敦賀発電所2号機が「38歳」の誕生日を迎える

ブログ 原子力

厚手のジャンバー不要の暖かさ。
 
この週末は穏やかな天気が続き、近所の方とも「このまま春になってくれるといいんだけどね」と会話したところですが、そうはいかないようで。
 
今夜半あたりからは、全国的に再び寒波襲来ということで、真冬を思わせる厳しい寒さが続く1週間となるようです。
 
冬型の気圧配置が続き、冷たい北西風が吹きつけると一層寒く感じるとありますので、特に急激な寒暖差により体調など崩されませんよう十分ご注意ください。
 
さて、今日2月17日は、日本原子力発電(以下、日本原電)の敦賀発電所2号機(以下、敦賀2号)が営業運転を開始した日。
 
営業運転開始日を誕生日とすると、今日で38歳を迎えたことになります。
 
実は毎年、この周年を忘れないようブログに掲載しているところですが、日本原電のホームページでは、敦賀2号のことを以下のように紹介しています。
 
<以下、日本原電HP引用>
1982年3月に着工(第1回工事計画認可)、同年4月に建設工事を開始し、 当初の予定よりも工期を4ヶ月あまり短縮し、1987年2月に営業運転を開始。この発電所は、わが国最初のプレストレスト・コンクリート製格納容器を採用して耐震性の一層の向上を図るとともに、国内外の新技術を積極的に導入し、各種の設備に種々の改良・改善を加え、安全性、信頼性、環境保全の各面に優れた発電所です。
(引用終わり)。
 
発電所構内には「信頼と安心の敦賀2号」の標柱があるよう、これまでの発電電力量合計1,923億kWhを誇る敦賀2号。
 
一方、東日本大震災後の2011年5月7日20時00分に原子炉停止して以来、これで14年の歳月が流れようとしています。
 
ちょうど1年前のブログを読み返しますと、“2015年11月に新規制基準への適合性確認審査を申請して以降、現在は原子力規制委員会による審査が進められており、先週も審査会合があったよう、敷地内破砕帯評価を巡る議論が佳境を迎えようとしているところ”とあり、必ずや審査突破し早期再稼働をと、強い思いを述べていました。
 
しかし、その後は昨年11月13日に開催された原子力規制委員会に「日本原子力発電株式会社敦賀発電所の発電用原子炉設置変更許可申請書(2号発電用原子炉施設の変更)に対する処分の案」が議題に供され、“発電用原子炉設置変更許可をしないことの決定”について、いずれも規制委員会「全会一致」で決定されたことは既知のとおり。
 
日本原電はこれを受け、「当社としましては、敦賀発電所2号機の設置変更許可の再申請、稼働に向けて取り組んでまいります。申請に必要な追加調査の内容について、社外の専門家の意見も踏まえながら具体化してまいります。」とコメント。
 
現在は、追加調査の方法等について検討が進められており、可能な限り早期にその内容を公表することにより、再調査、さらにはその先にある再申請、再稼働に向けた意思を示していただきたいと思う次第です。
 
また、敦賀2号を救いたいがため、“規制を緩めよ”と言っている訳では決してないことをお断りした上で、これまでも述べているよう、地盤(断層変位)審査に関わる国際基準に照らし、日本の原子力規制においても「確率論的」評価を組み入れるべきと考えます。
 
実際に国内外の規制基準を比較すると、次のようになっています。
 
<日本>
◉約12〜13万年前以降の活動が否定できない断層の直上への設置を禁止(立地不適格)。
アメリカやIAEAのように、確率論的な評価を認めていない。
 
<アメリカ>
◉断層変位が想定される場合に立地不適格とする記載はない。
◉敷地において地表変形(断層変位を含む)の可能性がある場合は、審査者は地表変形の潜在的影響が施設の設計基準内であることを確認するという記載がある。
日本のような禁止規定はなく、実際、ディアブロキャニオンのように、既設発電所に対して「確率論」的に評価して認められた例がある。
 
<IAEA>
◉既設サイトに対しては、敷地及び/又は敷地近傍に存在する断層がcapable fault(活断層)ではないと結論づけるだけの十分な根拠(決定論的な根拠)がなく、原子炉施設の安全性に影響を与える可能性がある場合は、確率論によって評価するべき。
 
まさに、今回の敦賀2号のように「(活断層の)可能性が否定できないため不許可」とすることは、国際基準に照らせば奇異なものであると言っても過言ではないのではと。
 
もちろん、敦賀2号に関しては今後の調査において、「活断層ではない」ことを科学的データをもって証明することが最もクリアな解決になる訳ですが、国際基準では、「確率論的」評価手法が“標準”であるという事実を知っていただくとともに、私自身、こうしたことを調査しつつ、政治の側から意見できないか模索中であります。
 
1990(平成2)年に入社し、敦賀発電所の保修業務に携わってきた私にとって、敦賀2号は思い出の詰まった、愛する「マイプラント」。
 
一旦は適合性を認められなかったものの、今の日本が置かれたエネルギー事情を踏まえればなおのこと、必ずや再稼働を果たすことが使命と役割であると、今年の誕生日も思いを強める次第です。
 
人間も発電所も、38歳は働き盛り。
 
建設時代から現在に至るまで、これまで携わっていただいた多くの方々や支えていただいた市民の皆様の期待を背負い、一日も早い戦線復帰を目指すことに変わりはありません。
 

【信頼と安心の敦賀2号。必ずや再稼働を。】