東京パラリンピック閉幕

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気づけば朝夕はめっきり涼しくなり、窓を開けて寝ていると、聞こえてくる音も蛙から虫の鳴き声に変わり、すっかり秋。
 
日中、市内を車で走ると、既にコンバインで稲刈りをしているところもあれば、「もう少し待って」とばかりに、黄金色の稲穂が一面に広がるところもあり、こちらもすっかり秋の風景。
 
夕方には、夕陽に照らされる空一面に広がるウロコ雲(で合ってると思います)と、これまた秋。
 
情緒に浸ってばかりですが、例年通りであれば、「敦賀まつり」が終わるとめっきり秋の雰囲気を感じたことを思えば、やはりその感覚は間違っていなかったことを感じた次第。
 
コロナ禍が続くものの、実りの秋、スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋など、秋は「疎」でも楽しめることばかりであり、変わり行く郷土の風景も心に残しながら、前向きに過ごしたいものです。
 

【昨日の夕焼け空。すっかり秋の景色となりました。】
 
さて、昨日は東京パラリンピック最終日を迎え、早朝より女子マラソン(視覚障害)が行われました。
 
国立競技場を発着点とするコースで行われ、2016年リオデジャネイロ大会銀メダルの道下美里選手の金メダル獲得がクローズアップされた訳ですが、同じく日本選手団3人の一人として出走した福井県の西島美保子選手(福井市、福井県視覚障害者福祉協会)も3時間29分12秒で見事8位入賞。
 
西島選手は、東京パラリンピック日本選手団最年長の66歳ということ自体驚きですが、この日の走りの原動力は、初出場した前回リオ大会での悔しさだったそう。
 
暑さに苦しみ、脱水症状で終盤に途中棄権し、帰国後しばらくは「抜け殻のようだった」ところから、「こんな中途半端に終わっていいのか」との思いが強まり、「パラの悔しさはパラで晴らす」と東京に向け再始動し、ようやく迎えたのがこの日だったとのこと(福井新聞記事にて知りました)。
 
そんな悔しさを晴らすかのような完走、しかも8位入賞の結果を心から祝福したいと思います。
 
そして、13日間に亘り熱戦が繰り広げられた第16回パラリンピック東京大会は、昨晩、国立競技場での閉会式により幕を閉じました。
 
競技に関して私は、断片的にしかテレビを見れなかったため、偉そうに語る資格はないのですが、それでも両腕を失いながらもラケットを口でくわえる卓球選手、足で弓を引くアーチェリー選手、わずかな鈴の音を頼りにプレーするゴールボールの選手、義手や義足、車いすを体の一部のように使い躍動する選手の姿を見て、人間が持つ可能性とは計り知れないものであることを感じました。
 
また、先天性疾患で障害を負った選手もいれば、人生の途中で不慮の事故などにより障害を負い、失意や絶望を味わった選手のエピソードを聞き、彼らの不屈の精神力はどうして生まれ、持ち続けられるのかと、感嘆の思い、尊敬の念を持った次第です。
 
このパラリンピックには22競技539種目に162カ国・地域と難民選手団を合わせ、史上最多約4400人の選手が参加したとのことであり、この中には、たった2名とはいえ、アフガニスタンの選手も出場しました。
 
「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」はパラリンピックの理念ですが、その理念を世界中の方が、競技を通じて身体全体で表現したアスリートの姿から感じることができたことは、コロナ禍でも断念することなく、ここ日本で大会を成し遂げた大きな意義と成果があったと、私は思います。
 
こうして、この大会の意義を社会を変革する力にせねばと思うとともに、健常者である自分は一体何をしているのか、彼らに比べ精一杯生きていると言えるのか。
 
自問自答しつつ、自分にできること、自分にしかできないことを追求し、過ごしていきたいと思います。