戦後の日本に勇気と希望をもたらせた「世界チャンピオン」

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昨日の福井新聞論説「エネルギー基本計画 『未来』に共感得ているか」。
 
先日、同計画の見直し論議が本格スタートしたことを受けての内容でしたが、結びにあったのは、「現行のエネルギー基本計画は『エネルギーの選択は、未来の選択に他ならない』とし、国民一人一人が共鳴・共感し自分事として行動していくことが大前提と位置付けた。まず、国として※原子力や再エネの拡大に理解を得る行動は十分だったかの検証が不可欠だ。」と。
 
※原文の“原発”を“原子力”に置き換えています
 
主張されることはごもっともな訳ですが、一方で東日本大震災以降、「原子力か再エネか」の二項対立を煽ってきたのは一体誰なのかと、思わずつぶやいたところ。
 
決して福井新聞が、ということではいことをお断りした上で、この間の新聞やテレビの報道は、前述の「理解を得る行動」だったのか。
 
国に言うばかりでなく、自らの行動を厳に振り返っていただきたいと思った次第です。
 
さて、エネルギーの分野では、1970大阪万博に送った「原子の灯(ひ)」が、将来の日本にとって「希望の灯」となりましたが、今日5月19日は、戦後の日本にとって、勇気と元気を与える希望の灯となった「ボクシングの日」。
 
これは、今から72年前の昭和27(1952)年5月19日、ボクシングで日本人初の世界チャンピオンが誕生したことに由来します。
 
夜の後楽園球場で4万人を超える観衆が詰めかけて開催されたボクシング世界フライ級タイトルマッチで、当時の世界チャンピオン ダド・マリノに挑戦した「白井義男」選手は激闘の15ラウンドを戦い抜き、判定勝ちで世界チャンピオンベルトを日本に初めてもたらし、日本ボクシング史に輝く栄光の名を刻みました。
 
なお、当時まだテレビ中継はなく、ラジオの聴取率は83%をマークしたとのこと。
 

【白井選手が世界王座を獲得した後楽園球場(BOXING NEWSより引用)】
 
なお、先般、井上尚弥選手が4団体統一世界スーパーバンタム級タイトルマッチを制しましたが、ちなみに現在の階級は17、チャンピオン認定団体も増えて、WBA、WBC、IBF、WBOの主要4団体がそれぞれチャンピオンを認めており、その総計は70人ほどになるのに対し、当時のチャンピオンは「世界に8人」。
 
つまり、8つの階級に一人づつチャンピオンが君臨していたことを思うと、その価値と重みが分かるところ。
 
また、白井選手と師弟関係にあった、アメリカ人のカーン博士は試合前、白井選手にこう語ったとあります。
 
「日本は戦争でアメリカに負け、今の日本で世界に対抗できるのはスポーツしかないだろう。キミは自分のために戦うと思ってはいけない。日本人の気力と自信をキミの勝利で呼び戻すのだ」
 
アメリカ人に言われるところがまた何とも言えないのですが、いずれにしても4万もの大観衆のなかで見事判定勝ちを収め、文字通り「日本人に勇気と元気を与える希望の灯」となったことは、日本にとって大きな意味をもたらしたと言えます。
 
なお、白井選手は5度目の防衛戦で王座から陥落し、昭和30(1955)年5月30日に同相手と世界王座再挑戦リターンマッチが開催するものの、5回KO負けで敗戦。
 
この敗戦をもって現役引退するも、なんと同試合のテレビ中継は最高視聴率96.1%を記録するほどの人気と注目を集めたとのこと。
 
ほとんどの日本人が観たという、今では考えられないことですが、最高視聴率96.1%は、ビデオリサーチ社が視聴率調査を開始した昭和37(1962)年12月3日前後を通じてテレビ番組歴代最高視聴率とされており、「希望の灯」への当時の熱狂ぶりが数字としても残るもの。
 
日本初の世界王者誕生から72年。
 
戦後の日本に希望の光をもたらした白井選手の、飽くなき努力とチャレンジ精神、栄光に心から敬意を表する次第です。
 

【白井義男選手のファイティングポーズ(BOXING NEWSより引用)】