放射線防護エアシェルターを前に、あくなき原子力安全の向上を思う

ブログ 原子力

アメリカに告げ口すれば、日本に忠告してくれるとでも本気で思っていたのでしょうか。
 
昨日も記載しました、福島第一原子力発電所に貯留されているトリチウムを含む処理済水を、国の基準を下回る濃度に薄めて海へ放出する方針を日本政府が決めたことを巡り、韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)外相は17日、アメリカ政府のケリー特使に深刻な憂慮を伝えるとともに協力を求めたところ、ケリー特使は「日本とIAEA(国際原子力機関)は密に連携をとっている」、「介入するのは適切ではない」として同調しない姿勢を示していました。
 
日本政府の「海洋放出」決定以降、韓国政府は「絶対に受け入れられない」と反発し、日本の大使を呼び出して抗議するなどしてきましたが一転、19日には鄭外相は「IAEAの基準に適合する手続きに従うなら、あえて反対するものではない」と述べ、一定の理解を示しました。
 
なお、日本政府に対しては、科学的な根拠を共有することや、十分な事前協議、さらにIAEAが行う検証に韓国の専門家などが参加するという3点を求めていると説明したようですが、正直余計なお世話といったところ。
 
こうした韓国の態度急変の背景には、アメリカの姿勢が大きく影響していると見るのは自然なことであり、裏を返せば、無闇に騒ぎ立てて日本を貶めようといった感が見え透けする中、やはり「科学が風評に負けてはならない」との思いを持って対応することで、他国からの要らぬ批判を消すことができることを証明したものと考えます。
 
私は、「科学が風評に負ける国」は、決して一流国とは言えないのではと常々思っており、そうしたことからも、誇り高き我が国の名に恥じぬよう、国際社会に対しても毅然とした態度で考えを主張していくことが、極めて重要であることをくどいようですが記しておきたいと思います。
 
さて、原子力の話題が続きますが、昨日は敦賀市立体育館で行われた、「放射線防護対策施設(以下、エアシェルター)」の展開点検の様子に立ち合わせていただきました。
 
この市立体育館に整備されているエアシェルターは、原子力発電所から概ね10km圏内において、原子力災害時に早期の避難が困難である等の理由により、一定期間その場に留まらざるを得ない場合を想定し、気密性の確保、放射性物質の影響緩和等の対策を講じるのもので、現在までに西浦小中学校、常宮小学校、東浦小中学校に設置されているもの。
 
今回は、定期的な展開点検(実際にシェルターを広げた状態で点検する)を行うということで、市民生活部危機管理対策課さんより参観の機会を頂戴したものです。
 
市の担当や点検業者の方から説明をいただきながら順に工程を進めていきましたが、元々は用具室であったであろう場所が改造され、よう素フィルターを備えた給気フィルターユニットやエアーシェルター3張が格納される部屋となっていることに驚きつつ、その後も4人1組となって、シェルターの移動、給気ダクトの接続、ファンを起動しての送風で1時間もしないうちに、館内一杯に広がるシェルターが設置されました。
 
中々見ることのないものですので、以下に写真でもご紹介させていただきます。
 

【設置が完了したエアーシェルター】

【プレフィルター、よう素フィルターを備えた2段構造の給気ユニット】

【格納されている状態のエアーシェルター】

【展開作業の様子】

【給気ダクト接続。この後送風し、展張り】
 
展張り後、シェルター内部に実際に入ると、放射線防護措置(簡易除染など)を行う前室、簡易トイレを設置するためのスペースに加え、3つのシェルターは通路で接続され、開放感がありました。
 

【開放感あるシェルター内。屋根部に紐が垂れている箇所は給気孔。】

【男女に仕切られた簡易トイレスペース】

【放射線防護措置のための前室を備えた入口部】
 
屋根にあたる部分には、給気孔が複数設置されており、常時クリーンな空気を供給するシステムとなっているなど、あってはなりませんが、万が一の場合、介護を必要とされる方など避難行動要支援者を中心に、250人が3日間、ここで避難することを想定して設計されたとあって、随所に配慮がされた構造とお見受けしたところです。
 
そして何と、驚いたのはこのシェルターは手作りであるということ。
 
これだけ大きなものを機械で縫合する技術がないと言うことで、全てミシンの手縫いだそう。
 
これも日本の技術ということで、違う面でも感心した次第です。
 
貴重なこうした場を提供いただくとともに、丁寧にご説明いただいた敦賀市職員の皆さん、点検業者の皆さんには、この場を借りて感謝申し上げます。
 
最後になりますが、半世紀に亘る運転の幕を閉じ、現在は廃止措置を進める日本原電敦賀発電所1号機の営業運転開始は昭和45年ですが、このシェルターが設置されている市立体育館は、それより以前、2回前の福井国体を契機に昭和43年に建てられたもの。
 
耐震補強などを行いながら、運動施設としてのみならず、原子力災害への備えとして、今も現役で存在していることを何か感慨深く感じたところ。
 
改めて、そうした歴史に思いを寄せながら、当時、原子力発電黎明期にあって、この敦賀を牽引した矢部市長にも思いを辿らせれば一層のこと、原子力事業に携わる一員として、あくなき原子力安全の向上を目指すことが使命であり、役割であると強く考える次第です。
 

【体育館玄関に掲示されている建立時のプレート】
 
 
 →→→参考まで、敦賀市内全戸に配布されています「原子力防災パンフレット」はコチラからご覧ください