2020年8月23日
「敦賀発電所の歩み」写真展にて、半世紀の歴史を思う
【日本原子力発電(株)敦賀発電所1号機建設工事の状況(同社ホームページより)】
日本初の商業用原子力発電所である敦賀発電所1号機が1970年3月14日に営業運転を開始してから、今年で50年を迎えています。
同社においては、立地の選定から写真にある建設工事時代を含め、この間、地域の皆さまのご理解とご支援をいただいたお陰でこの節目の年を迎えられたとの思いを込め、本町2丁目商店街にある「ふれあいギャラリー」において、「敦賀発電所の歩み」写真展(サブタイトルは、〜げんでん敦賀発電所50年 安全を守り 地域とともにこれからも〜)を開催しています。
写真展では、敦賀発電所1号機、2号機の建設当時の状況や主に西浦地区の風景などの写真やビデオなど約30点を展示。
私も拝見させていただいたのですが、見たことのある建設工事の状況に加え、驚いたのは敦賀半島の道路や町並み。
ネタばれになるため、展示物をすべて掲載することは致しませんが、2枚目の写真を始め、展示されている建設前の半島の様子を拝見するに、未舗装は当たり前、今はトンネルで通行出来る鷲崎の峠道を整備する模様や立石には道路らしきものすらなかったことなど、大変興味深く見させていただきました。
道路に関して言えば、今年の3月に悲願の「敦賀半島トンネル」が完成し、これまで美浜を通過しないと行けなかった白木地区と浦底がつながりましたが、これも「原子力災害制圧道路」との位置づけがあることから、敦賀半島全体の道路整備の歴史は、原子力とともに歩んできた約半世紀とともにあると言っても過言ではないかと思うところです。
先日、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定の文献調査に北海道の「寿都町」が応募を検討していることが明らかとなり、調査が決まれば20億円を交付するという国の制度に対し、「札束で頬をたたくやり方」と批判する声もありましたが、果たしてその表現は正しいのでしょうか。
国民生活や経済活動にも大きく影響するエネルギー政策に関し、とりわけ国全体の課題であり、「国策」として進めていかなければならない事項に対し、そこに協力していただける自治体に対してインセンティブがあるのは、ある種当然ではないかと私は思います。
私の立場でこれ以上述べるのは控えますが、冒頭にありましたように「日本初の商業用原子力発電所」建設を受け入れていただいた敦賀市、さらには西浦地区が、写真で見て分かるような形で生活インフラ整備が進むなど、地域の発展につながっていることを実感した次第であります。
ふれあいギャラリーを出ると、「国道8号空間整備事業」で広く綺麗になったアーケード歩廊に戻ってきたシンボルロードモニュメントがあり、ちょうど日本原電のプレートが貼られているモニュメントのタイトルは、銀河鉄道999の「友の眠る星」。
→→→「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」シンボルロードモニュメントの詳細はこちらから
説明には、「トチローは息を引取ったが、彼の心は親友の乗るアルカディア号の心となった。」とあります。
この地に生まれ、育てていただいた敦賀発電所1号機は、大きな役割を果たし、今は廃止措置に入っています。
しかしながら、この先建物や設備の姿は無くなろうと、愛着を込めて呼ばれる「敦1(つるいち)」の存在自身と、発電所の建設・運転・保守に携わられた関係者の皆さんの魂や思いは、次の時代を担う人々の心に受け継がれています。
アルカディア号がその後、キャプテン・ハーロックの手のもと鉄郎の危機を救ったように、原子力に携わるものもその「心」をもって、直面する危機を乗り越えることこそが、先人たちの思いに応えることと、このモニュメントに思いと決意を重ねました。
この写真展の開催期間は「本日23日まで」となっています。
紹介するのが遅れたうえに恐縮でありますが、時代の移り変わりを感じていただくとともに、これまでとこれからの原子力発電、そして敦賀のまちのことを少しでも考えていただける契機になればと、是非足を運んでいただければ幸いに思います。