終戦記念日の各紙論調に先人達を思う

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昨日の新聞各紙。
終戦記念日を迎え、全国戦没者追悼式などの様子が報じられました。
 
先の大戦で尊い命を失った英霊に対する思い、恒久平和を願う気持ちは、紛れも無い国民共通の思いとしつつ、戦後74年が経過し、緊張感高まる昨今の国際情勢を踏まえつつ、今後我が国としてどう対応していくべきか。
とりわけ、9条を含む改憲に対しては、論調が分かれるところです。
 
私自身、改憲に対して考えの整理がまだ出来ておらず、ここで述べるべきでないのかも知れませんが、考えの軸にあるのは、以前に知り得ました永野修身 元帥海軍大将の言葉。
先の大戦に臨むうえでの覚悟を表す言葉であると同時に、その覚悟と犠牲のもとに今の日本があるということを深く心に刻みました。
以下、永野大将の言葉です。
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戦わざれば亡国
戦うも亡国であれば
戦わずしての亡国は身も民族永遠の亡国である
戦って死中に活を見い出し
護国の精神に徹するなら
たとい戦い勝たずとも
護国に徹した日本精神さえ残せば
我らの子孫は
必ずや再起、三起するであろう
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決して、戦争を美化したり、戦うことが望ましいということではなく、こうした思いで戦った先人達があって今の私たちが存在する。
これは紛れも無い真実であります。
 
国際的視点において、個別的自衛権は憲法に書くまでのことでない、自分の国を自分達で守ることは当たり前のことですが、我が国はといえば…。
改憲=戦争をする国に向かうのか。
改憲=曖昧な点を整理し、抑止力をもって、より戦争をしない国に向かうのか。
 
私自身、少なくとも前者の考えは極端過ぎると思う訳でありますが、今後議論されるであろう改憲に対しては、一国民として、より研鑽を積み考えを整理したいと思います。
 
先に述べた永野大将の言葉。
我が身を失っても、その魂や精神を残せば国家は存続するとの考えは、かの吉田松陰の言葉を継承したものと思われることから、最後に紹介せていただきます。
 
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂」