2021年1月17日
阪神・淡路大震災から26年の日に強く思うこと
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から今日で26年。
ここ敦賀でも突き上げるような揺れを感じたことや阪神高速の倒壊シーンなど現地の衝撃的な映像は、四半世紀を経ても未だ記憶に新しく、恐らくこの後も忘れることのないであろう出来事となっています。
発生時刻の午前5時46分には、兵庫県内各地で鎮魂の祈りが捧げられるとのことであり、私からも犠牲になられた方への哀悼の意、さらには今なお障害など後遺症を抱えて暮らす方に対し、深くお見舞いを申し上げます。
新聞情報によれば、兵庫県内で17日前後に開かれる追悼行事は昨年より18件減の42件でコロナ緊急事態宣言の発令でさらに減少するとみられる中、遺族や被災者らは自宅やオンラインなど、例年とは違う形でも犠牲者を悼み、改めて震災の記憶と教訓を胸に刻むとあります。
6434人の犠牲者、全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害により、大きな「負の遺産」をもたらしたこの震災。
しかしこの震災は「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しているとウェザーニュースの記事にあります。
まずは、阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したことから、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれているように、ボランティアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日本大震災が550万人など復興の助けになっています。
次に、阪神・淡路大震災を教訓に大規模災害に対応するため、高度な救出救助能力を有する隊員と装備で編成される消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)が1996年12月、東京消防庁に発足し、その後は国内の大規模災害だけでなく海外の地震・森林火災・噴火災害・豪雨被害などへも派遣されています。
また、震災では被災者に対する初期医療の遅れが露呈したことを受け、2005年に厚生労働省の日本DMAT(ディーマット)が発足。
基本、1チーム5人(医師1人、看護師2人、業務調整員2人)で構成されるチームが、要請があれば現場に3日〜1週間滞在して活動するとのことであり、初の出動は2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故であったとのこと。
さらに、身近なところでは、被災した際に用いたカセット式ガスコンロが、メーカーによってガスボンベのサイズや構成部品が異なる不便が生じたことを教訓とし、1998年2月に日本工業規格が改正され、ボンベの形状が1種類に規格化された(どのメーカーでも使えるようになった)ことや、水道の湯水混合水栓のレバーについては、震災の前まで普及していたレバーを上げると止まる「上げ止め式」では、周辺の物が落下すると水道水が出っぱなしになるという事例が多発したため、震災後はレバーを下げると止まる「下げ止め式」が普及したことなど、いま当たり前のことは実は阪神・淡路大震災を契機に生まれたものであったことを気づかせてくれます。
この3月には東日本大震災から10年を迎えることとなりますが、この2つの大震災にあって大きな負の出来事に直面しつつも、日本人はこうして正の力に変えるとともに、何よりも秩序を守り、災害ボランティアに行けなくとも気持ちをカンパやメッセージに変えて、助け合い、支え合って乗り越えてきました。
そして今のコロナ。
徐々にまた批判や非難、身勝手な行動が見受けられるようになってきていますが、こうして気持ちもバラバラ、社会が分裂していてはウイルスに勝つことなど到底出来ません。
無念にも震災で犠牲になられた方が生き続けたかった日本を思えば、取るべき行動は必然であります。
今を生きる者の責任と使命を強く自覚して、感染症も災害だとすれば、この阪神・淡路大震災から26年の今日、今一度、日本全体が協力し合ってこのコロナを乗り越えることを決意する、そうした日にすべきであり、私自身そのように思う日にしたいと考えます。