越前朝倉宗家をめぐるお家騒動 〜敦賀市民歴史講座(第2講)より〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

昨朝は、4年ぶり開催された「敦賀野球フェスティバル2023」の開会式に出席し、野球場に集う小中高生球児たちの姿を嬉しく思うとともに、関係者の皆さんと一緒に激励の声をお掛けしました。
 
チームワーク良く、ひとり一人の全力プレーを期待することと合わせ、野球を通じて、ここ球都「敦賀」がさらに発展することを祈念する次第です。
 
その後は、自身が事務局を務める、気比史学会の敦賀市民歴史講座(第2講)へ。
 
講座の開講は14時ですが、12時前には生涯学習センター2階にある気比史学会の部屋に行き、機材や資料等の準備、会場の図書館3階への運搬、設営と、役員の皆さんと一緒に作業を済ませました。
 
この暑さのなかですので、どれだけ足を運んでいただけるか若干心配しておりましたが、何のその。
 
定員100名に対し、約80名の方にお越しいただき感謝した次第です。
 

【多くの皆さんにお集まりいただいた会場の様子】
 
今年度第2講となる講座では、朝倉氏研究の第一人者である、元福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館長の水野和雄先生をお招きし、「越前朝倉宗家をめぐるお家騒動」と題しご講義いただきました。
 
講義では冒頭、水野先生ご自身の活動紹介や人生観などについての思いをお伺いした後、以下の構成にて順次お話しを進められました。
 
・はじめに(歴史を学ぶ楽しさ、前回の復習)
  ※以前に「元亀争乱」をテーマにお話しいただいている。
・朝倉宗家をめぐるお家騒動
・朝倉4代孝景落髪
・朝倉義景と従兄弟景鏡の確執
・朝倉宗滴と古渓宗陳
 
事前に、史学会の糀谷会長からは「朝倉氏と敦賀の関係をお話し願いたい」とのリクエストがあったことも紹介され、「はじめに」の部分では、「玄蕃尾(内中尾山)城跡は、朝倉義景が永禄12年(1569)信長に対峙するため椿坂に構えた城で、その後柴田勝家も天正11年(1583)の賤ヶ岳合戦でここに本陣を置いたという確信を持つことが出来た」ことに触れられ、興味深く拝聴した次第です。
 
講座のタイトルにもある「お家騒動」に関しては、
 ①和田合戦
 ②景総事件
 ③景豊の乱
 ④景高没落
 ⑤堀江景忠の乱
 ⑥朝倉景鏡の謀叛
の6つの出来事について、詳しく説明があり、③では、文亀3年(1503)4月、敦賀郡司朝倉景冬の子景豊(妻は元景の娘)が、朝倉元景や孝景の末子教景(宗滴。妻は景豊の妹)等と連合して朝倉3代貞景に謀叛を企てたものの、教景は、妻の兄である景豊の謀叛の誘いに悩んだ末、福井市八幡の本郷竜興寺に入寺し宗滴沙弥と号し景豊の謀叛を一乗谷の朝倉貞景のもとに密告。貞景は、数千騎を率いてただちに敦賀の前坡山に陣を置き、大将の宗滴は敦賀城を包囲し景豊を滅ぼしたこと。
 
⑥では、朝倉5代義景と従兄弟の関係にある大野郡司朝倉景鏡は、朝倉景高を父、烏丸冬光の娘を母として誕生しており、朝倉宗家に最も近い立場にあり、永禄7年(1564)頃から謀叛の兆しが窺えたとあり、元亀元年(1570)4月の織田信長との天筒・金ケ崎城の戦いでは府中まで出馬したものの一乗に帰陣し、そのため手筒・金ケ崎城主朝倉景恒(朝倉景紀の次男)は、信長軍に城を開け渡し永平寺に逃げ込んで遁世したことなど、ここでも朝倉氏と敦賀の関係を意識したお話しを伺うことができました。
 
なお、講座の「まとめ」については、資料にあったそのままを以下、引用いたします。
 
朝倉宗家を揺るがしかねない戦いや謀叛、内乱は、初期にあっては、
 ①朝倉一族が相分れて宗家存続を賭けた骨肉相食む戦いがあり、次いで
 ②宗家の上席争い、
 ③宗家に取って代わろうとする謀叛、さらには
 ④後継者問題での景高没落、
 ⑤足利義昭による朝倉家臣の懐柔、
 ⑥朝倉景鏡の謀叛の兆候等々が見られた。
しかし、朝倉宗家は権力の座を揺らがすことなく、織田信長によって滅ぼされるまで大国越前の領国経営を5世代にわたって安泰に支配し続けた名門中の名門であったと言えるであろう。(終)
 
先の大河ドラマなどにもあったよう、どこか優柔不断で頼りなさげな印象のある越前朝倉氏ですが、最後の一文に、それを払拭せしめんとする水野先生の並々ならぬ気概を感じたところであり、戦国の世にあって、天下統一を左右する一目を置かれる存在であったことを、改めて認識する機会となりました。
 
同じ福井県でも、敦賀以西の方にとって朝倉家は「嶺北の人」とのイメージがありますが、手筒・金ケ崎の戦いを始め、当時既に要衝であった敦賀とも大いに関わりがあったことを念頭に、今後はそうしたことも周りにお伝えしていければと思います。
 
結びに、朝倉氏への思いを込めてご講義いただきました水野先生に心より感謝申し上げるとともに、先生が冒頭に仰ったご自身の人生観「ひとかけらの人生、楽しく生きよう」との言葉を紹介し、本日のブログを閉じたいと思います。
 

【水野先生、ありがとうございました】