幕末の悲劇「天狗党」〜武田耕雲斎からの手紙〜

ブログ 敦賀の歴史・文化

7月5日に住所地が大阪府の方で1人、新型コロナウイルス新規感染のあった敦賀市ですが、一昨日8日は3人、昨日は4人と、ここ1週間で8人の新規感染者数となっています。
 
感染のあった市内のバーについては、既に公表もされているところですが、こうして店舗名を明らかにされることで濃厚接触者や推定者の特定がしやすくなり、ひいては感染拡大を最小限に留めることにつながることから、どのような形で感染されたのかは置いたとして、勇気を持って公表されたことを感謝するところであります。
 
今日も複数名の新規感染は免れないところかと推測しますが、数に一喜一憂することなく、対策の基本行動遵守に努めていきましょう。
 
さて、市内の状況がこうなってくると、中々外出するのも慎重になろうかと思いますが、感染リスクの低い場所で余暇を楽しむとの観点から皆さんにご紹介したいのが、市立博物館で開催されている特集展示「天狗党~武田耕雲斎からの手紙~」。
 
「幕末の悲劇」とも称されている水戸「天狗党」ですが、元治元年(1864年)に藤田小四郎らを中心に筑波山で挙兵した後、京にいる一橋慶喜を頼り、朝廷に尊王攘夷を訴えようと約千名が行軍、その年の12月、風雪の中、木ノ芽峠を越えて敦賀の新保村に着陣したものの、そこで幕府軍に捕らえられ首領の武田耕雲斎、藤田ら天狗党は、そこで処刑されるとのエピソード。
 

【展示物の写真撮影はNGにつき、入口でのみ撮影】
 
この特集展示では、天狗党や当時の水戸藩の事情、挙兵から行軍、新保で止まる行軍のあゆみなどの流れに沿い、武田耕雲斎が加賀藩を通じて追討軍総指揮・一橋慶喜の元へ届けられた手紙を始め、博物館に寄託・寄贈された60に及ぶ貴重な関連資料が展示されており、天狗党降伏までの様子を伺うことが出来ます。
 
また、NHK大河ドラマで話題の渋沢栄一の従兄・成一郎(喜作)が、栄一と共にこの時期、一橋慶喜の部下として働いており、天狗党と間違えられ捕らえられるなど、知られざる天狗党関連エピソードも一部パネル展示で紹介されています。
 
私も先日観覧してきましたが、幕末の動乱期にタイムスリップしたかのような気分になりました。
 
武田耕雲斎は那珂湊(茨城)での戦争の際、「大いなる紅葉二三を縫った白の陣羽織」を着用しており、展示コーナでも所用の陣羽織及び軍扇が展示されていましたが、この陣羽織には、水戸藩主斉昭が急進的な幕政改革を幕府に咎められたことにより、致仕・謹慎を命じられ、これに連座して謹慎となった時に耕雲斎が詠んだ歌「木かくれて常には見えぬ紅葉はの散りてこそ知れ赤き心を」の思いが込められていたことを知りました。
 
まさに「散って燃ゆる」のは陣羽織のみならず、耕雲斎の生き様自体を表したものであると、純粋な「誠」の文字を貫いた武士道に心打たれたところであります。
 
この特集展示の会期は、8月3日(火)まで。
 
是非皆さんも幕末の悲劇と敦賀の関わりの歴史を振り返ってみてはいかがでしょうか。
 
※参考まで、2019年度気比史学会主催の市民歴史講座「峠を越えた群像」の第4講「小浜藩から見た天狗党」を聴講した際に、内容を書き留めたブログ(2019年11月3日)を以下にリンクします。
本来の敵は外国人であったはずなのに、何故日本人同士が戦わなくてはならなかったのか、純粋に国を思う志士と幕末の混乱など、天狗党がいかに深く、複雑な環境から生まれたのかをご理解いただけるかと思いますので、博物館に行かれる前に是非、お読み取りいただければ幸いです。
 
 →→→天狗党の志士に思いを馳せる(やまたけブログ)