SNSで生まれる「相互理解」

ブログ 人生観

雨を覚悟していた、昨朝の週初め街宣。
 
予報が外れて歓迎するのはこういう時で、雲に覆われつつも、雨には降られることなく無事に街頭活動を終えることができました。
 
またこれまでは、30分も話していると汗が背中を滴る暑さが続いてきましたが、昨日は暑さも和らぎ、汗を拭くこともなく。
 
最近は、朝散歩で見る風景も徐々に進む稲刈りシーンに切り替わり、「敦賀まつり」に合わせて秋の訪れを感じる次第です。
 

【野坂山と稲刈り後の風景(2024年8月31日 やまたけ撮影)】
 
さて、最近あった嬉しいことのひとつとして、8月28日のブログでは「一通のお便りと甲子園球場の切手」のタイトルで、市民の方から叱咤激励を頂戴したことをご紹介しましたが、ここ数日は、SNSでのやり取りで嬉しいことが。
 
自身が発信しているSNS媒体には、X(旧Twitter)、Facebook、Instagram、LINE VOOMと4種類ありますが、この中でも最も拡散性が高いのは「X」。
 
他の3種類と違い、Xの場合は元々「つぶやく」の由来にあるよう、思ったことを都度発信しても構わない(他の3種類もダメではありませんが)ものであることから、以前から利用しているもの。
 
一方、パリオリンピックでも選手への誹謗中傷が取り上げられたよう、匿名で投稿できることなどから「攻撃性」も高く、「バズる」こともあれば「炎上」することもあるというリスクがあり、その辺りは公人として気を使ってポスト(投稿)しているところです。
 
そうしたところ、以前には、エネルギー関連のことでポストした際、批判的と思われるコメントに対し返信したところ、意外やその後、こちらの考えをご理解いただいたうえ、激励の言葉まであり、恐れずに双方向コミュニケーションを図っていくことが大事と感じた次第。
 
8月29日には、敦賀2号の審査書案「了承」を受けてコメントした、福井新聞の記事を紹介ポストすると、ある方から「だからさ、要不要の問題有るにしても基準の問題でしよ?建て直し含めて2号機が必要って話ではないのだから、科学の話をしよう。」とのコメントあり。
 
私の本意が伝わっていないと思い、説明の返信をするとご理解いただけたようで、その方からは以下の返信がありました。
 
(以下、原文のママ)
 
「有益な情報ありがとう御座います。
審査落ち及びその理由から、「電気が足りなくなる、酷い、言いがかり」等の言説が飛び交っていまして、原発推進派の私としても気になっていたので、あの様なリプしました。
おっしゃる通り断層の評価がこの問題の本質であり、そこは科学的に行い安心の上再稼働を行い、電力需要を賄えるしっかりとしたエネルギー供給をお願いしたいです。以上ありがとう御座います。」
 
すると今度は別の方から、「NRA(※1)の審査を外部から監視して適切なものにするよう法律を作るしか無いでしょう。玉木さん(※2)、最近エネルギー問題には投稿少ないですね。」とのコメント。
 
※1:原子力規制委員会
※2:国民民主党代表
 
これにも返信すると、その方からは、
 
「NRAの監視役は必要です。これは国政レベルでやる事。山本議員が国会議員になってガンガンやって頂くのが一番だとは思いますが、、、今のままでは、再処理、革新軽水炉、高温ガス炉、SMR、、、全部彼らが止めますよ。彼らは止めるために仕事してますから。」
 
とあり、私への過分なる言葉への御礼とともに、再返信した次第です。
 
長々と事例紹介をしてしまいましたが、言いたいことは、SNS、特に匿名で投稿できるものは「顔が見えない」ことから、文面だけでは読み取れないことが多々あり、そこをクリアしていくにはやはり、批判を恐れず返信すること、丁寧にやり取りすることと改めて認識するところです。
 
併せて、こうして「双方向コミュニケーション」から「相互理解」が生まれることを嬉しく思う次第です。
 
なお、皆様方におかれましては、先に述べた各種SNSの中でご利用のものがあれば、「山本武志」あるいは「山本たけし」で検索いただき(このホームページのトップにはQRコードも掲載しています)、ご覧いただければありがたく存じます。
 
結びに、敦賀2号審査のやり取りから、最後は日本の原子力規制のあり方にまで発展した際の、私の返信を参考まで掲載いたしますので、この考えにもぜひ「双方向コミュニケーション」で、理解を深めていければと存じます。
 
<以下、Xでの私の返信> 制限140字を(続)でつないでポストしています
 
私のポストをきっかけに、こうしてご議論いただきありがとうございます。また、@h76e さんの私に対する過分なるお言葉にも感謝です。
米NRCの「活動原則」にあって、NRAにないのが「効率性」。規制活動は、それにより達成されるリスク低減に見合ったものであるべき、有効な選択肢が複数ある場合(続)
 
(続)は、リソースの消費が最小限となる選択肢を採るべき、規制の判断は不必要な遅れが生じないようにすべきとの原理があります。つまりは、規制による国民生活や経済活動への影響とのバランスを考慮している点が、日本と大きく違う点と考えます。
ですので、科学技術的な部分に政治が影響を(続)
 
(続)与えるという意味ではなく、原子力規制が「国益」と直結するとの観点から、規制システムの見直しを提起する役割や責務は国会にあると思いますし、国策として「原子力の最大限活用」を掲げるのであれば尚のこと、今こそ必要なことではと考える次第です。
なお、原子力規制の「効率性」に(続)
 
(続)関してはアメリカのみならず、フランスもイギリスも取り入れている、いわば「世界標準」と認識しています。
「効率性」というと「安全を蔑ろにするのか」との声が挙がりそうですが、先に述べた通り、原子力の再稼働が進んでいないことを主要因とした現在のエネルギー危機と(続)
 
(続)稼働が進む、あるいは今後の原子力開発を含め、これによって得られる「国益」を考え、国家観をもって判断するのは「政治」の場でしかないと考えます。
長々と、且つ偉そうに申し上げましたが、私がお伝えしたかったことは以上です。釈迦に説法のような話であったなら聞き流してください(終)
 
本日のブログは以上です。