2024年4月11日
「辞世の句」と「散り際」
春の嵐から一転。
昨日は、澄み渡る青空と海に囲まれての辻立ちからスタート。
一昨日の雨風にも耐え、懸命に咲く桜から元気をもらうところ、次は自分が元気を与える番と、いつも以上に笑顔を心掛け活動にあたりました。
思いが通じてか、お手振りやお声掛けなど、通行する多くの皆様よりリアクションいただき感謝。
思えば、この「朝活」も5年目に入りました。
単なる辻立ちに過ぎませんが、「継続は力なり」で今後も続けてまいります。
【いつも活動をともにする原電労組の仲間にも感謝!】
さて、唐突ですが、「辞世」とはこの世に別れを告げることを意味し、「辞世の句」とは、死を見据えてこの世に書き残す生涯最後の句のことを言います。
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
これは、戦国時代の武将、明智光秀の娘で細川忠興の妻として知られる細川ガラシャの「辞世の句」。
細川ガラシャは明智光秀の三女として出生し、細川忠興の正室となった後、関ヶ原の戦いを巡り、西軍の石田光成がガラシャを人質にとろうとしたものの拒絶。
ガラシャは家臣に刀を突かせ、壮絶な最後を迎えたとされ、先の「辞世の句」は「花は、散る時期を知っているからこそ美しい。人もそうありたいものである」という意味が込められているのだそう。
前置きが長くなりましたが、10日に辞職願を静岡県議会議長に提出した川勝平太知事は辞職願を提出する前、現在の心境を報道陣に問われた際、この句を引用。
前述のとおり、散り際の大事さを説いた有名且つ命を賭す場面で残した一句に対し、川勝氏の場合は自身の失言によって辞任に追い込まれた形とあって、SNS上では批判の意見が相次ぎましたが、私としても軽々にこの崇高な句を引用して欲しくなかったというのが正直なところです。
また、辞職願提出後の会見では、西道仙の「城山」と呼ばれる漢詩の一節を口にしていますが、こちらも西郷隆盛の敗死を深く嘆いて作った詩と川勝氏自らが西郷のようであるかに心中を例えるのもいかがなものかと。
自身の「散り際」や「生き様」はガラシャや西郷と同じと言わんばかりの発言は、もはや自分に酔っているとしか思えない訳でありますが、川勝氏の一連の言動からは、政治家の発する言葉たるや、あらゆる方面への影響なりを深く思慮し、一言一言に重みがあることを厳に認識すべきと(反面教師として)教えていただいたことに感謝する次第です。
なお、私にとって、最も心に残る「辞世の句」といえば、吉田松蔭先生の
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留どめ置かまし大和魂」
「私の身がたとえ武蔵の地で朽ちてしまったとしても、大和魂だけはこの世に留めおきたいものだ。」との思いを表した句で、安政の大獄で処刑される直前に門人や同志に当てた遺書「留魂録」の冒頭に記したもの。
その後、この大和魂を継いだ同志、志士らによって明治維新を果たしたことは言うまでもありませんが、「辞世の句」とはそれほど重いもの。
私としては、歴史上の人物の「辞世の句」を引用することはないとお約束するところですが、これからは桜が散る季節。
散りゆく花びらに、「散り際」こそサムライの「美学」であったことを思い返すとともに、それは冒頭の桜のように、悔いなきよう精一杯生きることがあって成り立つ精神であることを、自身の人生観として深く胸に留め置くことにいたします。