2020年11月9日
歴史を知るほど、行き着くは「今あるものを大切に」の心
TwitterやFacebookなどと違い、ブログは大体が1日1件、日記のように書き留めている方が多く、私もそのような使い方をしてきた訳ですが、この週末は「乱発」をしてしまいました。
既にご覧いただいている方にはお分かりの通りですが、この週末は連日、シンポジウムや講演会が開催され、その内容は敦賀市にとって大変重要なヒントと期待が込められたものでありました。
こんな為になる内容を参加者だけの記憶に留めておくのは大変勿体無いとの思いから、このブログ欄にて広く発信させていただいた次第であり、その点ご容赦いただきたく存じます。
そのシンポジウムでもありましたよう、豊富な歴史と自然、日本有数の交通の要衝であり、原子力エネルギーの先駆的役割を果たしてきた敦賀市のことを知れば知るほど、益々魅力あふれるまちだと確信した次第であり、皆さんともそのことを少しでも共感出来ればと思います。
さて、そうした中、開催されてきました敦賀のイベント第3弾の「人道ウィーク」が昨日で幕を閉じました。
この土日は、荒天リスク回避のため、音楽イベントこそ屋外から屋内に場所を移しての開催となりましたが、予想に反し、降雨も少なく、フードコーナーには多くの方が来場され、地元産の物販や市内外の飲食ブースにて舌鼓を打つなど賑わいを見せていました。
かくいう私も、きらめきみなと館でのシンポジウムの後、フードコーナーに立ち寄り、敦賀真鯛の麹漬け(真鯛ハンバーガーは何と昼過ぎに完売)、イノシシコロッケ(地元の猟師さんが出店)、そして市職員さんお薦めのリトアニアビール(杉原千畝氏の命のビザに因んで販売)などを買い込み帰宅。
ご想像の通り、夜は敦賀真鯛とリトアニアビールで一杯。
カッコ良く表現すれば、両国のつながり、異国情緒を感じながら味合わせていただきました(真鯛もビールも本当美味しかったです)。
さらにこの日の敦賀ネタは終わらず、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台は「敦賀」。
【「麒麟がくる」のワンシーン。全国に敦賀・金ヶ崎の名は響いたか。】
信長の人生最大のピンチと言われる「金ヶ崎の退き口」のシーンであった訳ですが、以前参加した歴史講座で学んだ、撤退戦自体は朝倉の援軍や浅井長政軍の到着の関係からそれほど激しい攻防ではなかったことやしんがり隊長を務めたのは木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)ではなく、明智光秀らであったことなどと照らし合わせて見ておりましたが、ほぼその辺りは忠実に表現されていたと感じたところです。
それにしても、あの大河ドラマの画面に敦賀城や金ヶ崎、手筒、そしてお隣美浜の国吉城の名が映るとやはり嬉しいもの。
朝倉vs織田の構図、信長、家康、秀吉の三傑が揃ってこの敦賀の地を踏んだことに改めて思いを馳せるとともに、この撤退戦が無ければ、即ち信長が逃げてなければ日本の歴史が変わっていたのかも知れないと思えば、敦賀には本当に大きな歴史財産があるのだと誇らしい気持ちになった次第であります。
歴史を書き出すと筆が止まりませんで、ツラツラ長くなってしまいましたが、日曜の夜までみっちりと郷土のことを学び、歴史に思いを馳せる週末となりました。
撤退戦から天下を狙った信長のように、所縁の地であるこの敦賀もコロナからの防戦から転じ、オリジナリティーとブランドあるまちに向け狼煙を上げるといったところでしょうか。
野望とまでは行かずとも、市民の皆さんと思いをともに「今あるものを大切に」との思いを持って取り組むのみであります。
最後になりますが、10月末の駅西地区社会実験から国8空活、そしてこの人道ウィークと続いたイベントに関し、まさに総動員で対応された敦賀市職員始め商工会議所など関係者の皆さん、コロナ対策にご協力いただきながら参加いただいた多くの皆さんに感謝申し上げます。