(昨日の続き)サプライズ花火は「非」だけでなく「対案」をもって

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様々なニュースが飛び交う毎日ですが、国際的に大きな話題といえばやはり、アフガニスタンにおいてイスラム主義組織タリバンが復権したこと。
 
タリバンによる15日の首都侵攻を受け、ガニ大統領は流血の事態を避けたいとして出国し、アフガニスタン政府は事実上終焉を迎えました。
 
これを踏まえ、首都カブールの空港には、アフガニスタンからの脱出を望む市民が押し寄せ、滑走路にまで群衆があふれた他、排除されても諦め切れない千人以上の市民が空港近くに集まったことに対し、米軍が中に入らせないよう威嚇発砲するなど、日本人からすれば信じられないような光景となりました。
 
なお、余談ではありますが、この空港閉鎖により、8月24日に開幕する東京パラリンピックに旅立つ予定であった同国の選手たちが出場できなくなったとのことであり、あと数日早ければとのタイミングに何とも複雑な心境になるところです。
 

【アフガニスタン首都カブールの国際空港で、詰め掛けた市民と警戒する米軍の部隊(AP通信より)】
 
タリバンのザビフラ・ムジャヒド報道官は首都カブールを制圧後、「この勝利は国全体の誇りだ。私たちはだれも恨んでいない。指導者の指示に基づき、すべての人に恩赦を与えた」と述べたようでありますが、対するバイデン米大統領は、アフガニスタン情勢に関する国民向けの演説で、「アフガンにおける米国の戦争を終結させる決断を後悔していない」と述べ、アフガン駐留米軍を撤収させる判断は間違っていないと改めて主張したほか、タリバンが一気に実権を掌握したのは「アフガン政府首脳らが国外に逃れ、国軍部隊が戦うことを拒否しているためだ」とし、「アフガン国軍が戦う気のない戦争で米兵が戦死することがあってはならない」と訴えました。
 
この最後の言葉はつまり、「自らの手で自国を守ろうとしない国に、米国は犠牲を払わない」ということであり、一見冷徹な対応と思いきや、個別的自衛権を憲法に書くまでもない、当たり前のこととする国際社会の中では至極真っ当な考えとして捉えておく必要があると強く認識した次第。
 
アフガニスタンを「日本」に置き換えた場合、寒気がする訳ですが、日米同盟はこうした考えのうえに置かれていることを現実のものとして、今後どうしていくのかを考えねばならないのだと思います。
 
さて、話しを唐突に変え恐縮ですが、労働組合役員時代からの私の信条は、物事を「是々非々」で捉えることと、批判ばかりでなく「対案」を持って相手と接するということ。
 
これに照らしますと、昨日述べました「サプライズ花火」に関しては、是々非々の「非」の部分に当たる訳ですが、誤解なきよう申し上げておきますと、このことをもって、市や観光協会を非難したり、サプライズにチャレンジしたこと自体を否定するものでは決してありませんので、その点だけはご理解くださいませ。
 
あくまでも、一連のコロナ対応という中にあって、大きくは「市内外から多くの人が集まってしまうかもしれない」リスクをどこまで想定して判断されたのかという、現実的な危機管理の観点、そしてもう一つは、実施することの意義や投資する費用が本来趣旨を達成するに効果的なものとなるよう進められたのかという点で、しっかりと検証しておかなければならないのではとの考えに基づくものであります。
 
今回の件については、私自身が直感的にそう感じたことに加え、市民の皆さんから私の元へは、「違和感」や「もやもや感」といった言葉や「あれほどCGと言いながら、リアルでも打ち上げることの意味に疑問」など、賛否の「否」の意見が多く寄せられていることも事実であり(もちろん、SNS上では「賛」の声があることも承知しています)、せっかく良かれと企画したものが、こうして賛否分かれるものとなっていることを放置しておくべきでない、やはりこのことを明らかにするのが議員としての役割と認識する次第です。
 
そうした考えのもと、昨日は早速、市の担当部の方に出向き、実施に至った経緯や感がなどについて確認をしてきましたところ、市と観光協会で「こうした中で何か出来ることはないか」との考えのもと、最終的には実施主体である観光協会で実施決定されたものであること(規模は大花火の1/10程度)、実施に関する情報管理を徹底したこと、様々な環境を総合的に捉えるため、当日ギリギリまで検討を重ね判断したこと、結果して当日松原海岸にいたのは300人程度であったことなどの説明があり、理解する面もありましたが、やはり基本認識として齟齬があるままなのは、昨年の議会答弁であった「行政でサプライズをするのは非常に難しいと考えている」とのスタンスは撤回されたのか否かという点。
 
繰り返しになりますが、医療従事者や市民へ感謝の気持ちを伝えたいという趣旨、新たな試みにチャレンジしようとする姿勢は大いに評価したうえで、行政がこうした判断をするうえで根底にあるべきものとしてて持っていたはずの考え方を「変えたのか」、であればどういう「根拠」を持って変えたのか、もしくは「なし崩し的」に判断されたのか、組織的に「誰が判断したのか」、まさにその点は多方面での「危機管理」に直結することと考えることから、公の場、即ち9月定例会の一般質問の中で明らかにしていきたいと思います。
 
繰り返しになりますが、批判するだけでは何も生まれません。
 
今回、「非」を唱える以上、今後より市民の皆さんから理解され、信頼される市政に向け、自身の「対案」も併せ持って意見する考えですので、引き続き関心をもってご覧いただければ幸いに存じます。