生誕から186年。龍馬が教えてくれること。

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年越し寒波も去り、まさに新年を祝うかのような青空が広がった昨日。
 
身体のほうも始動とばかりに野坂の麓をウォーキングすると、そこには期待通りの風景がありました。
 

【青空と白銀のコントラストに映える野坂山】
 
四季折々の表情を見せる、敦賀のシンボルマウンテン「野坂山」と裾野に広がる田園風景は冬バージョン。
 
一面雪に覆われた先に立つ野坂山はどこか神々しく、心洗われるかのシーンに出会えたことに感謝した次第です。
 
鉛色の空が続く北陸地方の冬にあって、厳しい季節を乗り越えられるのもこうした郷土の風景の存在があるからこそとも感じたところであり、今日も一日そうした思いを抱きつつ、大切に過ごしたいと思います。
 
さて、三が日もはや最後となる本日1月3日は、かの坂本龍馬生誕から186年にあたる日でもあります。
 
これに関しては諸説あるようですが、生誕地である高知県のサイトを見ても旧暦の天保6年11月15日(1836年1月3日)としており、間違いのないところかと。
 
坂本龍馬に関しては、もはや説明不要の歴史上の偉人でありますが、私も夢中になったのは「龍馬がゆく」(司馬遼太郎著)の影響が大きく、単行本8巻を一気に読んだことを思い出した次第です。
 
ちょうど年末の福井新聞「読書日和」に「龍馬の挫折に救われた」と題した時代劇作家ペリー荻野さんの寄稿があり、そこには「龍馬がゆく」に夢中になった理由が二つ書かれていた訳ですが、そのひとつに挙げていたのが「龍馬の人生の面白さ」。
 
土佐の郷士の家に生まれた時に背中に旋毛があったことから龍馬と名付けられたものの、母からは「馬でなく猫かも」などと言われていたことや、千里の駿馬の期待は外れ12歳まで寝小便が治らなかった泣き虫小僧であったこと、脱藩し勝海舟と出会った後も「神戸海軍塾」は閉鎖、船のトラブルや仲間の反目など上手くいかないことがとても多かったこと。
 
ペリー荻野氏は、龍馬の功績よりも、壁にぶつかり続けたことに励まされ、「龍馬だってこんなにコケてるじゃん」と思うと救われたと書き綴られていました。
 
寄稿は、「みずみずしい龍馬の青春に触れるたびに、迷ってもコケても生きていかなきゃなあと思うのです。」と結ばれていましたが、確かに紆余曲折どころか、偉大なる功績の裏にある多くの挫折にスポットを当てた視点というのは私にはなかったものであり、人生の糧にもしているところが実に面白いと感じた次第です。
 
「挫折しても挫けず、夢に邁進する」
 
龍馬伝から学ぶことはそういうことかと思うところですが、誕生日に因み、龍馬が残した格言や詩などを見てみるとこのような歌がありました。
 
「丸くとも 一かどあれや 人心 あまりまろきは ころびやすきぞ」
 
龍馬の和歌の一首で、一節には一休禅師の作であり、それを龍馬が詠ったとも言われているものですが、込められた意味は「人の心は柔和や温厚なほうが良いことは良いが、どこか譲れないもの持っていないといけない」というもの。
 
私なりに解釈すると「確固たる自分の意志(一かど)を持っていないと、柔和なだけでは、丸い石のようにどこかに(意志なきところに)転がっていってしまう」ということかと思う訳ですが、人生の指南に通ずる言葉と理解する次第です。
 
歴史を変えた男「坂本龍馬」には遠く及びませんが、没後これだけ年月が経過しても色褪せない龍馬の生き方から得るものは大変多くあり、今日も「挫折を恐れないこと」、「確固たる軸を持って生きること」の二つを教えてもらいました。
 
龍馬生誕の日の今日は、今一度そのことを胸に刻む日にするとともに、龍馬なら今の日本をどう見ているだろうと思いを馳せてみたいとも思います。