2025年12月8日
高速増殖炉もんじゅ「ナトリウム漏えい事故」から30年
平成7(1995)年12月8日。
今から30年前の今日は、試験運転中の高速増殖原型炉もんじゅで「ナトリウム漏えい事故」が発生した日。
これにより、原子炉を手動で緊急停止し、事故発生の翌日、12月9日以降の調査結果、原子炉格納容器内にある中間熱交換器から出ている2次系配管(出口配管)のナトリウム温度計が破損、漏えいしていたことが判明。
サイクル機構(当時)においては、破損温度計以外の温度計の調査、流力振動水試験等の模擬試験および解析による調査を行い、破損原因は、配管内を流れるナトリウムの流体力により、さや細管部に振動(流力振動)が発生し、さや段付部に高サイクル疲労が生じたため破損に至ったとされ、これは、メーカーの温度計さや管の設計に問題があったとの判断に至りました。
なお、漏えい事故では、発生から6時間後の9日午前2時5分に5人の職員が現場確認のため配管室に入り、ビデオ撮影したものの、それを隠していたことが大きな批判を浴び、連日テレビや新聞に取り上げられる社会問題に。
当時、日本原電に入社して5年目、同じ敦賀半島の敦賀発電所で勤務していた私にとってもこの事故はセンセーショナルであり、原電からもんじゅに出向に行かれていた方からのお話とも併せ、壮絶な現場対応であったことを思い返す次第です。
その後、もんじゅは運転再開のための本体工事を平成19(2007)年に完了し、平成22(2010)年5月6日に2年後の本格運転を目指して運転を再開したものの、同年8月には炉内中継装置落下事故が発生。
平成24(2012)年に再稼働する予定でしたが実現することなく、平成28(2016)年12月21日に組織的な問題を理由に、原子力関係閣僚会議において廃止が正式決定され、以降、廃止措置工事を続け、今に至る。
これが、もんじゅに関する一連の経過となります。
なお、廃止判断がされる前には、地元をはじめ、敦賀市議会からは「核燃料サイクル政策に係る国の責任ある対応を求める意見書」提出により、国においては、そうした立地地域の思いや意見を十分に踏まえた上で、核燃料サイクル政策の目的を果たせるよう、長期的な視野に立ち、取り組むことが肝要であるとの考えを伝えたことを書き置く次第です。
しかしながら、意見書の思いに国が応えることなく、結果、平成28(2016)年12月21日に原子力関係閣僚会議にて「もんじゅの廃止」が決定。
その際、今後の取扱いについてはこう書かれています。
「このような状況を勘案し、『もんじゅ』においてこれまでに培われてきた人材や様々な知見・技術等を、将来の高速炉研究開発において最大限有効に活かす観点からも、これまでの『もんじゅ』の位置付けを見直し、『もんじゅ』については様々な不確実性の伴う原子炉としての運転再開はせず、今後、廃止措置に移行するが、あわせて『もんじゅ』の持つ機能を出来る限り活用し、今後の高速炉研究開発における新たな役割を担うよう位置付けることとする。」
→「もんじゅの取扱いに関する政府方針」(平成 28年12月21日 原子力関係閣僚会議)はこちら
加えて、同日、同じく閣僚会議発出の『高速炉開発の方針』では、「高速炉開発は、長期にわたるプロジェクトであり、将来を見据えた一貫性のある継続した取組が欠かせない。国内のすべての関係者が、本方針を踏まえ、それぞれの責任を自覚して役割を果たしつつ、 相互の連携を強化することによって、着実に高速炉開発を進めていくことの重要性を改めて強調したい。」とありました。
→「高速炉開発方針」(平成28年12月21日 原子力関係閣僚会議)はこちら
以降、(高速炉)『戦略ロードマップ』(平成30年12月21日 原子力関係閣僚会議)では、「7.地元自治体との協働」として次の記載。
「今般の政策の見直しによって、今後『もんじゅ』の廃止措置に取り組むとともに、『もんじゅ』を含む周辺地域において高速炉研究開発を実施していくが、説明会を開催するなどこれらの経緯・取組について政府として丁寧に説明し、地元の理解を得られるよう最大限取り組んでいく。また、地域雇用・経済の観点を含め、地元がともに発展するよう、政府として最大限に応えていく必要がある。このため、今般の「もんじゅ」に係る政策変更に伴い、地元に大きな影響が生じないよう、また地元が共に発展していけるよう、必要な地域振興策等に政府として取り組むこととする。」。
そして直近では、『第7次エネルギー政策』(令和7年2月)の「Ⅵ.カーボンニュートラル実現に向けたイノベーション」の(2)原子力の項に「高速増殖原型炉もんじゅについては、安全の確保を最優先に、着実かつ計画的な廃止措置に責任を持って取組を進めるとともに、国は地元の協力を得ながら、福井県敦賀エリアを原子力・エネルギーの中核的研究開発拠点として整備していく。」と明記されています。
こうした30年間、一連の過程を経て今がある訳ですが、中核的研究開発拠点の中心的役割を担う、もんじゅ敷地内に建設予定の「試験研究炉」は、昨年“推定活断層”なるものの指摘により先は見えず、停滞感が否めない状況にあります。
30年前の事故、社会問題となった教訓は決して忘れてはいけないことであることはもちろんとして、廃止決定の際、国が地元と約束したことも同じく忘れてはならないことであり、さまざま約束したことについて、一日も早く実現に向けた道筋、見通しが得られるよう、国が責任と役割を果たしていくことは言うまでもないこと。
もんじゅで目指した「夢の原子炉」によって、わが国の原子燃料サイクルの一翼を担うはずだったのが敦賀であり、今後もその役割を引き継ぐとともに、この後建設される試験研究炉には、国内外の研究者が集い、ここで学んだ技術者たちが世界で活躍する。
また、ここで研究された製品が世界に貢献し、人々を救う。
私自身は、もんじゅを巡るこれまでの歴史を胸に刻みつつ、この先敦賀がそうした拠点となるものと、ポジティブに捉え取り組む所存です。

【日本海の荒波と高速増殖炉もんじゅ(2022年12月 やまたけ撮影)】






