2020年8月30日
過去に学び、未来に期待し、今を生きる
強い台風9号の影響か、昨日は湿気ムンムンの暑さ。
顔を合わせば、「いつまで続くんでしょうね」が合言葉のようになっているこの残暑ですが、気付けば8月も明日で終わり。
風物詩の行事は無くとも、次に訪れる季節は「食欲・文化・スポーツ」の「秋」。
予定外のことばかりの今日この頃ですが、せめて季節の移り変わりは予定通りに、秋の訪れを待ちたいものです。
さて、私の方はと言えば、9月1日から始まる定例会に向け、資料の読み込みや考えの整理などを進めているところですが、昨日の午後は、以前から楽しみにしていた気比史学会さん主催の「市民歴史講座」に参加。
敦賀の歴史と市民を結びつける役割を果たし続けてこられている気比史学会さんは、結成から今年で43年目を迎えており、冒頭の糀谷好晃会長のご挨拶では「コロナ禍で悩んだが、こんな時こそ文化力を発揮したいとの思いで開催することとした」との言葉がありました。
この市民歴史講座は、毎年テーマ設定がされ4〜6講の構成で開催されてきている訳ですが、今年は「元亀争乱から450年」と題し、元亀の争乱を中心に各地に残る城跡や戦国時代の周辺地域の様相などを手掛かりに、何度も覇権争いの戦禍を乗り越えてきた敦賀の歴史を探るというもの。
ここまででも興味津々な訳ですが、第1講の昨日は、「元亀 義景戦記 〜うつけ信長を侮った朝倉義景〜」と題し、一乗谷朝倉氏遺跡資料館館長の水野和雄氏による講義を拝聴。
水野先生は、朝倉氏の研究における第一人者であり、平成4年に放送された大河ドラマ「信長」で越前の朝倉義景が手を震わせながら切腹するという恥辱的なシーンを見て以降、「朝倉の復権」を人生のテーマに取り組んでいるとの紹介もあり、その切っ掛けと思いの強さに驚いた次第。
講義のほうは、「はじめに」として、そもそもの朝倉氏と一乗谷についての紹介がされ、
◉朝倉孝景(初代)から始まり、5代の義景で朝倉家は途絶えた。
◉一乗城下町は、昭和45年に特別史跡指定。1471年〜1573年(信長により焼滅)まで推定人口約1万人の城下町であった。
◉日本で最初に戦国大名の館が明らかになった。
◉日本考古学史上初めてトイレ遺構が確定された。
◉大国越前の一乗谷は、全国に名だたる城下町であった。
など、越前朝倉は当時日本に誇る名であったことが分かりました。
本題の「元亀争乱」に関しては、先生によれば「やんちゃ坊信長が仕掛けた元亀争乱」と呼ぶ、元亀年間(1570〜1573)に越前、近江の国を中心として繰り広げられた朝倉義景・浅井長政vs織田信長・徳川家康の戦いの軌跡を総称したもの。
天筒・金ヶ崎の合戦、姉川の合戦、志賀の陣での和睦、利根坂での敗走、朝倉氏の滅亡と続く戦国ストーリーはただでさえ大変興味深いことに加え、先生の豊富な知識から語られる朝倉と織田のそもそもの戦いの論理の違いなど、その背景に至るまで聞けば、なお面白く話しに引き込まれました。
◉朝倉11代に亘る戦国大名への道のり。
◉元亀の争乱は織田信長が仕掛けた。
◉朝倉、浅井同盟説の再検討。両者の同盟説は成立しない。
◉朝倉と織田の戦いの論理の違い。帝王学を学んだ朝倉(例えば大将は戦に出ない)に対し、当時の常識に囚われない織田(積極的に戦に出る)。
◉比叡山焼討ち、余呉・木之本の放火など、信長は約20万人を殺したとされており、最も日本人が日本人を殺した人物と言われている(NHKも大河ドラマに登場させて良いのか最後まで悩んだとのこと)。
◉最後は「一乗の谷焼滅」。義景は、越前大野六坊賢松寺で自刃(41歳)。
◉追って「小谷城落城」。信長、本丸の浅井長政を攻め、自刃させる(29歳)。
主な流れとしてはこういったところでありますが、敦賀に関して言えば、何と言っても争乱初期(元亀元年4月25日)の「手筒・金ヶ崎城合戦」。
浅井の離反による劣勢を感知した信長が命からがら逃げ、秀吉が殿(しんがり)を務めた「金ヶ崎の退き口」は有名であり、この殿役で功績を認められた秀吉が後に天下を取っていく歴史の転換にもなった場所が、この敦賀にあることはやはり自慢のひとつですね。
ちなみに殿は明智光秀が務めたとの説もあり、まさに戦国期の手柄争いも壮絶であった様子が伺えます。
講義はその他にも、戦国時代の女性たち、NHK大河ドラマの影響(肖像画のうそホント)など、眼から鱗の先生のお話しを聞区ことが出来ました。
これもちなみにですが、見る人のイメージを固定化させる肖像画に関して言えば、我々世代では当たり前の「聖徳太子」は1万円や教科書で誰でも知っているものと思いきや、真実か否かに疑念が生じたことから、現在では教科書や紙幣から取り除かれ、子ども等には太子のイメージはなくなってきているのだそう。
今、先生が注目しているのは明智光秀の肖像画だそうで、大河ドラマに登場するのか否か、私も興味を持って見ていきたいと思います。
そんなことも含め、やはり歴史は面白く、その人間模様や背景、ひとつの判断を起点とした失敗や成功など学ぶべきことが詰まっています。
気比史学会が掲げる言葉、「過去に学び、未来に期待し、今を生きる」は私も大切にしている言葉。
そして、史学会の糀谷会長は機関紙の中で述べられた「歴史に学び、歴史を作る志」の心意気も大変共感するもの。
私自身、こうした歴史を学ぶ機会に出会えたことに感謝するとともにし、この二つの言葉を胸に置き、今後も学びを続けながら、転換期にあっても進むべき方向や判断を見誤らない軸となる考えを身につけ、実践していきたいと思います。