2020年11月24日
歴史ある「東浦みかん」は敦賀の宝
日本医師会が呼び掛けた「我慢の三連休」。
札幌や大阪などは人出が減少傾向にあった一方、ニュースで流れる京都嵐山の様子は、「そんなの関係ねえ」と言わんばかりの人だかり。
紅葉シーズン真っ最中で「今しか見れない」という心理がそうさせるのでしょう。
GoToの取り扱いを巡り、政府と各都道府県の歯車が上手く回ってない感はありますが、マスクを外した飲食やおしゃべりさえしなければ感染リスクは極めて低い訳であり、個々では引き続き基本行動の励行を徹底したいものです。
さて、そんな三連休最終日の昨日、やや冷たい北風の中、父の実家(敦賀市大比田)の「みかんもぎ」をお手伝いしてきました。
敢えて「みかん狩り」と言わないのは、このみかん畑で獲れるみかんは売り物用でなく、自前で消費しているものだからという意味と理解していますが、食べる分だけを獲る観光と違い、来年の生育のために何本もある木を丸々収穫しないといけないとなると中々の重労働。
大比田の国道8号線沿いの傾斜地に畑がある訳ですが、収穫したみかんのコンテナはかなりの重量で、これを一輪車を使い道路脇まで下ろす作業は腕力のいる大変な作業。
80歳になったという伯父さん夫婦、70歳を超えた親父夫婦と私での作業でしたが、とりわけ何度も先程の運搬を繰り返す叔父さんの体力には驚きました。
何十本もある木は、実家の方やこうして親戚の皆さんが協力して全て「もぐ」ということで、私も時間を見つけてまたお手伝いせねばと感じた次第。
それにしても、敦賀湾を僅かに覗き見れる絶好のロケーションと秋の実りを収穫するのは何とも楽しいもの。
変わらぬ景色と東浦みかんの甘酸っぱさを味わい、そしてこうして家族でみかんもぎに来た幼少期を思い出す一日となりました。
昭和40年代から始まったとされ、毎年賑わいを見せる「東浦みかん観光園」は、コロナのため今年は中止となりましたが、予約販売などは既に受付完売の盛況だそう。
歴史を辿れば、江戸時代の末に敦賀市阿曽で生まれた「金井源兵衛」さん(1785年生まれ)が、東浦で「特産品」を作って農家の生活を豊かにしたいと思い、始めたのが「みかん」。
改良を重ね、やがて東浦にはたくさんのみかんがなり、明治時代に敦賀港からロシアのウラジオストックへ輸出するまでに成長、何と当時の敦賀港輸出第一位は「みかん」であり、「敦賀港はみかんの港」でもあったそう。
こうした歴史を思えばやはり、東浦のミカンは、正真正銘の敦賀の「特産品」の代表格。
現在は、生産者の高齢化や後継者不足などの課題に対し、行政側とも連携し種々取り組みが進められているところでありますが、こうした歴史的経過なども踏まえれば、絶対に絶やしてはいけないものであり、その点肝に銘じ、自身も取り組んでいきたいと考えます。