「終戦の日」英霊への感謝と合掌

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本日8月15日は、「終戦の日」。
 
先の広島、長崎での平和記念式典と同じく、日本武道館で行われる全国戦没者追悼式も新型コロナ感染に配慮し、参列者の規模を縮小するほか、国歌斉唱も行わず奏楽のみとするとのこと。
 
一方、参列出来ない方に向けては、厚生労働省がyoutubeの同省公式チャンネルを通じて、初のインターネット中継を実施するとのことであり、私もライブでの視聴を試みたいと思っているところ。
 
いずれにしても、本日正午には、先の対戦にて我が国のために戦い命を落とされた方、犠牲になられた方すべての英霊に感謝と哀悼の意をもって黙祷を捧げることとします。
 
さて、この終戦の日を迎えるにあたり出された各政党の談話を見ると、総じて「恒久平和の実現に全力を尽くす」との文言が入っています。
 
しかしながら、その根幹にある「恒久平和」の考え方や「実現するための手段や方法」に対する各党の考えには勿論相違があり、戦後75年を経た今、この部分についても有耶無耶にすることなく、国民議論のもと整理、方向づけをしていかなければならないと個人的に考えるところです。
 
これを考えるにあたっては、国際情勢や周辺環境の中で日本が置かれた立場、存在というのを十分認識する必要がある訳ですが、現状はどうでしょう。
 
やはり最も脅威として置くべきは中国。
日本に対しては、平成24年9月の尖閣諸島国有化以降、最長となる周辺海域での中国公船の航行は8月2日までで連続111日。
気象条件の関係からか一旦は止んだものの、また再開され昨日で3日連続となっています。
 
また、中国の海洋調査船「大洋号」が7月に沖ノ鳥島(東京都小笠原村)周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)で無許可海洋調査を実施した際に、遠隔操作型無人潜水機(ROV)を海中に降ろし、海底資源サンプルを採取した可能性があることが5日、政府関係者への取材で分かったとのニュースがありましたが、これに対して中国は沖ノ鳥島について、「条約でEEZが設定されない岩」と主張しており、日本政府は中国側の調査を止められないでいます。
 
手を出せない日本の対応を見透かすように、尖閣諸島も沖ノ鳥島も、いわゆる「実効支配化」しようと目論んでいるとしか私には思えません。
 
このほか、南シナ海の軍事拠点化、香港や台湾との問題、インド国境では無断で自国の施設を建設したともあり、もはややりたい放題となっている訳ですが、こうした状況に緊張感が高まっているのが、米中の軍事衝突。
 
それこそ「我が国と世界の恒久平和」を希求するところ、軍事衝突が発生した場合において、同盟国である米国との関係、生命線である日米安保の中においてどのように行動すべきなのか。
 
河野太郎防衛相は、尖閣諸島周辺海域の問題に関しては、「必要な場合、自衛隊として海上保安庁と連携し、しっかり行動したい」と述べているほか、中国が急速な勢いで弾道・巡航ミサイル開発を進め、配備した約2千発のその多くが日本を射程に収めるとされ、日本は抑止力の抜本的な強化を迫られている中、「相手領域での弾道ミサイルなどの阻止」を盛り込んだ自民党提言が「中国や韓国の理解を得られる状況ではないのでは」と質問され、「主に中国がミサイルを増強しているときに、なぜその了解がいるのか」、韓国についても「なぜわが国の領土を防衛するのに韓国の了解が必要なのか」と語気を強めたとも報道されています。
 
国家防衛を所管する河野大臣でなくとも、決して脅すということではなく、現実がすぐそこにあるとの危機感を持つべきであると強く思うところです。
 
このように、日本が置かれた周辺環境並びに先の大戦を鑑みて尚、私の考えの軸にあるのは、以前に知り得ました永野修身 元帥海軍大将の言葉。
先の大戦に臨むうえでの覚悟を表す言葉であると同時に、その覚悟と犠牲のもとに今の日本があるということが深く心に刻み込まれています。
以下、永野大将の言葉です。
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戦わざれば亡国
戦うも亡国であれば
戦わずしての亡国は身も民族永遠の亡国である
戦って死中に活を見い出し
護国の精神に徹するなら
たとい戦い勝たずとも
護国に徹した日本精神さえ残せば
我らの子孫は
必ずや再起、三起するであろう
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決して、戦争を美化したり、戦うことが望ましいということではなく、こうした思いで戦った先人達があって今の日本があり、私たちが存在する。
これは紛れも無い真実であります。
 
また、昨年の7月に行われた敦賀市戦没者戦没者追悼式において、遺族会代表の方が式辞で述べられた、「国を思い、尊い命を失った英霊のもとに今の私達が存在し、この国と我が故郷敦賀の発展に尽力することが、英霊の思いに応えること」との言葉も同じく、胸に強く刻まれ、以降、活動にあたるうえでの糧となっています。
 
「恒久平和の実現に全力を尽くす」
 
希求し願うことは勿論大事なことですが、こればかりは指をくわえて願ってばかりいても叶うものではありません。
 
そのような認識のもと、英霊に対し哀悼の意を捧げるとともに、その思いを今一度しかと胸に留め、「実現するために何をすべきか」を考える。
 
そんな「8月15日」、「終戦の日」にしたいと思います。
 

【東京勤務時代は度々参拝をし、両親も連れて訪れたこともある靖国神社】