6年ぶりの「とうろう流しと大花火大会」

ブログ 敦賀の歴史・文化

関東・東北地方に迫る台風7号の影響、今にも降り出しそうな厚い雲に覆われどうなるのかと、敦賀にお住まいの皆さんはさぞかしヤキモキしたであろう昨日。
 
主催する敦賀観光協会の電話ガイダンス及びホームページには「開催するが、急遽の天候不良の場合は中止もある」とあり、開催したい気持ちと安全第一の狭間でこう周知するしかなかったであろうと、関係者の方々の気持ちを汲み取った次第ですが、思いが通じたかの如く、夕方頃には雲間から青空が覗くなど安堵した次第です。
 
ここまで書いて何のことかと言えば、毎年8月16日に開催される敦賀の夏の風物詩「第75回とうろう流しと大花火大会」のこと。
 
新型コロナウイルス禍や天候不順などが重なり、なんと6年ぶりとなったこともあり、敦賀市民はもとより、毎年楽しみに訪れる皆さんの期待もさぞかし大きかったもの。
 
今年の大会に関しては、敦賀観光協会ホームページの記載を借りれば、コンセプトは「名勝『気比の松原』をバックに繰り広げられる一夜。海面には読経に合わせて鮮やかな灯篭が流され、幽玄な空間に。6年ぶりの開催となる今年の『とうろう流しと大花火大会』は、約10,000発の花火を打ち上げます。今大会のテーマは『かがやきの、その先へー敦賀と未来をつなぐ光―』、北陸新幹線敦賀開業を祝うプログラムや※明治15年の長浜~敦賀間の鉄道開通から大正、そして今年の北陸新幹線敦賀開業と敦賀市の鉄道の今と昔を伝えるプログラムで夜空を彩ります。」とのこと。
 
※明治15年は、柳ケ瀬隧道から金ヶ崎間の開業であり、長浜〜敦賀間の鉄道全線開業は「明治17(1884)年」です。
 
このように、敦賀にとって「歴史の転換点」と言える北陸新幹線敦賀開業という記念すべき年に、無事に開催できたことを心より嬉しく思った次第です。
 
大会は予定通り、すっかり暗くなった19時半に米澤光治敦賀市長、敦賀観光協会の池田裕太郎会長の挨拶を合図にスタート。
 
ちょうど家族全員が揃ったわが家は、近所の田んぼ道(高低差があるため十分見える)から観覧しましたが、道沿いは同じ考えの皆さんで賑わい、こうして敦賀市内のそれぞれの場所から、それぞれのシーンで6年ぶりの大花火を楽しんでおられることを、またまた嬉しく感じたところです。
 
なお、今朝の新聞を見ると、昨日訪れた数はなんと22万人だそう。
 
以前が確か18万5千人であったかと記憶していますが、市内外を問わず、やはり皆さん「待ちに待った」ということに加え、これも北陸新幹線の開業効果であれば良いなと思った次第。
 
大花火の模様は、ちょうどフィナーレのシーンを写真を以下に掲載しますが、田んぼ道からも「お見事!」と拍手が湧き起こったことも併せて紹介いたします。
 

【約1万発のフィナーレを飾る大花火】
 
花火に話題が行きがちなこの大会ですが、元々は戦没者慰霊のために始まったお盆の行事。
 
敦賀びー旅日記さんの「note」(ブログのようなもの)を拝見すると、第1回の「とうろう流し」が行われたのは戦後間もない昭和25年。
 
花火が打上げられたのは、とうろう流しが始まった数年後と聞いていますが定かではないとのこと(昭和29年には花火が打上げられている写真あり)。
 

【敦賀びー旅日記さんの「note」にあった、昭和42年の貴重な写真】
 
市民の方へのインタビューでは、「小さい頃なので正直とうろう流しの意味を深くは分かっていなかったけれど、家族に言われてとうろうを流すときはご先祖様の事を想いながら流し、その時の想いというのは大人になった今でも忘れないと言いいます。」
 
「大人になり都会に出た人も、小さい頃気比の松原でとうろう流しをした事はふるさとを想う気持ちとしてずっと残るものだと思う」
 
との言葉があり、「人道の港」を謳う敦賀にとって「とうろう流し」はご先祖様を敬う気持ちを込めて、「また来年会おうね」と打上げられる花火は皆の心に残る、アイデンティティと言えるもの。
 
改めて敦賀の誇りであると思った「とうろう流しと大花火大会」。
 
こうして盛大に開催できたことに対し、関係者の方々に感謝申し上げるとともに、また来年も、多くの皆さんにお越しいただけることを願っています。