野球界の分水嶺となるか「低反発バット」

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パリ五輪は閉幕しましたが、熱い戦いが繰り広げられているのは「夏の甲子園」。
 
大会第6日の昨日は2回戦4試合が行われ、地元福井からは北陸高校が登場。
 
強豪の関東第一(東東京)に1-7で敗れ、1992年の第74回大会以来32年ぶりの甲子園勝利はならなかったものの、点差を広げられても、逆転を信じて粘りのプレーを貫く選手達の姿を清々しく感じた次第です。
 
さて、昨日、東海大相模(神奈川)の選手が放ったホームランが、何と今大会の第1号。
 
タイブレーク制度、球数制限、申告敬遠、継続試合の採用など、ルールが続々と変わる高校野球ですが、2024年春からは反発力を抑えた新基準の低反発バットに完全移行していることはご存知の通りかと。
 
これまでの飛びすぎる金属バットが見直され、いわゆる「低反発バット」に完全移行した目的には、①投手の怪我防止、②「打高到底」傾向の調整、③投手の負担軽減 とあり、高野連が定めた新基準のバットは現行のバットよりも細く、厚くして低反発で打球速度が抑えられるもので、より木製バットに近いものになっているとのこと。
 
ホームランが出にくいことにより、「一発大逆転」の試合も当然少なくなり、一部から「面白くない」との声も聞かれるところですが、木製バットでは「投手の球に詰まったら終わり」が常識ですが、金属バットは弾きが良い分「詰まっていても力で持っていけばヒットになる」「泳がされても跳ぶ」ことなど、金属バットに頼ることによる「技術習得の鈍化」も叫ばれてきたところ。
 
プロ野球で小手先だけの金属バット打法は通用しないことに加え、アメリカでは既に、金属バットの打球によるアクシデントを受けて金属バットの使用規制が進み、「BBCOR」という新基準が設けられており(反発係数が木製バットと同等)、高校生の国際試合は、木製バットかこの「BBCOR仕様バット」しか使えないことから、世界で戦うためにも、今回の規定変更は野球界にとってプラスになるとの意見に納得。
 
一方、清原和博氏(PL学園)が持つ甲子園大会の通算最多ホームランは「13本」ですが、これを超える選手が現れることはもうなさそうですね。
 
なお、「金属バット」の歴史を振り返れば、高校野球で金属バットの使用が解禁となってのは、1974年だそう。
 
つまりは、この年が「打高投低」時代の始まりと言えますが、初年度は多くの学校で金属バット化に対応できず、木製で出場した選手がほとんどだったようで、この年の夏の甲子園を制した銚子商業の4番、元・巨人の篠塚利夫選手も「手の感覚に合わない」と木製バットでの出場だったとのこと。
 
この1974年は、プロ野球では読売ジャイアンツのV9時代が終焉し、「ミスタープロ野球」長嶋茂雄選手が引退。
 
その一方で、王貞治選手は戦後初の三冠王を達成し、プロ野球の打の主役が明確に入れ替わる年となるなど、野球界にとってひとつの分水嶺とも言える年でした。
 
それからちょうど半世紀。
 
後に歴史を振り返ればまた、2024年が野球界にとって分水嶺の年であったと思いつつ、今夏の甲子園大会を観戦するのも良いのではないでしょうか。
 
(余談ですが)
 
水島新司先生の「ドカベン」の連載が始まったのは、この翌年の1973年。
 
中学時代は木製バットだった、ドカベンこと山田太郎も金属バットに変え、ホームランを量産。
 
写真は、「大甲子園」で中西球道君(青田高校)の豪速球を見事に捉えるドカベンのシーンですが、金属バットの登場は、高校野球漫画界にとっても分水嶺であったと言えるではないでしょうか。
 

【ちなみに、被弾した男・中西球道君の格言は「球けがれなく 道けわし」。水島漫画の中で、私が最も好きな選手です。】