人道の港「敦賀」〜ニューヨークから見えた希望〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

ロシアによるウクライナ侵略開始から2ヶ月が経過をし、何の罪もないウクライナ国民が生命の危険に晒され祖国から避難せねばならない姿、美しき街が無惨にも破壊されていく現実を見るたびに胸が締め付けられるのは皆さんも同じかと思います。
 
一方、激しい戦闘が続く中にあって、地理的に近い中東欧諸国ではウクライナからの難民の受入れを続けており、とりわけウクライナの隣国ポーランド共和国では、既に250万人を超える避難民を献身的に受入れるなど、こちらは人間の尊厳や優しさを感じざるに得られないところであります。
 
こうした状況を踏まえ、先の3月定例会で私は、「人道支援」を第一のテーマに取り上げ代表質問した訳ですが、その背景にあるのはポーランド共和国と敦賀市が歴史的に深い関係にあるということ。
 
これは1920年2月に第1弾のシベリアに勾留されていたポーランド人孤児を敦賀港で受け入れられたという史実にある訳ですが、この深い関わりを表すのは、令和2年11月3日に開催された人道の港敦賀ムゼウムオープニングセレモニーに来訪された駐日ポーランド共和国パヴェウ・ミレフスキ特命全権大使が仰った「敦賀はポーランドの人にとって特別な場所」、また同日、リニューアルオープン記念シンポジウムの場であったポーランド広報文化センターのマリア・ジュラフスカ所長の「敦賀がなければシベリア孤児の話は知られていなかったかもしれない。受け入れてくれる港はここしかなかった。」との言葉かと認識する次第であります。
 
私は、この言葉を今までも胸に留めている訳でありますが、今なおこうして欧州を始め世界各国で避難民をあたたかく受け入れている姿に100年前の敦賀の姿を重ねてやみません。
 
そうした中、昨日は同じく、これからも胸にあり続けるであろうお言葉を拝聴する機会がありました。
 
それは、きらめきみなと館で開催された前ニューヨーク総領事・大使/次期駐カナダ特命全権大使の山野内勘二氏の講演であり、「人道の港「敦賀」〜ニューヨークから見えた希望〜」と題した世界を俯瞰した中での敦賀、そして人道に焦点を当てたお話しに大変感銘を受けた次第です。
 
ご講演のポイントだけ以下にご紹介します。
 
◉ロシアの軍事行動然り、世界は混迷を極めている。危険に満ちた世界の中で、わが国の平和と繁栄をいかに築いていくのか。
◉エネルギー自給率12%、食料自給率37%(カロリーベース)の日本は、信頼関係の中で世界とつながってでなければ平和と繁栄は築けない。
◉敦賀はポーランド孤児、ユダヤ難民の命を救った。敦賀で命を救われ、人のあたたかさを感じた人が世界中にいる。
◉孤児や難民受け入れの際に敦賀の皆さんがとった具体的な行動ひとつが残されていて、それが人道の港敦賀ムゼウムに保存されていることは「感動と感謝」につながっている。
◉本局の訓令に背いてまで「命のビザ」を発給した杉原千畝氏の行動は大変勇気のあることであったが、その後新しい発見として、建川美次駐ソ連大使がリスシエル・コトラー(17歳)に同じくビザを発給した事実も確認されている。
◉例えばアメリカでは州ごとにそれぞれ力を持っていて、色んな地方の独自性が強さであり、豊かさであり、美しさを生んでいる。こうした「ローカルの力」という観点で言えば、敦賀から世界に「困った人を助けた」人道を発信していくことで、信頼や多くの人に希望を与えることにつながるのではないか。
◉来週カナダに赴任するが、杉原サバイバーとのつながりを広げるとともに、カナダの人が敦賀に来てもらえるよう全力で呼び掛けていく。
◉平和の尊さや人道の大切さをどう伝えていくか。抽象的な言葉と違い、具体的なファクト(真実)は重い。何年何月何日にこの人がこういうことをしたと言えることは大変インパクトがあり、コンセプトと結びついた時に大きなパワーや発信力を生み出す。敦賀にはそれがある。
◉史実を顕微鏡で見るが如く、観察し保存することが大事。
 
走り書きのメモをもとに書き起こしたため、若干言い回しの違う部分もあろうかと思いますが、約1時間のご講演の中で話された思いや敦賀へのメッセージはこのようなことであったかと思います。
 
外交官として豊富な経験をお持ちで、ニューヨーク総領事・大使時代には渕上敦賀市長ら訪問団とユダヤの方々をつないでくれた山野内氏。
 
冒頭の市長挨拶でありました通り、お話しされる姿からは包容力とあたたかさ、そして敦賀に対する信頼と期待を強く感じた次第です。
 

【ご講演される山野内勘二氏。ひとつ一つの言葉を噛み締めるように話される姿に惹き込まれました。】
 
人道の港敦賀ムゼウムオープニングセレモニーの際にあったお二方の言葉、昨日の山野内氏の言葉から気付かされるのは「敦賀には世界に発信すべき史実があり、その役割がある」ということ。
 
今こうして世界が混迷を極める中でこそ、人道、つまりは人間が持つ本来のやさしさやあたたかさ、助け合う気持ちを感じ合うことは、世界中の人々に希望を与えることにつながる。
 
100年前、国際港を有した敦賀の人々がとった行動を思い返し、国際感覚をもって取り組むことこそ、現代を生きる敦賀人に課せられた使命ではないかと考えるところであり、自分自身もその役割を少しでも果たしていければと思います。