「名勝気比の松原」が3年ぶりの「海開き」

ブログ 敦賀の自然

新型コロナウイルスの新規感染者が爆発的に増加する中ではありますが、予定通り「3年ぶり」に気比の松原の「海開き式」が昨日開催されました。
 
浜茶屋は開設されないものの、こうして関係者一同が介して、敦賀の自慢「気比の松原」の「夏」の訪れを祝い、また水難事故等なきよう安全祈願を行いました。
 
この貴重な機会に、私も産経建設常任委員会委員長としてお招きいただいた訳ですが、既に海に入り、はしゃぐ子ども達の姿を見るに、親子や友達、或いはカップルそれぞれが、この気比の松原で良き思い出を作って欲しいなと、しみじみと願った次第です。
 

【安全祈願の様子。式の最後には海中献花も行われました。】
 
さて、この敦賀のシンボルとも言える「名勝気比の松原」は、保安林としての指定は明治35年で今から120年前、江戸時代には、海岸に広がる松原は「白砂」(はくさ)とともに賞賛されるようになり、明治7年(1874年)に刊行された「萬国地誌略」(文部省)に「白砂青松」(はくさせいしょう)の言葉にて紹介されています。
 
また、今から94年前、昭和3年6月28日には史跡名称天然記念物保存法(大正8年の法律)にて名勝指定。
 
ちなみに、日本三大松原の名勝指定では、三保の松原(静岡県静岡市)が大正11年(1922年)、虹の松原(佐賀県唐津市)が昭和30年(1955)であり、気比の松原は三保に次いで2番目の指定ということになります。
 
さらに、敦賀市史を見るに、「松原海岸で海水浴を始めたのは明治16年のことで、当時は山中温泉、但馬の城崎温泉より効能が高いと、京阪神から夫婦連れや海水浴客がやってきた。ことに京都の病院の院長は、海水浴の効能では敦賀の海が最も優れていると言ったので、地元の住民は我も我もと押し掛け、最寄りの海岸は混雑した」などと当時の情景が残されています。
 
このような歴史と郷土の文化を築いてきた「敦賀の誇り」とも言える場所は国定公園でもあるが故、森林法、文化財保護法、自然公園法、都市公園法のもと管理されるエリアでもあります。
 
管理者も国や県、市、さらに市の中でも都市整備部、観光部、教育委員会などにまたがるものと認識するところですが、この景観の保全に向けては、日頃からの管理・整備、そしてモラルある利用なくば維持できぬもの。
 
松原小学校から花城に抜ける道沿いには、昭和5年に建立された碑(先の法により昭和3年内務省大臣指定)かありますが、ひっそりと建つこの碑が泣くようなことがなきよう、それぞれのお立場の行政の皆さんには、名勝を有する誇りと使命感を高く持って管理いただきたい。
 
そのことを改めて思う「3年ぶり」の日となりました。