こうして、他の原子力立地地域も回られるのかどうか分かりませんが、果たして意見を反映する気があるのか、単にガス抜きの場であってはならないことは確かであります。
 
2050年カーボンニュートラルの「野心的」、「おぼろげに浮かんだ」46%CO2削減の言葉に振り回され、2030年ですらバラ色の世界が待っているかのような、お花畑の理想論で日本はどうなってしまうのか。
 
有識者や原子力立地自治体、議会が何を言っても、決め打ちの政策に突き進む国の姿勢を憂いて止みません。
 

【国の根幹に関わる政策が「理想論」であって良いはずがない(やまたけ活動報告会資料のスライドより)】