2021年7月25日
和気あいあい「敦賀港カッターレース体験交流会」を開催
日本のお家芸である柔道の世界では、「金じゃなければメダルじゃない」とオリンピックに向けた思いを語った選手もいましたが、まさに昨日はその言葉を表すかのようなシーン。
24日に行われた柔道女子48キロ級決勝で敗れた渡名喜風南選手は、畳から下りるとその場で泣き崩れ、その後のインタビューでも「自分の弱さが出てしまった」と、ただただ金メダルを獲れなかった悔しさを露わに。
一方、今大会、日本勢として初の金メダルとなった柔道男子60キロ級の高藤直寿選手。
準々決勝以降の3試合はすべて延長で、技による華麗な一本勝ちもなかったことに対し、「豪快に勝つことはできなかったけど、これが僕の柔道です」とむしろ、誇らしげに語った姿は、5年前のリオデジャネイロ五輪で悔しさしか残らなかった銅メダルの存在があってこそであり、まさに悔しさバネに変え成し得た高藤選手を讃えたいと思います。
また、注目する選手の一人である、競泳の池江璃花子選手は、400メートルリレーの一員として今大会に初登場したものの惜しくも決勝進出を逃す結果に「楽しかった。けど、悔しかった」。
また、信じられないことが起きるという意味では、体操男子予選で種目別鉄棒に臨んだ内村航平選手。
何と落下が響き、8位までの決勝進出を逃すという事態に「失敗したことのない技で失敗した。深いですね。体操は面白い」と語りました。
痛恨のミスに、もう大舞台になればなるほど力を発揮した以前の自分ではないという厳しい現実を受け止めつつ、それでも体操への愛情を込めたように語る姿が印象に残りました。
こうして、各選手の結果や生まれるドラマを書くと切りが無い訳ですが、過去に「チョー気持ちいい」や「自分で自分を褒めてあげたい」などとあったよう、それぞれの結果を受け発せられる選手の言葉にも注目していきたいと思います。
さて、東京オリンピックの競技本格開始に合わせた訳ではありませんが、昨日は「敦賀港カッターレース体験交流会」を開催しました。
昨日のブログで少しご紹介したように、もはや敦賀の「夏の風物詩」として、本来、第25回目となるはずであった「敦賀港カッターレース」は、参加募集を行ったものの、やはりコロナ禍の影響もあってか5月末の募集締切段階での参加申込みが10チームにも満たなかったことから、大会としての開催を見送りを決定。
しかしながら、申込んでいただいたチームの思いに少しでも応えたいとの流れから、昨年もコロナにより中止している経過も踏まえ、大会自体の継承性や夏の敦賀港に触れていただくとの観点から、規模を縮小しつつ、一人からでも、子どもも参加できる形での「体験交流会」として開催する方向に切り替え、これまで準備を進め、ようやく本番の日を迎えることが出来ました。
体験交流会当日の昨日、実行委員約20名は6時半に会場の川崎松栄コの字岸壁に集合し、それぞれの持ち場で準備を進め、8時半頃からは徐々に参加者の皆さんも集合。
事前申込みいただいた中には、市内の学童ソフトボールチームもあり、ユニフォーム姿での登場には何とも心癒される気がしました。
9時から簡易的な開会式を行った後、約1時間半は各チーム、個人申込みの皆さんが乗船しての漕艇練習、その後、交流レースを行いましたが、参加された皆さんも実行委員も終始和気あいあい。
とりわけ、海洋少年団とソフトボールチームのちびっ子らが一緒に船に乗り込み、海洋の子らの指導のもと力を合わせて漕ぐ姿は、何ともほのぼのとした光景であり、これだけでも開催した価値があったなあと感じた次第です。
【青い空、青い海を進むカッター。私も漕ぎましたが、しんどいながらも実に爽快です。】
【海洋少年団とソフトボールチームのコラボ。何とも言えぬほのぼの感。】
閉会式では、こうして暑い中参加いただいたことへの感謝と、来年こそは大会として開催できればとの思いを込めたご挨拶で締められ、無事に体験交流会は終了しました。
私は今回から、実行委員会の事務局という形で企画や各種申請手続きなどから携わらせていただきましたが、委員の皆さんはもとより、共催いただいた敦賀市を始め、協賛や後援いただいた企業や団体の皆さんにとっても、本カッターレースを敦賀の夏の風物詩として大事にしていただいていることを肌感覚で感じました。
昨年は開催直前に市内感染者が出たため突如の中止、今年はコロナ禍であっても、リスクを十分に念頭に置き、対策を講じながらの規模縮小開催ときましたので、来年こそは「第25回」となる敦賀港カッターレース大会の実現により、自慢の敦賀港でカッターを通じた交流が広がることを願って止まない一日となりました。
【来年こそは「第25回」大会が開催出来ますように!】