恒久平和と核兵器廃絶を切に願う「原爆の日」

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本日8月6日は、先の大戦を象徴する出来事、広島に原爆が投下されて76年となる「原爆の日」。
 
「北朝鮮拉致問題」と同じく、私にとって絶対に風化させてはならない日のひとつであります。
 
本日、広島の地で行われる平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)は、慰霊碑が平和記念公園に建立された昭和27年以来、途切れることなく続けられてきており、本日も昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染拡大防止策を十分に行ったうえで、規模を縮小し開催されるとのこと。
 
昨年実施しなかった放鳩については、実施する方向で調整中ともあり、平和の象徴でもある鳩が広島の空に飛び立つ姿に期待するところです。
 
式典は、午前8時開式、同8時50分閉式の予定とのことであり、どれだけ時間が経過しようとも犠牲者の方への鎮魂の祈りを捧げ続けるとともに、原子爆弾の惨禍という未曽有の事態からよみがえった広島の歩みを、改めて思う1日にしなければなりません。
 
昨年の記念式典では松井広島市長が、平和宣言の中で、平和を脅かすウイルスに対しては「連帯」が重要と強調し、「75年間は草木も生えぬ」と言われた広島でも人々が「連帯」して苦難に立ち向かい復興したことを述べられました。
 
一瞬にして焼け野原となった絶望から、それでも人々は懸命に歩み、まちや暮らしを再建してきた、まさに苦難と復興の歴史を思い返すことは、1年以上を経過しても尚、過去最高の新規感染者となっている新型コロナウイルスにどう対応していくのか、今の日本に「連帯で乗り越えよ」との言葉を投げ掛けられているような気がしてなりません。
 
また、この日併せて考えなければならないのは、核兵器の問題であります。
 
「核兵器廃絶」との思いは、世界唯一の被爆国である日本国民の誰しもに共通するものでありますが、3年前に国連で採択された核兵器禁止条約に日本が参加しなかったことなど、「廃絶」に向けた取り組みに対しては、国民の皆さんも政治の世界も意見が分かれるところ。
 
中国や北朝鮮など周辺国との緊張が続く中、日米同盟を基軸とした多国間連携に頼らざるを得ない日本としては、今すぐにでも「米国の核の傘から脱せよ」と言われてもそれは無理筋な訳であり、世界唯一の被爆国たる役割を国際社会の中でどう発揮していくのかという点で、私自身は現実的な行動が必要と考えるところであります。
 
では、この厳しい国際社会の中で、「核兵器廃絶」を「理想」で終わらせないためにどうすれば良いのか。
 
正直、昨年の今日の時点では、この問いに自身の考えはまとまっていませんでしたが、ちょうどその後の敦賀市議会9月定例会にて、「日本政府に『核兵器禁止条約』への賛同と批准を求める意見書の提出に関する請願」が提出され、この際、自身の考えを整理したうえで、本請願に対する討論を行ったところ。
 
思えば、こうした機会に確固たる自身の考えを持てたという意味で、請願の提出に感謝する次第ですが、その考えについては、討論全文を掲載した、昨年10月3日の「やまたけブログ」を以下にリンクしますので、そちらをお読み取りいただければ幸いに存じます。
 
→→→2020年10月3日ブログ「請願第2号『日本政府に「核兵器禁止条約」への賛同と批准を求める意見書の提出に関する請願』に対する討論全文」
 
こうして、私の考えは示させていただくものの、もちろんこの考えを押し付ける気持ちは毛頭ありません。
 
ただ、長い人類の歴史において唯一、原子爆弾による被ばくを経験した日本であるからこそ、世界の中で果たせる役割、乗り越えなければならないこと、そしてこの先も幾多の葛藤のうえに立って思考を続けねばならないことは、国民皆に共通するものであり、他人事にだけはして欲しくないとの思いであります。
 
奇しくも2年連続、新型コロナウイルス禍で迎える「原爆の日」。
 
犠牲者へ捧げる黙祷は、ウイルス禍に耐えつつ今ある平和を守ること、そして76年前に起きた現実を絶対に風化させないとの念を強く我が胸に留め置くことと誓い、今後も思考を続けていきたいと思います。
 

【5年前に訪れた「原爆ドーム」。風化させてはならない76年前がここにはあります。】