天狗党の志士に思いを馳せる

ブログ 敦賀の歴史

昨日は絵に描いたような秋晴れ。
午前中は、地元粟野地区の文化祭にスタッフとして参加。
地元の素材を使った試食ブースや輪投げにストラックアウト、輪ゴム射的などを連ねて点数を競う子どもチャレンジなどに多くの方が訪れ大賑わい。
老若男女ミックスしての、まさに地域コミュニティで嬉しい気持ちになりました。

午後は、これまた楽しみにしていた気比史学会主催の市民歴史講座に参加。
今年度シリーズで開催している「峠を越えた群像」の第4講として、テーマに挙げられたのは「小浜藩から見た天狗党」。
幕末の悲運「天狗党」は敦賀で捕らえられ、祀られた関係性もあってか、会場の図書館研修室には多くの参加者で熱気がありました。

多くの参加者が集った市民歴史講座会場

講師である敦賀市立博物館の坂東学芸員からの、「天狗党の話しは複雑」との冒頭の言葉どおり、「最後まで幕府と戦っている気はなかった」と語ったと言われる天狗党、幕末の志士の純粋な思いは、悲運に向かったことが良く分かりました。

講義は、小浜市指定文化財となっている「水戸脱士擾亂記(全4冊)」(酒井家文庫)の記述をもとに進められました。

天狗党の発生原因のひとつは、「何もかも徳川斉昭のせい」とされたこと。
水戸藩内において、中下士層から人材抜擢する「改革派」の斉昭と改革に慎重な「門閥派」の中心人物・結城寅寿らが対立。
斉昭は、致仕・謹慎を命ぜられるなど、藩内で一度政治的生命を絶たれ(幕府に睨まれる)る一方、結城寅寿(保守派)は「門閥派」として水戸藩の要職を占めたこと反発する志士が固まった。
赤穂浪士の話しのようと思いました。

天狗党の発生原因のふたつ目は、「水戸学」。
一所懸命から日本人はひとつにならなくてはならないと広い視点で考えたのが「水戸学」。
我が藩のことだけ学ぶのではないと水戸藩2代藩主光圀(水戸黄門)が始めた「大日本史編纂事業」や斉昭が建てた藩校弘道館は、内憂外患に敏感な若者たちを生み出した。
この影響を受けた会沢正志の「新論」は、刊行禁止となるほど(幕府にとって危険)で、欧米列強が強いのは、武器とキリスト教を学んでいるから(現地の人を取り込んで侵略する、人身を統率させるもの)との新たな思想を、若者は写し書き広め、幕末の志士のバイブル(会沢の真意は、幕府内部で改革すべきとの内容であるが)となった。

このような背景や水戸藩ならではの土壌があって、天狗党は生まれたとのことでした。

その後の数奇な運命を書き出すとキリがない訳ですが、「そうだったのか」と感じた挙兵からの動きを紹介すると、
◉1863年の四国艦隊(四国が横浜に入港)に対し、「戦争に備えよ」と攘夷派は、「鎖港を求めるため」に藤田小四郎らが筑波山で挙兵(「筑波勢」と呼ばれ、のちの天狗党)した。
◉横浜討伐軍(幕府)はすぐに出撃しなかったこともあり、筑波勢は軍資金集めや宇都宮勢への挙兵の呼び掛けするも断られる。その際、筑波勢の田中源蔵の一帯が栃木の宿を焼き討ちしたため、幕府が「敵」と認定。
◉その後の戦いで幕府軍に勝ってしまい、結局横浜討伐軍に参加することなく、水戸藩に戻るものの、尊王攘夷を掲げ上京を目指す。
◉天狗党が掲げる「尊王攘夷」は、家康が戦乱の世を治め、皇室から権力を委譲されて任されている幕府を重んじるとの考えのもと、「攘夷」には、「外乱(外国)」から守るとの意味を有していた。
◉歩を進めるうち、各務原市(彦根藩)が関ヶ原で待ち構えており大戦争になると聞き、福井(越前藩)にルート変更。結果、新保(敦賀市)に入る。
◉敦賀で獄門(首切り)の刑に処せられるが、罪状がはっきりしない「疑獄」であったとも言われている。

本来の敵は外国人であったはずなのに、何故日本人同士が戦わなくてはならなかったのか。
純粋に国を思う志士と幕末の混乱。
やはり天狗党の話しは、奥が深すぎる。。。

敦賀「気比史学会」に学ぶ

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即位の礼を滞りなく終えられたことを祝うかのような見事な秋晴れ。
昨日は、気持ちも晴れやかに朝の挨拶立ちからスタート。
もう何度もご紹介している訳ですが、朝日に照らされる敦賀湾は季節により表情を変えて美しく、わが町自慢の景色です。

さて、敦賀の自慢といえば、この風光明媚な自然と歴史、港と鉄道。
そして、敦賀で歴史といえば、地域史研究団体として長年地道な活動を続けられている「気比史学会」。
私自身、歴史を生かしたまちづくりの考えを持っており、この度、同会の糀谷会長より会の生い立ちや取り組み内容、歴史に対する思いなどについてお話しを聞かせていただきました。

1977年に発足した当会は、今年で42年を迎え、敦賀の歴史再発掘に向けた調査や研修の内容を学び合う「市民歴史講座」を30年以上継続するほか、出版活動や疋田舟川などの文化財保護、北陸最古とされる深坂古道の整備復元と幅広い活動を展開されている市民団体。

回顧型の「郷土史」ではなく、越前や近江を結ぶ横断的且つ発展型の「地域史」と名付けた先見思考に対しては、学識者も一目置くほどとのことでした。

また、活動を通じ、誇りあるまちづくり、歴史を生かしたまちづくりにつなげるとの趣旨により、「生きた歴史」にするとの言葉が印象に残りました。
一方で、会員数の減少や高齢化、財政面の後ろ支えなど、会の継承性にも影響する課題が生じてきているともお聞きしました。
会が思いや情熱をもって長年積み上げてきた実績と功績は大変大きく、敦賀の財産とも言えるこの活動が停滞、縮小することのなきよう、次代を担う世代の参画はもとより幅広い市民の理解と参加が重要と課題認識した次第。

会長の揺るぎない思いであり、結成時からの会是でもある言葉。
「過去に学び、未来に期待し、今日に生きる」

言葉の意味合いを噛み締めつつ、私自身も「歴史と市民をつなぐ」史学会の活動に携わっていきたいと思います。





敦賀市民歴史講座に参加 〜奥の細道を読み解く〜

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貴重な三連休ですが、今度は台風17号襲来。
台風から遠くても強風や大雨に注意と日本気象協会が呼び掛けていますが、大きな災害にならぬよう願うばかりです。
 
さて、昨日の敦賀は少雨が続きましたが、午前中は市立やまびこ園の清掃奉仕活動に参加。
この活動は、連合福井嶺南地域協議会が8年に亘り継続しているもので、5月と9月の年2回、施設外周の草刈りをメインに作業にあたっているものです。
昨日は、雨天にも関わらず各組合から35名が参加され、迅速な作業で外周も気持ちもスッキリしました。
 
午後は、きらめきみなと館で開催された気比史学会主催の敦賀市民歴史講座に参加しました。
先日、敦賀市立博物館で開催されている特別展「おくのほそ道330年の旅」をご紹介しましたが、その一環として「おくのほそ道を読み解く」と題し、和洋女子大学より佐藤勝明教授をお招きしての講座でした。
 
教授の「おくのほそ道の舞台である敦賀で講演出来ることに感激しています」との言葉から始まった講座ですが、浅はかな知識で参加した私にとっては、「ここまで深く読み取るのか」と驚くばかりの内容。
メモも取りましたが、ここでは紹介し切れませんので、特に印象に残った教授の言葉を2、3紹介します。
①気比さん参宮の場面は、おくのほそ道の1・2を争う大事な場面である。
②北陸路に省筆が多い(句が少ない)が、省筆せずに記された「敦賀」の記述は、ここにひとつの大事なテーマ(無常の世の中でも伝わり続けられる「心」)があることが理解できる。
③おくのほそ道は、がっかりの中にも興じる姿勢。例えば、雲で富士山が見えなくとも、見えてしまえば景色はひとつ、見えないことにより想像の中にいくつもの景色が浮かび上がる。
 
私としては、上記の②に注目。
芭蕉が敦賀に「杖」を置いて行ったこと、省筆せずに句を詠んだ理由が敦賀で感じた「心」にあるとすれば、これは後の「人道の港」のエピソードにもつながるのでは無いかと感じた次第。
 
この後も、「おくのほそ道330年の旅」に関わるイベントは続きますので、出来る限り参加して、敦賀と芭蕉の関係を学びたいと思います。
 

 

 

「おくのほそ道」330年の旅へ

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三連休の最後は曇り空。
 
追加議案提出の連絡が来ていたため、お昼前に市役所に取りに行くと、別会派の控室ではありましたが、同期議員の方が一般質問の準備をされており、暫しお邪魔。
お手を止めることになり恐縮でしたが、男女平等参画や子育て環境などについて意見交換が出来、私にとってはホッとする良いひと時でした。
 
その後、敦賀市立博物館にて開催されている特別展「おくのほそ道 330年の旅」を鑑賞しました。
知る人ぞ知る松尾芭蕉の「おくのほそ道」ですが、今から330年前の1689年3月27日に江戸深川を旅立ち、関東、東北、北陸各地を約5ヶ月掛けて旅した物語は、日本の古典の最高傑作の一つとして、広く読み継がれてきています(特別展資料解説より)
 
芭蕉は、旅の終わり同年9月27日に敦賀入りし、気比神宮を参拝、色ヶ浜にて遊び、中秋の名月や秋の寂しさを感じ入るような句を詠んでいます。
 
また驚いたのは、敦賀を後にする際、宿泊していた富士屋という宿に杖と笠を残していったと伝えられており、杖は今も敦賀に現存しているとのことで、博物館にも展示されていました。
330年前、しかも芭蕉のイメージにもある杖を眼前に見ることが出来、これだけでも本当見に来た甲斐がありました。
 
おくのほそ道は、また旅立つ場面で終わっていることから、330年経った今もまだ「予(芭蕉)」の旅は終わっていないかもしれず、多くの読者の心の中で芭蕉は永遠の旅人であるとの解説にダブルで歴史ロマンを感じた次第。
浅学でこれ以上述べることは止めておきますが、興味のある方は是非市立博物館に足を運んでいただけたらと思います。
 
さて、敦賀市議会は、本日から一般質問。
私の登壇予定は明後日となりますが、芭蕉が句に込めた敦賀への思いも感じましたので、郷土発展に向けた情熱をもって建設的な議論を交わしたいと考えます。