大成功の「NHK大河ドラマ『光る君へ』のパブリックビューイング」

ブログ 敦賀の歴史・文化

風が強いながらもお天気に恵まれた日曜日。
 
敦賀の駅前では、ライブやキッチンカー、はたらく車にクラシックカー&スーパーカーが登場する北陸新幹線敦賀延伸開業記念イベント「TSURUGA DEPART」。
 
金ヶ崎緑地と敦賀赤レンガ倉庫では、地域の学生吹奏楽部や地元アマチュア演奏者によるライブ「つるがのおと」が開催されるなど、市民企画のイベントにより多くの賑わいがあったところ。
 
私のほうは日中、敦賀市民歴史講座で何度も講義を拝聴している多仁照廣先生が、以前に「シリーズ物語 敦賀藩」を出版されたことを祝う「多仁照廣氏出版記念会」に気比史学会の一員として出席。
 
若狭エリアを主とした関係者が集い、多仁先生のご功績を讃えるとともに、今後ますますのご活躍を祈念した次第です。
 
続いて、昨日のメインイベントは、19時からの「NHK大河ドラマ『光る君へ』パブリックビューイング(PV)&ミニ歴史講座」。
 
昨晩の放送から「越前編」入ることを機に、敦賀市が企画したこのイベント。
 
先回りして申し上げれば、番組終盤でまひろ(紫式部)らが琵琶湖を舟で渡り、越前に向かう際に通った山道はまさに北陸最古の「深坂古道」であり、セリフと映像、さらにはキャプションで登場したのは「松原客館」と、いずれも敦賀が誇る歴史に関わるもの。
 
次週の予告では、「松原客館」を舞台に、宗人と藤原為時(まひろの父)が交渉するシーンがあるようですので、皆さんぜひご覧いただければ幸いです。
 
さて、嬉しいことに、このPVには100名を超える市民の参加があったことに加え、米澤市長、福井県や越前市からは観光関係のご担当の方、さらにはNHK大河のプロデューサーの方まで参加されての盛況ぶり。
 
また、越前編をより楽しく観ようと、PVに先立ち開催した「ミニ歴史講座」では、講師として気比史学会の糀谷好晃会長、アシスタントの私にて対応した次第。
 

【熱気あふれるPV会場(粟野公民館 大ホール)】
 
限られた時間の中でしたが、「平安時代の敦賀」と題し、①平安時代から今日まで、②松原客館の謎にせまる、③深坂古道~北陸最古の詩と史の径(みち)~、④古代の北陸道/芋粥のこと についてお話ししましたが、ここではいくつかのスライドのみご紹介いたします。
 

 
まずは、「紫式部の一生」ですが、越前編で描かれる国府にいたのはたった1年であるとともに、「源氏物語」は約1000年前に書き上げられたものであることが分かります(ちなみに、平安時代はちょうど400年で、265年の江戸時代より長く、日本の歴史上最長の時代)。
 

 
続いてこちらが、昨日のシーンでも山道として出てきた「深坂古道」。
 
式部が通ったとされる北陸最古の古道であり、ここで式部は「知りぬらんゆききにならす塩津山 世にふる道はからきものぞと」との歌を詠んでいます。
 


 
なお、この深坂古道は、敦賀みなとライオンズクラブのご協力を得て、気比史学会とともに平成4年に整備、説明板や紫式部の歌碑も建立し、当時の新聞にも掲載されました。
 

 
続いて、敦賀にあったとされる対外使節の迎接館「松原客館」。
 
※左は北陸電力作成資料より、右は敦賀市立博物館所蔵の越前国敦賀古図(幕末に描かれた推定画)の一部抜粋より。
 

 
発見されていない「松原客館」を語る上で、頭に入れておきたいのが、古代の地理であり、図を見て分かるとおり、海岸線は今の松原の位置よりずっと内陸寄り(今の松陵中学校の辺りか)、①東の入江(氣比神宮近辺)、②西の入江(来迎寺辺り)、③第三の入江(西福寺近く)と3つの入江があったことから、主にその周辺にあったのではないかと推定されています。
 

 
上記の地理的関係から想定される、「松原客館」があったとされる「7つの候補地」。
 
なお、⑦の「中遺跡群」は、過去の出土品にベルトのバックルのようなものがあり、庶民が装着するものでないことから、当時の豪族、有力者が住んでいたと考えられることから、他の候補と離れた位置に候補として挙げられています。
 

 
何ともミステリアスな「松原客館」ですが。過去に気比史学会では「松原客館の謎にせまる」と題した市民歴史講座、刊行物も出版するなど、当時のブームの火付け役となりました(「敦賀学たんさ隊」による帯磁率探査も行われました)。
 


 
文献では、804(延暦23)に「比年、海使の来着多く、能登国に在りし停宿の処、疎あるべからず、宜しく早く客院を造るべし」の勅(天皇からの命令)により、福良津に能登客院の造営されており、同じ頃に松原客館も創設されたと考えられていることに加え、昨日のドラマで「松原客館にいる70名の宗人を返せ」との命を受け、為時が越前に立ちましたが、2枚目のスライドにあるよう、995 (長徳1)には「若狭国着の宗の商人・朱仁聡(しゅじんそう)ら70余名を越前国 松原客館に移送」とあり、まさにこのことを描いているものと推察いたします。
 
ご紹介したいことはまだまだ沢山ありますが、書き出すとキリがないのでこの辺りで止めておきます。
 

【ミニ歴史講座の一コマ】
 
申し上げたいことは、古墳時代から始まる、大陸とつながる敦賀津(港)の歴史は平安時代も大変重要なものであったこと、かの紫式部が為時らと、ここ敦賀(深坂古道など)を通って越前国府に向かったこと、さらには謎多きながら必ずやあったとされる「松原客館」は当時の日本が誇る迎接館であったこと。
 
こうした歴史に思いを馳せながら、次週以降の大河ドラマをご覧いただくとともに、敦賀の悠久の歴史を感じていただければ幸いです。
 
また、視聴率から言えば、全国で2,500万人が観ているとされるNHK大河ドラマ。
 
ドラマを通じ、敦賀、そして当時大国であった越前国に注目が集まることを切に期待いたします。
 
結びに、企画から準備。運営まですべて手作りで、熱意をもって進めていただいた敦賀市まちづくり観光部 観光誘客課のご担当を始め、関係者の皆様に心から敬意と感謝を申し上げます。