歴史ウォーキングにて「鉄道と港のまち敦賀」を改めて胸に刻む

ブログ 敦賀の歴史・文化

この3連休は、気持ちの良い秋晴れ予報。
 
初日の昨日は「文化の日」ということもあって、敦賀市内では様々な行事が行われました。
 
私もいくつかの行事にご案内いただいていましたが、春先から決まっていたことを優先したため、すべてに参加することができなかったことをご容赦願いたく。
 
さて、その「優先した」こととは、一昨日にもご紹介した歴史ウォーキング「鉄道と港がつながるまち 敦賀を歩く」。
 
敦賀市立博物館と気比史学会の共同事業として開催するもので、そのタイトルのとおり、「鉄道と港のまち敦賀」をより知ってもらおうと、午前中は敦賀駅から眼鏡橋、本町通りから氣比神宮(昔は鉄道が走っていた)を経て市立博物館、午後は敦賀倉庫群から赤レンガ倉庫、ランプ小屋を経て、人道の港敦賀ムゼウムへと、当時の古写真と照らし合わせながら「楽しく」まち歩きするという企画。
 
主には、市立博物館の学芸員の皆さんに準備いただき、気比史学会の我々は運営補助的な役割にて参加した次第です。
 
嬉しいことに、定員30名ほぼピッタリの参加をいただき、昨日は10時より、敦賀駅交流施設「オルパーク」にてオリエンテーションを行った後、早速出発。
 
安全に気をつけながら、順次工程を進めました。
 
「古写真を見ながら」というこのが本企画のコンセプトですので、このブログをご覧の皆さまにも、以下主な写真を紹介していきたいと思います。
 
まずは、敦賀駅前通り。
 

【1909(明治42)年に嘉仁親王(後の大正天皇)が行啓した際の写真。敦賀駅前でお見送りする様子と思われる。】

【1960〜1970年代の駅前通りの写真。電灯のデザインが変わり、中央分離帯の木々が伸びている。】

【昨日の白銀交差点付近からの眺め。正面は北陸新幹線敦賀駅。】
 
次は、駅周辺の深掘りスポット「眼鏡橋」
 

【1881(明治14)年に完成した水路橋。当時はこの上にレールがあり、1日3往復、イギリス製の蒸気機関車が、今の国道8号線を抜け、金ケ崎駅まで走っていた。】
 
続いて、本町商店街。
 

【1960(昭和35)年、白銀交差点から本町方向を見る。明治期にはここを機関車が走っていた。】

【1970年代の本町1丁目商店街。写真左手にマスヤ洋服店が見える。】

【上記写真と左右反対になりますが、昨日の本町1丁目商店街。氣比神宮方向を見る。】
 
なお、本町商店街の開発期(秋吉がある通り側)には、基礎工事で地面を掘ると「枕木」が沢山出てきたとの証言が複数、参加者からもあり、線路がここにあったことを感慨深く思いました。
 
午前の部の最後は市立博物館。滅多に入れない屋上に上がり、市内を一望できるその景観に、当時に思いを馳せました。
 
午後の部は、少し飛ばして桜・蓬莱岸壁周辺より。
 

【今の市民文化センターの位置に建っていた敦賀市役所(昭和8年に建設され、大和田荘七氏から寄贈された)。写真は、1974(昭和49)年の移転直前のもの。】
 

【1900年代初頭の金ケ崎から赤レンガ倉庫を見た写真。倉庫の際まで砂浜だったことが分かります。】

【昨日の赤レンガ倉庫前】
 
最後は、ゴールの「人道の港ムゼウム」周辺。
 

【1920〜1930年代頃の金ケ崎桟橋の写真。人道の港敦賀ムゼウムとして再現されている建物4棟がすべて完成しています。まさに「大陸につながる鉄道ここにあり」ですね。】

【1930年代頃、満蒙開拓移民団が敦賀港から出発していく様子。あまり知られていませんが、これも残された史実。】

【昨日のムゼウム前】
 
ウォーキングは、これにて終了。
 
スマホのアプリを見ると1万2千歩を歩いていましたが、参加いただいた皆さま、準備から説明まで、大変丁寧に対応いただきました学芸員の皆さま、大変お疲れ様でした。
 
敦賀駅から始まり、最後は大陸とつながる港まで。
 
自身にとっても「鉄道と港のまち敦賀」を改めて胸に刻む一日となりました。
 
最後に、昨日配布した資料には、当時の写真がまだまだ掲載されていますので、「見たい」という方はご遠慮なく、私までお声掛けください(ホームページのアドレスからメールいただければと)。